上 下
51 / 60
第4章 オルダニアの春

第8話 迷い

しおりを挟む
 どこかから、低い歌が聞こえてきた。あの海辺で、髪を切る儀式のときに聞いたような、もっと低く、魂を悼む音だった。それが隊の中のほうから広がっていって、あっという間に彼らは鎮魂の行列になった。

 今『馬鞍山』の麓で隊の出発を待つヒルダは、その印象的な出来事を思い出していた。

「ヒルダ、これから先のことだけれど」
と、ウォルターは思いきった様子で言いだした。
「前にも話したとおり、『白鷹の森』へ行くためには、『馬鞍山』を越える必要がある。親方たちは『金の鉱山』へ戻るために山を迂回する。それは旅の工程を何日も遅くするけれど、確実に帰れる。凍った山道を通るのは、地元の人でも難儀するだろう。ヒルダ、どうする?」

 ヒルダは答えに窮した。ウォルターはどう思うかと聞きそうになって、やめた。きっと彼なら、ヒルダが決めた方を完遂するだろう。そのために自分はここにいるのだと言って。

「山を越えるのは怖く感じる」
と、ヒルダは素直に吐露した。
「ここに来るまで、丘を越えたり、森を抜けたりもした。でも、山は初めてだし、それも橋が凍っているなんて、聞いただけでも恐ろしい。そこを通らずに済むなら、何日かかってもいいから、少しでも安全な道を行きたいし、山を迂回すると聞いた時、正直ホッとした自分がいた。それに、『金の鉱山』へ行くのも悪くないと思ってる。だって」

 ヒルダは照れて言い淀んだ。今まで他人に対してこんな思いを抱いたことはない。いわんや口にしたことも。

「私、ギアルヌが好き。みんな優しいし、いい人たちだし、みんなに助けてもらってここまで来られた。私は『崖の町』にいて、両親が亡くなってからは、ずっと一人で生きてきた。話す相手や、占いを頼んでくる人、カモにするやつらはいたけど、本当の意味で、親しい人はいなかった。みんな私を変人に思っていたし、風景の一部でしかなかった。あの町で、一緒に旅をしようなんて思える人は一人もいない。旅って過酷だ。こんな大変なことを、一緒に成し遂げようとする仲間なんて」

 言い出したら、どんどん言葉が溢れてきた。

「私は、自分がギアルヌ人ではないのが寂しい。私も、本当のギアルヌになれたらいいのに」

 ウォルターはいつも、ヒルダがどんな話をしようともニコニコと微笑んで聞いてくれていた。旅慣れない彼女が、どんな危険なことや荒唐無稽なことを言おうとも。しかしこの時だけは、なぜか最後の方で気難しい顔つきになった。

「ヒルダ。きみの願いは叶えられない。きみはゴーガ人に憧れを抱いている。憧れは目を曇らせ、暗い部分を明るいと思い込んでしまう。どんなに暗い場所にあっても、わずかでも光が見出せる時はある。でも、憧憬は、ない光を自分の中で作り出してしまうんだ」

 ヒルダには難しい話だった。ウォルターは彼女の反応を見て、言い方を変えた。

「ゴーガ人にも悪い奴はいるし、きみが『ゲスト』だから優しく接している部分もあると思う。せっかくきみがゴーガ人をよく思ってくれているのに、水を差すのは悪けれど、きみはゴーガじゃない。ゴーガにはなり得ない」

 ピシャリと言われて、ヒルダは傷ついた。突き放された気がした。咄嗟に何か言い返したいと思ったけれど、ウォルターの真剣な様子で、自分が何か浅はかなことを言ってしまったんだとだけは察して、口を閉じた。

 ウォルターも言葉を柔らかくした。
「ごめん。言いすぎたね。ぼくはこう思うんだ。ヒルダ、きみはまだ、きみと同じエルフに会っていない」

 優しい語りかけに、ヒルダは顔をあげた。

「きみは人間と暮らしていて、嫌な目にあってしまった。次にゴーガと旅をして、いい気分になった。でも、きみがエルフに会ったとき、きっとこう思うよ。『ここが私の場所だ』って。本物の仲間に出会った時に、心の底から感じる安心だよ。それは、危険を冒して旅を続ける価値のあることだと思う」

 今度はウォルターが視線を逸らした。ヒルダは、その表情から小さな罪悪感を感じ取った。

 罪?
 なぜ?
 なぜ彼が、今の会話の中で負い目を感じる?

