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第1章 ヒルダとウォルター
第8話 学びのとき
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だが続く物言いは、それまでと違って不確かだった。
「僕もそれほど詳しいわけじゃないんだ。でも、知っている限り話すよ」
言い訳のようなセリフに、ヒルダは若いゴーガ人を値踏みした。
「それもそうだけど、あんたはものをよく知ってるみたいだ。『オルダール』とか、『ギアルヌ』とか、『白鷹の森』とか、そういうのを全部、教えてほしい」
ウォルターは何度か瞬きして、何かを考えているようだったが、「わかったよ」と真剣に答えると、やにわにしゃがみ込んだ。
「それじゃあ……」
と、腰に下げていた小袋を探って、白っぽい小石のようなものを指でつまんで取り出すと、それで地面を引っ掻いた。すると、驚いたことに地面に白い線が引かれた。
ウォルターは、それで横に潰れた楕円を描く。
「これが、オルダニア。オルダール人が住んでいるから、オルダニアって呼ばれている、大陸の一部」
いきなり始まった教えにヒルダは慌てて追いつこうとしたが、ウォルターは「この辺りが」と言って、楕円の右、真ん中よりも少し下のあたりに、ちょんと丸を打った。
「『崖の町』だね」
大きな楕円の中に、小さな点。
「これが、オルダニア?」
と、楕円をなぞる。ウォルターが頷く。
「これが、『崖の町』?」
と、今度は点を指す。またひとつ、ウォルターが頷く。
「こういうのを、地図っていうんだよ。どこに山や川があって、なんていう町があるのか、描かれている。僕らは小さい頃から、地図を見て、何がどこにあるのか覚えるんだ」
「それは、なんで?」
「道に迷わないために」
そう言って、ウォルターは地図の上部ギリギリのところに、シャッシャッと斜線を引いていった。
「このあたりが、北の『白鷹の森』。この先へは、まだ誰も行ったことがないって噂だ。それからここが……」と、『白鷹の森』のすぐ下で、地図の左右でいえば真ん中あたりに、ウォルターは三角形を描いた。「僕らゴーガ人の住む『金の鉱山』」
「ゴーガ人……、『金の鉱山』……」
繰り返してから、ヒルダは疑問に思った。
「この、地図の全部がオルダニアで、オルダール人が暮らしているんだよな?」
「そうだね」
「なのに、ゴーガ人は、この三角のところだけなのか?」
「うん」
オルダニアは、『金の鉱山』から見れば途方もなく広大だ。
「オルダニアはすべて、オルダール人のものだから。『崖の町』も、オルダール人のひとつで『エドマンド一族』のものだね。残念ながら、ゴーガ人は『金の鉱山』にしか暮らしていない」
それは、少し悲しげな響きだった。
「どうして?」
「そういう約束をしたんだ、遠い遠い昔に。オルダールの王様と、ゴーガの長との間で決められたこと。ゴーガ人は、一度口にしたことは、必ず守らなければならないんだ」
「どんなことでも?」
「どんなことでも」
胸を張って答えるウォルターに、ヒルダは意地悪な気持ちになった。
「そんな遠い昔にした約束のせいで、こんな小さなところから出ないなんて、ゴーガ人は変わってるな!」
「きみは? この町から出たことある?」
素早く切り返されて、ヒルダは言葉に詰まった。
ウォルターは、暖かい微笑みのままで続けた。
「出ない誓いを立ててもいないのに、出たことがない。これも不思議な話かもしれないね。もちろん、ゴーガ人全体と、きみ一人を比べてはいけないのだろうけど」
難しい言葉の意味を咀嚼している間に、ウォルターはきっぱりと言い切った。
「ギアルヌは約束と使命を重んじる。一度結んだ約束は必ず守るし、使命は命よりも大切なんだ」
「使命って?」
ヒルダには理解できない言葉だった。
「与えられた任務……、というか、生きる目的……かな?」
オルダールの言葉には訳しにくいようだ。
ウォルターはオルダニアの話に戻ってしまった。
「ゴーガ人がまだ南の方にまで住んでいた頃、オルダニアには、もっとたくさんの不思議な種族がいたんだ。知恵と慈愛に満ちた巨人族、力を支配の象徴とした獣王族、美しく魔力を持ったエルフ族。つまり、きみだね。僕たちは、みんな、それなりに仲を保って暮らしていたんだ。大まかに、このあたりに巨人族がいて……」
と、ウォルターは地図の真ん中あたりを指した。
「東に獣王族」
彼が指で丸くなぞる一帯には、『崖の町』も含まれていた。
「南に人間族のゴーガ……、ギアルヌ」
正式な名称に呼び変えながら地図の下部を指し、最後に上部を指した。
「北に、エルフ族」
「じゃあ、私の一族は、こっちのほうにいたの?」
「そうだね。でも、これは千年も前の話なんだ」
千年……。
『崖の町』が戦争で三度攻撃されたのが百年前。それでも気の遠くなるほど大昔のことだと思われているのに。
この前の壁の修理が六十年前で、ヒルダが生まれたのは、その翌年だ。
ウォルターは、それよりもっともっと、遥か昔の物語を始めた。
「好戦的な獣王族は、平和協定を破って巨人族に襲いかかり、激戦の末に彼らを滅ぼした」
滅ぼす……。恐ろしい言葉だ。
「獣王族の力はどんどん大きくなっていったけれど、ギアルヌとエルフは結束して、何百年もかけて彼らを西へ追い払った。『金の鉱山』で採れる石は、獣人族を退ける魔法の効果があった。僕らの祖先はそれを採掘し、武器に使い、そしてその石を砕いて練り込んだ土で、壁を作って町を覆うことにした」
