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第101話 依存! 少女は疑惑の少女とかける (Bパート)
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翌朝、かなみはいつもより早起きだった。
ただ涼美はそれよりも早起きしてて、朝食の支度をすませていた。
「今ちょうどぉできたところよぉ」
かなみが起きるのを見計らっていたかのようなタイミングだった。
とりあえず用意されたトーストとゆで卵を食べ終えると、涼美はもう出かけるところだった。
「かなみは今日お休みでしょぉ、ゆっくりしてねぇ」
そう言って、涼美は仕事に出かけた。
「いってらっしゃい」
かなみはそれを手を振って見送った。
シーン、と部屋は静まり返った。
涼美が言うように今日は休日。土日も出勤することになってる会社も今日は久々の休日。つまりまったく予定がなく一日のんびり過ごせる日だった。
「ゴロゴロ~♪」
などと擬音をたてて、布団に寝そべる。
とりあえず今日一日はゆっくりしよう。そう思って二度寝に興じようとした。
そんな時にふと昨晩の黒服の男の言葉を思い出す。
――俺の舎弟が競馬場で隣のお嬢ちゃんを見かけたって言っててな。
あの黒服の男が言っていたように、沙鳴がまた競馬をしているのか。
「まさか、まさかね……」
ありえない、と、かなみは思った。というより信じたかった。
沙鳴は二千万もの借金をしている。かなみに比べたら大したことないけど、それでも十六歳の女子が背負うには重すぎる金額だ。
そんな借金をまっとうな手段で返せるはずがない。
かなみと出会ったばかりの頃、沙鳴は競馬にのめりこんでいた。
一発当たれば借金を全額返せる。
そんな夢みたいな話に本気になって賭けていた。しかし、夢みたいな話は所詮夢でしか無く、借金は膨らむ一方だった。
その借金はあるみが立て替えておくことで、ひとまず沙鳴は身を売る羽目にならずに済んだ。
『真面目に働いて返すこと』
沙鳴に仕事を紹介したあるみはその条件を言い渡した。
以来、沙鳴は真面目に仕事をしている。かなみは沙鳴がどんな仕事についたか詳しいことは知らないけど、配達っぽいことをしているのを幾度か見かけている。
昨晩だって遅くまで働いていた。
そんな沙鳴が再び競馬というギャンブルに手を出すなんて考えられない。
――ギャンブルは依存症が強いんだ
その一言で沙鳴を信じる心にかげりが刺す。
「沙鳴……」
隣の部屋の方を見つめる。
信じていると言いつつ、信じきれていない自分が嫌な人間に思えてくる。
「あ~!!」
もどかしい想いを振り払うように、布団を払う。
一人で心配して悩んでても仕方がない。
こういうことは本人に訊くのが一番いい。そう、かなみは結論づけて部屋を出る。
「あ……!」
そこで、いきなり沙鳴と出くわした。
彼女も今部屋を出たところみたいだ。
「おはようございます!」
こちらの心配なんて知るよしもなく、沙鳴は屈託のない笑顔で挨拶してくる。
「お、おはよう……」
かなみは戸惑いつつも挨拶を返した。
「かなみ様、今からお仕事ですか?」
「あ、い、いえ、今日は休みだからちょっと散歩よ……」
「そうですか」
「沙鳴は仕事?」
「いえ、私も今日はお休みですよ」
「ふうん、奇遇ね……」
お互い休みは少ない身の上なので、心から出た言葉だった。
「なので、これからお出かけするのですが……そうだ、かなみ様もご一緒しませんか?」
「ご一緒って? どこへ行くの?」
まさか競馬場に? と、かなみは思ってしまった。
「うーん、特にここということはありませんが……昨日が給料日だったのでちょっと見て回ろうと思っていまして」
(『昨日が給料日だった』、お給料を競馬に……『ちょっと見て回ろう』、競馬場を見に行く……)
頭から沙鳴が競馬場へ行って馬券を買うことから離れなくなってしまっていた。
『……そんなことないわよ! 私が証明したっていいわ!!』
黒服の男はああ言ってしまった手前、沙鳴が競馬をしていないことを証明しなければならない。
「いいわね、ご一緒しましょう!」
かなみは無理矢理元気よく答える。
「そうですか! それでは、後ろに座ってください!」
沙鳴はその違和感に気づくこと無く、嬉しそうに言う。
「ええ」
かなみはバイクの後ろに座る。
すっかり定位置で座りなれた感じがする。
「さ、つきました!」
「ここは……?」
そうして、辿り着いた初めてくる場所だった。
「道の駅ですよ」
「道の駅?」
「この前通った時、ちょっと気になっていたので」
「道の駅ってきたことないからよくわからないけど……」
「とりあえず、入ってみましょう!」
「そ、そうね……」
沙鳴に言われるまま、かなみへついていく。
「さすがに、駅っていうからには賭け事はないわよね?」
小声でボソリと言う。
その道の駅では産地直送の野菜が売り出されていた。
「見るからに新鮮ですね!」
「そうね……買っていこうかしら?」
「買って、今日のおかずにしましょう! なんといっても給料が入りましたから!」
沙鳴はすごい勢いで野菜を買い物かごに入れていく。
プープープー
かなみの携帯が鳴る。
