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第1章 ヒルダとウォルター
第11話 白鷹の森
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ヒルダは、今日一日食い繋ぐことだけを考えてはいられなくなった。彼女の想いは壁を越え、雲を突き抜け、海を超えた。毎日、心がムズムズして眠れなかった。吐く息が熱い。『金の鉱山』のかつての覇者、『鈍色の竜』が吐く火の息吹のように。
かつての彼女は、もうどこにもいなかった。ヒルダは占いをやめた。ほんの少しの蓄えと、教会の施し、ウォルターからもらうパンを食べながら、頭も心も、物語でいっぱいになっていた。
ついに、最後の日になった。
壁の修理はぴったり四十日で終わり、明日、ウォルターたちゴーガ人は『崖の町』を離れる。
その日、ウォルターは『白鷹の森』の物語を話した。最後の日のために取っておいたのだろう。
「その森は、北の大地一面を覆っている。とても深く、寒く、一年を通して雪で閉ざされていて、人間は誰一人、近づくことができない」
しかし千年前は違った。
そこはうららかな陽気に包まれた緑の針葉樹林で、冬になれば雪景色を見せることもあったが、毎年必ず春は訪れ、豊かな実りを与えてくれた。
エルフは、そこに暮らしていた。
王アルフレッドと、いたずら好きの小さな妖精たちの小話や、嫉妬深い妃との恋物語。それらは微笑ましく、美しく、甘く軽やかな花の香りでいっぱいだった。
そんな彼らも、戦争に加担する。
長寿の種族である彼らは、獣王族との大戦や、オルダール人との抗争、アルバ人の上陸も、人間と違って一代の出来事だった。
そして、エドワード大王との決別も。
「僕らの『金の鉱山』も、ほとんど一年中『冬』になろうとしてる」と、唐突にウォルターは故郷を持ち出した。「僕らは火を多く使うし、元々寒さには強いから、そこまで厳しいとは感じていないけれど、異常な状況なのは理解している。『金の鉱山』よりもさらに北にある『白鷹の森』は、きっと氷に閉ざされているんじゃないかな」
「どうしてエルフは、そんな寒い所に?」
「たぶんね、それは反対なんだよ」
「反対?」
ヒルダは赤い瞳をパチパチと瞬かせた。
「エルフが姿を消してしまったから、冬が厳しくなったんだ」と、ウォルターは言い切った。「春の訪れは、エルフと共にやってくる。エルフは春を運ぶ妖精だと言われていた。彼らが森の奥深くへ姿を消してしまってから、冬が広がり出したんじゃないかって、僕らは考えているんだ。でもエドワード王は、その因果関係を考慮されてない」
「なぜ、お前がそんなことを知ってるんだ?」
「エドワード王の直轄領にも、ゴーガは壁を直しに行くからだよ」
「壁を直すと、その町のことがわかるのか?」
「みんな噂好きだからね」と、さも当たり前のように彼は答えた。「王は、冬が広がるのはクルセナ教への信仰が足りないからだと考えているみたい。クルセナ様が『我々』の信仰心を試しているから、『我々』は、力を合わせて乗り越えなければいけない。クルセナ様の元に、ひとつにまとまる……、つまり、オルダニア大陸全部が、クルセナ様を信仰しなければならない」
理解を超えた、途方もない話。
目を丸くするヒルダに、ウォルターは真剣な調子で、名前を呼んだ。
「ヒルダ、僕は、妖精と春の訪れは関係してると思ってる。クルセナっていうのは、遠い南の国から来た神様で、僕らの神様じゃない。そんなものにすがっても、解決しないと思うんだ」
ヒルダ自身、とっくに祈るのをやめていた。クルセナ様からの授かり物だと言われ、それを盲目的に信じる両親に、ずっと薄寒いものを感じていた。彼らには、かけられた愛情分だけの恩義は果たしたかったが、それよりも真実が知りたかった。欲しかったのは、目眩しの愛や耳障りのいい言い訳ではなかった。
結局は、両親の死と共に「授かり物」は「異形の者」にまで貶められた。
「エルフはもういない」と、ウォルターは厳しい口調で言った。「だから僕たちは、自分たちの力で厳しい冬を乗り越えなければならない。そう思っていた。でも、ヒルダ、きみに出会った。君きみはエフルだ。妖精だ。きみこそが春なんだよ」
「まだ言い切るには早いよ。どこにも証拠はない」
「きみの存在、それ自体が証拠だよ」
ウォルターのまっすぐな瞳を受け止めきれず、ヒルダは気圧されながら聞いていた。
「……私は……、どうすればいい?」
「心の声に従って。ギアルヌはそうする。ギアルヌの古い友人たちも、きっとそうする」
「心の、声……」
そんなもの知らない。
聞いたこともない。
聞こえるのはいつだって、どこかの、誰か知らない人の悲痛な呻き声。あるいは風の囁き声だ。
でも、今なら?