 ウォルターの言うことは、至極真っ当に思えた。まだ自分は、自分の帰る場所を知らないのだ。今『馬鞍山』を越えるのは相当に危険なことだ。しかし待っていても雪は溶けない。ひとたび『金の鉱山』へ腰を落ち着けてしまえば、次はいつ出発できるかわかない。

 今だ。
 今しかない。

「ウォルター。私は、望めば『馬鞍山』を越えられる? 凍った橋を渡れるの?」

 ウォルターは感情を抑制した、平坦な声で答えた。
「ゴーガ人はもともと体重が重いし荷物も多い。それらを抱えて大勢で渡るのは危険だという話だった。けれども、人数を絞って、少ない荷物で渡るなら問題ないそうだよ。現に、この辺りに暮らす人は日々利用しているって」

「そう……。そうなのね……」
「あまり考える時間はない。親方が戻ってきたら出発だ。それまでに結論を出さないと」

 ウォルターは彼ら話し合いをしている村長の家のほうに視線をやった。今にも扉が開いてヘンリーたちが出てきそうな雰囲気がある。ウォルターはヒルダに向き合うと、弱った表情で、小さなため息をついた。

「ヒルダ……、僕は、きみに言わなければならないことがある」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

アルケディア・オンライン ~のんびりしたいけど好奇心が勝ってしまうのです~

志位斗 茂家波
ファンタジー
新入社員として社会の波にもまれていた「青葉 春」。 社会人としての苦労を味わいつつ、のんびりと過ごしたいと思い、VRMMOなるものに手を出し、ゆったりとした生活をゲームの中に「ハル」としてのプレイヤーになって求めてみることにした。 ‥‥‥でも、その想いとは裏腹に、日常生活では出てこないであろう才能が開花しまくり、何かと注目されるようになってきてしまう…‥‥のんびりはどこへいった!? ―― 作者が初めて挑むVRMMOもの。初めての分野ゆえに稚拙な部分もあるかもしれないし、投稿頻度は遅めだけど、読者の皆様はのんびりと待てるようにしたいと思います。 コメントや誤字報告に指摘、アドバイスなどもしっかりと受け付けますのでお楽しみください。 小説家になろう様でも掲載しています。 一話あたり1500~6000字を目途に頑張ります。

お母さん冒険者、ログインボーナスでスキル【主婦】に目覚めました。週一貰えるチラシで冒険者生活頑張ります!

林優子
ファンタジー
二人の子持ち27歳のカチュア(主婦)は家計を助けるためダンジョンの荷物運びの仕事(パート)をしている。危険が少なく手軽なため、迷宮都市ロアでは若者や主婦には人気の仕事だ。 夢は100万ゴールドの貯金。それだけあれば三人揃って国境警備の任務についているパパに会いに行けるのだ。 そんなカチュアがダンジョン内の女神像から百回ログインボーナスで貰ったのは、オシャレながま口とポイントカード、そして一枚のチラシ? 「モンスターポイント三倍デーって何?」 「4の付く日は薬草デー?」 「お肉の日とお魚の日があるのねー」 神様からスキル【主婦/主夫】を授かった最弱の冒険者ママ、カチュアさんがワンオペ育児と冒険者生活頑張る話。 ※他サイトにも投稿してます

稀代の大賢者は0歳児から暗躍する〜公爵家のご令息は運命に抵抗する〜

撫羽
ファンタジー
ある邸で秘密の会議が開かれていた。 そこに出席している3歳児、王弟殿下の一人息子。実は前世を覚えていた。しかもやり直しの生だった!? どうしてちびっ子が秘密の会議に出席するような事になっているのか? 何があったのか? それは生後半年の頃に遡る。 『ばぶぁッ!』と元気な声で目覚めた赤ん坊。 おかしいぞ。確かに俺は刺されて死んだ筈だ。 なのに、目が覚めたら見覚えのある部屋だった。両親が心配そうに見ている。 しかも若い。え? どうなってんだ? 体を起こすと、嫌でも目に入る自分のポヨンとした赤ちゃん体型。マジかよ!? 神がいるなら、0歳児スタートはやめてほしかった。 何故だか分からないけど、人生をやり直す事になった。実は将来、大賢者に選ばれ魔族討伐に出る筈だ。だが、それは避けないといけない。 何故ならそこで、俺は殺されたからだ。 ならば、大賢者に選ばれなければいいじゃん!と、小さな使い魔と一緒に奮闘する。 でも、それなら魔族の問題はどうするんだ? それも解決してやろうではないか! 小さな胸を張って、根拠もないのに自信満々だ。 今回は初めての0歳児スタートです。 小さな賢者が自分の家族と、大好きな婚約者を守る為に奮闘します。 今度こそ、殺されずに生き残れるのか!? とは言うものの、全然ハードな内容ではありません。 今回も癒しをお届けできればと思います。

