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第3章 イーディスとモーラ
第4話 優しいひと
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翌日。
きっと日が変わっただろう。その頃に、また番人たちが現れた。イーディスは彼らがいる間は耐え、モーラの歌声を待った。ここには他に彼女の声を聞いているものはいないようだった。女の声を探したが、それらしい音は聞こえない。
イーディスは、今ここに捕えられているのは、『大鴉の町』で殺人や盗みを繰り返していた罪人たちと、クルセナ教以外の、古代の神を喧伝していた宣教師、エドワード王とハーラの動きをエセルバートに知らせようとしていた裏切り者たちだと知るようになった。
地下牢が漆黒の闇に包まれると、その日のモーラは小指の先ほどの小さな光になって現れた。
(モーラか?)
(……イーディス)
(すごいな、きみは……)
これほどの力が使えるとは、どんな術師なのだろう。魔法使い、ということでいいのだろうか。
(オルダニアに、こんな術が使える人がいたなんてな……)
(……私のこと?)
(そうだよ、モーラ。きみはすごい。特別だ)
(私は、『出来損ない』……)
(何言ってるんだ?)
急に卑下したモーラを励ますつもりで、イーディスは言った。
(こんなに鮮やかに人の意識に入り込んでくる術師を、私は他に知らない。最も、受け取り手である私が魔法使いだからかもしれないが。でも、マグナ会および『知恵の里』での魔法というのは、いわば、「何をするのかはわかっていても、どうしてそうするのかはわからない」、そういうことだ。きみの使う、こういう術は……、単純に圧倒されるし、すごいと思うよ)
モーラはそれを理解できただろうか。しばらく沈黙が流れた後、彼女はまったく違うことを伝えてきた。
(小さな女の子は、『知恵の里』の、最後の正当後継者……)
昨日のイメージの続きだ。
イーディスは、それに応えたくなかった。
(何が起こるかわかっていても、そうせざるを得ないこともある)
と、イーディスはモーラを無視して話を続けた。
(『火噴き山』を出るときに、炎の蝶が現れた。赤い蝶は、母のようだった。母が見守り、励ましてくれているのだと、私は自分を奮い立てて山を抜け出した。こんなもてなしが待っているとも知らないで。だが、不思議だったんだ)
もはやモーラが聞いているかどうかも怪しいが、イーディスは言葉を続けた。
(最悪なことが起きる。けれども、私はそうしなければいけない。すると、最悪なことの裏表が逆になる。わからないけれど、私はここに来なければならなかった……)
もしかしたら、モーラに会うためだったのもしれない。だとしたら、彼女をここから救い出すのか。
イーディスはそのことを考え始めていた。
それまで黙っていたモーラが言った。
(魔法使いは、世界を変える力を持っているの?)
それまでの、やや辿々しいような口ぶりとは違い、明瞭な言い方だった。まるで誰かから教わったかのようだ。
(そんな大それた能力ではないよ)
(どうして?)
(まやかしだよ、こんなもの。さっきも言った通り、何をするのかはわかっていても、どうしてそうするのかはわからないんだ。それに啓示は、あるとき急に現れる。「これについてこう知りたい」と願っても、それがわかるとは限らない。そう都合よくはできていないんだ。長く政治に利用されてきたけれど、アルバでもオルダニアでも、ノースでだってお払い箱さ)
(エドワードはそう思っていない)
断言されて、イーディスは猿轡の奥で息を呑んだ。
(教えて、イーディス)
と、モーラが問いかけた。
(何かが見える。すごく黒くて、巨大な何か。あなたにも、それが見えている?)
(ああ……)
イーディスは苦々しく答えた。
(何が起ころうとしているの?)
イーディスは迷った。このいたいけな、か弱い、囚われの少女に、その話を聞かせても良いものだろうか、と。
モーラの姿は、イーディスの目の中に徐々に形作られようとしていた。話しているうちに、彼女自身がイーディスの中に形成されていったのだ。
モーラは驚いたことに、真っ白だった。もしかしたら、黄金の髪に光が当たって、輝いて色が見えなくなっているのかもしれない。
耳の下あたりで切り揃えられた髪の下に、白く細長いうなじが見える。イーディスでさえ、力を込めれば折ってしまえそうな細さは、首だけではなく腕も、腰も、脚もそうだった。
すべてが白く、細長い。まだ目鼻立ちははっきりしていなかったが、小さく、ツンと上を向いた鼻や唇がうかがえる。
(モーラ……、きみこそ大いなる力の持ち主だ。きみには何が見えている?)