ウォルターと出会ってから、雑音は消えていた。
「私……」
と、ヒルダは顔を持ち上げた。
「『白鷹の森』へ行く!」
口にするなり、全身に力がみなぎった。
「『白鷹の森』に、行かなければ!」
すると、今度はウォルターが声を落とした。
「ここ数日、きみがそれを言い出すんじゃないかと思ってたよ……」
それはヒルダとは対照的な響きの声色で、ヒルダは一瞬、ウォルターこそ私を焚きつけたのにと思いそうになった。
だが、彼の思惑は違っていた。
「どうやって行くの?」
聞かれて、ヒルダはドキッとした。
「あ、歩いて……。道を、教えてもらえれば……」
途端に自信をなくしたヒルダの声に、ウォルターは「難しいよ」ときっぱり断った。
「きみ一人では、とても困難な道になるよ。到底目的地には届かないだろうね。壁の外は別世界だ。道は無数に枝分かれしているし、次の町へ着いても、よそ者を嫌う土地なら寝る場所も提供してもらえない。恐ろしいのは獣人族だけじゃない。オルダール人、アルバ人、ノース人。どの人種にも最低の奴らがいる。残念ながらギアルヌにも」
ウォルターは、今までにない厳しい表情で続けた。
「お腹がすいたらどうする? 道に迷ったら? 冬は年々厳しく、長くなっている。北へ行くほど雪は深く、毎日吹雪いている場所もある。そこを一人で? 凍え死んでしまうよ」
「でも……、でも私は……エルフで、私の仲間は『白鷹の森』にいるんでしょ。もしかしたら本当の家族も……」
ヒルダは語気荒く食い下がった。
「どうやったら行けるの? 昨日までと同じように教えてくれればいいだろう。道も、宿屋も、冬の過ごし方も!」
ウォルターは首を横に振った。
そして絶望の色を見せるヒルダに、改めて宣言した。
「僕が案内するよ」
かつての彼女は、もうどこにもいなかった。ヒルダは占いをやめた。ほんの少しの蓄えと、教会の施し、ウォルターからもらうパンを食べながら、頭も心も、物語でいっぱいになっていた。
ついに、最後の日になった。
壁の修理はぴったり四十日で終わり、明日、ウォルターたちゴーガ人は『崖の町』を離れる。
その日、ウォルターは『白鷹の森』の物語を話した。最後の日のために取っておいたのだろう。
「その森は、北の大地一面を覆っている。とても深く、寒く、一年を通して雪で閉ざされていて、人間は誰一人、近づくことができない」
しかし千年前は違った。
そこはうららかな陽気に包まれた緑の針葉樹林で、冬になれば雪景色を見せることもあったが、毎年必ず春は訪れ、豊かな実りを与えてくれた。
エルフは、そこに暮らしていた。
王アルフレッドと、いたずら好きの小さな妖精たちの小話や、嫉妬深い妃との恋物語。それらは微笑ましく、美しく、甘く軽やかな花の香りでいっぱいだった。
そんな彼らも、戦争に加担する。
長寿の種族である彼らは、獣王族との大戦や、オルダール人との抗争、アルバ人の上陸も、人間と違って一代の出来事だった。
そして、エドワード大王との決別も。
「僕らの『金の鉱山』も、ほとんど一年中『冬』になろうとしてる」と、唐突にウォルターは故郷を持ち出した。「僕らは火を多く使うし、元々寒さには強いから、そこまで厳しいとは感じていないけれど、異常な状況なのは理解している。『金の鉱山』よりもさらに北にある『白鷹の森』は、きっと氷に閉ざされているんじゃないかな」
「どうしてエルフは、そんな寒い所に?」
「たぶんね、それは反対なんだよ」
「反対?」
ヒルダは赤い瞳をパチパチと瞬かせた。
「エルフが姿を消してしまったから、冬が厳しくなったんだ」と、ウォルターは言い切った。「春の訪れは、エルフと共にやってくる。エルフは春を運ぶ妖精だと言われていた。彼らが森の奥深くへ姿を消してしまってから、冬が広がり出したんじゃないかって、僕らは考えているんだ。でもエドワード王は、その因果関係を考慮されてない」
「なぜ、お前がそんなことを知ってるんだ?」