平凡すぎる、と追放された俺。実は大量スキル獲得可のチート能力『無限変化』の使い手でした。俺が抜けてパーティが瓦解したから今更戻れ?お断りです

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
ファンタジー
★ファンタジーカップ参加作品です。  応援していただけたら執筆の励みになります。 《俺、貸します!》 これはパーティーを追放された男が、その実力で上り詰め、唯一無二の『レンタル冒険者』として無双を極める話である。(新形式のざまぁもあるよ) ここから、直接ざまぁに入ります。スカッとしたい方は是非! 「君みたいな平均的な冒険者は不要だ」 この一言で、パーティーリーダーに追放を言い渡されたヨシュア。 しかしその実、彼は平均を装っていただけだった。 レベル35と見せかけているが、本当は350。 水属性魔法しか使えないと見せかけ、全属性魔法使い。 あまりに圧倒的な実力があったため、パーティーの中での力量バランスを考え、あえて影からのサポートに徹していたのだ。 それどころか攻撃力・防御力、メンバー関係の調整まで全て、彼が一手に担っていた。 リーダーのあまりに不足している実力を、ヨシュアのサポートにより埋めてきたのである。 その事実を伝えるも、リーダーには取り合ってもらえず。 あえなく、追放されてしまう。 しかし、それにより制限の消えたヨシュア。 一人で無双をしていたところ、その実力を美少女魔導士に見抜かれ、『レンタル冒険者』としてスカウトされる。 その内容は、パーティーや個人などに借りられていき、場面に応じた役割を果たすというものだった。 まさに、ヨシュアにとっての天職であった。 自分を正当に認めてくれ、力を発揮できる環境だ。 生まれつき与えられていたギフト【無限変化】による全武器、全スキルへの適性を活かして、様々な場所や状況に完璧な適応を見せるヨシュア。 目立ちたくないという思いとは裏腹に、引っ張りだこ。 元パーティーメンバーも彼のもとに帰ってきたいと言うなど、美少女たちに溺愛される。 そうしつつ、かつて前例のない、『レンタル』無双を開始するのであった。 一方、ヨシュアを追放したパーティーリーダーはと言えば、クエストの失敗、メンバーの離脱など、どんどん破滅へと追い込まれていく。 ヨシュアのスーパーサポートに頼りきっていたこと、その真の強さに気づき、戻ってこいと声をかけるが……。 そのときには、もう遅いのであった。

【完結】魔物をテイムしたので忌み子と呼ばれ一族から追放された最弱テイマー~今頃、お前の力が必要だと言われても魔王の息子になったのでもう遅い~

柊彼方
ファンタジー
「一族から出ていけ!」「お前は忌み子だ! 俺たちの子じゃない!」  テイマーのエリート一族に生まれた俺は一族の中で最弱だった。  この一族は十二歳になると獣と契約を交わさないといけない。  誰にも期待されていなかった俺は自分で獣を見つけて契約を交わすことに成功した。  しかし、一族のみんなに見せるとそれは『獣』ではなく『魔物』だった。  その瞬間俺は全ての関係を失い、一族、そして村から追放され、野原に捨てられてしまう。  だが、急な展開過ぎて追いつけなくなった俺は最初は夢だと思って行動することに。 「やっと来たか勇者! …………ん、子供?」 「貴方がマオウさんですね! これからお世話になります!」  これは魔物、魔族、そして魔王と一緒に暮らし、いずれ世界最強のテイマー、冒険者として名をとどろかせる俺の物語 2月28日HOTランキング9位! 3月1日HOTランキング6位! 本当にありがとうございます!

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...