ヒルダはハッとなった。
「それが、この町が壁で覆われている理由……?」
「そう言われているね」
「僕もそれほど詳しいわけじゃないんだ。でも、知っている限り話すよ」
言い訳のようなセリフに、ヒルダは若いゴーガ人を値踏みした。
「それもそうだけど、あんたはものをよく知ってるみたいだ。『オルダール』とか、『ギアルヌ』とか、『白鷹の森』とか、そういうのを全部、教えてほしい」
ウォルターは何度か瞬きして、何かを考えているようだったが、「わかったよ」と真剣に答えると、やにわにしゃがみ込んだ。
「それじゃあ……」
と、腰に下げていた小袋を探って、白っぽい小石のようなものを指でつまんで取り出すと、それで地面を引っ掻いた。すると、驚いたことに地面に白い線が引かれた。
ウォルターは、それで横に潰れた楕円を描く。
「これが、オルダニア。オルダール人が住んでいるから、オルダニアって呼ばれている、大陸の一部」
いきなり始まった教えにヒルダは慌てて追いつこうとしたが、ウォルターは「この辺りが」と言って、楕円の右、真ん中よりも少し下のあたりに、ちょんと丸を打った。
「『崖の町』だね」
大きな楕円の中に、小さな点。
「これが、オルダニア?」
と、楕円をなぞる。ウォルターが頷く。
「これが、『崖の町』?」
と、今度は点を指す。またひとつ、ウォルターが頷く。
「こういうのを、地図っていうんだよ。どこに山や川があって、なんていう町があるのか、描かれている。僕らは小さい頃から、地図を見て、何がどこにあるのか覚えるんだ」
「それは、なんで?」
「道に迷わないために」
そう言って、ウォルターは地図の上部ギリギリのところに、シャッシャッと斜線を引いていった。
「このあたりが、北の『白鷹の森』。この先へは、まだ誰も行ったことがないって噂だ。それからここが……」と、『白鷹の森』のすぐ下で、地図の左右でいえば真ん中あたりに、ウォルターは三角形を描いた。「僕らゴーガ人の住む『金の鉱山』」
「ゴーガ人……、『金の鉱山』……」
繰り返してから、ヒルダは疑問に思った。
「この、地図の全部がオルダニアで、オルダール人が暮らしているんだよな?」
「そうだね」
「なのに、ゴーガ人は、この三角のところだけなのか?」
「うん」
オルダニアは、『金の鉱山』から見れば途方もなく広大だ。
「オルダニアはすべて、オルダール人のものだから。『崖の町』も、オルダール人のひとつで『エドマンド一族』のものだね。残念ながら、ゴーガ人は『金の鉱山』にしか暮らしていない」
それは、少し悲しげな響きだった。
「どうして?」
「そういう約束をしたんだ、遠い遠い昔に。オルダールの王様と、ゴーガの長との間で決められたこと。ゴーガ人は、一度口にしたことは、必ず守らなければならないんだ」
「どんなことでも?」
「どんなことでも」
胸を張って答えるウォルターに、ヒルダは意地悪な気持ちになった。
「そんな遠い昔にした約束のせいで、こんな小さなところから出ないなんて、ゴーガ人は変わってるな!」
「きみは? この町から出たことある?」
素早く切り返されて、ヒルダは言葉に詰まった。
ウォルターは、暖かい微笑みのままで続けた。
「出ない誓いを立ててもいないのに、出たことがない。これも不思議な話かもしれないね。もちろん、ゴーガ人全体と、きみ一人を比べてはいけないのだろうけど」
難しい言葉の意味を咀嚼している間に、ウォルターはきっぱりと言い切った。
「ギアルヌは約束と使命を重んじる。一度結んだ約束は必ず守るし、使命は命よりも大切なんだ」
「使命って?」
ヒルダには理解できない言葉だった。
「与えられた任務……、というか、生きる目的……かな?」
オルダールの言葉には訳しにくいようだ。
ウォルターはオルダニアの話に戻ってしまった。
「ゴーガ人がまだ南の方にまで住んでいた頃、オルダニアには、もっとたくさんの不思議な種族がいたんだ。知恵と慈愛に満ちた巨人族、力を支配の象徴とした獣王族、美しく魔力を持ったエルフ族。つまり、きみだね。僕たちは、みんな、それなりに仲を保って暮らしていたんだ。大まかに、このあたりに巨人族がいて……」
と、ウォルターは地図の真ん中あたりを指した。
「東に獣王族」
彼が指で丸くなぞる一帯には、『崖の町』も含まれていた。
「南に人間族のゴーガ……、ギアルヌ」
正式な名称に呼び変えながら地図の下部を指し、最後に上部を指した。
「北に、エルフ族」
「じゃあ、私の一族は、こっちのほうにいたの?」
「そうだね。でも、これは千年も前の話なんだ」
千年……。
『崖の町』が戦争で三度攻撃されたのが百年前。それでも気の遠くなるほど大昔のことだと思われているのに。
この前の壁の修理が六十年前で、ヒルダが生まれたのは、その翌年だ。
ウォルターは、それよりもっともっと、遥か昔の物語を始めた。
「好戦的な獣王族は、平和協定を破って巨人族に襲いかかり、激戦の末に彼らを滅ぼした」
滅ぼす……。恐ろしい言葉だ。
「獣王族の力はどんどん大きくなっていったけれど、ギアルヌとエルフは結束して、何百年もかけて彼らを西へ追い払った。『金の鉱山』で採れる石は、獣人族を退ける魔法の効果があった。僕らの祖先はそれを採掘し、武器に使い、そしてその石を砕いて練り込んだ土で、壁を作って町を覆うことにした」
ヒルダはハッとなった。
「それが、この町が壁で覆われている理由……?」
「そう言われているね」
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