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第1章 ヒルダとウォルター
第10話 千年の神話
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「『白鷹の森』に?」
ヒルダが繰り返すと、ウォルターは当然のように語った。
「言っただろう。エルフは『白鷹の森』へ身を隠したって。それが、アルバ帝国との戦いの後、エドワード大王に追われたからだ。巨人やエルフの伝説が神話の物語だったとしても、帝国との戦いならわずか百年前だ。彼らが北の森の奥深くに暮らしているのは、本当のことかもしれない」
ウォルターが話し終わると、二人の間には沈黙が流れた。
ヒルダは、そっとフードを外した。
「町の人、誰もこんな髪や、目や、耳をしていない。いつまでも歳を取らない私を見て、老いていく両親は、『神の子だから美しい年頃のままなんだ』って言ってた。母が病で死んで、父親もその後に。それが三十年前」
「それからずっと一人で?」
「しばらく元の家に住んでたけど、歳を取らない私に周囲が不審に思いはじめて、すぐに居づらくなった。家を出て、貧民街で小さくなって暮らしてた。残飯なんか漁りながら。私は他と違うんだ。もしかしたら人間でもないのかもしれないって、怯えて暮らしていた」
あるいは、とても邪悪な存在なのかもしれない、と。
しかし、何を思おうとも腹は減る。
「諦めて、自分のテントを立てて、インチキ占い師になったってわけ」
ヒルダは軽やかに崖の淵に飛び乗った。潮風が頬に心地よかった。
「インチキ、とも言えないんじゃないかな」と、ウォルターはそばに来て言った。「生き物や、草木、風や大地の声が聞こえてくるんでしょ? それはインチキじゃないよ。『占い』ではないかもしれないけど」
「最近、妙な声が聞こえるんだ」
と、ヒルダはウォルターに打ち明けた。今の今まで、誰にも相談できなかった秘密を、出会ったばかりのゴーガ人に告白していた。
「『助けて』って、訴えてくるんだ」
「誰かがきみに、助けを求めているの?」
「わからない」と、ヒルダは乱暴に頭を振った。「聞きたくないんだ。そんなこと、私に言われても困るんだ」
ヒルダの語気は、思わず激しいものになった。
「だって私になにが出来ると思う? どうしろって言うんだ? どこの誰だか知らないけど、私に言われても、何も出来ない!」
彼女の吐露をどう受け止めたのだろうか。しばしの静寂の後、ウォルターはそっと言った。
「もう戻るよ。丸一日は休めないから」
静かな口調は、彼に、ヒルダを拒絶するつもりがないことを十分に伝えてきた。きっと、なんと言って慰めるべきかわからなかったのだろう。ヒルダはそう受け止めた。
「壁の修理は四十日」と、ウォルターは俯く彼女に語りかけた。「それが終わったら、僕らは『金の鉱山』へ帰る。君さえよければ、その四十日の間、僕が知る限りのオルダニアの話をするよ。仕事が終わったら、夜、ここで」
どうするか聞かれて、ヒルダは考えさせてほしいと答えた。
翌日の夕暮れ、ヒルダは同じ場所にいた。
ぴったりとローブを羽織っていたが、その奥で、赤い瞳は意志の強い光を持っていた。
それから二人は毎日話した。ウォルターの仕事が終わってから、夜中まで。
ヒルダは熱心な生徒で、ウォルターはそれに応じて、寝不足になるのも構わず覚えている神話を話して聞かせた。
ゴーガ人は仲間同士の信頼が篤く、噂話などしようとも思わないが、『崖の町』の中には、彼らの間を疑う者もいた。
ヒルダはあっさりとそれらを無視した。
他人のくだらない詮索など耳に入らないほど、彼女は新しい知識に熱中していたのだ。
千年続く、長い長いオルダニアの神話。
外の世界の物語だ。
