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第114話 赫赫! 在りし日々の過去と重なる少女の未来 (Bパート)
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「妻の病気は手の施しようがないんです」
彼方はあるみに打ち明けた。
「あなたが施しようがないっていうんだから、いろんな医者に診せてきたんでしょうね、その上で『手の施しようがない』と」
「……はい」
それは彼が吐いた弱音だと、すぐにあるみにはわかった。
大企業の社長という職業柄、人前で弱みを見せることなんで絶対に出来ない。
そういった想いで人前に立ち続けている男が弱音を吐いた。
それだけ手を尽くして、尽くした上で、どうしようもないことで、あるみならどうにかしてくれるんじゃないかという信頼だった。
神にも縋る想いだということは、あるみにも伝わってきた。
それだけになんとかしたい気持ちにもなってくる。
しかし……
「私にも無理ね。どんどん衰弱していく彼女の身体はどうしようもないわ」
「……………」
あるみが申し訳無さそうに答えると、彼方は顔を伏せてしばし沈黙する。
「……そうか」
やがて、おもむろに顔を上げて言う。
「君が言うなら仕方がない」
いつもの笑顔でそう答える。
しかし、見る人が見ればすぐにわかる。
それは千切れかけた心を精一杯に取り繕って仕立てた笑顔だと。
「怪我とか骨折とかだったら、私でもどうにかなるんだけど身体が衰弱していく……そういう病気は無理なのよ」
「そうですか」
「もし、可能性があるとしたら……」
あるみは、笑顔のまま目に見えて落胆する彼方をみかねて、思わず口添えする。
「――未来に賭けてみるしかないわね」
そうして、あるみは彼方に来葉を紹介した。
それから、来葉とあみは何度も会った。
また会う約束はしていない。ただ偶然会っているだけ。
あみが呼び止めて、来葉が話に応じる。そんな流れで何度も会った。
「彼方君とは大学で会ったんだよ」
いつしかそんな話をするようになった。
「たまたま工学部で顔を合わせて、『こんにちは』って挨拶しただけなんだけど、それから何度も顔を合わせてね」
「彼方さんからもそんな話を聞きました」
「そう。恥ずかしいわね。彼と一緒にロボットとか作ったのよ」
あみは照れながら話しているものの、来葉は内心彼方から聞いた話だと思った。
ただ、彼方から聞いたのとあみから聞いたのとでは、話の印象が大分違うとも思った。
例えば、初対面にしても、
「初めて会った時は、そっけなく『こんにちは』と返されただけなんだけど、なんとなくそこで運命を感じたんだよ」
と、彼方は言い、
「初めて会った時は正直変わった人かなってくらいしか思わなかったわ」
と、あみは言う。
二人は大学の工学部でロボット作りとか電子工学とか、そういったことを一緒に勉強していたそうだ。
その時は付き合っているという自覚は、お互い無かったらしい。
「ただ、僕と自然体にお話が出来たのは彼女だけだった。あの時はみんな僕のことは大企業の御曹司にくらいしか見ていなかったからね」
「彼と話しているときはとても楽しかったわ。それになんだかとても落ち着けられて、なんていうか家族と一緒にいるような感覚だった」
彼方とあみはそう語っている。
その二人に転機が訪れたのは、大学の卒業だった。
直後に、彼方はプロポーズを申し込んだのだった。
「大学を卒業して、これからの人生を考えると、これ以上の女性と会うことはないんじゃないかと思ってね」
プロポーズをした理由を彼方はそう語っている。
「プロポーズを受けた時はものすごくビックリしちゃった。それまで考えたことなかったから返事を先送りにしちゃった」
そうしてまた転機が訪れた。
彼方の父の他界だった。
そうして、彼方はアガルタ玩具の社長の座を継ぐことになった。
社長業の目まぐるしい忙しさの中で、会う機会がほとんどなかった。
