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第2章
禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 1
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月が真上に登ると月光聖女たちは神殿の中での内役に服す。神殿内の月光力を補うため、祭事用とは別に摘んである光雫華の蕾を要所要所に配置し、神殿最奥の宮で眠りながらも月光界を守護する力を放出しているという月光母に祈りをささげ、祭で使う布や小物類を造る作業にとりかかったり、あるいは月風の窓と呼ばれるスリガラスでできた窓の前に立って、風が運んでくる月光界の人々の願いや訴えに耳を傾け処置を講じたりするのである。
マテアもまた、いつものように針に色硝子の小さな玉を通して、月光神の祭儀用マントに刺繍をほどこしながら、同じ部屋で作業に順じている聖女たちと雑談をしていたが、その胸の奥底では朝のサナンの言葉について考え続けていた。
『<魂>は同等のものでない限り融合してはくれない』
その不安は、いつも心のどこかにあった。皆のようにラヤとの約束を口に出せずにいたのは、それがひっかかっていたからだ。
(ありえないわ)
そう思い、無理やり納得していた。納得することで、ごまかそうとしていた。合一を申しこまれたとき、<魂>の差に、どうしても悲観的にしかなれなかった自分に、ラヤも気にすることはないと言ってくれたし、彼に見つめられ、そう言われると、なんだか本当に些細な事でしかないように思えてきて……そのときの彼を思い出すことで、強引に融合できなかった場合に通じる考えを断ち切っていた。
『それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは、多々あるわ』
サナンの言葉は真実だ。どんなに目をそむけ、考えないようにしていても、変わらない。
でも……!
なら、どうすればいいというのか。自分の<魂>が脆弱なのは知っている。ラヤどころかイリアにも、エノマにだってかなわないかもしれない。そんな自分が、到底サナンに太刀打ちできるはずがない!
「つっ……」
刺繍針が指を突いた痛みに、我に返って声を上げた。血がついたら大変と、素早く布の下にあてがっていた左手を引き寄せ、傷の具合を見る。感情にかられ、つい思いきり突きこんでしまったせいで、人差指の傷はみるみるうちに血珠を盛り上げた。
「ごめんなさい、手当てをしてくるわね」
隣で同じく刺繍を施している聖女に断って席を立ったマテアは、しかし医療の部屋へは向かわずに、サナンのいる、ここからは少し離れた供儀神殿へとまっすぐ向かって行った。
サナンは近隣の村から直接届く貢ぎ物の荷解きや管理を手配する役割のはずである。はたして供儀神殿へ行くと、サナンは帳面をとる年少の月光聖女を横に、今朝届いた分の荷物の中身を読みあげながら個々の保管場所を指示している最中だった。
心の強さそのままに力強い、白銀の輝きを放つ<魂>に包まれたサナンは目立つので、たとえ広い保管庫の中で膨大な荷物の山に邪魔されようともどこにいるのかすぐに感じとれる。おそらくは、ラヤの<魂>と同じくらいの強さが、彼女の<魂>にはあるのだろう。
高台の上から箱の中身を見下ろしている彼女の後ろ姿を見上げながら、マテアはぎゅっと手を握りこんだ。
「あら、マテアいたの。気付かなかったわ」
箱から顔を上げ、自分を見つめるマテアに気付いたサナンは、朝の出来事などなかったかのように親しみある笑顔で高台から降りるとマテアへと近付いた。
「どうしたの? こんな所へきて。あなたはマントを縫ってるんじゃなかったかしら」
「ええ、そうなんだけど……」
乾いた唇から、どうにか返事を押し出す。
なんと続けるべきか。ここへきて、彼女の姿を見つけるまでは今にも口から飛び出しそうだった言葉が、いざ彼女を目の前にした今になってすっかり胸の奥で畏縮してしまって、出てきてくれない。
「その手、どうかしたの?」
ためらいに、胸元へ引き寄せたマテアの右手の甲が赤くこすれているのを見つけたサナンの目が、驚きに丸くなる。
「ああ、これ……」
すっかり傷のことを忘れきっていたマテアは、問われてあわてて両手を開く。マテアの右手が赤いのは、両手をこすりあわせた際に左手の指から流れた血がついたせいだが、左の指の方は、よほど深く突いてしまったのか、出血がまだとまっていなかった。
「まあ大変。わたしの所より医療室へこそ行くべきなんじゃない?」
その言葉にマテアはあわてて首を横に振った。
「いいのよ、これくらい。痛みもないし。針傷だもの。どうってことないわ」
「そう?」
「ええ」
頷く。実際マテアの胸はこの程度の痛みなど受け入れる余裕もなく、自分ではどうしようもないほど次から次へと様々な感情の高波が打ち寄せ、互いにぶつかりあって、およそ平静になる術を見出せないでいたのだ。
「話があるの」
すうっと息を吸いこみ、とめて、マテアは小さく告げた。
マテアもまた、いつものように針に色硝子の小さな玉を通して、月光神の祭儀用マントに刺繍をほどこしながら、同じ部屋で作業に順じている聖女たちと雑談をしていたが、その胸の奥底では朝のサナンの言葉について考え続けていた。
『<魂>は同等のものでない限り融合してはくれない』
その不安は、いつも心のどこかにあった。皆のようにラヤとの約束を口に出せずにいたのは、それがひっかかっていたからだ。
(ありえないわ)
そう思い、無理やり納得していた。納得することで、ごまかそうとしていた。合一を申しこまれたとき、<魂>の差に、どうしても悲観的にしかなれなかった自分に、ラヤも気にすることはないと言ってくれたし、彼に見つめられ、そう言われると、なんだか本当に些細な事でしかないように思えてきて……そのときの彼を思い出すことで、強引に融合できなかった場合に通じる考えを断ち切っていた。
『それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは、多々あるわ』
サナンの言葉は真実だ。どんなに目をそむけ、考えないようにしていても、変わらない。
でも……!
