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第1章 ヒルダとウォルター
第2話 占い婆
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ヒルダは人の生き死にから、天気の移り変わり、金の流れまで、何でも感知できる、人智を答えた能力を持って生まれついていた。
子供の頃はわけもわからず、妙な白昼夢を見るのだと苦労したこともあったが、彼女は天性の勘で、「これは他の誰にもないことのようだ。内緒にしておいたほうがよさそうだ」と、胸に秘めて生きてきた。
はっきりとしたイメージや言葉でわかるものではない。ときに抽象的すぎて、本人も読み解けないこともある。だからペテンのようなものだと自負していたし、実際にそう罵られることもあった。
だが彼女は気にしない。
どうでもいいのだ。今、食うに困らなければ。
それだけだ。
汚れたコップに酒が注がれ、パンと新鮮なハムが出てきた。
「俺も視てくれよ」
「俺もだよ」
群がる男を、ヒルダはにやにやと見回した。
「さてねぇ。晴れれば儲かる。雨なら損する」
「なんだい、そりゃあ。もっとちゃんとやってくれよ」
ヒルダは勿体ぶって商人の手を覗き込むが、実際には手相など見ていなかった。相手の雰囲気を、全体的に感じ取るのだった。
それは説明できない感覚だった。ざわめきが、彼女にしか解析できない信号になって伝わってくるようなものである。
ヒルダが手相を見せるように要求するのは、自分の瞳や表情を見られないようにするためだった。
こうすれば相手は必ず、自分の手のひらに何が書かれているのだろうかと、じっと両手を覗き込む。そうやって集中している間に、ヒルダは手のひら以外のすべてを感じ取っているのだ。
案の定、男は自分の手に答えを求めてじっと見入っているではないか。
ところが、今日ばかりはうまくいかなかった。
一陣の風が吹き抜けて遠くの木々がざわめくや、彼女の全身に一気に血が駆け巡る。
ヒルダは「うぅ……」と息を詰めたが、男たちに悟られぬよう、すぐにフードの中で呼吸を整えた。
ぎゅっと目をつむり、ため息を一つ。いつもの、不適なばあさんに戻る。
「だめだ」と、身を引いた。「お前さんは雑念が多すぎる。これじゃ視えん」
言われたほうは気が済まない。
「雑念だと? 俺は朝な夕な、クルセナ様へのお祈りは欠かさねぇんだ。俺ほど信心の強い男はいねぇよ。俺はここいらじゃ、いっとう喜捨だってしてんだ」
教会は、貧しいものを助けるために、余分な儲けは喜んで捨てろと仰っていた。教会に預ければ、富を下層へ再分配するのだと。
実際、それが炊き出しをはじめとした救済になっていた。
だがヒルダはきちんと勘定していた。どう見積もっても、下に落とされる金よりも、上から流れてくる分が多い。どこかに滞留ができているのだ。
「あの奇跡の話を聞いたか。レモン農夫の話さ」同意を求める男の勢いは止まらない。「昔、貧しい農民の夫婦がいてさ、クルセナ様をまったく信じてなかったんだ。ところが、やっと出来た子供が死んで生まれて」
ヒルダは耳を塞ぎたくなった。教会が『崖の町』で布教を始めた当初に起きた、もはやこの町の伝説ともいえる、ある奇跡の物語だ。
「そのかみさんは気が狂っちまった。それで亭主は改心して、熱心にクルセナ様をお祈りした。そしたらどうなったと思う?」
「子供を授かったんだろう」
別の男があっさり結末を口にした。耳にタコができるほど聞かされている話なのだ。
聞き手は子供騙しだとうんざり顔だが、恰幅のいい男は嬉々として続ける。
「その通り。お祈り続けていると、やがて天から赤ん坊が降ってきた。これを奇跡といわずして何だ!」
「まぁおまえさんの話はともかくとしてだ」と、黙って聞いていた年配の男が、横から口を開いた。「どの道、商機はすぐそこにきてんだ。ばあさんには悪いが、占いに頼るこたぇねぇ」
「商機だと?」と、今度は血気盛んそうな若い男が言った。「何を馬鹿な事を言ってるんだ。商機どころじゃねぇ。じきに冬が来る。そうだろ?」
視線を振られて、ヒルダはおばあさんらしくコクンと頷いた。
「ああ、そうさ。すぐそこまで来てる。春も夏も秋も、どんどん短くなる」
もう何年も前から、夏が終わりに近づくたびに感じていた。
だが生まれてから一度も町を出たことがないヒルダは、実際にそれが及ぼす影響を想像できないでいた。ただ風や鳥の声が、彼女を急き立てるのだ。「冬だ。冬。長い冬がやってくる。すべてを雪と氷で閉ざす冬。おお、恐ろしい。凍てつく冬よ」と。
若人は未来が心配だった。
「早くなってるどころじゃねぇ。冬が広がってるって噂さ。毎日土に触れてる農民連中だけが言ってるんじゃねぇ。漁師も、旅商も、みんな言ってる」
冬が長くなれば、海が凍えて魚が捕れなくなる。小麦だろうが果実だろうが、農作物も育たなくなる。
若者の熱弁に、老人は天を仰いだ。
「誰から聞いた話だか。そんなこと、まだ先の話じゃないか。俺が言ってるのは、今日明日の話さ」
「お。なんかいい儲け話を仕入れたな」
と、恰幅のいい男が身を乗り出した。みんな結局、金の話が大好きだ。
「へへへ」
「なんだよ、じじいめ。もったいぶって」