それでも会った時に、「目に見えてやつれていた」と当時の彼方の印象をあみは語った。
「この人と一緒にいて支えたい」
あみはそう思うようになって、先送りにしていたプロポーズの返事をした。
それから二人の生活は始まったけど、決して穏やかではなかった。
相変わらず彼方は忙殺されるほどの社長業で、家に帰ってこれない日の方が多く、一人寂しく過ごすことがあるとあみは愚痴った。
「一言くらい文句言ってやろうかって思ったこともあるけど……彼方君が『ただいま』って言って帰ってくると、そういうのをやめて『おかえり』って言っちゃうのよ。……あんなに疲れた顔で帰ってきちゃったらね」
そう言って楽しそうに語るあみ。
「どんなに疲れて帰っても、彼女が出迎えてくれて疲れが吹き飛んでいったよ」
それに対して彼方はそう言っていたことを思い出す。
忙しくても、幸せな日々……。
しかし、それは長くは続かなかった。
ある日、あみの病気が判明した。
彼方は深く沈み込み、その不安と恐怖を拭うように仕事をし、傍らであみの病気を治す手段を調べた。
「でも、見つけることは出来なかった。治す方法が見つかっていない病気だから」
「ごめんなさい……」
来葉はあみに謝る。
そんな辛い事情を聞くつもりはなかったのに、つい聞き入ってしまっていた。
「ううん、謝るのはこっちの方だよ。ごめんなさい」
今度はあみが謝った。
ついつい話し込んでしまって、それが辛い想いをさせて申し訳ない気持ちになったからだ。
「来葉さんには感謝してる」
あみは臍《ヘソ》の下をさすって言う。
「私の命はあと少しだと言ってくれたから、」
「あ……」
そこまで言われて来葉は気がつく。
「――自分が生きた証を残したいと思えるようになったから」
あみが愛おしくもう一度さすって、来葉は蒼白になる。
『阿方あみさん、あなたは一年後に――死にます』
来葉があみにそう告げてから半年が経っていた。
「私はなんて無責任なことを言ってしまったの……」
来葉はあるみへ悩みを打ち明ける。
「あれ以来、あみさんの未来は視ないようにしてた。だから、あみさんが妊娠するなんて未来は視ていなかった……」
「そう、あなたが未来を告げたことで分岐したのね」
あるみはおもむろにコーヒーを口に含む。
夜遅くに来葉に呼び出されて、こうしてバーにやってきた。
あるみの注文はそこでも相変わらずコーヒーだったので、来葉も同じようにコーヒーを注文した。
でも、こういう時は強めの酒を飲んでみたい気分になる。
「私が視た未来まであと半年……今あみさんの妊娠は四ヶ月目に入ってて……」
「際どいところね。無事に生めればそれでいいのだけど」
「あるみ、なんとかならないの?」
来葉はあるみへ弱音を吐く。
あるみはそういった風に弱音を吐かれるのが自分の役回りなのかしらとさえ思えてきた。
「なんとかできるのはむしろあなたの方でしょ」
「……イジワル」
来葉はついつい毒づく。
あみの出産をなんとかできるのはむしろ自分の方だということは、来葉もよくわかっている。
未来を視る、の他にもう一つできる魔法――未来を確定させる魔法。
未来は現在によって常に分岐する。
来葉は文字通り光の速さで数限りなく枝分かれに分岐する未来を一瞬のうちに視る。
来葉は占いと称して、告げる未来は未来視の中で最も起きる可能性の高い未来だ。
あみが半年後に死ぬ未来も最も起きる可能性の高い未来で、来葉が視た未来の中にはもっと酷い未来はあった。
明日唐突に不幸な事故にあう未来。病状が悪化して一ヶ月後に息を引き取る未来。
目を背けたくなるような未来ばかりだった。
ただその中にも希望はあった。
「あみさんがもう半年生きられるような未来もあった」
未来を確定させる魔法。
それを使えばその未来を確実に現実にさせることができる。
神の所業に近い奇跡ともいえる魔法だった。それゆえに、おいそれと使っていい魔法じゃないと来葉は戒めていた。
「――でも、それは出産を諦めてもらう方法なのよ」