なら、どうすればいいというのか。自分の<魂>が脆弱なのは知っている。ラヤどころかイリアにも、エノマにだってかなわないかもしれない。そんな自分が、到底サナンに太刀打ちできるはずがない!
「つっ……」
刺繍針が指を突いた痛みに、我に返って声を上げた。血がついたら大変と、素早く布の下にあてがっていた左手を引き寄せ、傷の具合を見る。感情にかられ、つい思いきり突きこんでしまったせいで、人差指の傷はみるみるうちに血珠を盛り上げた。
「ごめんなさい、手当てをしてくるわね」
隣で同じく刺繍を施している聖女に断って席を立ったマテアは、しかし医療の部屋へは向かわずに、サナンのいる、ここからは少し離れた供儀神殿へとまっすぐ向かって行った。
サナンは近隣の村から直接届く貢ぎ物の荷解きや管理を手配する役割のはずである。はたして供儀神殿へ行くと、サナンは帳面をとる年少の月光聖女を横に、今朝届いた分の荷物の中身を読みあげながら個々の保管場所を指示している最中だった。
心の強さそのままに力強い、白銀の輝きを放つ<魂>に包まれたサナンは目立つので、たとえ広い保管庫の中で膨大な荷物の山に邪魔されようともどこにいるのかすぐに感じとれる。おそらくは、ラヤの<魂>と同じくらいの強さが、彼女の<魂>にはあるのだろう。
高台の上から箱の中身を見下ろしている彼女の後ろ姿を見上げながら、マテアはぎゅっと手を握りこんだ。
「あら、マテアいたの。気付かなかったわ」
箱から顔を上げ、自分を見つめるマテアに気付いたサナンは、朝の出来事などなかったかのように親しみある笑顔で高台から降りるとマテアへと近付いた。
「どうしたの? こんな所へきて。あなたはマントを縫ってるんじゃなかったかしら」
「ええ、そうなんだけど……」
乾いた唇から、どうにか返事を押し出す。
なんと続けるべきか。ここへきて、彼女の姿を見つけるまでは今にも口から飛び出しそうだった言葉が、いざ彼女を目の前にした今になってすっかり胸の奥で畏縮してしまって、出てきてくれない。
「その手、どうかしたの?」
ためらいに、胸元へ引き寄せたマテアの右手の甲が赤くこすれているのを見つけたサナンの目が、驚きに丸くなる。
「ああ、これ……」
すっかり傷のことを忘れきっていたマテアは、問われてあわてて両手を開く。マテアの右手が赤いのは、両手をこすりあわせた際に左手の指から流れた血がついたせいだが、左の指の方は、よほど深く突いてしまったのか、出血がまだとまっていなかった。
「まあ大変。わたしの所より医療室へこそ行くべきなんじゃない?」
その言葉にマテアはあわてて首を横に振った。
「いいのよ、これくらい。痛みもないし。針傷だもの。どうってことないわ」
「そう?」
「ええ」
頷く。実際マテアの胸はこの程度の痛みなど受け入れる余裕もなく、自分ではどうしようもないほど次から次へと様々な感情の高波が打ち寄せ、互いにぶつかりあって、およそ平静になる術を見出せないでいたのだ。
「話があるの」
すうっと息を吸いこみ、とめて、マテアは小さく告げた。
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