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第1章 ヒルダとウォルター
第3話 風の声
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「壁の修理か……」
と、誰かがつぶやいた。
『古代の壁』だ。
いくら頑丈な壁でも、放っておけばガタがくる。簡単な補強はエドマンドの配下にできても、根本的な保守点検は、この辺りの人々には無理なのだそうだ。
それを修繕するのが、ゴーガ人だった。
一説には、彼らが国中の壁を作ったといわれている。
ヒルダは国が何であるかも知らなかったが、『崖の町』と同じように壁に囲まれた町がいくつもあって、それらを直して回る大工集団を想像していた。
彼らは金の鉱山に住み、貴重な石を採掘しながら、修理の旅をする。
「止めときなさい」
と、口を挟んできたのは、店の端に座り込んでいたヨボヨボの爺さんだった。みんな、彼がいつからそこにいたのかも知らなかった。
「ゴーガ人は金を出さない。わしがガキの頃にもやつらは来たけど、商売になんかならなかったって、わしの親父が言っていた」
足腰も立たないような年寄りの、気の抜けた話に、そこにいた誰もが聞き耳を立てた。
「せいぜいその場で貧民が雇われる程度で、奴らは何も買わん。豪勢な遊びもせん。実につまらん連中よ」
「だけどゴーガ人だって人間だろ。腹が減れば食い物は買うだろうよ」
と、恰幅のいい男が食い下がると、爺さんはモゴモゴと動かしていた口を完全に閉じてしまった。
働き盛りの男たちは爺さんに背を向けると、もうその存在を忘れてしまったようだ。
「ヤツら、何を食うんだ?」
「さぁな。俺たちと同じか?」
「へっ。土や岩でも食ってんじゃねぇのか。あいつらは言葉も違うからな」
「言葉?」
「そうさ。なんだか分からない。薄気味悪いゴーガ人だけの言葉で話すのさ」
「それじゃあ、どうやってエドマンドさんたちと話すんだ?」
それは崖のてっぺんのお城で暮らす、この辺り一帯の領主のことだった。
黙って聞いているヒルダの上で、男たちの話はさらに続いた。
「ゴーガ人たちは、俺たちの言葉を知ってるんだよ」
「なんだそりゃ」
「だから薄気味悪いのさ。こっちの話は全部知られちまうのに、向こうの話は分からねぇんだ」
言葉の通じない人々など、ヒルダは出会ったことがない。
妙な気分だった。自分の話すことは相手に筒抜けなのに、相手のことはわからない。しかし考えてみれば、それはまるで自分の占いのように思えた。立場は逆だけれど。ゴーガ人とやらも、自分と同じような心持ちなのだろうか。
「さすがのヒルダばあさんも、ゴーガ人にお目にかかったことはないだろうよ?」
と、男たちがヒルダに話を振った。
「そうじゃなぁ」
と、ヒルダは含みを持たせて頷く。実際に、ない。だが、ただ「ない」と答えるのは弱みを見せるようで、避けたかった。
「なんだってんで、ゴーガ人は、壁を修理しに来なさるんだ?」
ヒルダは質問で話を逸らした。
「そりゃあ……」と、男たちは顔を見合わせた。「それがヤツらの仕事だからだよ」
「わざわざ遠い『金の鉱山』から来て、壁を修理するのが仕事かい?」
「この町だけじゃない。壁は世界中の町にある。それをぐるぐる回って修理してんだ。だから、ここに来るのは六十年ぶりよ」
「なんで世界中の町に壁があるんだ? それになんで……」
「うるせぇなぁ」
ヒルダの疑問は若い男に遮られた。
「なんだっていいだろ、そんなことは。あいつらだって、鉱山で採掘した宝石なんかを売りながら来るんだ。壁の修理なんか、本当はこじつけて、宝石売って金儲けがしたいのさ」
「じゃあ壁の修理は、ゴーガ人がしなくてもいいじゃないのさ」
「宝石欲しさに、エドマンドさんみたいな領主が招き入れるんだろ。俺たち平民の目くらましに、壁の修理とかなんか言って、本当は奴ら、宝石が欲しいのさ。俺たちは騙されねぇぞ」
ヒルダは会話に興味を失って、軽く頷いた。つまるところ、彼らは何も知らないのだ。
知らない。知ろうともしない。彼らにあるのは、自分と家族の明日の生活だけ。
でも、それでいいのかもしれない。そうやって生きることが、唯一の幸せなのかもしてない。
「ごちそうさん」
簡単に礼を述べて、ヒルダは立ち上がった。
市場を抜け、教会前の広場に出る。八角形の塔や、十六角形のドームがついた入り口。複雑な形をした石造りの教会は、遠目からでも目立って、ここが町の中心なのだと思わせた。
「奇跡ねぇ……」
ヒルダはつぶやいて、仰ぎ見るのをやめた。
道は広場から六つ伸びていた。南北に太く別れたあと、それぞれ上下と水平方向へ進める。そのうち二本、水平の道が『王の小道』である。
坂をのぼればエドマンド配下の家がぽつり、ぽつりと見えはじめる。どれも立派な石造りで、門を構え、庭がある。この辺りが、貧民窟の人間が登れる『崖の町』の頂上だった。これより上には、常に見張りの兵士が立っていた。
ヒルダの白い頬を、秋の終わりを思わせる冷たい風が撫でていった。
お前はなぜ生きている?
なんのために生きている?
なぁ、ヒルダ?
助けて——……!