ディスプレイには、『翠華』の名前が出ている。
「なんでしょうか、翠華さん?」
『かなみさん!?』
翠華が凄い大きな名前を呼ぶ
「はい、そうですけど……どうしたんですか、翠華さん」
『ううん、なんでもないのよ!? ちょっと、かなみさんに頼みたいことがあって!』
「頼みたいこと?」
『い、今から、喫茶店に来てくれる? わ、私がごちそうするから!!』
ごちそうという言葉に心が揺れ動く。
何よりも翠華からの頼みだから聞いてあげたい気持ちになってくる。しかし、今は……
「今からですか? ……すみません、今は無理です」
『む、無理……』
「今ちょっと沙鳴と出かけてまして……」
『え、沙鳴さんと……?』
「すみません」
『そ、そうなの……気にしないで、それじゃ!』
翠華は慌てて電話を切った。
「怒らせてしまったのかしら?」
かなみは首を傾げる。
「……的外れ」
マニィが言う。
「マニィ、あんたついてきたの?」
「ボクはマスコットだからね」
「……気づかなかった」
さりげなく胸ポケットの中に入っていたようだ。
「ボクがついてきたらいけなかった?」
「そんなことないけど、沙鳴がいるときは大人しくね」
「いつもどおりで」『なんでしょうか、翠華さん?』
かなみからかかってくる。
「かなみさん!?」
『はい、そうですけど……どうしたんですか、翠華さん』
かなみが心配するような声が電話越しに聞こえてくる。
「ううん、なんでもないのよ!? ちょっと、かなみさんに頼みたいことがあって!」
『頼みたいこと?』
「い、今から、喫茶店に来てくれる? わ、私がごちそうするから!!」
翠華はみあに言われたように、かなみへ話を切り出す。
『今からですか? ……すみません、今は無理です』
「む、無理……」
翠華の顔の血の気が引く。
『今ちょっと沙鳴と出かけてまして……』
「え、沙鳴さんと……?」
翠華にしてみれば信じられない想いだった。
『すみません』
「そ、そうなの……気にしないで、それじゃ!」
翠華は昨晩と同様に逃げるような姿勢で、電話を切る。
「一体どうしたのかしら、翠華さん?」
「用事を断ったから怒っているんじゃない?」
「ええ? どうしよう、翠華さんが怒ってたら?」
「埋め合わせを考えたら?」
「翠華さんに何をしたら機嫌を直してくれるんだろう?」
かなみは頭を抱える。
「さあね。とにかく何かプレゼントしてあげたら?」
「そんないい加減な……でも、何かプレゼントね……ダイコンとか?」
「喜ぶと思うよ」
「テキトーなこと言わないでよ!」
「別にテキトーで言ったわけじゃないんだけど……」
「あー、自分で考えるからもういいわ!」
かなみは周囲を見回してくる。
ダイコン、レタス、ニンジン、ブロッコリー……野菜ばかりだった。
「これ、翠華さんにプレゼントできるの!?」
「いやだからって、できるんだよ」
「ああ、どうしよう!?」
マニィの進言に、かなみは聞く耳を持たなかった。
「どうかしましたか?」
沙鳴は訊いてくる。
「い、いえ……ちょっとプレゼントするなら何がいいかなって……」
「プレゼントですか……誰に贈るんですか?」
「えっと、翠華さん」
一瞬迷った後に答える。
「翠華さんですか……」
「ちょっと、怒らせちゃったかなと思って」
「そうでしたか……昨晩なんだか様子がおかしいと思っていましたが、ご機嫌ナナメでしたか」
「それで日頃のお礼も兼ねて何かプレゼントしようかと思って」
「わかりました! それではそれに相応しい場所に行きましょう! あ、その前にお会計を済ませてからでいいですか?」
沙鳴は野菜を入れた買い物かごを見せて確認する。
「いいけど、相応しい場所ってどこ?」
「それは言ってみてからのお楽しみです!」
「ウシシ、別の場所に移動するみたいだぜ」
バイクで移動しはじめた翠華とみあに向かってイシぃが言う。
「え、どこに?」
翠華が不安になって訊く。
「ウシシ、そこまではわからねえな。ただあんたに何かプレゼントをしようかって言ってたぜ」
「私にプレゼント!? どうしてかなみさんが私にプレゼントを!?」
「ウシシ、さあな」
ウシィははぐらかす。
「それで、二人はそのプレゼント選びに道の駅を出たってわけ?」
みあが訊く。
「ウシシ、そういうこった」
「そうなると、どこへ行ったか見当はつくけどね」
みあが言う。
「見当って?」
「それより本当にこのまま追いかけるの?」
「追いかけるわよ!」
「めっちゃ乗り気ね……」
みあは呆れて言う。
かなみと沙鳴が今どこにいるのかは、マニィとイシィ、ウシィ、マスコット同士による魔力の繋がりによってお互いの位置を把握しているからわかる。
こういうことは主人のあるみが管理しているのだけど、許可はもらっているということ。
「ハァハァ、俺達と御主人様(あるみ)は電話みたいにいつでも繋がっていて意志の疎通はできてるんだ」
イシィはそう説明した。
「ウシシ、というわけでマニィがお嬢達の居場所を教えてくれるってわけだ」
「そんなことしていいのかしら?」
翠華の良心が咎めた。
「ウシシ、知りたくないのなら別にいいけど」
「………………知りたい」
逡巡の後、翠華は正直に答えた。
そういうわけで、バイクにまたがって翠華はその場所へ向かっていた。