それらはすべてが繋がっていた。『神吹の湖』から流れる、『竜の大河』に巣食う大蛇の物語を聞くとき、それは大蛇と戦ったギアルヌの英雄の物語となり、あるいは大河の下流に今も栄えるアルバ人の街の物語と合流し、またアルバ人の話をすれば、遠い南方の大陸にある帝国の歴史に言及せねばならず、彼らがオルダニアへと侵攻しオルダール人たちと戦った物語へと繋がっていく。
『火噴き島』に住む魔法使いたちの話、『岩石の山』に住む獣王族の末裔の話、『白い崖の島』という貿易先のノース人たちの物語、または西の『滅びの山脈』の向こうで、我々とは全く異なる生活を送るグウ族の噂など、どの物語を取っても、ウォルターにかかれば壮大な冒険の物語になった。
ヒルダは子供のように夢中で聞いた。それらがすべて、自分の住んでいるこの『崖の町』と同じ大地に存在している事なのだと想像するのが楽しかった。
『崖の町』の物語もあった。
ここもかつてはゴーガの漁場だった。彼らは浅瀬で漁をするが、航海技術は持っていなかった。崖の上に城もなかった。獣人族を防ぐために壁を建設した後、オルダニア人に取られ、あっという間に今の町並みになる。
アルバ帝国の侵略と前後して、オルダニアの中でも有力者たちが激しく覇権を争っていた。この町は、もっと北に勢力を伸ばしていたエセルバートに睨みを効かせるため、エドワード王が腹心のエドマンドを置いたのだそうだ。
「アルバ帝国が撤退した後も、オルダニアは騒がしかった。覇権を取り戻そうとするエドワード王と、混乱に乗じてそれを乗っ取ろうとする各地の有力者。それぞれが同盟、敵対を繰り返しながら、いくつもの小競り合いを起こして、今でも火種はくすぶっている」
「火種って?」
ヒルダの不安そうな問いに、ウォルターは西の空に傾く月を見た。
「その話は、また今度にしよう」
まるで口を滑らして後悔しているように思えたが、ヒルダは言及しなかった。ここまででも、十分すぎるほど聞かせてもらっている。
ヒルダが繰り返すと、ウォルターは当然のように語った。
「言っただろう。エルフは『白鷹の森』へ身を隠したって。それが、アルバ帝国との戦いの後、エドワード大王に追われたからだ。巨人やエルフの伝説が神話の物語だったとしても、帝国との戦いならわずか百年前だ。彼らが北の森の奥深くに暮らしているのは、本当のことかもしれない」
ウォルターが話し終わると、二人の間には沈黙が流れた。
ヒルダは、そっとフードを外した。
「町の人、誰もこんな髪や、目や、耳をしていない。いつまでも歳を取らない私を見て、老いていく両親は、『神の子だから美しい年頃のままなんだ』って言ってた。母が病で死んで、父親もその後に。それが三十年前」
「それからずっと一人で?」
「しばらく元の家に住んでたけど、歳を取らない私に周囲が不審に思いはじめて、すぐに居づらくなった。家を出て、貧民街で小さくなって暮らしてた。残飯なんか漁りながら。私は他と違うんだ。もしかしたら人間でもないのかもしれないって、怯えて暮らしていた」
あるいは、とても邪悪な存在なのかもしれない、と。
しかし、何を思おうとも腹は減る。
「諦めて、自分のテントを立てて、インチキ占い師になったってわけ」
ヒルダは軽やかに崖の淵に飛び乗った。潮風が頬に心地よかった。
「インチキ、とも言えないんじゃないかな」と、ウォルターはそばに来て言った。「生き物や、草木、風や大地の声が聞こえてくるんでしょ? それはインチキじゃないよ。『占い』ではないかもしれないけど」
「最近、妙な声が聞こえるんだ」
と、ヒルダはウォルターに打ち明けた。今の今まで、誰にも相談できなかった秘密を、出会ったばかりのゴーガ人に告白していた。
「『助けて』って、訴えてくるんだ」
「誰かがきみに、助けを求めているの?」
