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第2章 ガスとリチャード

第8話 火山と魔法使い

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 馬鹿げているとわかっていても、リチャードは、自分よりも知識が深く、頼り甲斐のある男に嫉妬していた。これまで自身を重ねていた格好の標的だったのに、気がつけば重ねることさえできないほど遠いところに背中がある。そんな印象を感じてしまう。

 しかしガスの瞳には、どこか憂いを帯びた色があった。

「信じるものがひとつあれば、あとはすべて些細なことです」
「それを強さというのだ」

 視線をまた海に投げ込みながら、リチャードは己を戒めた。

 自分だって、ガスをみくびっていたのだ。これだけのことをする勇気、度胸、判断力が、彼に備わっていると思っていなかったのだ。彼が、本来どんな人間であるのか。

 これでは、彼をからかって馬に乗せた連中と同じじゃないか。

 腹が立ったのはガスに、ではない。自分自身に対していた。

「お前は大した男だ」

 彼のいう通り、遠くを眺めていると体が揺れに慣れてきた。
 どこまでも青い空と、その境目が遥か彼方でぼやける海。波の音。

「火山です」
と、ガスが顎で指した。
「火山? 火噴き島か?」

 リチャードは目を凝らした。薄もやの陸地に、やけに頭の平らな茶色い三角形が見える。平地育ちのリチャードは、山そのものが珍しい。

「あのてっぺんから、火を吹くのだな……」

 父の従者から、子どもだましの物語を聞いたことを思い出した。

「ガス、エイドの話を覚えているか? 昔、山がたくさんの火を噴いて、そこから巨人が生まれた。その大きさは五メートル。巨人はゴーガ人とともに人語を操る獣と戦い、そして滅んだ」
 彼も覚えていた。
「人語を操る獣は西へ、長寿と叡智のエルフは北へ、それぞれ逃げて姿を隠した」
「ああ、そうだ。いろいろ聞いたな。『神吹の湖』から南に流れる『竜の大河』には、人間を川舟ごと丸呑みにする大蛇が棲んでいるとか」

 そのどれもが懐かしい。

 船は山をぐるりと回るように移動した。目が慣れたせいか、それとも見る角度が変わったせいか、ゴツゴツした山肌がくっきりと見える。

 幼いリチャードが兄たちと一緒になって従者から物語を聞いていると、いつだって父はリチャードだけを引き離した。女は知らなくていいと命じられたのだ。

「恐ろしい島だ……。決して近づいてはならんな……」

 じっと彼方を睨みつけるリチャードに、ガスは興味深いことを語って聞かせた。

「ところが近年、あの島に住み着いた者たちがいるそうです」
「あの火山の島に、か?」
「もっと東の、遠い国からやってきたと聞きました。国を追われたのだろうと」
「それは穏やかではないな。どのような者たちだ?」
「魔法使いです」

 リチャードは吹き出しそうになって、周りの目を気にした。
「魔法使いだと?」
 子どもだましの物語よりも酷い。そんなもの、誰が信じるのだろうか。

 周囲は、さっきからコソコソと話している少年二人を怪しく思いはじめているようだ。
 ガスは早口になった。

「船と航路の情報を集めているうちに漏れ聞こえた話です。私も詳しくは存じ上げません。まじないをする連中だという者もあれば、古の大いなる神々の力を持った集団だという者もいました。いずれにしても、東国から追放されたことは確実です」

 二人は船員から追い立てられ、貨物室へ移動させられた。船底に近い、ムッとすえた匂いのする大部屋に、木箱や樽が並んでいた。揺れは強いがそれらはしっかりと固定され、あるいは互いにひしめき合って、前後左右に流れることはない。

 リチャードはふらついて、ガスの手を借りながら奥へと進んでいった。

 こんなところで休めるものかと思ったが、箱の隙間に二人で身をおさめた途端、ガクンと睡魔に襲われた。

 後ろからリチャードを抱ええこむガスの体は温かく、知った匂いに安心した。波の揺れはそのうちに心音と一体になり、やがて母の胎内に還るような幻想の中に落ちていった。

 リチャードは夢を見た。

 魔法使い。自分はそう呼ばれる集団の一人だった。戦禍を逃れ、船で大陸へ渡り、他国の端の危険な火山の島に住み着いた。

 秘術で火山の活動を抑え、たとえそれが火を吹いて溶岩を流し、地表を覆い尽くしてすべての生物を根絶やしにしたとしても、自分たち一族だけが知る生き残りの魔法を持っている。

 その夢の中で、リチャードは、まごうことなき女の姿をしていた。いつもなら男、それも、筋骨隆々とした若い騎士として登場するのに、このときのリチャードは、豊かに波打つ赤髪の、すらりと背の高い女魔導士であった。

 だから目が覚めたときに、自身がリチャードで、本当はリシェルという名の女の子で、婚約前に父の元を飛び出してきた逃亡者で、ここが船内だとか、それらの事実こそが夢のようだった。

 ガスが「着きました」と、眉を吊り上げて告げる。
 甲板に出ると、荷下ろしする人足とすれ違って邪険にされた。働かないなら邪魔になる。さっさと降りろと冷たい目がリチャードに向けられた。

 漕ぎ手の男たちも陸に上がり、無事の到着を喜び、讃えあっている。あの輪の中に、ぜひとも入ってみたいものだ。

 ほほえましい気持ちになってしまったのも束の間、ガスの手を借りて桟橋へ降りると、その賑わいにリチャードの目が眩んだ。そこはもう、別世界だった。

 浜は狭く、そのギリギリまで商家が立ち並び、客を呼び込むもの、軒先を覗くものがごった返していた。

 また岸辺では、ここからさらに小舟に乗り変え、川を利用して荷物を運ぼうという人足たちが、汗を流して働いている。川はいく筋にも流れているが、それぞれが護岸され、整備されていた。

 遠くに目をやれば、世界中の贅を集めて作ったかのように、絢爛豪華な塔が、太陽の光を反射させて輝きを放つ。それはまるで町中に金の雨を降らしているようで、ここが『黄金の港町』と呼ばれている理由をすぐに察した。

「これは……、驚いたな……」

 思わず目を見張ってぐるり周囲を見渡すリチャードに、ガスがまたパンを差し出してきた。一体いつの間に、どこで仕入れてきたのか、今度はリンゴと干し肉まで。

 リチャードは、これこそが魔法だと思った。

 果物一つ手に入れるのにも、今後は難儀するのだという思いが、ふいに胸に去来した。城で食べていた料理が懐かしい。温かく柔らかい子羊の肉、牛乳、色とりどりの果物を乗せた銀食器。

 今頃……城ではきっと……
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