――一度自分に正直になった勢いは強い。
傍から見ていたみあはそう思った。
「お仕事ぉ~完了~」
涼美はそう言って、オフィスに入ってきた。
「だからって、なんでこっちに来るの?」
あるみはコーヒーカップを差し出して訊く。
「だって~、かなみはぁお出かけ中みたいだしぃ~」
「私はまだ仕事中なんだけど。まあコーヒーブレイクくらいは付き合うけど」
「そう言ってくれると思ったからぁ、来たのよぉ」
涼美は笑顔で言う。
「――それで旦那さんの件はどうなったの?」
「単刀直入ねぇ」
さすがの涼美も笑顔に苦味が混じる。
それをごまかすように、差し出されたコーヒーを口に含む。
旦那の件、つまり雲隠れしたかなみの父親のこと。オフィスに来たということは、あるみにもその件を話さなければならないからだ。
「見つけられなくなったわぁ、彼は雲隠れの名人だからぁ」
「だろうね。来葉の未来視に一回でも引っかかっただけでも奇跡みたいなものだったし」
「私ねぇ、またやっちゃったわねぇ」
涼美はため息を漏らすように言う。
父を病院送りにするほどの制裁を与えた。
それ自体はかなみも渋々ながら了承してくれたから罪悪感はない。――それでもよく半殺しに抑えられた方だけど。
問題なのはその後だ。
父は文字通り半死半生の身でありながら病院を抜け出して雲隠れしてしまったことだ。
これに涼美は激怒して追いかけた。かなみも放り出してだ。
我に返ったとき、涼美はそのことに後悔した。
「正直どの面下げて戻ってきたのよ、って思うけどね」
あるみは言う。
そう言われるのも覚悟しての出戻りだった。
ばつが悪いのは仕方ないにせよ、いっそのこと当たり前のように戻ったら文句はあるものの許してくれるだろう。
そんな魂胆をもって、涼美は普通にかなみの元へ戻ってきた。
そうしたら実際そのとおりになった。拍子抜けしたくらいだ。
「あるみちゃんは厳しいわねぇ」
「かなみちゃんが甘すぎるのよ」
「このコーヒーみたいねぇ」
涼美は笑顔でそう言って、またコーヒーを口に含む。
「それじゃ、――三下り半を突きつけるのは無理みたいね」
「そうねぇ」
涼美は今度は本当にため息をつく。
「かなみちゃんのためにはそれもいいかもしれないって思うけどね」
「そうねぇ、あの娘はあれでもぉ、あの人のことをぉ、嫌いになったわけじゃないみたいだからぁ」
「あなたの時みたいにね」
あるみは皮肉を言って、涼美は苦笑いする。
「そうねぇ」
「もう一度考えて直してみることはないの?」
あるみの問いかけに、涼美は首を傾げる。
「どうかしらねぇ? 一度かなみに相談してみようかしらねぇ」
「そう言っている時点で答えはもう見えてる気がするわ」
あるみは満足げにコーヒーを口に含む。
一方かなみと沙鳴はというと、ショッピングモールにやってきていた。
「ここなら何かいいプレゼントが見つかりますよ!」
「ええ、そうね」
かなみは同意する。
「でも、本当に良かったの? せっかくの休日なのに付き合って」
「いえいえ! 私も一緒に来てみたかったので楽しんでいますよ!」
「そう、それならいいんだけど」
「それより、これならどうでしょうか?」
そう言って、沙鳴は店頭のアクセサリーを指す。
「可愛い……でも、翠華さんに似合うかしらね?」
「大丈夫ですよ。きっと似合いますよ」
「うーん……」
かなみは頭の中で想像してみる。
果たして、このアクセサリーは翠華に似合うのだろうか。アクセサリーを身に付けた姿を思い浮かべる。
「ほ、他のも見てみましょうか」
「そうですね!」
かなみと沙鳴はショッピングモールを見て回った。
「かなみさんが私のために……! かなみさんが私のために……!」
翠華はブルブルと震えている。
みあは「あ、これメンドくさいやつだ……」とため息をつく。
「普通に買い物してるだけみたいね。もういいじゃない」
みあからすれば二人でどこへ出かけているのか気になった程度だから、もうそれがわかったから興味は失せたといったところだ。
「ううん、二人が何を買うのか追いかけましょう。私へのプレゼントだし!」
「そりゃ、あんたは自分事だから気になるでしょうね。だけどいいの?」
「いいって?」
「ここで何を買うのか知っておくのがよ。知っておくといざ受け取ったら……」
「受け取ったら?」
「あんまり驚かなくてつけていたことがバレるかもしれない」
「――!」
翠華は硬直する。
「こうしてつけていることがバレたら、かなみ怒るんじゃない?」
「ひ!?」
みあの意見に、翠華は悲鳴を上げる。
かなみから怒られる。そして嫌われる。
そんなことになったら、翠華にとっては世界の破滅に等しい。
それだけはなんとしても避けなければならない。
「――帰りましょう」
翠華はそう結論づけた。
時間にしては二、三分くらいだけど、みあには十分長く感じられた。
「やっぱりあのアクセサリーにしましょう」
一通り見回ってみて、かなみはそう結論づけた。
翠華にそのアクセサリーが似合うか、どうかが不安なところだけど。回っていくうちに他にピンとくるものが見つけられなかった。
そんなわけで結局最初に入ってきた場所に戻って、いざ値札を確認する。
「う……」
かなみは財布を取り出してみる。
「……足りない」
アクセサリーを買うには、お金が足りなかった。
