月光聖女~月の乙女は半身を求める~

46(shiro)

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第5章

この道の行く手に待ち受けるは……。それでもなお 2

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「いつまでもそんな冷たい所にいないで、さあこちらにいらっしゃいな。凍えてしまうわ」

 マテアの知るどの月光聖女よりも澄んだ声が祭壇の方からかけられた。どこか幼さの残る、それでいて気品を備えた響きは、マテアのからまった糸のような心をそっと包みこむ。

「できません、月光母さま……」

 マテアは喉の奥に力をこめ、どうにか言葉をしぼり出し、顔面をおおった。

「わたくしはあなたが禁忌とされた行為を犯してしまった愚か者です。あげく、<リアフ>までも失ってしまいました。このようなみすぼらしい様を、お目にさらすことはできません。どうか、どうか、ご容赦くださいませ……!」

 崩折れるようにその場に両膝をつき、床についた己の手の甲にすりつけるくらい額を下げる。ひたすら手の甲を見つめていたマテアの視界に、間もなく白銀色にさざめく光波をまとった指先が割って入った。

「こんなにもきれいなあなたをみすぼらしいだなんて、誰が言ったというの? マテア」

 その者にはわたしからきつく叱っておかなくてはね。嘘を言うものではありませんと――いつの間にこんな近くまでと驚くマテアに、月光母は、それが事実ではないと知る笑みを浮かべながらやんわりと告げる。

「――月光母さま……!」
「ほら、すっかり指先まで冷たくなってしまっているわ。氷のようよ、マテア」

 月光母が何をしようとしているのか、マテアが気付くよりも早く彼女の両手をとり、月光母は自らの両手で包みこむ。美しく整った十本の指と、ほっそりとした両腕が放つ光が、マテアの目をまぶしくくらませた。

 月光母は神。月光神と対をなし、万物の創造神である彼女を、こんなにも間近で見たのははじめてである。不可侵とされ、月光聖女の司以外は何人たりと踏み入ることを許されない月神宮で眠り続ける月光母は、『月誕祭』のときだけ皆の前に姿を現すが、そのときも薄絹の幕によって三方を遮られている。唯一開かれた前方から彼女を見ることができるのは、三百年目を迎え<リアフ>を結合させてもらえる月光聖女だけだ。

 はじめて拝した月光母は、着衣の上からもはっきりとわかる、細身の持ち主だった。おそらく月光聖女の誰よりも細く、たおやかな姿態だ。女性らしい膨らみの見られない体は神月珠から生まれたばかりの月光聖女のようで、声と相乗して、とても幼く初々しい印象を受ける。けれどもその身を包んだ<リアフ>の放つ光波は、こうしてマテアの傍らへ寄るために、月光聖女並におさえこまれていながらも高貴さはいささかも衰えず、天空の月が傍らに降りてきたような錯覚さえも感じてマテアは一時心を奪われる。だがすぐさま我に返り、これほどまでに高潔な<リアフ>をまとった彼女に自分などの手が触れている、その罪深さに恐怖して、あわてて手を引き抜いて一歩退がり、今度こそ床に額をこすりつけた。

「おそれおおいことを、月光母さま。わたくしごとき痴れ者に触れては、御身までが穢れます!」
「まぁ。なにを言うかと思ったら」

 月光母はマテアのとった行動に虚を突かれたのか、距離をとった彼女を驚きの表情で見つめたが、その言葉を聞いて微笑した。

「あなたはどこも穢れてなどいないわ」
「いいえ、わたくしは穢れております。わたくしは月光神さまと月光母さまがお定めになりました戒律を破りました。してはならないと知りながらです。そして、その罪を隠蔽しようとさらに罪を犯そうとした、罪深き者です。どうか、お裁きをくださいませ……!」

 腹に力を入れることで声の震えを殺し、息つめて月光母の弾劾を待つマテアの耳に入ったのは、困ったような月光母の溜息だった。
 そっと頭に指が触れて、面を上げることを促すように髪を梳く。

「そうね。あなたは言いつけを破り、地上界へ降りました。あなたと、サナンは。でも、それを罰することはできないわ。異世界へ通じる鏡がここにある――その誘惑が与える衝動を理解できないほど、わたしたちは無慈悲ではないの。だから、罰することはできません。わかるでしょう? わたしたちはなにも、あなたたちを罰したいためにあんな言いつけをしたわけではないの。あえて罰と呼ぶなら、結果こそが罰なのよ。だから、サナンもいずれ自分の為した行為による結果を受け入れることとなるでしょう。それを罰ととるかは彼女次第だけれど…………あなたは彼女より早く結果が表れたにすぎないわ。そしてわたしの見る限り、あなたは<リアフ>を失ったことで十分すぎるほど罰せられているし、自分のした行為がどれほど罪深いものであったか、ちゃんと理解しているでしょう? では、やはりわたしに罰を求めてもしかたないわ。たとえわたしにあなたを罰する権利があったとしても、とても、それ以上の罰をあなたに与えることは、わたしにはできないのだから」
「月光母さま……ですが――」

 マテアの顎の下に手を差し入れ、面を上げるよう誘導した月光母は、充血した目や涙のあとのついた頬を丹念に指でなぞった。

「わたしはね、マテア。あなたを罰したくて待っていたのではないの。あなたをひきとめたくて、ここにいるのよ」
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