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第1章 ヒルダとウォルター
第5話 不思議な青年
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振り返ると、そこにゴーガ人の青年が立っていた。
髪は長く束ねていて、若く張りつめた逞しい体をしていたが、年の頃はわからなかった。きっと年齢にもばらつきがあるだろうに、ゴーガ人はみんな同い年に見える。若者は妙に落ち着き払っていて、年寄りは若々しい。
ヒルダが咄嗟に彼を妙だと思ったのは、青年が微笑んでいたからだった。ゴーガ人というものに出くわしてから、初めてその表情を見た。
「占ってくれるんですって?」
と、その言葉も、さっきの男と違って流暢だ。
取り乱してはいられない。ヒルダはお婆さんになりきって答えた。
「ああ、そうだよ。ゴーガのお若い人。なんでも私が見てあげるよ」
青年が後ろを気にするそぶりを見せたので、ヒルダも目を配れば、奥のテーブルからニヤニヤとこっちを観察している一団がいた。
なんとなく、ヒルダはこの青年が、あの一団から命じられてやってきたのだと察した。彼は、この集団では下っ端なのだ。
青年はゴツゴツした手で頭をかき、困ったように眉をさげている。他のゴーガ人と同じように、広い額と高い眉。そして吸い込まれそうな、深く黒い瞳。
「でも……」と、彼は言い淀んだ。「ゴーガ人は占いをしないんだ。未来のことは、自分で決めなければいけないから」
よく動く面持ちは、ヒルダに親近感を与えた。
二人は手近なテーブル席に腰を下ろした。
「もちろんそうだ。あんたの言うとおりだよ。でも助言が必要なときだってあるだろう。迷っている未来があるなら、私が手伝ってあげるよ。占いってのは、そういうものさ」
「僕らの仲間は、そう思ってないかも。でも安心して。代表して僕が見てもらうようにって、親方から言われてきたから」
と、さっきの一団を振り返る。彼らはもう酒を片手に、話に夢中だ。
哀れな老人にお恵みしてくれたということか。この下っ端以外、誰も取り合わないというのだろう。噂通りの締まり屋たちだ。ああ、つまらない。
ヒルダはため息ひとつ、最初で最後の商売に打ち込むことにした。
「それじゃあ、何を見てあげようかね」
「うーんと……」と、青年は悩んだ。「明日、何を食べたら良い?」
ヒルダは吹き出しそうになった。
「聞きたいのは、そんなことかい? もっと他にあるだろう」
促せば、青年は素直に考えはじめる。だが、何も思い浮かばなかったようだ。
「この町の人は、どんなことに占いを使うの?」
と、逆に聞かれてしまった。
ヒルダは答えた。
「自分の商売や天気や作物。男女の仲や結婚、出産、子供の名付け。伴侶が不貞を働いていないかとか……」
「僕らには関係なさそうだなぁ」
「結婚はどうだい? 好いた子の気持ちを見てやるよ」
「んー……」と、またゴーガの青年は首を傾げた。「ゴーガ人とおばあさんたちとでは、『結婚』の意味が違うので、あなたたちの言葉で説明するのが難しいんだ」
「そうなのかい。じゃあ、仕事は? 壁のことは知りたくないか?」
「それは明日みんなで見て回って、修理箇所を確認するからいらないよ」
「違う違う。そういうことじゃないんだよ」と、ヒルダはついに焦ったくなって語気を荒らげた。「順調に終わるかとか、けが人が出ないかとか」
「けが人や死人が出てしまうのは仕方がないよ」
青年は、遮るようにはっきりと言い切った。
「絶対に出さないように技術を磨いてきたし、細心の注意を払い、お互いに助け合ってる。でも、それでも出てしまうときは出てしまう。仕方ないことだよ」
ヒルダはまたしても驚かされた。だが、同時に不思議と胸のすく思いがした。
青年からは誇りと自信がみなぎっていた。それはヒルダが今まで触れたことのないものだった。
「そ、それじゃあ」と、ヒルダは青年に気圧されながら続けた。「いったい何を占えばいいかねぇ。あんたもこのままじゃ親方に怒られちゃうだろう」
「怒られはしないよ」
青年は「ふふ」と笑った。
周囲と比較してみても、この青年は、ゴーガにしては表情が豊かだ。どうしてなのだろう。
やがて彼はヒルダの最初の言葉に立ち返った。
「やっぱり、修繕が順調に進むか占ってもらおうかな」
「よろしい。それでは手の平をこっちへ出しなさい」
ヒルダは分厚く硬い、マメだらけの手を覗き込んだ。
「そうだな。どれどれ。ほう、ゴーガ人の手は私らとは違うもんだねぇ」
時間稼ぎに言葉を並べる。
そして、そっと相手の様子を盗み見る。
ところが。
なんと、青年もヒルダを見ていたのだ。
「ほ、ほら。あんた、ここのところを見てごらん」
そう促そうとしても、彼はヒルダから目を逸らさない。
まるで取り憑かれたようにじっと見て、それからふと、口を開いた。
「きみは……」
ヒルダは椅子を蹴って立ち上がった。
「今日は日が悪いね。ここまでだよ」
早口で商売を畳むと、杖を抱えて店の中を突っ切って、裏口から外へと飛び出した。
心臓がバクバクと鳴っている。対人で、こんなに恐ろしい思いをするのは初めてだ。どんなときでも、人を食ったような、のらりくらりの口八丁で潜り抜けてきたのに。
ローブの中は汗まみれだった。
「きみは」と言ったゴーガ人の、続きの言葉が恐ろしくも気になった。
気づかれたのだろうか?
だとして、何に?
何を知られた?
自分が「お婆さん」という歳ではないことか?
