6 / 90
第2章
禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 1
しおりを挟む
月が真上に登ると月光聖女たちは神殿の中での内役に服す。神殿内の月光力を補うため、祭事用とは別に摘んである光雫華の蕾を要所要所に配置し、神殿最奥の宮で眠りながらも月光界を守護する力を放出しているという月光母に祈りをささげ、祭で使う布や小物類を造る作業にとりかかったり、あるいは月風の窓と呼ばれるスリガラスでできた窓の前に立って、風が運んでくる月光界の人々の願いや訴えに耳を傾け処置を講じたりするのである。
マテアもまた、いつものように針に色硝子の小さな玉を通して、月光神の祭儀用マントに刺繍をほどこしながら、同じ部屋で作業に順じている聖女たちと雑談をしていたが、その胸の奥底では朝のサナンの言葉について考え続けていた。
『<魂>は同等のものでない限り融合してはくれない』
その不安は、いつも心のどこかにあった。皆のようにラヤとの約束を口に出せずにいたのは、それがひっかかっていたからだ。
(ありえないわ)
そう思い、無理やり納得していた。納得することで、ごまかそうとしていた。合一を申しこまれたとき、<魂>の差に、どうしても悲観的にしかなれなかった自分に、ラヤも気にすることはないと言ってくれたし、彼に見つめられ、そう言われると、なんだか本当に些細な事でしかないように思えてきて……そのときの彼を思い出すことで、強引に融合できなかった場合に通じる考えを断ち切っていた。
『それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは、多々あるわ』
サナンの言葉は真実だ。どんなに目をそむけ、考えないようにしていても、変わらない。
でも……!
なら、どうすればいいというのか。自分の<魂>が脆弱なのは知っている。ラヤどころかイリアにも、エノマにだってかなわないかもしれない。そんな自分が、到底サナンに太刀打ちできるはずがない!
「つっ……」
刺繍針が指を突いた痛みに、我に返って声を上げた。血がついたら大変と、素早く布の下にあてがっていた左手を引き寄せ、傷の具合を見る。感情にかられ、つい思いきり突きこんでしまったせいで、人差指の傷はみるみるうちに血珠を盛り上げた。
「ごめんなさい、手当てをしてくるわね」
隣で同じく刺繍を施している聖女に断って席を立ったマテアは、しかし医療の部屋へは向かわずに、サナンのいる、ここからは少し離れた供儀神殿へとまっすぐ向かって行った。
サナンは近隣の村から直接届く貢ぎ物の荷解きや管理を手配する役割のはずである。はたして供儀神殿へ行くと、サナンは帳面をとる年少の月光聖女を横に、今朝届いた分の荷物の中身を読みあげながら個々の保管場所を指示している最中だった。
心の強さそのままに力強い、白銀の輝きを放つ<魂>に包まれたサナンは目立つので、たとえ広い保管庫の中で膨大な荷物の山に邪魔されようともどこにいるのかすぐに感じとれる。おそらくは、ラヤの<魂>と同じくらいの強さが、彼女の<魂>にはあるのだろう。
高台の上から箱の中身を見下ろしている彼女の後ろ姿を見上げながら、マテアはぎゅっと手を握りこんだ。
「あら、マテアいたの。気付かなかったわ」
箱から顔を上げ、自分を見つめるマテアに気付いたサナンは、朝の出来事などなかったかのように親しみある笑顔で高台から降りるとマテアへと近付いた。
「どうしたの? こんな所へきて。あなたはマントを縫ってるんじゃなかったかしら」
「ええ、そうなんだけど……」
乾いた唇から、どうにか返事を押し出す。
なんと続けるべきか。ここへきて、彼女の姿を見つけるまでは今にも口から飛び出しそうだった言葉が、いざ彼女を目の前にした今になってすっかり胸の奥で畏縮してしまって、出てきてくれない。
「その手、どうかしたの?」
ためらいに、胸元へ引き寄せたマテアの右手の甲が赤くこすれているのを見つけたサナンの目が、驚きに丸くなる。
「ああ、これ……」
すっかり傷のことを忘れきっていたマテアは、問われてあわてて両手を開く。マテアの右手が赤いのは、両手をこすりあわせた際に左手の指から流れた血がついたせいだが、左の指の方は、よほど深く突いてしまったのか、出血がまだとまっていなかった。
「まあ大変。わたしの所より医療室へこそ行くべきなんじゃない?」
その言葉にマテアはあわてて首を横に振った。
「いいのよ、これくらい。痛みもないし。針傷だもの。どうってことないわ」
「そう?」
「ええ」
頷く。実際マテアの胸はこの程度の痛みなど受け入れる余裕もなく、自分ではどうしようもないほど次から次へと様々な感情の高波が打ち寄せ、互いにぶつかりあって、およそ平静になる術を見出せないでいたのだ。
「話があるの」
すうっと息を吸いこみ、とめて、マテアは小さく告げた。
マテアもまた、いつものように針に色硝子の小さな玉を通して、月光神の祭儀用マントに刺繍をほどこしながら、同じ部屋で作業に順じている聖女たちと雑談をしていたが、その胸の奥底では朝のサナンの言葉について考え続けていた。
『<魂>は同等のものでない限り融合してはくれない』
その不安は、いつも心のどこかにあった。皆のようにラヤとの約束を口に出せずにいたのは、それがひっかかっていたからだ。
(ありえないわ)
そう思い、無理やり納得していた。納得することで、ごまかそうとしていた。合一を申しこまれたとき、<魂>の差に、どうしても悲観的にしかなれなかった自分に、ラヤも気にすることはないと言ってくれたし、彼に見つめられ、そう言われると、なんだか本当に些細な事でしかないように思えてきて……そのときの彼を思い出すことで、強引に融合できなかった場合に通じる考えを断ち切っていた。
『それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは、多々あるわ』
サナンの言葉は真実だ。どんなに目をそむけ、考えないようにしていても、変わらない。
でも……!