「エドワード王の直轄領にも、ゴーガは壁を直しに行くからだよ」
「壁を直すと、その町のことがわかるのか?」
「みんな噂好きだからね」と、さも当たり前のように彼は答えた。「王は、冬が広がるのはクルセナ教への信仰が足りないからだと考えているみたい。クルセナ様が『我々』の信仰心を試しているから、『我々』は、力を合わせて乗り越えなければいけない。クルセナ様の元に、ひとつにまとまる……、つまり、オルダニア大陸全部が、クルセナ様を信仰しなければならない」
理解を超えた、途方もない話。
目を丸くするヒルダに、ウォルターは真剣な調子で、名前を呼んだ。
「ヒルダ、僕は、妖精と春の訪れは関係してると思ってる。クルセナっていうのは、遠い南の国から来た神様で、僕らの神様じゃない。そんなものにすがっても、解決しないと思うんだ」
ヒルダ自身、とっくに祈るのをやめていた。クルセナ様からの授かり物だと言われ、それを盲目的に信じる両親に、ずっと薄寒いものを感じていた。彼らには、かけられた愛情分だけの恩義は果たしたかったが、それよりも真実が知りたかった。欲しかったのは、目眩しの愛や耳障りのいい言い訳ではなかった。
結局は、両親の死と共に「授かり物」は「異形の者」にまで貶められた。
「エルフはもういない」と、ウォルターは厳しい口調で言った。「だから僕たちは、自分たちの力で厳しい冬を乗り越えなければならない。そう思っていた。でも、ヒルダ、きみに出会った。君きみはエフルだ。妖精だ。きみこそが春なんだよ」
「まだ言い切るには早いよ。どこにも証拠はない」
「きみの存在、それ自体が証拠だよ」
ウォルターのまっすぐな瞳を受け止めきれず、ヒルダは気圧されながら聞いていた。
「……私は……、どうすればいい?」
「心の声に従って。ギアルヌはそうする。ギアルヌの古い友人たちも、きっとそうする」
「心の、声……」
そんなもの知らない。
聞いたこともない。
聞こえるのはいつだって、どこかの、誰か知らない人の悲痛な呻き声。あるいは風の囁き声だ。
でも、今なら?
ウォルターと出会ってから、雑音は消えていた。
「私……」
と、ヒルダは顔を持ち上げた。
「『白鷹の森』へ行く!」
口にするなり、全身に力がみなぎった。
「『白鷹の森』に、行かなければ!」
すると、今度はウォルターが声を落とした。
「ここ数日、きみがそれを言い出すんじゃないかと思ってたよ……」
それはヒルダとは対照的な響きの声色で、ヒルダは一瞬、ウォルターこそ私を焚きつけたのにと思いそうになった。
だが、彼の思惑は違っていた。
「どうやって行くの?」
聞かれて、ヒルダはドキッとした。
「あ、歩いて……。道を、教えてもらえれば……」
途端に自信をなくしたヒルダの声に、ウォルターは「難しいよ」ときっぱり断った。
「きみ一人では、とても困難な道になるよ。到底目的地には届かないだろうね。壁の外は別世界だ。道は無数に枝分かれしているし、次の町へ着いても、よそ者を嫌う土地なら寝る場所も提供してもらえない。恐ろしいのは獣人族だけじゃない。オルダール人、アルバ人、ノース人。どの人種にも最低の奴らがいる。残念ながらギアルヌにも」
ウォルターは、今までにない厳しい表情で続けた。
「お腹がすいたらどうする? 道に迷ったら? 冬は年々厳しく、長くなっている。北へ行くほど雪は深く、毎日吹雪いている場所もある。そこを一人で? 凍え死んでしまうよ」
「でも……、でも私は……エルフで、私の仲間は『白鷹の森』にいるんでしょ。もしかしたら本当の家族も……」
ヒルダは語気荒く食い下がった。
「どうやったら行けるの? 昨日までと同じように教えてくれればいいだろう。道も、宿屋も、冬の過ごし方も!」
ウォルターは首を横に振った。
そして絶望の色を見せるヒルダに、改めて宣言した。
「僕が案内するよ」
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