逆に聞いてみたのは、反応次第で話の方向性を決めようと思ったのだ。
彼女はまたしても、しばらく黙り込んでしまい、イーディスを不安にさせた。そんなこと聞くべきじゃなかったかもしれない。明るい未来を予感させて、俘虜の身を少しでも安らかにしてあげるべきじゃなかったのか。
いいや。彼女は術者だ。きっとこちらの嘘や誤魔化しには気がつくだろう。それなら最初から、本当のことを教えて、無駄な希望は持たせないほうがいい。
いや、だが、慰めは誰にだって必要なことではないのか。
(イーディス……、優しいひと……)
モーラの言葉に、イーディスはハッとなった。この思考も、すべて見えてしまっていたのか。
きっと日が変わっただろう。その頃に、また番人たちが現れた。イーディスは彼らがいる間は耐え、モーラの歌声を待った。ここには他に彼女の声を聞いているものはいないようだった。女の声を探したが、それらしい音は聞こえない。
イーディスは、今ここに捕えられているのは、『大鴉の町』で殺人や盗みを繰り返していた罪人たちと、クルセナ教以外の、古代の神を喧伝していた宣教師、エドワード王とハーラの動きをエセルバートに知らせようとしていた裏切り者たちだと知るようになった。
地下牢が漆黒の闇に包まれると、その日のモーラは小指の先ほどの小さな光になって現れた。
(モーラか?)
(……イーディス)
(すごいな、きみは……)
これほどの力が使えるとは、どんな術師なのだろう。魔法使い、ということでいいのだろうか。
(オルダニアに、こんな術が使える人がいたなんてな……)
(……私のこと?)
(そうだよ、モーラ。きみはすごい。特別だ)
(私は、『出来損ない』……)
(何言ってるんだ?)
急に卑下したモーラを励ますつもりで、イーディスは言った。
(こんなに鮮やかに人の意識に入り込んでくる術師を、私は他に知らない。最も、受け取り手である私が魔法使いだからかもしれないが。でも、マグナ会および『知恵の里』での魔法というのは、いわば、「何をするのかはわかっていても、どうしてそうするのかはわからない」、そういうことだ。きみの使う、こういう術は……、単純に圧倒されるし、すごいと思うよ)
モーラはそれを理解できただろうか。しばらく沈黙が流れた後、彼女はまったく違うことを伝えてきた。
(小さな女の子は、『知恵の里』の、最後の正当後継者……)
昨日のイメージの続きだ。
イーディスは、それに応えたくなかった。
(何が起こるかわかっていても、そうせざるを得ないこともある)
と、イーディスはモーラを無視して話を続けた。
(『火噴き山』を出るときに、炎の蝶が現れた。赤い蝶は、母のようだった。母が見守り、励ましてくれているのだと、私は自分を奮い立てて山を抜け出した。こんなもてなしが待っているとも知らないで。だが、不思議だったんだ)
もはやモーラが聞いているかどうかも怪しいが、イーディスは言葉を続けた。
(最悪なことが起きる。けれども、私はそうしなければいけない。すると、最悪なことの裏表が逆になる。わからないけれど、私はここに来なければならなかった……)
もしかしたら、モーラに会うためだったのもしれない。だとしたら、彼女をここから救い出すのか。
イーディスはそのことを考え始めていた。
それまで黙っていたモーラが言った。
(魔法使いは、世界を変える力を持っているの?)
それまでの、やや辿々しいような口ぶりとは違い、明瞭な言い方だった。まるで誰かから教わったかのようだ。
(そんな大それた能力ではないよ)
(どうして?)
(まやかしだよ、こんなもの。さっきも言った通り、何をするのかはわかっていても、どうしてそうするのかはわからないんだ。それに啓示は、あるとき急に現れる。「これについてこう知りたい」と願っても、それがわかるとは限らない。そう都合よくはできていないんだ。長く政治に利用されてきたけれど、アルバでもオルダニアでも、ノースでだってお払い箱さ)
(エドワードはそう思っていない)
断言されて、イーディスは猿轡の奥で息を呑んだ。
(教えて、イーディス)
と、モーラが問いかけた。
(何かが見える。すごく黒くて、巨大な何か。あなたにも、それが見えている?)
(ああ……)
イーディスは苦々しく答えた。
(何が起ころうとしているの?)
イーディスは迷った。このいたいけな、か弱い、囚われの少女に、その話を聞かせても良いものだろうか、と。
モーラの姿は、イーディスの目の中に徐々に形作られようとしていた。話しているうちに、彼女自身がイーディスの中に形成されていったのだ。
モーラは驚いたことに、真っ白だった。もしかしたら、黄金の髪に光が当たって、輝いて色が見えなくなっているのかもしれない。
耳の下あたりで切り揃えられた髪の下に、白く細長いうなじが見える。イーディスでさえ、力を込めれば折ってしまえそうな細さは、首だけではなく腕も、腰も、脚もそうだった。
すべてが白く、細長い。まだ目鼻立ちははっきりしていなかったが、小さく、ツンと上を向いた鼻や唇がうかがえる。
(モーラ……、きみこそ大いなる力の持ち主だ。きみには何が見えている?)
逆に聞いてみたのは、反応次第で話の方向性を決めようと思ったのだ。
彼女はまたしても、しばらく黙り込んでしまい、イーディスを不安にさせた。そんなこと聞くべきじゃなかったかもしれない。明るい未来を予感させて、俘虜の身を少しでも安らかにしてあげるべきじゃなかったのか。
いいや。彼女は術者だ。きっとこちらの嘘や誤魔化しには気がつくだろう。それなら最初から、本当のことを教えて、無駄な希望は持たせないほうがいい。
いや、だが、慰めは誰にだって必要なことではないのか。
(イーディス……、優しいひと……)
モーラの言葉に、イーディスはハッとなった。この思考も、すべて見えてしまっていたのか。
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