元々そんなにお金を持って出てきたわけじゃない。
「うーん、家に帰ればお金はあるけど……」
「私の分もあれば足りますよ」
沙鳴は提案してくる。
「沙鳴から借りる……借りる……」
「すぐに返してくれれば問題ないかと思いますが」
一時的にとはいえ、お金を借りる。
それは借金を課すという行為。かなみにとっては禁忌の手段といっていい。
「うーん、うーん」
「そういう問題じゃありませんか」
沙鳴は察する。
「ごめん。やっぱり自分のお金で買うべきかな、って……それに沙鳴から借りるのも悪い気がして……」
「私なら気にしませんが」
「ううん、私が悪いのよ。お金を借りてすぐに買えばいいんだし……」
それが一番の正解な気がする。
とはいえ、心が誰かからお金を借りることを拒否してしまっている。
「ダメ! やっぱり借りられない!」
「それじゃどうしましょうか……お金取りに行きますか?」
「うーん、うーん」
かなみが悩むこと五分。
「沙鳴、ごめん!!」
アパートの部屋まで取りに戻ることにした。
沙鳴には申し訳ないことをした、と、かなみの表情は沈痛だった。
「そんなこと気にしないでください」
沙鳴は笑顔でそう言ってくれてありがたかった。
「たとえちょっとの間でも人がお金を借りるのは嫌というお気持ちはよくわかりますから」
「ありがとう、沙鳴。このお礼はいつかちゃんとするから」
「あ、気にしないでください! かなみ様からお礼はもうたっぷりいただいてるので!」
「私がお礼を? そんなことした覚えはないんだけど」
「正確に言うと……お母様から」
沙鳴は言いづらそうに答える。
「あぁ……」
かなみはそれで納得する。
涼美はしょっちゅう沙鳴を夕食に招いている。かなみとしても沙鳴とご飯が食べられるのは楽しいことなので恩を売っているつもりはなかった。
とはいえ、沙鳴がお礼した気持ちもわかってしまう。
(私もみあちゃんによくご飯食べさせてもらってるから……いつかちゃんとお礼をしなくちゃ)
自分にも身に覚えがあったからだ。
遠くの方でみあは人知れず派手に「ハクション」したのは、かなみの与り知らぬところだけど。
「ささ、行きましょうか!」
「うん」
こうして無事翠華へのプレゼントは購入できた。
「かなみさん、ちょっと寄りたいところがあるんですがよろしいでしょうか?」
ショッピングモールを出て、沙鳴がそう提案してくる。
「いいよ」
かなみとしてはお金を取りに行くためだけにわざわざアパートとショッピングモールを往復してくれたのだから、無下にするわけにはいかなかった。
「それでは!」
沙鳴はかなみを乗せてバイクを走らせた。
「………………」
かなみは到着した場所を確認して絶句する。
「競馬、場……」
沙鳴が寄りたい場所というのは競馬場だった。
――俺の舎弟が競馬場で隣のお嬢ちゃんを見かけたって言っててな。
黒服の男の言葉が脳裏をよぎる。
「あれ、本当のことだったのね……」
もうここまで来てしまったら疑いようのない事実だった。
沙鳴は競馬場へ行って、馬券を買っていた。それでまた借金が膨れ上がって……
「――って、ううん!」
まだそうだと決まったわけじゃない、と、かなみはブンブンと振る。
競馬場に行っているのは本当だったとしても、まだ馬券を買って、借金が膨れ上がることまでは本当だとは限らない。
それだけはなんとしても止めなければならない。
せっかく、真面目に働いて借金を返し始めているのだ。ここで競馬で借金が増えたら元の木阿弥だ。
ううん、下手をすると前よりももっと悪くなって……
「どうしたんですか?」
「あ、沙鳴!?」
かなみが一人で考え事しているうちに異変に気づいて、沙鳴は顔を覗き込んでくる。
「さ、沙鳴が行きたい場所って、け、競馬場だったの!?」
本人に恐る恐る訊いてみる。
「そうですよ」
沙鳴はあっさり答える。
「………………」
その回答に、かなみは一時思考停止する。
「かなみ様?」
「競馬、馬券、借金……借金、増える、破滅、地獄……沙鳴ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」
「は、はひ!? なんですかあッ!?」
「競馬でいくら負けたの!? 借金はいくら増えたの!?」
かなみは沙鳴に縋りついて尋問する。
「え、えぇ、負けた? 借金増えた??」
沙鳴は困惑する。
「今ならまだ間に合うわ! 真面目に働いて借金を返すのよ! ギャンブルやって借金返そうとしたら倍増で増えるんだから!!」
かなみは沙鳴を必死に説得する。
「え、ちょっと何のことですか?」
「競馬場で馬券買って、負けて借金倍増!」
「馬券なら買ってませんよ」
「それで破産破滅! って、え……?」
「馬券なら買ってませんよ」
二回言われたことで、沙鳴が言いたいことをようやく理解する。
「かってない?」
「はい」
「つまり負けたってこと!?」
「そっちの意味じゃありませんってば! 馬券、購入していないって意味ですよ!!」
「購入していない?? 本当!?」
「本当です!」
「……ちょっと待て」
かなみは落ち着くために深呼吸する。
「沙鳴は競馬場に行っていたけど、馬券は買ってなかった。つまり、借金は増えていない」
「あ、はい、借金は増えていませんね」