「わからない」と、ヒルダは乱暴に頭を振った。「聞きたくないんだ。そんなこと、私に言われても困るんだ」
ヒルダの語気は、思わず激しいものになった。
「だって私になにが出来ると思う? どうしろって言うんだ? どこの誰だか知らないけど、私に言われても、何も出来ない!」
彼女の吐露をどう受け止めたのだろうか。しばしの静寂の後、ウォルターはそっと言った。
「もう戻るよ。丸一日は休めないから」
静かな口調は、彼に、ヒルダを拒絶するつもりがないことを十分に伝えてきた。きっと、なんと言って慰めるべきかわからなかったのだろう。ヒルダはそう受け止めた。
「壁の修理は四十日」と、ウォルターは俯く彼女に語りかけた。「それが終わったら、僕らは『金の鉱山』へ帰る。君さえよければ、その四十日の間、僕が知る限りのオルダニアの話をするよ。仕事が終わったら、夜、ここで」
どうするか聞かれて、ヒルダは考えさせてほしいと答えた。
翌日の夕暮れ、ヒルダは同じ場所にいた。
ぴったりとローブを羽織っていたが、その奥で、赤い瞳は意志の強い光を持っていた。
それから二人は毎日話した。ウォルターの仕事が終わってから、夜中まで。
ヒルダは熱心な生徒で、ウォルターはそれに応じて、寝不足になるのも構わず覚えている神話を話して聞かせた。
ゴーガ人は仲間同士の信頼が篤く、噂話などしようとも思わないが、『崖の町』の中には、彼らの間を疑う者もいた。
ヒルダはあっさりとそれらを無視した。
他人のくだらない詮索など耳に入らないほど、彼女は新しい知識に熱中していたのだ。
千年続く、長い長いオルダニアの神話。
外の世界の物語だ。
それらはすべてが繋がっていた。『神吹の湖』から流れる、『竜の大河』に巣食う大蛇の物語を聞くとき、それは大蛇と戦ったギアルヌの英雄の物語となり、あるいは大河の下流に今も栄えるアルバ人の街の物語と合流し、またアルバ人の話をすれば、遠い南方の大陸にある帝国の歴史に言及せねばならず、彼らがオルダニアへと侵攻しオルダール人たちと戦った物語へと繋がっていく。
『火噴き島』に住む魔法使いたちの話、『岩石の山』に住む獣王族の末裔の話、『白い崖の島』という貿易先のノース人たちの物語、または西の『滅びの山脈』の向こうで、我々とは全く異なる生活を送るグウ族の噂など、どの物語を取っても、ウォルターにかかれば壮大な冒険の物語になった。
ヒルダは子供のように夢中で聞いた。それらがすべて、自分の住んでいるこの『崖の町』と同じ大地に存在している事なのだと想像するのが楽しかった。
『崖の町』の物語もあった。
ここもかつてはゴーガの漁場だった。彼らは浅瀬で漁をするが、航海技術は持っていなかった。崖の上に城もなかった。獣人族を防ぐために壁を建設した後、オルダニア人に取られ、あっという間に今の町並みになる。
アルバ帝国の侵略と前後して、オルダニアの中でも有力者たちが激しく覇権を争っていた。この町は、もっと北に勢力を伸ばしていたエセルバートに睨みを効かせるため、エドワード王が腹心のエドマンドを置いたのだそうだ。
「アルバ帝国が撤退した後も、オルダニアは騒がしかった。覇権を取り戻そうとするエドワード王と、混乱に乗じてそれを乗っ取ろうとする各地の有力者。それぞれが同盟、敵対を繰り返しながら、いくつもの小競り合いを起こして、今でも火種はくすぶっている」
「火種って?」
ヒルダの不安そうな問いに、ウォルターは西の空に傾く月を見た。
「その話は、また今度にしよう」
まるで口を滑らして後悔しているように思えたが、ヒルダは言及しなかった。ここまででも、十分すぎるほど聞かせてもらっている。
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