にやにやと笑う老人は、指で近づくようゼスチャーした。いぶかしがりながらも顔を寄せると、男が囁く。
「ゴーガ人が来るのさ」
その言葉に、期待と緊張が同時に走った。
子供の頃はわけもわからず、妙な白昼夢を見るのだと苦労したこともあったが、彼女は天性の勘で、「これは他の誰にもないことのようだ。内緒にしておいたほうがよさそうだ」と、胸に秘めて生きてきた。
はっきりとしたイメージや言葉でわかるものではない。ときに抽象的すぎて、本人も読み解けないこともある。だからペテンのようなものだと自負していたし、実際にそう罵られることもあった。
だが彼女は気にしない。
どうでもいいのだ。今、食うに困らなければ。
それだけだ。
汚れたコップに酒が注がれ、パンと新鮮なハムが出てきた。
「俺も視てくれよ」
「俺もだよ」
群がる男を、ヒルダはにやにやと見回した。
「さてねぇ。晴れれば儲かる。雨なら損する」
「なんだい、そりゃあ。もっとちゃんとやってくれよ」
ヒルダは勿体ぶって商人の手を覗き込むが、実際には手相など見ていなかった。相手の雰囲気を、全体的に感じ取るのだった。
それは説明できない感覚だった。ざわめきが、彼女にしか解析できない信号になって伝わってくるようなものである。
ヒルダが手相を見せるように要求するのは、自分の瞳や表情を見られないようにするためだった。
こうすれば相手は必ず、自分の手のひらに何が書かれているのだろうかと、じっと両手を覗き込む。そうやって集中している間に、ヒルダは手のひら以外のすべてを感じ取っているのだ。
案の定、男は自分の手に答えを求めてじっと見入っているではないか。
ところが、今日ばかりはうまくいかなかった。
一陣の風が吹き抜けて遠くの木々がざわめくや、彼女の全身に一気に血が駆け巡る。
ヒルダは「うぅ……」と息を詰めたが、男たちに悟られぬよう、すぐにフードの中で呼吸を整えた。
ぎゅっと目をつむり、ため息を一つ。いつもの、不適なばあさんに戻る。
「だめだ」と、身を引いた。「お前さんは雑念が多すぎる。これじゃ視えん」
言われたほうは気が済まない。
「雑念だと? 俺は朝な夕な、クルセナ様へのお祈りは欠かさねぇんだ。俺ほど信心の強い男はいねぇよ。俺はここいらじゃ、いっとう喜捨だってしてんだ」
教会は、貧しいものを助けるために、余分な儲けは喜んで捨てろと仰っていた。教会に預ければ、富を下層へ再分配するのだと。
実際、それが炊き出しをはじめとした救済になっていた。
だがヒルダはきちんと勘定していた。どう見積もっても、下に落とされる金よりも、上から流れてくる分が多い。どこかに滞留ができているのだ。
「あの奇跡の話を聞いたか。レモン農夫の話さ」同意を求める男の勢いは止まらない。「昔、貧しい農民の夫婦がいてさ、クルセナ様をまったく信じてなかったんだ。ところが、やっと出来た子供が死んで生まれて」
ヒルダは耳を塞ぎたくなった。教会が『崖の町』で布教を始めた当初に起きた、もはやこの町の伝説ともいえる、ある奇跡の物語だ。
「そのかみさんは気が狂っちまった。それで亭主は改心して、熱心にクルセナ様をお祈りした。そしたらどうなったと思う?」
「子供を授かったんだろう」
別の男があっさり結末を口にした。耳にタコができるほど聞かされている話なのだ。
聞き手は子供騙しだとうんざり顔だが、恰幅のいい男は嬉々として続ける。
「その通り。お祈り続けていると、やがて天から赤ん坊が降ってきた。これを奇跡といわずして何だ!」
「まぁおまえさんの話はともかくとしてだ」と、黙って聞いていた年配の男が、横から口を開いた。「どの道、商機はすぐそこにきてんだ。ばあさんには悪いが、占いに頼るこたぇねぇ」
「商機だと?」と、今度は血気盛んそうな若い男が言った。「何を馬鹿な事を言ってるんだ。商機どころじゃねぇ。じきに冬が来る。そうだろ?」
視線を振られて、ヒルダはおばあさんらしくコクンと頷いた。
「ああ、そうさ。すぐそこまで来てる。春も夏も秋も、どんどん短くなる」
もう何年も前から、夏が終わりに近づくたびに感じていた。
だが生まれてから一度も町を出たことがないヒルダは、実際にそれが及ぼす影響を想像できないでいた。ただ風や鳥の声が、彼女を急き立てるのだ。「冬だ。冬。長い冬がやってくる。すべてを雪と氷で閉ざす冬。おお、恐ろしい。凍てつく冬よ」と。
若人は未来が心配だった。
「早くなってるどころじゃねぇ。冬が広がってるって噂さ。毎日土に触れてる農民連中だけが言ってるんじゃねぇ。漁師も、旅商も、みんな言ってる」
冬が長くなれば、海が凍えて魚が捕れなくなる。小麦だろうが果実だろうが、農作物も育たなくなる。
若者の熱弁に、老人は天を仰いだ。
「誰から聞いた話だか。そんなこと、まだ先の話じゃないか。俺が言ってるのは、今日明日の話さ」
「お。なんかいい儲け話を仕入れたな」
と、恰幅のいい男が身を乗り出した。みんな結局、金の話が大好きだ。
「へへへ」
「なんだよ、じじいめ。もったいぶって」
にやにやと笑う老人は、指で近づくようゼスチャーした。いぶかしがりながらも顔を寄せると、男が囁く。
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