「だったら、どうして競馬場に来たの?」
「ちょっと知り合いがいまして」
「知り合い?」
ただ涼美はそれよりも早起きしてて、朝食の支度をすませていた。
「今ちょうどぉできたところよぉ」
かなみが起きるのを見計らっていたかのようなタイミングだった。
とりあえず用意されたトーストとゆで卵を食べ終えると、涼美はもう出かけるところだった。
「かなみは今日お休みでしょぉ、ゆっくりしてねぇ」
そう言って、涼美は仕事に出かけた。
「いってらっしゃい」
かなみはそれを手を振って見送った。
シーン、と部屋は静まり返った。
涼美が言うように今日は休日。土日も出勤することになってる会社も今日は久々の休日。つまりまったく予定がなく一日のんびり過ごせる日だった。
「ゴロゴロ~♪」
などと擬音をたてて、布団に寝そべる。
とりあえず今日一日はゆっくりしよう。そう思って二度寝に興じようとした。
そんな時にふと昨晩の黒服の男の言葉を思い出す。
――俺の舎弟が競馬場で隣のお嬢ちゃんを見かけたって言っててな。
あの黒服の男が言っていたように、沙鳴がまた競馬をしているのか。
「まさか、まさかね……」
ありえない、と、かなみは思った。というより信じたかった。
沙鳴は二千万もの借金をしている。かなみに比べたら大したことないけど、それでも十六歳の女子が背負うには重すぎる金額だ。
そんな借金をまっとうな手段で返せるはずがない。
かなみと出会ったばかりの頃、沙鳴は競馬にのめりこんでいた。
一発当たれば借金を全額返せる。
そんな夢みたいな話に本気になって賭けていた。しかし、夢みたいな話は所詮夢でしか無く、借金は膨らむ一方だった。
その借金はあるみが立て替えておくことで、ひとまず沙鳴は身を売る羽目にならずに済んだ。
『真面目に働いて返すこと』
沙鳴に仕事を紹介したあるみはその条件を言い渡した。
以来、沙鳴は真面目に仕事をしている。かなみは沙鳴がどんな仕事についたか詳しいことは知らないけど、配達っぽいことをしているのを幾度か見かけている。
昨晩だって遅くまで働いていた。
そんな沙鳴が再び競馬というギャンブルに手を出すなんて考えられない。
――ギャンブルは依存症が強いんだ
その一言で沙鳴を信じる心にかげりが刺す。
「沙鳴……」
隣の部屋の方を見つめる。
信じていると言いつつ、信じきれていない自分が嫌な人間に思えてくる。
「あ~!!」
もどかしい想いを振り払うように、布団を払う。
一人で心配して悩んでても仕方がない。
こういうことは本人に訊くのが一番いい。そう、かなみは結論づけて部屋を出る。
「あ……!」
そこで、いきなり沙鳴と出くわした。
彼女も今部屋を出たところみたいだ。
「おはようございます!」
こちらの心配なんて知るよしもなく、沙鳴は屈託のない笑顔で挨拶してくる。
「お、おはよう……」
かなみは戸惑いつつも挨拶を返した。
「かなみ様、今からお仕事ですか?」
「あ、い、いえ、今日は休みだからちょっと散歩よ……」
「そうですか」
「沙鳴は仕事?」
「いえ、私も今日はお休みですよ」
「ふうん、奇遇ね……」
お互い休みは少ない身の上なので、心から出た言葉だった。
「なので、これからお出かけするのですが……そうだ、かなみ様もご一緒しませんか?」
「ご一緒って? どこへ行くの?」
まさか競馬場に? と、かなみは思ってしまった。
「うーん、特にここということはありませんが……昨日が給料日だったのでちょっと見て回ろうと思っていまして」
(『昨日が給料日だった』、お給料を競馬に……『ちょっと見て回ろう』、競馬場を見に行く……)
頭から沙鳴が競馬場へ行って馬券を買うことから離れなくなってしまっていた。
『……そんなことないわよ! 私が証明したっていいわ!!』
黒服の男はああ言ってしまった手前、沙鳴が競馬をしていないことを証明しなければならない。
「いいわね、ご一緒しましょう!」
かなみは無理矢理元気よく答える。
「そうですか! それでは、後ろに座ってください!」
沙鳴はその違和感に気づくこと無く、嬉しそうに言う。
「ええ」
かなみはバイクの後ろに座る。
すっかり定位置で座りなれた感じがする。
「さ、つきました!」
「ここは……?」
そうして、辿り着いた初めてくる場所だった。
「道の駅ですよ」
「道の駅?」
「この前通った時、ちょっと気になっていたので」
「道の駅ってきたことないからよくわからないけど……」
「とりあえず、入ってみましょう!」
「そ、そうね……」
沙鳴に言われるまま、かなみへついていく。
「さすがに、駅っていうからには賭け事はないわよね?」
小声でボソリと言う。
その道の駅では産地直送の野菜が売り出されていた。
「見るからに新鮮ですね!」
「そうね……買っていこうかしら?」
「買って、今日のおかずにしましょう! なんといっても給料が入りましたから!」
沙鳴はすごい勢いで野菜を買い物かごに入れていく。
プープープー
かなみの携帯が鳴る。
ディスプレイには、『翠華』の名前が出ている。
「なんでしょうか、翠華さん?」
『かなみさん!?』
翠華が凄い大きな名前を呼ぶ
「はい、そうですけど……どうしたんですか、翠華さん」
『ううん、なんでもないのよ!? ちょっと、かなみさんに頼みたいことがあって!』