びゅうっと一陣の風が崖下から巻き上げて、ヒルダのローブを、髪を、ぐしゃぐしゃに乱して天空高く抜けていった。
と、誰かがつぶやいた。
『古代の壁』だ。
いくら頑丈な壁でも、放っておけばガタがくる。簡単な補強はエドマンドの配下にできても、根本的な保守点検は、この辺りの人々には無理なのだそうだ。
それを修繕するのが、ゴーガ人だった。
一説には、彼らが国中の壁を作ったといわれている。
ヒルダは国が何であるかも知らなかったが、『崖の町』と同じように壁に囲まれた町がいくつもあって、それらを直して回る大工集団を想像していた。
彼らは金の鉱山に住み、貴重な石を採掘しながら、修理の旅をする。
「止めときなさい」
と、口を挟んできたのは、店の端に座り込んでいたヨボヨボの爺さんだった。みんな、彼がいつからそこにいたのかも知らなかった。
「ゴーガ人は金を出さない。わしがガキの頃にもやつらは来たけど、商売になんかならなかったって、わしの親父が言っていた」
足腰も立たないような年寄りの、気の抜けた話に、そこにいた誰もが聞き耳を立てた。
「せいぜいその場で貧民が雇われる程度で、奴らは何も買わん。豪勢な遊びもせん。実につまらん連中よ」
「だけどゴーガ人だって人間だろ。腹が減れば食い物は買うだろうよ」
と、恰幅のいい男が食い下がると、爺さんはモゴモゴと動かしていた口を完全に閉じてしまった。
働き盛りの男たちは爺さんに背を向けると、もうその存在を忘れてしまったようだ。
「ヤツら、何を食うんだ?」
「さぁな。俺たちと同じか?」
「へっ。土や岩でも食ってんじゃねぇのか。あいつらは言葉も違うからな」
「言葉?」
「そうさ。なんだか分からない。薄気味悪いゴーガ人だけの言葉で話すのさ」
「それじゃあ、どうやってエドマンドさんたちと話すんだ?」
それは崖のてっぺんのお城で暮らす、この辺り一帯の領主のことだった。
黙って聞いているヒルダの上で、男たちの話はさらに続いた。
「ゴーガ人たちは、俺たちの言葉を知ってるんだよ」
「なんだそりゃ」
「だから薄気味悪いのさ。こっちの話は全部知られちまうのに、向こうの話は分からねぇんだ」
言葉の通じない人々など、ヒルダは出会ったことがない。
妙な気分だった。自分の話すことは相手に筒抜けなのに、相手のことはわからない。しかし考えてみれば、それはまるで自分の占いのように思えた。立場は逆だけれど。ゴーガ人とやらも、自分と同じような心持ちなのだろうか。
「さすがのヒルダばあさんも、ゴーガ人にお目にかかったことはないだろうよ?」
と、男たちがヒルダに話を振った。
「そうじゃなぁ」
と、ヒルダは含みを持たせて頷く。実際に、ない。だが、ただ「ない」と答えるのは弱みを見せるようで、避けたかった。
「なんだってんで、ゴーガ人は、壁を修理しに来なさるんだ?」
ヒルダは質問で話を逸らした。
「そりゃあ……」と、男たちは顔を見合わせた。「それがヤツらの仕事だからだよ」
「わざわざ遠い『金の鉱山』から来て、壁を修理するのが仕事かい?」
「この町だけじゃない。壁は世界中の町にある。それをぐるぐる回って修理してんだ。だから、ここに来るのは六十年ぶりよ」
「なんで世界中の町に壁があるんだ? それになんで……」
「うるせぇなぁ」
ヒルダの疑問は若い男に遮られた。
「なんだっていいだろ、そんなことは。あいつらだって、鉱山で採掘した宝石なんかを売りながら来るんだ。壁の修理なんか、本当はこじつけて、宝石売って金儲けがしたいのさ」
「じゃあ壁の修理は、ゴーガ人がしなくてもいいじゃないのさ」
「宝石欲しさに、エドマンドさんみたいな領主が招き入れるんだろ。俺たち平民の目くらましに、壁の修理とかなんか言って、本当は奴ら、宝石が欲しいのさ。俺たちは騙されねぇぞ」
ヒルダは会話に興味を失って、軽く頷いた。つまるところ、彼らは何も知らないのだ。
知らない。知ろうともしない。彼らにあるのは、自分と家族の明日の生活だけ。
でも、それでいいのかもしれない。そうやって生きることが、唯一の幸せなのかもしてない。
「ごちそうさん」
簡単に礼を述べて、ヒルダは立ち上がった。
市場を抜け、教会前の広場に出る。八角形の塔や、十六角形のドームがついた入り口。複雑な形をした石造りの教会は、遠目からでも目立って、ここが町の中心なのだと思わせた。
「奇跡ねぇ……」
ヒルダはつぶやいて、仰ぎ見るのをやめた。
道は広場から六つ伸びていた。南北に太く別れたあと、それぞれ上下と水平方向へ進める。そのうち二本、水平の道が『王の小道』である。
坂をのぼればエドマンド配下の家がぽつり、ぽつりと見えはじめる。どれも立派な石造りで、門を構え、庭がある。この辺りが、貧民窟の人間が登れる『崖の町』の頂上だった。これより上には、常に見張りの兵士が立っていた。
ヒルダの白い頬を、秋の終わりを思わせる冷たい風が撫でていった。
お前はなぜ生きている?
なんのために生きている?
なぁ、ヒルダ?
助けて——……!
びゅうっと一陣の風が崖下から巻き上げて、ヒルダのローブを、髪を、ぐしゃぐしゃに乱して天空高く抜けていった。
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