月光聖女~月の乙女は半身を求める~

46(shiro)

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第5章

この道の行く手に待ち受けるは……。それでもなお 1

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 夜。かちゃりと鍵のはずれる音がして、ついにマテアの部屋の扉が開かれた。扉の向こうに誰もいないことを確認するよう途中で一度押す手をとめ、人の気配がないことを確信してから廊下にすべり出る。マテアは外出用の長衣をまとい、自分と悟られないよう濃い色のついたベールを目深に被っていた。

 もう一度、地上界へ降りるためだ。

 どうにかして<リアフ>をとり戻してくるしかない。そう思ったのだ。
 この四日の間に地上界はマテアにとって、前にもましておそろしい場所になっている。穢れが一面に満ちていて息のつまる地だし、あの血にまみれた男のような存在がそこいら中に跳梁しているのを想像しただけで足のすくむ思いだった。できることなら二度と踏み入りたくはない。けれど、行かないわけにはいかなかった。行って、あの男を捜し出し、<リアフ>を返してもらわなければならない。

 『月誕祭』までに、なんとしても。

 そう思うだけで、胸が張り裂けそうだった。
 願ったからと、はたして返してもらえるだろうか。相手は地上界人だ。懇願したところで、すんなり返してもらえるか……。返す気があるなら、奪ったりはしないだろうし。

 でも、だからといって他にどんな方法がある? <リアフ>がなければ、自分は破滅するしかないのに!

 幸いにも仲間の乙女たちはまだマテアの<リアフ>が失われたことに気付いていない。それは彼女がとても敬虔な月光聖女で、自ら禁忌を犯すような者ではないと誰もが信じて疑わないことと、彼女がなぜ地上界へ降りねばならなかったのか、その理由を思いあてられないためだ。だが今の姿を見れば、皆一瞬で理解するだろう。彼女がレイリーアスの鏡を用いて地上界へ降りたのだということを。

 禁忌を犯した月光聖女が月光神よりどんな罰を受けるか、マテアは知らないし想像もできない。きっと、想像もつかないような罰なのだろう。理解の範疇をはるかに越えるような。けれど、それを受けるかもしれないとのおそれよりもずっと、はるかに、皆に知られ、見限られてしまうことの方がマテアにはおそろしかったのだった。



 警邏の者に見つからないようできる限り身を縮め、遠く離れた場所で落ちる針の音も聞き逃すことのないよう、細心の注意を配り、小走りで回廊を抜けて大広間に入る。どうにか見つからずにすんだようだが、最大の難関はこれからだ。なにしろレイリーアスの鏡は祭壇の奥にあり、祭壇には当番の月光聖女がいて、祈りをささげているのだから。

 柱にぴたりと張りついて、角奥の祭壇から届くあかりをうかがいながら、聖女の目をどうやって盗もうか思案していたとき。唐突に祭壇からのあかりが強まった。
 光はそれ自体が生き物であるかのように、うねる虹色の波動となって大広間中に満ちていく。やがて、光が隅々まで行き渡ったとき、大広間から影というものは消滅した。

 ありあらゆるものから影を奪い、光のもとに照らし出す、とても温かな、心を和ませる優しい月光の波動。

 そんなはずはないと、マテアはよろめいて一歩後退する。
 あの方はまだ眠りにつかれているはず。『月誕祭』の朝、目を覚まされるのだ。
 そうは思うが、光雫華などでは到底起こり得ず、月光神からそそがれる月光力とも違うこの光波の持ち主を、月光聖女である自分が見誤るはずもなかった。

 ああ、だめだ。

 歯の根があわず、がちがちと鳴る口元をおさえ、よろめき、背に触れた柱へよりかかる。
 よりによって、あの方がいらっしゃるなんて。あの方の目を盗むだなんて、そんな事、できるはずがない。

 絶望に、震えがとまらなかった。見つかる前に隠れろ、早くここから逃げ出せと、頭のどこかが叫んでいたが、それだけはしてはならないとの理性の声の方が強かった。かといって、自ら御身の前に歩み出る、無恥な勇気など持ちあわせていない。マテアにできるのは、黙して裁きの時を待つことだけだった。

 きっと知れてしまっているのだ。自分が何をしてしまったのか。そして今、何をしようとしていたのか。でなければ到底ここにおられるはずのない御方。
 最初から、隠しきれるはずもなかったこと。どんな深き眠りの中にあっても、この世界に起きることすべてを把握してらっしゃる御方なのだから。なのに自分は愚かにも、この御方にも知られることなく、何も起きなかったように繕えると思っていた……。

 柱がなかったら、とうにへたりこんでいただろう。もはや観念するしかない。それ以外、自分にできることは何も残されてはいないのだから。
 総てを、包み隠さずさらけ出さなくてはならない。よりによってこの御方に。
 無分別な子供のように大声を上げて泣き叫びたい気持ちでマテアは固く目を閉じ、自らを抱いた。もし、それができるものであれば。
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