実は占いがインチキだということか?
この町の者にしては、不可思議な容姿をしていることか?
髪は長く束ねていて、若く張りつめた逞しい体をしていたが、年の頃はわからなかった。きっと年齢にもばらつきがあるだろうに、ゴーガ人はみんな同い年に見える。若者は妙に落ち着き払っていて、年寄りは若々しい。
ヒルダが咄嗟に彼を妙だと思ったのは、青年が微笑んでいたからだった。ゴーガ人というものに出くわしてから、初めてその表情を見た。
「占ってくれるんですって?」
と、その言葉も、さっきの男と違って流暢だ。
取り乱してはいられない。ヒルダはお婆さんになりきって答えた。
「ああ、そうだよ。ゴーガのお若い人。なんでも私が見てあげるよ」
青年が後ろを気にするそぶりを見せたので、ヒルダも目を配れば、奥のテーブルからニヤニヤとこっちを観察している一団がいた。
なんとなく、ヒルダはこの青年が、あの一団から命じられてやってきたのだと察した。彼は、この集団では下っ端なのだ。
青年はゴツゴツした手で頭をかき、困ったように眉をさげている。他のゴーガ人と同じように、広い額と高い眉。そして吸い込まれそうな、深く黒い瞳。
「でも……」と、彼は言い淀んだ。「ゴーガ人は占いをしないんだ。未来のことは、自分で決めなければいけないから」
よく動く面持ちは、ヒルダに親近感を与えた。
二人は手近なテーブル席に腰を下ろした。
「もちろんそうだ。あんたの言うとおりだよ。でも助言が必要なときだってあるだろう。迷っている未来があるなら、私が手伝ってあげるよ。占いってのは、そういうものさ」
「僕らの仲間は、そう思ってないかも。でも安心して。代表して僕が見てもらうようにって、親方から言われてきたから」
と、さっきの一団を振り返る。彼らはもう酒を片手に、話に夢中だ。
哀れな老人にお恵みしてくれたということか。この下っ端以外、誰も取り合わないというのだろう。噂通りの締まり屋たちだ。ああ、つまらない。
ヒルダはため息ひとつ、最初で最後の商売に打ち込むことにした。
「それじゃあ、何を見てあげようかね」
「うーんと……」と、青年は悩んだ。「明日、何を食べたら良い?」
ヒルダは吹き出しそうになった。
「聞きたいのは、そんなことかい? もっと他にあるだろう」
促せば、青年は素直に考えはじめる。だが、何も思い浮かばなかったようだ。
「この町の人は、どんなことに占いを使うの?」
と、逆に聞かれてしまった。
ヒルダは答えた。
「自分の商売や天気や作物。男女の仲や結婚、出産、子供の名付け。伴侶が不貞を働いていないかとか……」
「僕らには関係なさそうだなぁ」
「結婚はどうだい? 好いた子の気持ちを見てやるよ」
「んー……」と、またゴーガの青年は首を傾げた。「ゴーガ人とおばあさんたちとでは、『結婚』の意味が違うので、あなたたちの言葉で説明するのが難しいんだ」
「そうなのかい。じゃあ、仕事は? 壁のことは知りたくないか?」
「それは明日みんなで見て回って、修理箇所を確認するからいらないよ」
「違う違う。そういうことじゃないんだよ」と、ヒルダはついに焦ったくなって語気を荒らげた。「順調に終わるかとか、けが人が出ないかとか」
「けが人や死人が出てしまうのは仕方がないよ」
青年は、遮るようにはっきりと言い切った。
「絶対に出さないように技術を磨いてきたし、細心の注意を払い、お互いに助け合ってる。でも、それでも出てしまうときは出てしまう。仕方ないことだよ」
ヒルダはまたしても驚かされた。だが、同時に不思議と胸のすく思いがした。
青年からは誇りと自信がみなぎっていた。それはヒルダが今まで触れたことのないものだった。
「そ、それじゃあ」と、ヒルダは青年に気圧されながら続けた。「いったい何を占えばいいかねぇ。あんたもこのままじゃ親方に怒られちゃうだろう」
「怒られはしないよ」
青年は「ふふ」と笑った。
周囲と比較してみても、この青年は、ゴーガにしては表情が豊かだ。どうしてなのだろう。
やがて彼はヒルダの最初の言葉に立ち返った。
「やっぱり、修繕が順調に進むか占ってもらおうかな」
「よろしい。それでは手の平をこっちへ出しなさい」
ヒルダは分厚く硬い、マメだらけの手を覗き込んだ。
「そうだな。どれどれ。ほう、ゴーガ人の手は私らとは違うもんだねぇ」
時間稼ぎに言葉を並べる。
そして、そっと相手の様子を盗み見る。
ところが。
なんと、青年もヒルダを見ていたのだ。
「ほ、ほら。あんた、ここのところを見てごらん」
そう促そうとしても、彼はヒルダから目を逸らさない。
まるで取り憑かれたようにじっと見て、それからふと、口を開いた。
「きみは……」
ヒルダは椅子を蹴って立ち上がった。
「今日は日が悪いね。ここまでだよ」
早口で商売を畳むと、杖を抱えて店の中を突っ切って、裏口から外へと飛び出した。
心臓がバクバクと鳴っている。対人で、こんなに恐ろしい思いをするのは初めてだ。どんなときでも、人を食ったような、のらりくらりの口八丁で潜り抜けてきたのに。
ローブの中は汗まみれだった。
「きみは」と言ったゴーガ人の、続きの言葉が恐ろしくも気になった。
気づかれたのだろうか?
だとして、何に?
何を知られた?
自分が「お婆さん」という歳ではないことか?
実は占いがインチキだということか?
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