「頼みたいこと?」
『い、今から、喫茶店に来てくれる? わ、私がごちそうするから!!』
ごちそうという言葉に心が揺れ動く。
何よりも翠華からの頼みだから聞いてあげたい気持ちになってくる。しかし、今は……
「今からですか? ……すみません、今は無理です」
『む、無理……』
「今ちょっと沙鳴と出かけてまして……」
『え、沙鳴さんと……?』
「すみません」
『そ、そうなの……気にしないで、それじゃ!』
翠華は慌てて電話を切った。
「怒らせてしまったのかしら?」
かなみは首を傾げる。
「……的外れ」
マニィが言う。
「マニィ、あんたついてきたの?」
「ボクはマスコットだからね」
「……気づかなかった」
さりげなく胸ポケットの中に入っていたようだ。
「ボクがついてきたらいけなかった?」
「そんなことないけど、沙鳴がいるときは大人しくね」
「いつもどおりで」『なんでしょうか、翠華さん?』
かなみからかかってくる。
「かなみさん!?」
『はい、そうですけど……どうしたんですか、翠華さん』
かなみが心配するような声が電話越しに聞こえてくる。
「ううん、なんでもないのよ!? ちょっと、かなみさんに頼みたいことがあって!」
『頼みたいこと?』
「い、今から、喫茶店に来てくれる? わ、私がごちそうするから!!」
翠華はみあに言われたように、かなみへ話を切り出す。
『今からですか? ……すみません、今は無理です』
「む、無理……」
翠華の顔の血の気が引く。
『今ちょっと沙鳴と出かけてまして……』
「え、沙鳴さんと……?」
翠華にしてみれば信じられない想いだった。
『すみません』
「そ、そうなの……気にしないで、それじゃ!」
翠華は昨晩と同様に逃げるような姿勢で、電話を切る。
「一体どうしたのかしら、翠華さん?」
「用事を断ったから怒っているんじゃない?」
「ええ? どうしよう、翠華さんが怒ってたら?」
「埋め合わせを考えたら?」
「翠華さんに何をしたら機嫌を直してくれるんだろう?」
かなみは頭を抱える。
「さあね。とにかく何かプレゼントしてあげたら?」
「そんないい加減な……でも、何かプレゼントね……ダイコンとか?」
「喜ぶと思うよ」
「テキトーなこと言わないでよ!」
「別にテキトーで言ったわけじゃないんだけど……」
「あー、自分で考えるからもういいわ!」
かなみは周囲を見回してくる。
ダイコン、レタス、ニンジン、ブロッコリー……野菜ばかりだった。
「これ、翠華さんにプレゼントできるの!?」
「いやだからって、できるんだよ」
「ああ、どうしよう!?」
マニィの進言に、かなみは聞く耳を持たなかった。
「どうかしましたか?」
沙鳴は訊いてくる。
「い、いえ……ちょっとプレゼントするなら何がいいかなって……」
「プレゼントですか……誰に贈るんですか?」
「えっと、翠華さん」
一瞬迷った後に答える。
「翠華さんですか……」
「ちょっと、怒らせちゃったかなと思って」
「そうでしたか……昨晩なんだか様子がおかしいと思っていましたが、ご機嫌ナナメでしたか」
「それで日頃のお礼も兼ねて何かプレゼントしようかと思って」
「わかりました! それではそれに相応しい場所に行きましょう! あ、その前にお会計を済ませてからでいいですか?」
沙鳴は野菜を入れた買い物かごを見せて確認する。
「いいけど、相応しい場所ってどこ?」
「それは言ってみてからのお楽しみです!」
「ウシシ、別の場所に移動するみたいだぜ」
バイクで移動しはじめた翠華とみあに向かってイシぃが言う。
「え、どこに?」
翠華が不安になって訊く。
「ウシシ、そこまではわからねえな。ただあんたに何かプレゼントをしようかって言ってたぜ」
「私にプレゼント!? どうしてかなみさんが私にプレゼントを!?」
「ウシシ、さあな」
ウシィははぐらかす。
「それで、二人はそのプレゼント選びに道の駅を出たってわけ?」
みあが訊く。
「ウシシ、そういうこった」
「そうなると、どこへ行ったか見当はつくけどね」
みあが言う。
「見当って?」
「それより本当にこのまま追いかけるの?」
「追いかけるわよ!」
「めっちゃ乗り気ね……」
みあは呆れて言う。
かなみと沙鳴が今どこにいるのかは、マニィとイシィ、ウシィ、マスコット同士による魔力の繋がりによってお互いの位置を把握しているからわかる。
こういうことは主人のあるみが管理しているのだけど、許可はもらっているということ。
「ハァハァ、俺達と御主人様(あるみ)は電話みたいにいつでも繋がっていて意志の疎通はできてるんだ」
イシィはそう説明した。
「ウシシ、というわけでマニィがお嬢達の居場所を教えてくれるってわけだ」
「そんなことしていいのかしら?」
翠華の良心が咎めた。
「ウシシ、知りたくないのなら別にいいけど」
「………………知りたい」
逡巡の後、翠華は正直に答えた。
そういうわけで、バイクにまたがって翠華はその場所へ向かっていた。
――一度自分に正直になった勢いは強い。
傍から見ていたみあはそう思った。
「お仕事ぉ~完了~」
涼美はそう言って、オフィスに入ってきた。
「だからって、なんでこっちに来るの?」
あるみはコーヒーカップを差し出して訊く。
「だって~、かなみはぁお出かけ中みたいだしぃ~」
「私はまだ仕事中なんだけど。まあコーヒーブレイクくらいは付き合うけど」
「そう言ってくれると思ったからぁ、来たのよぉ」
涼美は笑顔で言う。
「――それで旦那さんの件はどうなったの?」
「単刀直入ねぇ」
さすがの涼美も笑顔に苦味が混じる。
それをごまかすように、差し出されたコーヒーを口に含む。
旦那の件、つまり雲隠れしたかなみの父親のこと。オフィスに来たということは、あるみにもその件を話さなければならないからだ。
「見つけられなくなったわぁ、彼は雲隠れの名人だからぁ」
「だろうね。来葉の未来視に一回でも引っかかっただけでも奇跡みたいなものだったし」
「私ねぇ、またやっちゃったわねぇ」
涼美はため息を漏らすように言う。
父を病院送りにするほどの制裁を与えた。
それ自体はかなみも渋々ながら了承してくれたから罪悪感はない。――それでもよく半殺しに抑えられた方だけど。
問題なのはその後だ。
父は文字通り半死半生の身でありながら病院を抜け出して雲隠れしてしまったことだ。
これに涼美は激怒して追いかけた。かなみも放り出してだ。
我に返ったとき、涼美はそのことに後悔した。
「正直どの面下げて戻ってきたのよ、って思うけどね」
あるみは言う。
そう言われるのも覚悟しての出戻りだった。
ばつが悪いのは仕方ないにせよ、いっそのこと当たり前のように戻ったら文句はあるものの許してくれるだろう。
そんな魂胆をもって、涼美は普通にかなみの元へ戻ってきた。
そうしたら実際そのとおりになった。拍子抜けしたくらいだ。
「あるみちゃんは厳しいわねぇ」
「かなみちゃんが甘すぎるのよ」
「このコーヒーみたいねぇ」
涼美は笑顔でそう言って、またコーヒーを口に含む。
「それじゃ、――三下り半を突きつけるのは無理みたいね」
「そうねぇ」
涼美は今度は本当にため息をつく。
「かなみちゃんのためにはそれもいいかもしれないって思うけどね」
「そうねぇ、あの娘はあれでもぉ、あの人のことをぉ、嫌いになったわけじゃないみたいだからぁ」
「あなたの時みたいにね」
あるみは皮肉を言って、涼美は苦笑いする。
「そうねぇ」
「もう一度考えて直してみることはないの?」
あるみの問いかけに、涼美は首を傾げる。
「どうかしらねぇ? 一度かなみに相談してみようかしらねぇ」
「そう言っている時点で答えはもう見えてる気がするわ」
あるみは満足げにコーヒーを口に含む。
一方かなみと沙鳴はというと、ショッピングモールにやってきていた。
「ここなら何かいいプレゼントが見つかりますよ!」
「ええ、そうね」
かなみは同意する。
「でも、本当に良かったの? せっかくの休日なのに付き合って」
「いえいえ! 私も一緒に来てみたかったので楽しんでいますよ!」
「そう、それならいいんだけど」
「それより、これならどうでしょうか?」
そう言って、沙鳴は店頭のアクセサリーを指す。
「可愛い……でも、翠華さんに似合うかしらね?」
「大丈夫ですよ。きっと似合いますよ」
「うーん……」
かなみは頭の中で想像してみる。
果たして、このアクセサリーは翠華に似合うのだろうか。アクセサリーを身に付けた姿を思い浮かべる。
「ほ、他のも見てみましょうか」
「そうですね!」
かなみと沙鳴はショッピングモールを見て回った。
「かなみさんが私のために……! かなみさんが私のために……!」
翠華はブルブルと震えている。
みあは「あ、これメンドくさいやつだ……」とため息をつく。
「普通に買い物してるだけみたいね。もういいじゃない」
みあからすれば二人でどこへ出かけているのか気になった程度だから、もうそれがわかったから興味は失せたといったところだ。
「ううん、二人が何を買うのか追いかけましょう。私へのプレゼントだし!」
「そりゃ、あんたは自分事だから気になるでしょうね。だけどいいの?」
「いいって?」
「ここで何を買うのか知っておくのがよ。知っておくといざ受け取ったら……」
「受け取ったら?」
「あんまり驚かなくてつけていたことがバレるかもしれない」
「――!」
翠華は硬直する。
「こうしてつけていることがバレたら、かなみ怒るんじゃない?」
「ひ!?」
みあの意見に、翠華は悲鳴を上げる。
かなみから怒られる。そして嫌われる。
そんなことになったら、翠華にとっては世界の破滅に等しい。
それだけはなんとしても避けなければならない。
「――帰りましょう」
翠華はそう結論づけた。
時間にしては二、三分くらいだけど、みあには十分長く感じられた。
「やっぱりあのアクセサリーにしましょう」
一通り見回ってみて、かなみはそう結論づけた。
翠華にそのアクセサリーが似合うか、どうかが不安なところだけど。回っていくうちに他にピンとくるものが見つけられなかった。
そんなわけで結局最初に入ってきた場所に戻って、いざ値札を確認する。
「う……」
かなみは財布を取り出してみる。
「……足りない」
アクセサリーを買うには、お金が足りなかった。
元々そんなにお金を持って出てきたわけじゃない。
「うーん、家に帰ればお金はあるけど……」
「私の分もあれば足りますよ」
沙鳴は提案してくる。
「沙鳴から借りる……借りる……」
「すぐに返してくれれば問題ないかと思いますが」
一時的にとはいえ、お金を借りる。
それは借金を課すという行為。かなみにとっては禁忌の手段といっていい。
「うーん、うーん」
「そういう問題じゃありませんか」
沙鳴は察する。
「ごめん。やっぱり自分のお金で買うべきかな、って……それに沙鳴から借りるのも悪い気がして……」
「私なら気にしませんが」
「ううん、私が悪いのよ。お金を借りてすぐに買えばいいんだし……」
それが一番の正解な気がする。
とはいえ、心が誰かからお金を借りることを拒否してしまっている。
「ダメ! やっぱり借りられない!」
「それじゃどうしましょうか……お金取りに行きますか?」
「うーん、うーん」
かなみが悩むこと五分。
「沙鳴、ごめん!!」
アパートの部屋まで取りに戻ることにした。
沙鳴には申し訳ないことをした、と、かなみの表情は沈痛だった。
「そんなこと気にしないでください」
沙鳴は笑顔でそう言ってくれてありがたかった。
「たとえちょっとの間でも人がお金を借りるのは嫌というお気持ちはよくわかりますから」
「ありがとう、沙鳴。このお礼はいつかちゃんとするから」
「あ、気にしないでください! かなみ様からお礼はもうたっぷりいただいてるので!」
「私がお礼を? そんなことした覚えはないんだけど」
「正確に言うと……お母様から」
沙鳴は言いづらそうに答える。
「あぁ……」
かなみはそれで納得する。
涼美はしょっちゅう沙鳴を夕食に招いている。かなみとしても沙鳴とご飯が食べられるのは楽しいことなので恩を売っているつもりはなかった。
とはいえ、沙鳴がお礼した気持ちもわかってしまう。
(私もみあちゃんによくご飯食べさせてもらってるから……いつかちゃんとお礼をしなくちゃ)
自分にも身に覚えがあったからだ。
遠くの方でみあは人知れず派手に「ハクション」したのは、かなみの与り知らぬところだけど。
「ささ、行きましょうか!」
「うん」
こうして無事翠華へのプレゼントは購入できた。
「かなみさん、ちょっと寄りたいところがあるんですがよろしいでしょうか?」
ショッピングモールを出て、沙鳴がそう提案してくる。
「いいよ」
かなみとしてはお金を取りに行くためだけにわざわざアパートとショッピングモールを往復してくれたのだから、無下にするわけにはいかなかった。
「それでは!」
沙鳴はかなみを乗せてバイクを走らせた。
「………………」
かなみは到着した場所を確認して絶句する。
「競馬、場……」
沙鳴が寄りたい場所というのは競馬場だった。
――俺の舎弟が競馬場で隣のお嬢ちゃんを見かけたって言っててな。
黒服の男の言葉が脳裏をよぎる。
「あれ、本当のことだったのね……」
もうここまで来てしまったら疑いようのない事実だった。
沙鳴は競馬場へ行って、馬券を買っていた。それでまた借金が膨れ上がって……
「――って、ううん!」
まだそうだと決まったわけじゃない、と、かなみはブンブンと振る。
競馬場に行っているのは本当だったとしても、まだ馬券を買って、借金が膨れ上がることまでは本当だとは限らない。
それだけはなんとしても止めなければならない。
せっかく、真面目に働いて借金を返し始めているのだ。ここで競馬で借金が増えたら元の木阿弥だ。
ううん、下手をすると前よりももっと悪くなって……
「どうしたんですか?」
「あ、沙鳴!?」
かなみが一人で考え事しているうちに異変に気づいて、沙鳴は顔を覗き込んでくる。
「さ、沙鳴が行きたい場所って、け、競馬場だったの!?」
本人に恐る恐る訊いてみる。
「そうですよ」
沙鳴はあっさり答える。
「………………」
その回答に、かなみは一時思考停止する。
「かなみ様?」
「競馬、馬券、借金……借金、増える、破滅、地獄……沙鳴ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」
「は、はひ!? なんですかあッ!?」
「競馬でいくら負けたの!? 借金はいくら増えたの!?」
かなみは沙鳴に縋りついて尋問する。
「え、えぇ、負けた? 借金増えた??」
沙鳴は困惑する。
「今ならまだ間に合うわ! 真面目に働いて借金を返すのよ! ギャンブルやって借金返そうとしたら倍増で増えるんだから!!」
かなみは沙鳴を必死に説得する。
「え、ちょっと何のことですか?」
「競馬場で馬券買って、負けて借金倍増!」
「馬券なら買ってませんよ」
「それで破産破滅! って、え……?」
「馬券なら買ってませんよ」
二回言われたことで、沙鳴が言いたいことをようやく理解する。
「かってない?」
「はい」
「つまり負けたってこと!?」
「そっちの意味じゃありませんってば! 馬券、購入していないって意味ですよ!!」
「購入していない?? 本当!?」
「本当です!」
「……ちょっと待て」
かなみは落ち着くために深呼吸する。
「沙鳴は競馬場に行っていたけど、馬券は買ってなかった。つまり、借金は増えていない」
「あ、はい、借金は増えていませんね」
「だったら、どうして競馬場に来たの?」
「ちょっと知り合いがいまして」
「知り合い?」
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