ようやく見つけた救いの未来。
しかし、それは残酷な選択を迫るものでしかなかった。
来葉が視た未来の光景は、あみが流産し、結果的に病状の悪化がわずかに遅くなり、あみはもう半年生きることができた。
皮肉で残酷としか言いようがない運命だ、と来葉は思った。
新しい命を諦めることで、半年分の命を得られるなんて。
「あるみ……私はどうしたら、どうしたらいいの……?」
また弱音を吐く。
「そうね。難しいわね、こういうとき私達にできることはあまりにも少ない」
「少ないって……私にできることなんてあるの?」
「あるわよ」
あるみは断言する。
「奇跡っていうのはね、奇跡を信じる心がなきゃ起きないものよ」
そう言ったあるみの顔があまりにもまぶしくて、ハッとする。
「……そうね。あるみはいつもそうね」
来葉はそう言って笑みがこぼれる。
「私も信じなくちゃいけないわね、奇跡」
数日後、来葉はあみを呼び出して、ある場所へ向かっていた。
「来葉さんから呼んでくれるなんて初めてね。どこに連れて行ってくれるか楽しみ♪」
あみは笑顔でそう言ってくれる。
「楽しんでいただけるかどうかわからないけど」
「来葉さんが案内してくれるところなら絶対に楽しいところだよ、私わかるんだ」
「あははは、そうだといいんだけど……」
あみの自分に寄せてくれる期待に、来葉は苦笑する。
来葉はこれからある場所に、あみを案内しようとしていた。
そこで都合よく奇跡が起きるとは思えない。だけど、何かしら彼女にとっての希望になるはずだと、来葉は思った。
(それが私にできること……ううん、本当は私に出来ることなんて何もないんだけど……)
そんなことを考えながら、来葉はあみとともに歩いた。
その先にあったのは――
「ほ、いくえん?」
来葉はその園の門をくぐった。
「来葉さん、子供がいたの!?」
「……え?」
それは来葉にとっても予想していなかった、あみのリアクションだった。
「来葉さん、確か二十歳って言ってたよね!? とてもそんなお子さんがいるような歳じゃないというか、あ、失礼!! それだけ若いって言うことよ! お子さん、おいくつなの? どっちにしても十代で産んだってことよね! いずれにしてもお母さんとしては先輩になるから、これからは来葉先輩って呼んだ方がいいかしらね!」
「お、落ち着いて!!」
来葉が強く言う。それで、あみの物言いは止まる。
「――それで旦那はどなた様?」
否、止まらなかった。
来葉はため息をつく。
「即答できないということは、私にとって言えない相手なのね。まさか、彼方君!?」
「それは絶対ありえないから安心して」
「ええ、安心してる」
来葉はホッと一息つく。
「来葉さんなら愛人に相応しいかな、って」
「違うわよ!?」
「あ、でも、私に内緒で子供をこさえていたのはちょっと許せないわね。おしおきしておかなくちゃね、彼方君に」
「勝手に誤解をエスカレートさせないで!」
「え、誤解? どこから?」
「全部よ!」
「え、来葉さんの子供? 愛人? おしおき?」
「全部よ!!!」
「おお!?」
来葉の強い返しに、さすがのあみもたじろぐ。
「あの……どうかされましたか?」
それはちょっとした騒ぎになったのか、見かねた職員が声をかけてきた。
「いえいえ、なんでもないです」
来葉は落ち着いて対応する。
「そうですか。てっきりケンカかと思いまして」
「そんなことしませんよ。今日のおゆうぎ会を楽しみにしてきたんですから」
「それじゃ、保護者ですか」
「あ、いえ、保護者の代理です」
「そうですか。代理ですか、ちなみにお子さんの名前は?」
職員に問われて、来葉は一泊置いて愛おしそうにその名前を口にする。
「――結城かなみちゃん、です」
二人は保育園の奥の保育室に案内された。
「かなみちゃんは友人の子供なのよ」
「そうなのね。来葉さんに保育園に通うな子供がいるなんてイメージなかったから、ビックリしちゃった。そうだものね、二十歳で幼児持ちはさすがにないものね」
「え……あ、でも、その人は私の一つ上よ」
「んん!?」
あみは絶句する。
「できちゃった結婚だったみたいなんだけど、聞かされたときは驚いたわ。あるみなんて『この先これ以上驚くことはないわ』って言ったくらい!」
「へ、へえ……二十歳の上は二十一歳だから、それで園児がいて……できちゃった結婚……保育園に預けられるようになってから放置。代わりに私が来た、みたいな感じよ、今日は」
あみは驚きのあまり、情報を整理していた。
「まあ、とにかく今日はおゆうぎ会を見てほしいの」
来葉はそう言って、先に保育室へ入る。
そこには壇上に並ぶ園児達とその脇に保護者達がいた。
来葉とあみは保護者側に寄る。
やがて、保母がピアノの伴奏を始めて、歌が始まる。
きらきらひかーる♪
おそらのほしよー♪
園児達は壇上で歌う。
それはまとまりがなく、みな好きに歌っている。
それゆえに楽しげで、子供らしさを感じる。
「あの真ん中にいる子が、かなみちゃんよ」
「そう……」
あみは歌を聞き入っていた。
「みんな可愛いわね……私の子供もあれくらい可愛くなるかな?」
「そうね、あみさんの子供だから可愛いと思うわよ」
「フフ、そうに違いないわね』
あみはその光景を頭に浮かべて、楽しそうに言う。
「いい歌ね、本当に……」
あみは心からそう言っているように、来葉は感じ取れた。
「あんな風に、楽しそうに歌ってるこの子を見てみたいわね」
あみは腹の下をさする。
あみの腹はまだ服越しではわからないくらいだけど、その中には確かに命が宿っていた。壇上の向こうで歌っているかなみや子供達と何も変わらない、かけがえのない命が。
それを、あみや来葉は改めて実感できた。
「あの子供達のように、自分の子供が楽しそうに歌えたら……それは、私にとっての生きた証になるわ」
あみの瞳とそこから流れす一筋の涙が物語っていた。
来てよかった、と、来葉は心からそう思った。
それから、来葉とあみは静かに保育園を出た。
「かなみちゃんに会っていかないの?」
あみは不思議そうな顔をして訊いてきた。。
「ええ、かなみちゃんは私と関わらない方がいいから」
「関わらない方が?」
「こっちの事情の話よ」
来葉がそう言ったことで、あみはこれ以上言及することはなかった。
それから半年が経った。
来葉は事あるごとに、阿方家を訪問して、あみの様子を見た。
日に日にあみのお腹は大きくなっていき、予定日は近づいていった。
それと同時に病気も進行していって、足腰が弱っていき、今では車いすを使っている。
無事出産ができるかどうか……
来葉は何度もあみの未来を視た。
あの保育園のおゆうぎ会から、未来は明確に変わっていた。
それまでは、あみの出産はうまくいくこと無く病状は急変して、命を落とす未来ばかりだった。
今は、ようやくあみが生き残ることができる未来が視えてきた。
「――!」
そんなときに、あみの未来に赤い影が視えた。
その影が視えた直後に、みあは命を落とした。
それをあるみに相談してみて、数日が経った。
ピピピピピ。
事務所に電話が鳴る。
『来葉、この前の赤い影のことなんだけど』
あるみからの電話だ。
「何かわかったの?」
『ええ、このところ騒動を起こしている怪人の目撃情報と一致していてね』
「怪人と一致?」
薄々はそう思っていたけど、あるみにそう言われたことで余計に不安が増す。
「それでどんな騒動を起こしている怪人なの?」
「はっきり言うと――人殺しよ」
それからあるみは赤い影の怪人について説明を始める。
全て話し終える頃には、来葉はすっかり青ざめて血の気が引いていた。
「情報ありがとう、あるみ」
『来葉、わかってると思うけど、』
「ええ、信じてるわ」
来葉はそう言って、通話を切る。
信じている。
ここまでやってこられたのだって、奇跡といっていい。
あとは、出産か、死か……
それもこれ以上の奇跡が起きなければ、後者の未来を辿ってしまう。
なんて残酷な現実なのだろう。
(方法があるとするなら――)
ピピピピピ。
そこまで考えて、また電話が鳴り出す。
電話主は、阿方彼方からだった。
彼方はあるみに打ち明けた。
「あなたが施しようがないっていうんだから、いろんな医者に診せてきたんでしょうね、その上で『手の施しようがない』と」
「……はい」
それは彼が吐いた弱音だと、すぐにあるみにはわかった。
大企業の社長という職業柄、人前で弱みを見せることなんで絶対に出来ない。
そういった想いで人前に立ち続けている男が弱音を吐いた。
それだけ手を尽くして、尽くした上で、どうしようもないことで、あるみならどうにかしてくれるんじゃないかという信頼だった。
神にも縋る想いだということは、あるみにも伝わってきた。
それだけになんとかしたい気持ちにもなってくる。
しかし……
「私にも無理ね。どんどん衰弱していく彼女の身体はどうしようもないわ」
「……………」
あるみが申し訳無さそうに答えると、彼方は顔を伏せてしばし沈黙する。
「……そうか」
やがて、おもむろに顔を上げて言う。
「君が言うなら仕方がない」
いつもの笑顔でそう答える。
しかし、見る人が見ればすぐにわかる。
それは千切れかけた心を精一杯に取り繕って仕立てた笑顔だと。
「怪我とか骨折とかだったら、私でもどうにかなるんだけど身体が衰弱していく……そういう病気は無理なのよ」
「そうですか」
「もし、可能性があるとしたら……」
あるみは、笑顔のまま目に見えて落胆する彼方をみかねて、思わず口添えする。
「――未来に賭けてみるしかないわね」
そうして、あるみは彼方に来葉を紹介した。
それから、来葉とあみは何度も会った。
また会う約束はしていない。ただ偶然会っているだけ。
あみが呼び止めて、来葉が話に応じる。そんな流れで何度も会った。
「彼方君とは大学で会ったんだよ」
いつしかそんな話をするようになった。
「たまたま工学部で顔を合わせて、『こんにちは』って挨拶しただけなんだけど、それから何度も顔を合わせてね」
「彼方さんからもそんな話を聞きました」
「そう。恥ずかしいわね。彼と一緒にロボットとか作ったのよ」
あみは照れながら話しているものの、来葉は内心彼方から聞いた話だと思った。
ただ、彼方から聞いたのとあみから聞いたのとでは、話の印象が大分違うとも思った。
例えば、初対面にしても、
「初めて会った時は、そっけなく『こんにちは』と返されただけなんだけど、なんとなくそこで運命を感じたんだよ」
と、彼方は言い、
「初めて会った時は正直変わった人かなってくらいしか思わなかったわ」
と、あみは言う。
二人は大学の工学部でロボット作りとか電子工学とか、そういったことを一緒に勉強していたそうだ。
その時は付き合っているという自覚は、お互い無かったらしい。
「ただ、僕と自然体にお話が出来たのは彼女だけだった。あの時はみんな僕のことは大企業の御曹司にくらいしか見ていなかったからね」
「彼と話しているときはとても楽しかったわ。それになんだかとても落ち着けられて、なんていうか家族と一緒にいるような感覚だった」
彼方とあみはそう語っている。
その二人に転機が訪れたのは、大学の卒業だった。
直後に、彼方はプロポーズを申し込んだのだった。
「大学を卒業して、これからの人生を考えると、これ以上の女性と会うことはないんじゃないかと思ってね」
プロポーズをした理由を彼方はそう語っている。
「プロポーズを受けた時はものすごくビックリしちゃった。それまで考えたことなかったから返事を先送りにしちゃった」
そうしてまた転機が訪れた。
彼方の父の他界だった。
そうして、彼方はアガルタ玩具の社長の座を継ぐことになった。
社長業の目まぐるしい忙しさの中で、会う機会がほとんどなかった。
それでも会った時に、「目に見えてやつれていた」と当時の彼方の印象をあみは語った。
「この人と一緒にいて支えたい」
あみはそう思うようになって、先送りにしていたプロポーズの返事をした。
それから二人の生活は始まったけど、決して穏やかではなかった。
相変わらず彼方は忙殺されるほどの社長業で、家に帰ってこれない日の方が多く、一人寂しく過ごすことがあるとあみは愚痴った。
「一言くらい文句言ってやろうかって思ったこともあるけど……彼方君が『ただいま』って言って帰ってくると、そういうのをやめて『おかえり』って言っちゃうのよ。……あんなに疲れた顔で帰ってきちゃったらね」
そう言って楽しそうに語るあみ。
「どんなに疲れて帰っても、彼女が出迎えてくれて疲れが吹き飛んでいったよ」
それに対して彼方はそう言っていたことを思い出す。
忙しくても、幸せな日々……。
しかし、それは長くは続かなかった。
ある日、あみの病気が判明した。
彼方は深く沈み込み、その不安と恐怖を拭うように仕事をし、傍らであみの病気を治す手段を調べた。
「でも、見つけることは出来なかった。治す方法が見つかっていない病気だから」
「ごめんなさい……」
来葉はあみに謝る。
そんな辛い事情を聞くつもりはなかったのに、つい聞き入ってしまっていた。
「ううん、謝るのはこっちの方だよ。ごめんなさい」
今度はあみが謝った。
ついつい話し込んでしまって、それが辛い想いをさせて申し訳ない気持ちになったからだ。
「来葉さんには感謝してる」
あみは臍《ヘソ》の下をさすって言う。
「私の命はあと少しだと言ってくれたから、」
「あ……」
そこまで言われて来葉は気がつく。
「――自分が生きた証を残したいと思えるようになったから」
あみが愛おしくもう一度さすって、来葉は蒼白になる。
『阿方あみさん、あなたは一年後に――死にます』
来葉があみにそう告げてから半年が経っていた。
「私はなんて無責任なことを言ってしまったの……」
来葉はあるみへ悩みを打ち明ける。
「あれ以来、あみさんの未来は視ないようにしてた。だから、あみさんが妊娠するなんて未来は視ていなかった……」
「そう、あなたが未来を告げたことで分岐したのね」
あるみはおもむろにコーヒーを口に含む。
夜遅くに来葉に呼び出されて、こうしてバーにやってきた。
あるみの注文はそこでも相変わらずコーヒーだったので、来葉も同じようにコーヒーを注文した。
でも、こういう時は強めの酒を飲んでみたい気分になる。
「私が視た未来まであと半年……今あみさんの妊娠は四ヶ月目に入ってて……」
「際どいところね。無事に生めればそれでいいのだけど」
「あるみ、なんとかならないの?」
来葉はあるみへ弱音を吐く。
あるみはそういった風に弱音を吐かれるのが自分の役回りなのかしらとさえ思えてきた。
「なんとかできるのはむしろあなたの方でしょ」
「……イジワル」
来葉はついつい毒づく。
あみの出産をなんとかできるのはむしろ自分の方だということは、来葉もよくわかっている。
未来を視る、の他にもう一つできる魔法――未来を確定させる魔法。
未来は現在によって常に分岐する。
来葉は文字通り光の速さで数限りなく枝分かれに分岐する未来を一瞬のうちに視る。
来葉は占いと称して、告げる未来は未来視の中で最も起きる可能性の高い未来だ。
あみが半年後に死ぬ未来も最も起きる可能性の高い未来で、来葉が視た未来の中にはもっと酷い未来はあった。
明日唐突に不幸な事故にあう未来。病状が悪化して一ヶ月後に息を引き取る未来。
目を背けたくなるような未来ばかりだった。
ただその中にも希望はあった。
「あみさんがもう半年生きられるような未来もあった」
未来を確定させる魔法。
それを使えばその未来を確実に現実にさせることができる。
神の所業に近い奇跡ともいえる魔法だった。それゆえに、おいそれと使っていい魔法じゃないと来葉は戒めていた。
「――でも、それは出産を諦めてもらう方法なのよ」
ようやく見つけた救いの未来。
しかし、それは残酷な選択を迫るものでしかなかった。
来葉が視た未来の光景は、あみが流産し、結果的に病状の悪化がわずかに遅くなり、あみはもう半年生きることができた。
皮肉で残酷としか言いようがない運命だ、と来葉は思った。
新しい命を諦めることで、半年分の命を得られるなんて。
「あるみ……私はどうしたら、どうしたらいいの……?」
また弱音を吐く。
「そうね。難しいわね、こういうとき私達にできることはあまりにも少ない」
「少ないって……私にできることなんてあるの?」
「あるわよ」
あるみは断言する。
「奇跡っていうのはね、奇跡を信じる心がなきゃ起きないものよ」
そう言ったあるみの顔があまりにもまぶしくて、ハッとする。
「……そうね。あるみはいつもそうね」
来葉はそう言って笑みがこぼれる。
「私も信じなくちゃいけないわね、奇跡」
数日後、来葉はあみを呼び出して、ある場所へ向かっていた。
「来葉さんから呼んでくれるなんて初めてね。どこに連れて行ってくれるか楽しみ♪」
あみは笑顔でそう言ってくれる。
「楽しんでいただけるかどうかわからないけど」
「来葉さんが案内してくれるところなら絶対に楽しいところだよ、私わかるんだ」
「あははは、そうだといいんだけど……」
あみの自分に寄せてくれる期待に、来葉は苦笑する。
来葉はこれからある場所に、あみを案内しようとしていた。
そこで都合よく奇跡が起きるとは思えない。だけど、何かしら彼女にとっての希望になるはずだと、来葉は思った。
(それが私にできること……ううん、本当は私に出来ることなんて何もないんだけど……)
そんなことを考えながら、来葉はあみとともに歩いた。
その先にあったのは――
「ほ、いくえん?」
来葉はその園の門をくぐった。
「来葉さん、子供がいたの!?」
「……え?」
それは来葉にとっても予想していなかった、あみのリアクションだった。
「来葉さん、確か二十歳って言ってたよね!? とてもそんなお子さんがいるような歳じゃないというか、あ、失礼!! それだけ若いって言うことよ! お子さん、おいくつなの? どっちにしても十代で産んだってことよね! いずれにしてもお母さんとしては先輩になるから、これからは来葉先輩って呼んだ方がいいかしらね!」
「お、落ち着いて!!」
来葉が強く言う。それで、あみの物言いは止まる。
「――それで旦那はどなた様?」
否、止まらなかった。
来葉はため息をつく。
「即答できないということは、私にとって言えない相手なのね。まさか、彼方君!?」
「それは絶対ありえないから安心して」
「ええ、安心してる」
来葉はホッと一息つく。
「来葉さんなら愛人に相応しいかな、って」
「違うわよ!?」
「あ、でも、私に内緒で子供をこさえていたのはちょっと許せないわね。おしおきしておかなくちゃね、彼方君に」
「勝手に誤解をエスカレートさせないで!」
「え、誤解? どこから?」
「全部よ!」
「え、来葉さんの子供? 愛人? おしおき?」
「全部よ!!!」
「おお!?」
来葉の強い返しに、さすがのあみもたじろぐ。
「あの……どうかされましたか?」
それはちょっとした騒ぎになったのか、見かねた職員が声をかけてきた。
「いえいえ、なんでもないです」
来葉は落ち着いて対応する。
「そうですか。てっきりケンカかと思いまして」
「そんなことしませんよ。今日のおゆうぎ会を楽しみにしてきたんですから」
「それじゃ、保護者ですか」
「あ、いえ、保護者の代理です」
「そうですか。代理ですか、ちなみにお子さんの名前は?」
職員に問われて、来葉は一泊置いて愛おしそうにその名前を口にする。
「――結城かなみちゃん、です」
二人は保育園の奥の保育室に案内された。
「かなみちゃんは友人の子供なのよ」
「そうなのね。来葉さんに保育園に通うな子供がいるなんてイメージなかったから、ビックリしちゃった。そうだものね、二十歳で幼児持ちはさすがにないものね」
「え……あ、でも、その人は私の一つ上よ」
「んん!?」
あみは絶句する。
「できちゃった結婚だったみたいなんだけど、聞かされたときは驚いたわ。あるみなんて『この先これ以上驚くことはないわ』って言ったくらい!」
「へ、へえ……二十歳の上は二十一歳だから、それで園児がいて……できちゃった結婚……保育園に預けられるようになってから放置。代わりに私が来た、みたいな感じよ、今日は」
あみは驚きのあまり、情報を整理していた。
「まあ、とにかく今日はおゆうぎ会を見てほしいの」
来葉はそう言って、先に保育室へ入る。
そこには壇上に並ぶ園児達とその脇に保護者達がいた。
来葉とあみは保護者側に寄る。
やがて、保母がピアノの伴奏を始めて、歌が始まる。
きらきらひかーる♪
おそらのほしよー♪
園児達は壇上で歌う。
それはまとまりがなく、みな好きに歌っている。
それゆえに楽しげで、子供らしさを感じる。
「あの真ん中にいる子が、かなみちゃんよ」
「そう……」
あみは歌を聞き入っていた。
「みんな可愛いわね……私の子供もあれくらい可愛くなるかな?」
「そうね、あみさんの子供だから可愛いと思うわよ」
「フフ、そうに違いないわね』
あみはその光景を頭に浮かべて、楽しそうに言う。
「いい歌ね、本当に……」
あみは心からそう言っているように、来葉は感じ取れた。
「あんな風に、楽しそうに歌ってるこの子を見てみたいわね」
あみは腹の下をさする。
あみの腹はまだ服越しではわからないくらいだけど、その中には確かに命が宿っていた。壇上の向こうで歌っているかなみや子供達と何も変わらない、かけがえのない命が。
それを、あみや来葉は改めて実感できた。
「あの子供達のように、自分の子供が楽しそうに歌えたら……それは、私にとっての生きた証になるわ」
あみの瞳とそこから流れす一筋の涙が物語っていた。
来てよかった、と、来葉は心からそう思った。
それから、来葉とあみは静かに保育園を出た。
「かなみちゃんに会っていかないの?」
あみは不思議そうな顔をして訊いてきた。。
「ええ、かなみちゃんは私と関わらない方がいいから」
「関わらない方が?」
「こっちの事情の話よ」
来葉がそう言ったことで、あみはこれ以上言及することはなかった。
それから半年が経った。
来葉は事あるごとに、阿方家を訪問して、あみの様子を見た。
日に日にあみのお腹は大きくなっていき、予定日は近づいていった。
それと同時に病気も進行していって、足腰が弱っていき、今では車いすを使っている。
無事出産ができるかどうか……
来葉は何度もあみの未来を視た。
あの保育園のおゆうぎ会から、未来は明確に変わっていた。
それまでは、あみの出産はうまくいくこと無く病状は急変して、命を落とす未来ばかりだった。
今は、ようやくあみが生き残ることができる未来が視えてきた。
「――!」
そんなときに、あみの未来に赤い影が視えた。
その影が視えた直後に、みあは命を落とした。
それをあるみに相談してみて、数日が経った。
ピピピピピ。
事務所に電話が鳴る。
『来葉、この前の赤い影のことなんだけど』
あるみからの電話だ。
「何かわかったの?」
『ええ、このところ騒動を起こしている怪人の目撃情報と一致していてね』
「怪人と一致?」
薄々はそう思っていたけど、あるみにそう言われたことで余計に不安が増す。
「それでどんな騒動を起こしている怪人なの?」
「はっきり言うと――人殺しよ」
それからあるみは赤い影の怪人について説明を始める。
全て話し終える頃には、来葉はすっかり青ざめて血の気が引いていた。
「情報ありがとう、あるみ」
『来葉、わかってると思うけど、』
「ええ、信じてるわ」
来葉はそう言って、通話を切る。
信じている。
ここまでやってこられたのだって、奇跡といっていい。
あとは、出産か、死か……
それもこれ以上の奇跡が起きなければ、後者の未来を辿ってしまう。
なんて残酷な現実なのだろう。
(方法があるとするなら――)
ピピピピピ。
そこまで考えて、また電話が鳴り出す。
電話主は、阿方彼方からだった。
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