なら、どうすればいいというのか。自分の<魂>が脆弱なのは知っている。ラヤどころかイリアにも、エノマにだってかなわないかもしれない。そんな自分が、到底サナンに太刀打ちできるはずがない!
「つっ……」
刺繍針が指を突いた痛みに、我に返って声を上げた。血がついたら大変と、素早く布の下にあてがっていた左手を引き寄せ、傷の具合を見る。感情にかられ、つい思いきり突きこんでしまったせいで、人差指の傷はみるみるうちに血珠を盛り上げた。
「ごめんなさい、手当てをしてくるわね」
隣で同じく刺繍を施している聖女に断って席を立ったマテアは、しかし医療の部屋へは向かわずに、サナンのいる、ここからは少し離れた供儀神殿へとまっすぐ向かって行った。
サナンは近隣の村から直接届く貢ぎ物の荷解きや管理を手配する役割のはずである。はたして供儀神殿へ行くと、サナンは帳面をとる年少の月光聖女を横に、今朝届いた分の荷物の中身を読みあげながら個々の保管場所を指示している最中だった。
心の強さそのままに力強い、白銀の輝きを放つ<魂>に包まれたサナンは目立つので、たとえ広い保管庫の中で膨大な荷物の山に邪魔されようともどこにいるのかすぐに感じとれる。おそらくは、ラヤの<魂>と同じくらいの強さが、彼女の<魂>にはあるのだろう。
高台の上から箱の中身を見下ろしている彼女の後ろ姿を見上げながら、マテアはぎゅっと手を握りこんだ。
「あら、マテアいたの。気付かなかったわ」
箱から顔を上げ、自分を見つめるマテアに気付いたサナンは、朝の出来事などなかったかのように親しみある笑顔で高台から降りるとマテアへと近付いた。
「どうしたの? こんな所へきて。あなたはマントを縫ってるんじゃなかったかしら」
「ええ、そうなんだけど……」
乾いた唇から、どうにか返事を押し出す。
なんと続けるべきか。ここへきて、彼女の姿を見つけるまでは今にも口から飛び出しそうだった言葉が、いざ彼女を目の前にした今になってすっかり胸の奥で畏縮してしまって、出てきてくれない。
「その手、どうかしたの?」
ためらいに、胸元へ引き寄せたマテアの右手の甲が赤くこすれているのを見つけたサナンの目が、驚きに丸くなる。
「ああ、これ……」
すっかり傷のことを忘れきっていたマテアは、問われてあわてて両手を開く。マテアの右手が赤いのは、両手をこすりあわせた際に左手の指から流れた血がついたせいだが、左の指の方は、よほど深く突いてしまったのか、出血がまだとまっていなかった。
「まあ大変。わたしの所より医療室へこそ行くべきなんじゃない?」
その言葉にマテアはあわてて首を横に振った。
「いいのよ、これくらい。痛みもないし。針傷だもの。どうってことないわ」
「そう?」
「ええ」
頷く。実際マテアの胸はこの程度の痛みなど受け入れる余裕もなく、自分ではどうしようもないほど次から次へと様々な感情の高波が打ち寄せ、互いにぶつかりあって、およそ平静になる術を見出せないでいたのだ。
「話があるの」
すうっと息を吸いこみ、とめて、マテアは小さく告げた。
1
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
幸せな人生を目指して
える
ファンタジー
不慮の事故にあいその生涯を終え異世界に転生したエルシア。
十八歳という若さで死んでしまった前世を持つ彼女は今度こそ幸せな人生を送ろうと努力する。
精霊や魔法ありの異世界ファンタジー。
【完結】「君を愛することはない」と言われた公爵令嬢は思い出の夜を繰り返す
おのまとぺ
恋愛
「君を愛することはない!」
鳴り響く鐘の音の中で、三年の婚約期間の末に結ばれるはずだったマルクス様は高らかに宣言しました。隣には彼の義理の妹シシーがピッタリとくっついています。私は笑顔で「承知いたしました」と答え、ガラスの靴を脱ぎ捨てて、一目散に式場の扉へと走り出しました。
え?悲しくないのかですって?
そんなこと思うわけないじゃないですか。だって、私はこの三年間、一度たりとも彼を愛したことなどなかったのですから。私が本当に愛していたのはーーー
◇よくある婚約破棄
◇元サヤはないです
◇タグは増えたりします
◇薬物などの危険物が少し登場します

私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシャリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる