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第46話 往路! 少女達はすれ違い、交わるもの (Aパート)
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真夜中の空き地。曲がりくねった道の先にあるため、人の気配や視線は全く無い。魔法少女が特訓するにはこの上無く都合がいい場所であった。
チリリン
その空き地に相応しくない涼よかな鈴の音が鳴り渡る。
バン!
その後に、これまた鈴の音の後に相応しくない銃声のような音が鳴る。
「……外れた」
それはカナミの魔法弾であった。
そして、鈴の音はスズミの魔法で作った鈴が鳴らしたものであった。
「ほらぁ、よく狙ってぇ」
スズミは鈴を放り投げる。
チリリン
鈴が音を鳴らす。
「そこ!」
カナミは鈴を目掛けて魔法弾を撃つ。
「惜しいぃ、外れぇ」
「やっぱり、目をつぶって的を当てるなんて無理よ!」
「敵はいつも見えるところからぁ、来てくれるとは限らないわよぉ」
スズミの言うことはもっともであった。
「だからって、目をつぶって鈴を当てろなんて無茶よ」
「ちゃんと集中すればわかるわよぉ、鈴の音なんてぇわかりやすいでしょ」
「でも……」
「ほらぁ、もう一つぅ」
スズミは鈴を放り投げる。
チリリン
「えいッ!」
また魔法弾を外してしまう。
「もっと耳を澄ますのよ。目を閉じることで頼りになるのはぁ、耳、鼻、あと肌の感覚かしらねぇ。もっと耳を頼りにするのぉ、そうすれば視えるからぁ」
「何言ってるのかわからない!」
「じゃあ、今私はどこにいるぅ」
「そ、それは……うしろッ!」
カナミは声がした方向から、スズミの位置を当てる。
「ピンポーン、正解」
カナミを目を開けて、後ろを向くとそこにスズミの姿があった。
「今の要領で鈴の位置と方向を当てるのよぉ」
「でも、鈴は母さんよりもずっと小さくて」
「ほらぁ、目を閉じて」
「う、うん……」
カナミはスズミに言われるまま、目を閉じる。
「感じるのよ、耳をすませれば、ちゃんと聞こえて視えるから」
「その耳で視るっていうのがよくわからないんだけど……」
「すぐわかるわよぉ、そぉれ!」
チリリリン
カナミは耳をすませる。
「鈴の位置は……ここッ!」
カナミは真上へ魔法弾を撃つ。
リリ……
鈴の音がかすかに聞こえる。
「惜しいぃ、かすったわねぇ」
「うーん、これでいいの?」
「いいの~、いいの~、世の中結果全てだからぁ」
「結果出せてないと思うんだけど」
「大暴投からデッドボールになったから一歩前進よぉ」
「悪くなってない、それ!?」
「あらぁ、カナミって野球知ってたの~?」
「う、うん、紫織ちゃんが野球、勉強してるからちょっとだけ憶えたの」
「そうなのねぇ、さあ、今日はこれぐらいしておきましょうぅ」
「はあ~」
カナミは変身を解く。
「急に特訓しましょうって言うからビックリしたけど……」
内容は、目を閉じてスズミが投げる鈴を撃て、というものだった。
目を閉じるというのはかなり難しくて、始めのうちは全然違う方向に撃っていたのだが、徐々に近づいていき、とうとうかすめるまでになった。
進歩しているのは確かなのだが、一度でも命中していないと今いち実感がわかない。
「全然ダメだった……」
「焦らないのぉ、特訓っていうのはぁ、一日でダメなら二日、二日でダメなら三日やればいいだけのものなんだからぁ」
「あははは、何日かかるんだろうね」
「大丈夫よぉ、かなみだったらぁ明日出来るようになってるわよぉ」
「えぇ、それはさすがにないわよ……」
かなみは苦笑する。
アポートに戻ってくると、窓から灯りがついているのが見える。
「あれ、社長も部長も今夜は帰らないって言ってたのに」
「まだ誰かいるのかしらぁ」
深夜に差し掛かったこの時間なら、翠華もみあも紫織もとっくに帰っただろうし、幽霊の千歳が電灯をつけるとは思えない。
そうなると考えられるのは……マスコットぐらいしか思いつかない。
「マスコットかしら?」
「そうねぇ、考えられるのはそれぐらいかしらぁ」
マスコット達は休みなく忙しなく働いている。
だから、電気ぐらいつけていてもおかしくない。そう思ってアパートの部屋に入っていった。早く新しいオフィスを見つけてきてくれないかと思いながら。
「ただいま」
これに答えるマスコットは基本いないのだが、一応挨拶ということで言ってみる。
「おかえりさない」
そこでまともに返事があったことに驚いた。
「翠華さん?」
そこにいたのは翠華であった。
「まだいたんですか? とっくに帰ったかと思いましたよ」
「うーん、ちょっと仕事が残っててね。すぐに帰るからお邪魔してごめんなさいね」
そこまで言われたら悪い気がしてきた。
翠華はそそくさと鞄を持って帰ろうとする。
「あ、待ってください! ゆっくりしていていいですよ! もうじき、母さんがご飯作るみたいですから!」
「いえいえ、お構いなく!」
そう言って、翠華はそそくさと出ていった。
「翠華さん…‥」
なんだか避けられているような気がした。
(そりゃ私が悪いかな)
かなみは反省する。
この前の強敵との戦いで、全力の神殺砲を放って知らなかったとはいえ翠華を巻き込んでしまった。そのせいで、大怪我をしてしまったのだから無理もないと思った。
あのあと、意識を取り戻して精一杯謝ったのだが、それでも避けられている気がする。
出来れば元の気兼ねなく相談できる先輩後輩の関係に戻りたいんだが……
(難しいかな……)
どうにも避けられているし、下手をしたら……
「あぁ、かなみ? 翠華ちゃんを送ってくわ―」
「え、母さん、どういうこと!?」
「じゃあ、いってくるねぇ」
「え、ちょッ!?」
かなみが止めようとすると間もなく、涼美は出ていく。
呆気にとられてしまって、追い掛ける気力もわかない。
「なんなのよ、もう!」
ようやく出た言葉は怒りのものであった。
ぐう~
そこへ腹の虫が鳴り出す。
「そ、そういえば、まだ晩御飯まだだった……」
かなみは冷蔵庫を物色しようとする。
ガサゴソ
不意に奥のふすまから物音がした。
「ね、ネズミ!?」
「誰がネズミよ!」
ふすまから、みあが飛び出てきた。
「みあちゃん、どうしたの!?」
「あんたがネズミっていうから!」
「だってそんな押入れにいるから……なんで押入れに?」
「入ってみたら気持ちよかった」
「ああ、それでお昼寝しっちゃったんだね。私もよくやるのよ」
「え? あんた、昼なんて馬車馬のごとく働いてるから寝る時間なんてないんじゃないの!?」
「ひどい!」
「まあ、どうだっていいわ」
みあはそう言って玄関の砲へ向かう。
「あ、帰っちゃうの?」
「当たり前でしょ、何時だと思ってるのよ?」
「うーん……」
みあの言うことはもっともだった。
もう夜は遅いし、幼いみあは早く帰らせるべきだ。しかし、さっき逃げるように帰っていった翠華がかなみの脳裏をよぎった。
「みあちゃんに相談したいことがあるんだけど」
「何、相談したいことって?」
みあは足を止める。
これは、聞いてあげるから言ってみなさい、っていう彼女なりのポーズであった。
「翠華さんのことなんだけど」
「パス」
みあはあっさりと踵を返す。
「えぇッ!?」
「あの女、面倒なのよね」
「みあちゃん、先輩相手にあの女っていうのはよくないわよ」
「あんた知らなかったっけ? あたしの方が先輩なのよ」
「えぇッ!?」
「この会社に最初に入ったのはあたし。だからあたしが一番の先輩」
みあはさも当然のように言う。社長令嬢のみあからしてみればこの中で一番の先輩というぐらい大したことではないのだろう。
「じゃあ、これからはみあちゃん先輩って呼んだ方がいいかも」
「うっとおしいわ!」
「じゃあ、今までどおりでいいわね」
「あんた、同じ先輩なのに翠華とあたしじゃ態度が全然違うわね」
「だって、翠華さんは先輩な上に年上だし、その、憧れてるし……」
かなみは恥ずかしげを出して言う。
「ふうん、あたしは年下だし、憧れてもいないってわけね」
みあは嫌味で返す。
「そんな、みあちゃんは……可愛いから!」
「はあ?」
みあは一気に不審な目で返す。
「あと、凄く頼りになる!」
「ついでのように言われても嬉しくないんだけど」
「コーヒー出すから!」
「もはや褒めることすら諦めたのね!」
「お願いだから、相談に乗ってよ!」
「はあ、仕方ないわね……」
みあはため息を一つついて部屋の中央にあるテーブルに居座る。
「砂糖とミルクたっぷり入れなさいよ」
「こうしてぇ、ゆっくりお喋りするのはぁ初めてねぇ」
「は、はい……!」
翠華は緊張でガチガチになった返事をする。
涼美は女性から見ても顔立ちが整っていて、凹凸が非常にとれた体型はグラビアも裸足で逃げ出すほどの美人であった。そうでなくても、彼女は想い人であるかなみの母親である。
もしも、機嫌を損ねてしまって、悪い印象を抱かれてしまったら、かなみとの付き合いどころではなくなる。
「みあちゃんとはぁ、この間話したからぁ、今度はぁ翠華ちゃんと話そうかと思ってぇ」
「は、はい……」
「翠華ちゃんはぁ、『はい』しか言わないのねぇ」
「え、いえいえ、そうじゃありません!」
「フフ、よかったぁ、話が通じなかったらどうしようかと思ったわぁ」
「……すみません」
「謝らなくていいわぁ、翠華ちゃんはいい子ねぇ」
「は、はぁ……」
「かなみからよく聞いているわ。翠華さんは物静かで落ち着いて頼りになる先輩だって」
「かなみさんがそんなことを……」
なんだか嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちであった。
「私も翠華ちゃんとお話したかったのよぉ」
「私とですか?」
「ええぇ、かなみととても仲良くしてくれてるみたいだからぁ」
「そんな、仲良くしてくれてるなんて……」
むしろ、こっちが仲良くしてもらっていると感謝しているのに。
「そのせいでぇ、かなみが私よりそっちの選んだしぃ」
「……え?」
翠華は恐縮する。
なんだか言葉から棘のようなものを感じてきだした。
「あ、あのそれって……?」
翠華は恐る恐る訊く。
「もちろん、空港でのことよぉ」
「………………」
翠華は絶句する。
あの時、翠華達はどうしてもかなみに残ってほしかった。だから、無我夢中で引き止めた。
結果、かなみは日本に残ることになった。
それはとても嬉しかったことだけど同時に涼美からしてみたら愛する娘を奪ってしまったのではないか。
「……そ、それは……」
翠華はなんとかしてありったけの勇気を掻き集めて言う。
「……ごめんなさい」
精一杯の気持ちを込めて謝った。
かなみがいてくれたおかげで幸せだった。でも、それは母親を不幸にしてしまうことだとわかって申し訳なかった。
「やだぁ」
涼美はそんな気持ちをあっさりと流す。
「……だってぇ、あなた達は私からかなみを奪った不届き者だしねぇ」
「………………」
今度こそ翠華は絶句した。というより泣きたくなった。
「ふ、不届き者だなんてそんな……」
そこまで憎まれているとは思わなかった。
もうおしまいだと思った。母にここまで憎まれているなら、娘のかなみとのお付き合いなんてもってのほかだ。
「うぅ……」
ああ、本当に涙が出てきた。
「あぁ、泣かないでぇ」
そう言って、涼美は抱きしめる。
「え……!?」
翠華は驚きの声を漏らす。
「泣かせるつもりはなかったのぉ、ただぁちょっと意地悪言ってみただけなのぉ」
「い、意地悪……?」
「えぇ、ごめんなさい。本当はぁ、あなたにとてもぉ感謝しているのよぉ」
「感謝、どうしてですか?」
「かなみが元気で頑張っていられたのはぁ、あなた達に支えられていたからよぉ」
「そ、そんな私達の方こそ……かなみさんに元気をもらって……」
「うんうん、それが仲間ねぇ、いいものよねぇ」
「それはそうと、苦しいです……」
そう言われて、涼美は翠華が息苦しそうに全身を震わせていることに気づく。
まあ、無理もない。あの巨大なモノに顔を挟まれているのだから。
「あぁ、ごめんなさい」
「いえ……」
解放された翠華は目眩に襲われる。
(あ、あれは凶器……かなみさんもいずれ……)
こうなるかと思うと卒倒しそうだ。
「なんだかぁ、良からぬこと考えてたぁ」
「いえいえいえいえいえ! そんなことありません!」
考えを見抜かれかけて、大慌てで頭を振って否定する。
「まあいいけどぉ、慣れてるしぃ」
「な、慣れてるって……」
なんだかこの人がだんだんとんでもない人に思えてくる。
「ふふぅ、翠華ちゃんって思ってた以上に真面目ねぇ」
「ま、真面目ですか」
「うんうん、自覚がないところがねぇ」
「そうですか。あんまり考えたことがなくて」
「そういうところぉ、かなみは結構頼りにしてるわよぉ」
「え、えぇ、そうなんですか!?」
「えぇ、だから私も翠華ちゃんのこと好きよぉ」
「――ッ!?」
心臓が跳ね上がりそうなほどの衝撃が翠華を襲った。
――私も翠華ちゃんのこと好きよぉ
そんなことを不意打ちのように言われた。それは銃弾で撃ち抜かれたに等しいものであった。
「あらぁ、どうしたのかしらぁ?」
「い、いえ、いえいえ……なんでもないです……」
翠華は必死に平静を取り繕おうとする。
しかし、頭を抱えたり、よろめいたり、壁を支えに持ち直したり、傍からみたら完全に異常状態であった。
「そうぅ、なんでもないのねぇ」
しかし、涼美はあえてなんでもないことにした。
「かなみもぉ、たまにそんなこと言うのよぉ」
「そうなんですか……」
「かなみのことぉ、知りたい?」
「……知りたいです」
翠華は思わず率直に答えた。
「ふふ、素直ねぇ。それじゃゆっくり話しましょう」
そう言って、翠華は涼美に言われるまま、近くの喫茶店に入れられる。
この人、おっとりしていて物腰柔らかそうに意外と強引だと翠華は感じた。
「私、翠華さんに嫌われてるかも」
「ぶぶぅッ!?」
唐突に言ってきたかなみの一言に、みあは砂糖とミルクをたっぷりかけたコーヒーを吹きかけた。
「みあちゃん、どうしたの!?」
「あ、あんたが馬鹿言うからよ!」
「えぇ、何が馬鹿なの!?」
「だって、それは……ああ、もうッ!」
説明するのが面倒になったので癇癪を起こす。
「どうしたの?」
かなみは心配そうに訊いてくる。
「あんた……」
気づいてないわけ? と言おうとしたが、止めた。
どうせ気づいていないのだから訊くだけ無駄だと、みあは思った。
「な、何どうしたの?」
やっぱりまったく気づいていないと、みあはため息をつく。
「あんたって最悪に鈍いわね、鈍感女」
「えぇ!? そこまで言う!?」
「そこまで言いたいから言うのよ!」
「なんで!?」
「ああもうッ!」
またみあは癇癪を起こす。
かなみからしてみればなんでそんなにイライラしているのか訳が分からない。
(いちいち、説明してあげるのもメンドーだし、第一なんであたしがそんなことしてあげないといけないのよ)
心の中で文句を言えば言うほど苛立ちが募る。
(あ、そうだ――!)
みあは閃く。
むしろ、この状況を引っ掻き回してやれば面白くなるのでは、と。
「……みあちゃん?」
そうと決まってからみあの悪戯心に火がつき、顔がニヤリとした笑みに変わる。
「ねえ、翠華が本当にかなみが嫌ってると思うわけ?」
「え、えぇ、そうじゃないの? あんまり思いたくないけど……」
不安げに言うかなみに対してみあはやっぱり鈍いと思う。
翠華がかなみを嫌うなんて金輪際ありえない、とみあは確信している。
その証拠にかなみが日本を離れようとした時、空港まで駆けつけて必死に引き留めようとした。しかも、クソ恥ずかしい台詞付きで。
あんなこと、嫌っている人間相手には絶対にしない。
だから、みあは確信できるのだ。ゆえに、ちょっと引っ掻き回したくなる。
「じゃあ、試してみない?」
「試すって何を?」
「あんたが翠華に『あなたのこと、嫌いです』って言ってやるのよ」
「えぇッ!?」
「そうすれば、嫌ってるかわかるでしょ?」
「私、翠華さんのこと嫌いじゃないのに」
「だから試すのよ」
「翠華さんを試すようなこと、できないわ!」
かなみは強く言い返す。
「でも、翠華があんたのこと嫌ってるのか知りたいんでしょ?」
「そ、それは……」
かなみは弱る。そんな試すようなことをして、本当に嫌われてしまったら取り返しがつかない。
しかし、みあには確信があるから安心して提案できる。
「やってみなさいよ。そうすれば、嫌ってるかどうかわかるわよ」
「そ、そうかな……?」
かなみは困ったように首を傾げる。
「明日やってみなさいよ。それじゃ、あたしはこれで」
「えぇッ!? みあちゃん、帰っちゃうの!?」
「当たり前でしょ、もう夜遅いし」
「だったら、泊まっていっても」
「はあ? 馬鹿言わないで、なんだってこんな部屋で寝泊まりしなくちゃいけないのよ!? 第一布団がないじゃない!?」
「う、うん……それだったら、私と一緒の布団に……」
「――帰る」
みあは即座にかぶりを振って帰ろうとする。
「えぇ、なんで!?」
「あんたと一緒に布団なんてごめんよ!」
「えぇ、いつも一緒のベッドで寝てるじゃない!?」
みあの部屋に泊まらせてもらっている時はいつもみあのベッドで一緒に寝ている。なのに何故、一緒の布団だとダメなのだろうか。
「ベッドはベッド、布団は布団!」
「意味がわからない!」
「とにかく、嫌なの! 帰るわよ!」
「待って、みあちゃん!」
かなみは止めるが、みあは気にせず、玄関から一気に出ていく。
「せめて送らせてくれてもいいのに」
かなみはぼやいた。
その後、しばらくして涼美が帰ってくる。
「送っていくだけなのに随分遅かったわね」
とかなみが言ったら、「翠華ちゃんとぉゆっくりお話していたのぉ」とゆっくりした口調で答えるものだから本当にゆっくり話していたことがわかる。
話した内容までは聞かなかった。そこまで問い詰める気が起きなかったからだ。
そのあと、二人でカップ麺を食べる。冷蔵庫に何も買っていなくて非常食に手を付ける必要があったからだ。
「なんで買い物していなかったのよ?」
「ごめんなさい」
などと他愛のないやり取りをして食べる。
一応、麺はそれなりにボリュームがあったし、スープもちゃんと飲んで身体は温まったから満足は出来た。
お腹が膨れたところで、交代でシャワーを浴びて、布団を敷いて寝た。
「おやすみ」
「おやすみなさぁい」
そんな就寝前の挨拶をごく自然に出来る。
なんだかあったかい気持ちにさせてもらえた。
「かなみぃ、起きてぇ」
涼美に起こされる。
「うぅ~ん、もうちょっとだけぇ」
かなみはつい涼美の口調をマネて答える。
「そうそう、朝は長いんだから」
「あるみもぉ、朝ごはんの準備はできるからぁ」
「って、ちょっ、社長ッ!?」
かなみは飛び起きる。その勢いで布団を飛ばすとあるみが寝ていることに気づく。
「いつの間に、社長が!? って、どうして私の布団で寝てるんですか!?」
「いやあ、かなみちゃんのベッドが温かくて」
悪びれもせず上機嫌で答えるあるみ。
しかも、その服装は下着にボタンを外したワイシャツを羽織っただけのもので、しかも寝起きのせいではだけているから目のやり場に困る。
「ちゃんと服着てくださいッ!」
「あははは、ちょっと着替えるのが面倒だったから。すぐ着替えるわよ!」
そう言ってあるみは立ち上がって、壁にかけてあるスーツを手に取る。
「すぐ出かけなきゃならないからね」
「朝ごはんはぁちゃんと食べてねぇ」
「うん、食べる食べる! 腹が減っては仕事はできぬ!」
あるみは上機嫌で、涼美が用意したトーストを食べる。
「………………」
かなみは寝起きからそんなあるみの元気に呆気にとられる。
「かなみぃ、あなたも早く食べないとぉ、あるみちゃんが全部食べちゃうわよぉ」
「うわあッ!? それは困りますッ!」
かなみは飛び上がって、トーストをパクつく。そして、牛乳を口に入れる。
「よく噛まないとぉ、つっかえるわよぉ」
涼美は注意しながら、ゆったりと食べる。
「それじゃ、行ってくるわね!」
皿に積み上げられたトーストを全部食べ終えて、あるみは飛び出す。
「まるで嵐みたいな人よね」
「っていうよりぃ、核ミサイル?」
「どっちにしろやばいってことよね」
しかし、そう言われて一切違和感を憶えないのがあるみの人徳なのかもしれないとかなみは思った。
「私も行ってくるね」
「いってらぁっしゃぁーい」
トーストを食べ終えたかなみはアパートの部屋を出る。涼美は笑顔で見送ってくれる。
学校はいつも通り授業を受けた。数学や社会みたいな眠くなる授業はきっちり眠ったが。
放課後、これまたいつも通りにすぐ学校を出る。
行き先はアパートの自分の部屋だが、同時に職場でもある。
「ただいま」
「おかえりぃ」
涼美が優しく迎えてくれる。
そして、狭い部屋なのでもう既に誰が来ているのかすぐわかった。
「翠華さん……おはようございます」
かなみは奥に座っていた翠華に挨拶した。
「……おはよう」
翠華は緊張した面持ちで答える。
そんな翠華の反応のせいで、かなみは余計に強張る。
(やっぱり、翠華さんに嫌われているのかな……?)
嫌われても仕方が無いことをしてしまったのだが、実際本当に嫌われているとなると辛い。
「………………」
「………………」
無言で視線を交わすが、すぐにそらす。
気にしつつも、声をかけられないこの状況は辛い。
『じゃあ、試してみない?
あんたが翠華に『あなたのこと、嫌いです』って言ってやるのよ』
昨日のみあの言葉を思い出す。
(……そんなバカなこと、出来るわけないじゃない。――でも)
それで本当に嫌われているかどうかわかるなら、少しだけやってみる価値があるかもしれない。
「いやいやいや!」
かなみは思わず頭を振る。
「……え、え?」
それが思わぬところにまで影響を及ぼした。
「……あ」
翠華が呆気にとられていることに気づく。
余計に気まずいことになったと、かなみは直感した。
「……あの、かなみさん?」
翠華は恐る恐る声をかけてきた。
「は、はい……」
かなみはそれに対して縮こまった返事をする。
「どうしたの?」
「………………」
かなみは返答に困った。
変なことを考えていたから、なんて言えるはずがない。
「かなみさん」
「う、ううん、なんでもないです!」
慌ててそう返答するだけで精一杯だった。
「そう……」
翠華はそれだけ言って視線をそらす。
「………………」
なんだか、申し訳なくなってしまう。
やっぱり試してでも知っておきたい。と、かなみの心に魔が差し込んでくる。
(み、みあちゃんが余計なこと言うから……!)
責任はみあに押し付ける。
「あ、あの! 翠華さん!?」
「え、何?」
翠華は慌てて応対する。
「あの、一つ訊きたいことがあるんですが」
かなみは恐る恐る歩み寄る。
「何……?」
翠華の方も強張った表情で受け答えするものだから、かなみはますます緊張する。
(ああ、やっぱりダメ……)
しかし、ここまで話を持ちかけた手前、あとに引くこともできない。
「翠華さんのこと、わたし、嫌いです」
「…‥え?」
翠華はこの世の終わりのような顔をしている。
(――しまったッ!?)
かなみは緊張のあまり、自分がとんでもない失言をしてしまったことに気づく。
(『翠華さん、私のこと、きらいですか?』じゃなくて『翠華さんのこと、私、きらいです』って!?)
そんな心にもないことを。すぐに謝って訂正しなければ!
「あ、あの……翠華さん?」
「………………」
かなみが声をかけると翠華は呆然としていた。
かなみに何を言われたのか、理解できない。というより、理解したくないといった面持ちでかなみから避けようとする。
「翠華さん……あの、今のは、ですね……」
「――!」
翠華はそれ以上、聞いていられず飛び出す。
「翠華さん!」
かなみは止めようとしたが、その全てを翠華は拒否する。
ドタン! と思わず耳を塞ぎたくなるようなドアの音と共に翠華が出て行く。
「あ、あぁ……!」
頭を抱える。
どうしてこうなってしまったのか。
ただ、ちょっと魔が差してしまっただけだというのに。少しだけ、やってみようかと気まぐれてしまっただけだというのに。
よりにもよって、なんて言い間違いを犯すなんて。
「ど、どうしよう……?」
「フフゥ」
途方に暮れるかなみを小馬鹿にするような笑い声だった。
「母さん……」
かなみは恨めしげに呼ぶ。
「……全部、聞いていたわね」
「さあぁ、どうだかしらぁ」
白々しいと、かなみは思った。
こんな狭い部屋だ。ちょっとした会話も隅まで通ってしまう。ましてや涼美は魔法によって常人離れした聴力を持っている。しっかり聞こえていないはずがない。
「でもぉ、さすがにぃ今のはぁ、翠華ちゃんにはぁきつすぎたわねェ」
「くぅ、それは……! って、やっぱり聞こえたんじゃない!」
「私がぁ、こんな狭い部屋の声を聞き逃さないとぉ、思ったぁ?」
「開き直らないでッ!」
この母には困ったものだ。
「まあ、こんな面白いことになるなんてぇ、思わなかっからぁ……さすがにぃ、フォローはしてくるわぁ」
「え……?」
「私なら翠華ちゃんがどっち行ったか、ちゃんと追えるからぁ」
「そんなことできるの?」
「翠華ちゃんの足音や心音はぁ、聞き分ければ簡単に追えるわよぉ」
なんて無駄に凄い聴力なのだろうか、かなみは呆れた。
「じゃ、じゃあ、早く翠華ちゃんを追いかけないと!」
「ああ、追うなら私一人でぇ、かなみはお留守番ねぇ」
「どうしてッ!?」
「今、かなみが追いかけてもぉ、逃げられるか混乱させるだけだからぁ」
「うぅ……」
確かにそのとおりかもしれない。かといって、涼美に任せるのもなんだか心許ない。
「ここはぁ、母さんに任せてぇ」
そう言って、涼美は部屋を出て行く。
「なんかあったの?」
入れ違いでみあが入ってきて、かなみに訊いてくる。
「あ、みあちゃん?」
「あんた、母さん走っていったけど」
「母さんが?」
かなみにはちょっと信じられなかった。いつものほほんと歩いているような印象しかないからだ。それはみあも同じなようで、何かあったのか察して訊いてきたみたいだ。
「う、うん、実はね……」
かなみは何があったのか、一部始終話した。
みあは呆気にとられた後、思いっきり笑いだした。
――翠華さんのこと、わたし、嫌いです。
何を言われたのか、理解できなかった。いや、したくなかった。
でも、聞きたくなかった。聞こえなかった。と思う度に頭の中で反芻する。
「なんで、なんで!」
嫌われるようなことをした憶えはある。
ここ最近、かなみを避けられているように感じていた。それは、かなみに負い目があったからだということを翠華は知らなかった。
別に、攻撃で巻き込んでしまったことを恨んではいなかったのだ。
翠華の方からしてみれば足手まといになってしまった不甲斐なさから逆に声をかけづらかった。
そのせいで、最近ギスギスしてしまって余計に会話がしづらかった。今日、とうとう勇気を出して声をかけてみようとしたのだが、まさかこんな結果になってしまうなんて。
というより、嫌われているのなら遅かれ早かれこうなってしまうのだ。
「う、うぅ……」
「ああ、泣かないでぇ」
「――ッ!?」
翠華は驚きのあまり、跳ね上がる。
「涼美さん!?」
背後に涼美が何食わぬ顔で立っていた。
「どうして……!?」
無我夢中で走ってきたから、簡単に追いかけられるとは思えない。なのに、すぐ背後にまで迫っていた。
「フフゥ、翠華ちゃんを驚かせようと思ってぇ」
だからって心臓に悪すぎる。
あるみといい、魔法少女がこの歳になると人の心臓に悪影響を与えるのが趣味になるのだろうか。
「凄く驚きました」
「そう、よかったぁ」
「……よくありませんよ」
翠華はため息をつく。
昨晩、喫茶店で話し込んだおかげで少しだけ打ち解けた。それでこんな風に話せるようになったが、主導権は常に涼美の方にあるのは相変わらずであった。
「それはそうとぉ、ごめんなさいねぇ。かなみが失礼なこと言っちゃってぇ」
「……え?」
まさか母親から謝られるとは思わなかったので、翠華は面食らった。
「ど、どうしてお母さんが謝るんですか!?」
「だってぇ、娘の不始末は母の不始末でもあるんだからぁ」
「不始末だなんて、そんな……かなみさんはただ正直に言っただけで……」
「ふふぅ、翠華ちゃんはいいこねぇ」
「ぎゃッ!?」
涼美は翠華を思いっきり抱きしめる。
思わず悲鳴を上げるが、涼美は気にせず抱きしめ続ける。
「娘に欲しいわぁ」
「……く、苦しい……!」
「言ったでしょぉ、私、翠華ちゃんのこと好きだからぁ」
「好きなのはうれしいですが、苦しい……」
「ああ、苦しいのねぇ」
涼美は気づいて、ようやく翠華を離す。
危うく涼美に押し潰されるところだった。
(こ、殺されるところだったわ……)
かなみもいつかあれで窒息死させられるんじゃないのだろうか、とも思った。
しかし、ここまで来てかなみの心配するのは、最早性分なのだと自分自身で呆れる。
「でも、大好きだって気持ちを伝えるのはぁ、これがいいと思ってぇ」
「それは間違っていないと思いますが」
しかし、自分には出来ないと思った。
「だったらぁ、翠華ちゃんもやってみたらぁ」
「私が? かなみさんに!?」
翠華は直感で無理だと心のなかで叫んだ。
「かなみにやれとは言ってないけどぉ……」
「あ……」
翠華はそこで気づく。
涼美は何も誰にやれとは言っていない。会話の流れと思い込みから、かなみにやれと言ってるのだと思っただけなのだ。
早とちりをしてしまったと翠華は赤面する。
「でも、翠華ちゃんにはかなみにやってほしいわね」
「え、えぇッ!?」
「やってみたらぁ?」
「無理です! 無理です! ムリムリムリムリムリッ!」
翠華は思いっきりブンブンと振り回す。
「そう、案外かなみも喜ぶわよぉ」
「でも、私、かなみさんに嫌われているし……」
「それはありえないわねぇ」
涼美は断言する。
「……え?」
「だってぇ、かなみがぁ突然誰かを嫌いになるなんてことはぁ、ありえないわぁ」
「そうなんですか?」
「それはぁ、あなたの方がよく知ってるでしょぉ」
「……わかりません。知りたいとは思いますが」
「そうねぇ、それが大事よぉ」
ウフフ、と、涼美は笑う。
「じゃあ、知るためにぃ頑張らないとねぇ」
「そ、それとこれとは別ですよ!」
「おんなじよぉ」
そうなのかしら? 本当に果たしてそうなのかしら?
翠華はだんだん涼美のペースに乗せられているような気がする。
「だってぇ、母娘でもわからないことはあるものぉ、お互いを知る努力は怠っちゃいけないわぁ」
「……涼美さんでもわからないことがあるんですか?」
「わからないことだらけよぉ」
ウフフ、と、また笑う。
とてもそうは思えない。この笑みは娘のことはなんでもお見通しだという母の愛に満ちたものに思えてならないからだ。
「私ねぇ、かなみに会う時のが凄く怖かったのぉ」
「怖かった?」
「ずっとぉ、放っておいてぇ、おまけに借金まで押し付けちゃったからぁ、凄く恨まれてると思ったのぉ」
それは当たり前だと翠華は密かに思った。
何しろ、自分がかなみの両親を憎んだことがあるからだ。
かなみに借金を負わせて、かなみを見捨てて、かなみに働かせて……それもこれも全て両親のせいだから許せない、と。何度も思った。
「正直殺されてもぉ仕方ないと思ってたのよぉ」
涼美はため息混じりに言う。
「そ、そんな殺すだなんて……かなみさんはそんなことしませんよ……」
「そのくらいぃ、憎まれてるとぉ思ったのよぉ。今にして思うとぉバカなことだけどねぇ」
かつての自分がバカだったとでも言わんかのように笑う。
「でもぉ、あるみが一言言ってくれたおかげでぇ、会う決心がついたのよぉ」
「それはなんですか?」
「――かなみは私に一言も恨み言を言わなかった」
その返事を聞いて、翠華は唖然とした。
「私のこと、嫌いか? って聞いたら『わかりません』って答えたそうよぉ」
「……凄いですね、かなみさんは」
翠華は素直にそう思った。
もし、かなみと同じ立場になったとしたら、間違いなく挫けていただろうし、こんな地獄に突き落とした両親を恨んだに違いない。にも関わらず、当のかなみはそんなことを一切せず、両親を憎んではいなくて嫌ってすらいなかった。
とてもじゃないが真似はできない。
「だからぁ、私も会う決心がついたのぉ。さすがに恨み言はいくらでもきく覚悟はしたけどねぇ。その必要はなかったみたいだけどぉ」
涼美は苦笑する。
話を聞けば聞くほど、かなみの凄さを思い知らされる。
「凄いですね、私にはとてもできませんよ」
「そうねぇ、私にだって無理よぉ、だからこそ思わない?」
「え、何がですか?」
「そんなかなみがあなたのことをわけもなく嫌いになると思う?」
「あ……」
そんな話を聞かされると、ならないとはっきり言える気がする。
地獄に突き落とした両親を憎まなかった上に嫌わなかった。かなみが仕事の仲間で嫌われるようなことをした記憶が特にない自分のことを嫌うなんてとても思えない。
「思えないでしょ?」
「………………」
翠華ははっきり答えられなかった。
――翠華さんのこと、わたし、嫌いです
かなみからはっきりそう言われた。
いくら、かなみが誰かを嫌うことなんてありえないって涼美から言われても、はっきりそう言われてしまったのだ。そのせいで、かなみが翠華を嫌っていないと母親から太鼓判を押されても信じきれずにいた。
「かなみも本当に罪作りねぇ」
「……え?」
「うっかりとはいえぇ、とんでもないことぉ言っちゃったんだものぉ」
「うっかりであんなこと言うものなんですか?」
「普通は言わないわねぇ、だからぁ、今めちゃくちゃ後悔していると思うわよぉ」
「はあ……」
そう言われても、翠華は腑に落ちなかった。
「だからぁ、ちゃんとかなみと話してあげてぇ」
「そ、それは……」
「ね、お願い」
むしろ、こっちからお願いしたいぐらいのお願いだった。
「でも、向こうは……」
「顔もみたくないとかぁ、言われてないでしょ」
そこまで言われてさすがに寝込む。というか今でさえ両の足でちゃんと立っていることが不思議なくらい頭がクラクラしている。
「それはそうですけどぉ」
「大丈夫、かなみが嫌がったらぁ、ごはん抜きにするからぁ」
「それはかわいそうです!」
「フフゥ、翠華ちゃんは優しいのねぇ、嫌われてるかもしれない相手を気遣うなんてぇ」
「そ、それは、当たり前のことだと……思うんで……」
「それを当たり前と言えるのが優しさなのよぉ、まあ、母さんに任せてぇ」
「任せるってどういう意味ですか?」
「任せては任せてぇよ」
どういう意味なのか全然わからなかった。
チリリン
その空き地に相応しくない涼よかな鈴の音が鳴り渡る。
バン!
その後に、これまた鈴の音の後に相応しくない銃声のような音が鳴る。
「……外れた」
それはカナミの魔法弾であった。
そして、鈴の音はスズミの魔法で作った鈴が鳴らしたものであった。
「ほらぁ、よく狙ってぇ」
スズミは鈴を放り投げる。
チリリン
鈴が音を鳴らす。
「そこ!」
カナミは鈴を目掛けて魔法弾を撃つ。
「惜しいぃ、外れぇ」
「やっぱり、目をつぶって的を当てるなんて無理よ!」
「敵はいつも見えるところからぁ、来てくれるとは限らないわよぉ」
スズミの言うことはもっともであった。
「だからって、目をつぶって鈴を当てろなんて無茶よ」
「ちゃんと集中すればわかるわよぉ、鈴の音なんてぇわかりやすいでしょ」
「でも……」
「ほらぁ、もう一つぅ」
スズミは鈴を放り投げる。
チリリン
「えいッ!」
また魔法弾を外してしまう。
「もっと耳を澄ますのよ。目を閉じることで頼りになるのはぁ、耳、鼻、あと肌の感覚かしらねぇ。もっと耳を頼りにするのぉ、そうすれば視えるからぁ」
「何言ってるのかわからない!」
「じゃあ、今私はどこにいるぅ」
「そ、それは……うしろッ!」
カナミは声がした方向から、スズミの位置を当てる。
「ピンポーン、正解」
カナミを目を開けて、後ろを向くとそこにスズミの姿があった。
「今の要領で鈴の位置と方向を当てるのよぉ」
「でも、鈴は母さんよりもずっと小さくて」
「ほらぁ、目を閉じて」
「う、うん……」
カナミはスズミに言われるまま、目を閉じる。
「感じるのよ、耳をすませれば、ちゃんと聞こえて視えるから」
「その耳で視るっていうのがよくわからないんだけど……」
「すぐわかるわよぉ、そぉれ!」
チリリリン
カナミは耳をすませる。
「鈴の位置は……ここッ!」
カナミは真上へ魔法弾を撃つ。
リリ……
鈴の音がかすかに聞こえる。
「惜しいぃ、かすったわねぇ」
「うーん、これでいいの?」
「いいの~、いいの~、世の中結果全てだからぁ」
「結果出せてないと思うんだけど」
「大暴投からデッドボールになったから一歩前進よぉ」
「悪くなってない、それ!?」
「あらぁ、カナミって野球知ってたの~?」
「う、うん、紫織ちゃんが野球、勉強してるからちょっとだけ憶えたの」
「そうなのねぇ、さあ、今日はこれぐらいしておきましょうぅ」
「はあ~」
カナミは変身を解く。
「急に特訓しましょうって言うからビックリしたけど……」
内容は、目を閉じてスズミが投げる鈴を撃て、というものだった。
目を閉じるというのはかなり難しくて、始めのうちは全然違う方向に撃っていたのだが、徐々に近づいていき、とうとうかすめるまでになった。
進歩しているのは確かなのだが、一度でも命中していないと今いち実感がわかない。
「全然ダメだった……」
「焦らないのぉ、特訓っていうのはぁ、一日でダメなら二日、二日でダメなら三日やればいいだけのものなんだからぁ」
「あははは、何日かかるんだろうね」
「大丈夫よぉ、かなみだったらぁ明日出来るようになってるわよぉ」
「えぇ、それはさすがにないわよ……」
かなみは苦笑する。
アポートに戻ってくると、窓から灯りがついているのが見える。
「あれ、社長も部長も今夜は帰らないって言ってたのに」
「まだ誰かいるのかしらぁ」
深夜に差し掛かったこの時間なら、翠華もみあも紫織もとっくに帰っただろうし、幽霊の千歳が電灯をつけるとは思えない。
そうなると考えられるのは……マスコットぐらいしか思いつかない。
「マスコットかしら?」
「そうねぇ、考えられるのはそれぐらいかしらぁ」
マスコット達は休みなく忙しなく働いている。
だから、電気ぐらいつけていてもおかしくない。そう思ってアパートの部屋に入っていった。早く新しいオフィスを見つけてきてくれないかと思いながら。
「ただいま」
これに答えるマスコットは基本いないのだが、一応挨拶ということで言ってみる。
「おかえりさない」
そこでまともに返事があったことに驚いた。
「翠華さん?」
そこにいたのは翠華であった。
「まだいたんですか? とっくに帰ったかと思いましたよ」
「うーん、ちょっと仕事が残っててね。すぐに帰るからお邪魔してごめんなさいね」
そこまで言われたら悪い気がしてきた。
翠華はそそくさと鞄を持って帰ろうとする。
「あ、待ってください! ゆっくりしていていいですよ! もうじき、母さんがご飯作るみたいですから!」
「いえいえ、お構いなく!」
そう言って、翠華はそそくさと出ていった。
「翠華さん…‥」
なんだか避けられているような気がした。
(そりゃ私が悪いかな)
かなみは反省する。
この前の強敵との戦いで、全力の神殺砲を放って知らなかったとはいえ翠華を巻き込んでしまった。そのせいで、大怪我をしてしまったのだから無理もないと思った。
あのあと、意識を取り戻して精一杯謝ったのだが、それでも避けられている気がする。
出来れば元の気兼ねなく相談できる先輩後輩の関係に戻りたいんだが……
(難しいかな……)
どうにも避けられているし、下手をしたら……
「あぁ、かなみ? 翠華ちゃんを送ってくわ―」
「え、母さん、どういうこと!?」
「じゃあ、いってくるねぇ」
「え、ちょッ!?」
かなみが止めようとすると間もなく、涼美は出ていく。
呆気にとられてしまって、追い掛ける気力もわかない。
「なんなのよ、もう!」
ようやく出た言葉は怒りのものであった。
ぐう~
そこへ腹の虫が鳴り出す。
「そ、そういえば、まだ晩御飯まだだった……」
かなみは冷蔵庫を物色しようとする。
ガサゴソ
不意に奥のふすまから物音がした。
「ね、ネズミ!?」
「誰がネズミよ!」
ふすまから、みあが飛び出てきた。
「みあちゃん、どうしたの!?」
「あんたがネズミっていうから!」
「だってそんな押入れにいるから……なんで押入れに?」
「入ってみたら気持ちよかった」
「ああ、それでお昼寝しっちゃったんだね。私もよくやるのよ」
「え? あんた、昼なんて馬車馬のごとく働いてるから寝る時間なんてないんじゃないの!?」
「ひどい!」
「まあ、どうだっていいわ」
みあはそう言って玄関の砲へ向かう。
「あ、帰っちゃうの?」
「当たり前でしょ、何時だと思ってるのよ?」
「うーん……」
みあの言うことはもっともだった。
もう夜は遅いし、幼いみあは早く帰らせるべきだ。しかし、さっき逃げるように帰っていった翠華がかなみの脳裏をよぎった。
「みあちゃんに相談したいことがあるんだけど」
「何、相談したいことって?」
みあは足を止める。
これは、聞いてあげるから言ってみなさい、っていう彼女なりのポーズであった。
「翠華さんのことなんだけど」
「パス」
みあはあっさりと踵を返す。
「えぇッ!?」
「あの女、面倒なのよね」
「みあちゃん、先輩相手にあの女っていうのはよくないわよ」
「あんた知らなかったっけ? あたしの方が先輩なのよ」
「えぇッ!?」
「この会社に最初に入ったのはあたし。だからあたしが一番の先輩」
みあはさも当然のように言う。社長令嬢のみあからしてみればこの中で一番の先輩というぐらい大したことではないのだろう。
「じゃあ、これからはみあちゃん先輩って呼んだ方がいいかも」
「うっとおしいわ!」
「じゃあ、今までどおりでいいわね」
「あんた、同じ先輩なのに翠華とあたしじゃ態度が全然違うわね」
「だって、翠華さんは先輩な上に年上だし、その、憧れてるし……」
かなみは恥ずかしげを出して言う。
「ふうん、あたしは年下だし、憧れてもいないってわけね」
みあは嫌味で返す。
「そんな、みあちゃんは……可愛いから!」
「はあ?」
みあは一気に不審な目で返す。
「あと、凄く頼りになる!」
「ついでのように言われても嬉しくないんだけど」
「コーヒー出すから!」
「もはや褒めることすら諦めたのね!」
「お願いだから、相談に乗ってよ!」
「はあ、仕方ないわね……」
みあはため息を一つついて部屋の中央にあるテーブルに居座る。
「砂糖とミルクたっぷり入れなさいよ」
「こうしてぇ、ゆっくりお喋りするのはぁ初めてねぇ」
「は、はい……!」
翠華は緊張でガチガチになった返事をする。
涼美は女性から見ても顔立ちが整っていて、凹凸が非常にとれた体型はグラビアも裸足で逃げ出すほどの美人であった。そうでなくても、彼女は想い人であるかなみの母親である。
もしも、機嫌を損ねてしまって、悪い印象を抱かれてしまったら、かなみとの付き合いどころではなくなる。
「みあちゃんとはぁ、この間話したからぁ、今度はぁ翠華ちゃんと話そうかと思ってぇ」
「は、はい……」
「翠華ちゃんはぁ、『はい』しか言わないのねぇ」
「え、いえいえ、そうじゃありません!」
「フフ、よかったぁ、話が通じなかったらどうしようかと思ったわぁ」
「……すみません」
「謝らなくていいわぁ、翠華ちゃんはいい子ねぇ」
「は、はぁ……」
「かなみからよく聞いているわ。翠華さんは物静かで落ち着いて頼りになる先輩だって」
「かなみさんがそんなことを……」
なんだか嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちであった。
「私も翠華ちゃんとお話したかったのよぉ」
「私とですか?」
「ええぇ、かなみととても仲良くしてくれてるみたいだからぁ」
「そんな、仲良くしてくれてるなんて……」
むしろ、こっちが仲良くしてもらっていると感謝しているのに。
「そのせいでぇ、かなみが私よりそっちの選んだしぃ」
「……え?」
翠華は恐縮する。
なんだか言葉から棘のようなものを感じてきだした。
「あ、あのそれって……?」
翠華は恐る恐る訊く。
「もちろん、空港でのことよぉ」
「………………」
翠華は絶句する。
あの時、翠華達はどうしてもかなみに残ってほしかった。だから、無我夢中で引き止めた。
結果、かなみは日本に残ることになった。
それはとても嬉しかったことだけど同時に涼美からしてみたら愛する娘を奪ってしまったのではないか。
「……そ、それは……」
翠華はなんとかしてありったけの勇気を掻き集めて言う。
「……ごめんなさい」
精一杯の気持ちを込めて謝った。
かなみがいてくれたおかげで幸せだった。でも、それは母親を不幸にしてしまうことだとわかって申し訳なかった。
「やだぁ」
涼美はそんな気持ちをあっさりと流す。
「……だってぇ、あなた達は私からかなみを奪った不届き者だしねぇ」
「………………」
今度こそ翠華は絶句した。というより泣きたくなった。
「ふ、不届き者だなんてそんな……」
そこまで憎まれているとは思わなかった。
もうおしまいだと思った。母にここまで憎まれているなら、娘のかなみとのお付き合いなんてもってのほかだ。
「うぅ……」
ああ、本当に涙が出てきた。
「あぁ、泣かないでぇ」
そう言って、涼美は抱きしめる。
「え……!?」
翠華は驚きの声を漏らす。
「泣かせるつもりはなかったのぉ、ただぁちょっと意地悪言ってみただけなのぉ」
「い、意地悪……?」
「えぇ、ごめんなさい。本当はぁ、あなたにとてもぉ感謝しているのよぉ」
「感謝、どうしてですか?」
「かなみが元気で頑張っていられたのはぁ、あなた達に支えられていたからよぉ」
「そ、そんな私達の方こそ……かなみさんに元気をもらって……」
「うんうん、それが仲間ねぇ、いいものよねぇ」
「それはそうと、苦しいです……」
そう言われて、涼美は翠華が息苦しそうに全身を震わせていることに気づく。
まあ、無理もない。あの巨大なモノに顔を挟まれているのだから。
「あぁ、ごめんなさい」
「いえ……」
解放された翠華は目眩に襲われる。
(あ、あれは凶器……かなみさんもいずれ……)
こうなるかと思うと卒倒しそうだ。
「なんだかぁ、良からぬこと考えてたぁ」
「いえいえいえいえいえ! そんなことありません!」
考えを見抜かれかけて、大慌てで頭を振って否定する。
「まあいいけどぉ、慣れてるしぃ」
「な、慣れてるって……」
なんだかこの人がだんだんとんでもない人に思えてくる。
「ふふぅ、翠華ちゃんって思ってた以上に真面目ねぇ」
「ま、真面目ですか」
「うんうん、自覚がないところがねぇ」
「そうですか。あんまり考えたことがなくて」
「そういうところぉ、かなみは結構頼りにしてるわよぉ」
「え、えぇ、そうなんですか!?」
「えぇ、だから私も翠華ちゃんのこと好きよぉ」
「――ッ!?」
心臓が跳ね上がりそうなほどの衝撃が翠華を襲った。
――私も翠華ちゃんのこと好きよぉ
そんなことを不意打ちのように言われた。それは銃弾で撃ち抜かれたに等しいものであった。
「あらぁ、どうしたのかしらぁ?」
「い、いえ、いえいえ……なんでもないです……」
翠華は必死に平静を取り繕おうとする。
しかし、頭を抱えたり、よろめいたり、壁を支えに持ち直したり、傍からみたら完全に異常状態であった。
「そうぅ、なんでもないのねぇ」
しかし、涼美はあえてなんでもないことにした。
「かなみもぉ、たまにそんなこと言うのよぉ」
「そうなんですか……」
「かなみのことぉ、知りたい?」
「……知りたいです」
翠華は思わず率直に答えた。
「ふふ、素直ねぇ。それじゃゆっくり話しましょう」
そう言って、翠華は涼美に言われるまま、近くの喫茶店に入れられる。
この人、おっとりしていて物腰柔らかそうに意外と強引だと翠華は感じた。
「私、翠華さんに嫌われてるかも」
「ぶぶぅッ!?」
唐突に言ってきたかなみの一言に、みあは砂糖とミルクをたっぷりかけたコーヒーを吹きかけた。
「みあちゃん、どうしたの!?」
「あ、あんたが馬鹿言うからよ!」
「えぇ、何が馬鹿なの!?」
「だって、それは……ああ、もうッ!」
説明するのが面倒になったので癇癪を起こす。
「どうしたの?」
かなみは心配そうに訊いてくる。
「あんた……」
気づいてないわけ? と言おうとしたが、止めた。
どうせ気づいていないのだから訊くだけ無駄だと、みあは思った。
「な、何どうしたの?」
やっぱりまったく気づいていないと、みあはため息をつく。
「あんたって最悪に鈍いわね、鈍感女」
「えぇ!? そこまで言う!?」
「そこまで言いたいから言うのよ!」
「なんで!?」
「ああもうッ!」
またみあは癇癪を起こす。
かなみからしてみればなんでそんなにイライラしているのか訳が分からない。
(いちいち、説明してあげるのもメンドーだし、第一なんであたしがそんなことしてあげないといけないのよ)
心の中で文句を言えば言うほど苛立ちが募る。
(あ、そうだ――!)
みあは閃く。
むしろ、この状況を引っ掻き回してやれば面白くなるのでは、と。
「……みあちゃん?」
そうと決まってからみあの悪戯心に火がつき、顔がニヤリとした笑みに変わる。
「ねえ、翠華が本当にかなみが嫌ってると思うわけ?」
「え、えぇ、そうじゃないの? あんまり思いたくないけど……」
不安げに言うかなみに対してみあはやっぱり鈍いと思う。
翠華がかなみを嫌うなんて金輪際ありえない、とみあは確信している。
その証拠にかなみが日本を離れようとした時、空港まで駆けつけて必死に引き留めようとした。しかも、クソ恥ずかしい台詞付きで。
あんなこと、嫌っている人間相手には絶対にしない。
だから、みあは確信できるのだ。ゆえに、ちょっと引っ掻き回したくなる。
「じゃあ、試してみない?」
「試すって何を?」
「あんたが翠華に『あなたのこと、嫌いです』って言ってやるのよ」
「えぇッ!?」
「そうすれば、嫌ってるかわかるでしょ?」
「私、翠華さんのこと嫌いじゃないのに」
「だから試すのよ」
「翠華さんを試すようなこと、できないわ!」
かなみは強く言い返す。
「でも、翠華があんたのこと嫌ってるのか知りたいんでしょ?」
「そ、それは……」
かなみは弱る。そんな試すようなことをして、本当に嫌われてしまったら取り返しがつかない。
しかし、みあには確信があるから安心して提案できる。
「やってみなさいよ。そうすれば、嫌ってるかどうかわかるわよ」
「そ、そうかな……?」
かなみは困ったように首を傾げる。
「明日やってみなさいよ。それじゃ、あたしはこれで」
「えぇッ!? みあちゃん、帰っちゃうの!?」
「当たり前でしょ、もう夜遅いし」
「だったら、泊まっていっても」
「はあ? 馬鹿言わないで、なんだってこんな部屋で寝泊まりしなくちゃいけないのよ!? 第一布団がないじゃない!?」
「う、うん……それだったら、私と一緒の布団に……」
「――帰る」
みあは即座にかぶりを振って帰ろうとする。
「えぇ、なんで!?」
「あんたと一緒に布団なんてごめんよ!」
「えぇ、いつも一緒のベッドで寝てるじゃない!?」
みあの部屋に泊まらせてもらっている時はいつもみあのベッドで一緒に寝ている。なのに何故、一緒の布団だとダメなのだろうか。
「ベッドはベッド、布団は布団!」
「意味がわからない!」
「とにかく、嫌なの! 帰るわよ!」
「待って、みあちゃん!」
かなみは止めるが、みあは気にせず、玄関から一気に出ていく。
「せめて送らせてくれてもいいのに」
かなみはぼやいた。
その後、しばらくして涼美が帰ってくる。
「送っていくだけなのに随分遅かったわね」
とかなみが言ったら、「翠華ちゃんとぉゆっくりお話していたのぉ」とゆっくりした口調で答えるものだから本当にゆっくり話していたことがわかる。
話した内容までは聞かなかった。そこまで問い詰める気が起きなかったからだ。
そのあと、二人でカップ麺を食べる。冷蔵庫に何も買っていなくて非常食に手を付ける必要があったからだ。
「なんで買い物していなかったのよ?」
「ごめんなさい」
などと他愛のないやり取りをして食べる。
一応、麺はそれなりにボリュームがあったし、スープもちゃんと飲んで身体は温まったから満足は出来た。
お腹が膨れたところで、交代でシャワーを浴びて、布団を敷いて寝た。
「おやすみ」
「おやすみなさぁい」
そんな就寝前の挨拶をごく自然に出来る。
なんだかあったかい気持ちにさせてもらえた。
「かなみぃ、起きてぇ」
涼美に起こされる。
「うぅ~ん、もうちょっとだけぇ」
かなみはつい涼美の口調をマネて答える。
「そうそう、朝は長いんだから」
「あるみもぉ、朝ごはんの準備はできるからぁ」
「って、ちょっ、社長ッ!?」
かなみは飛び起きる。その勢いで布団を飛ばすとあるみが寝ていることに気づく。
「いつの間に、社長が!? って、どうして私の布団で寝てるんですか!?」
「いやあ、かなみちゃんのベッドが温かくて」
悪びれもせず上機嫌で答えるあるみ。
しかも、その服装は下着にボタンを外したワイシャツを羽織っただけのもので、しかも寝起きのせいではだけているから目のやり場に困る。
「ちゃんと服着てくださいッ!」
「あははは、ちょっと着替えるのが面倒だったから。すぐ着替えるわよ!」
そう言ってあるみは立ち上がって、壁にかけてあるスーツを手に取る。
「すぐ出かけなきゃならないからね」
「朝ごはんはぁちゃんと食べてねぇ」
「うん、食べる食べる! 腹が減っては仕事はできぬ!」
あるみは上機嫌で、涼美が用意したトーストを食べる。
「………………」
かなみは寝起きからそんなあるみの元気に呆気にとられる。
「かなみぃ、あなたも早く食べないとぉ、あるみちゃんが全部食べちゃうわよぉ」
「うわあッ!? それは困りますッ!」
かなみは飛び上がって、トーストをパクつく。そして、牛乳を口に入れる。
「よく噛まないとぉ、つっかえるわよぉ」
涼美は注意しながら、ゆったりと食べる。
「それじゃ、行ってくるわね!」
皿に積み上げられたトーストを全部食べ終えて、あるみは飛び出す。
「まるで嵐みたいな人よね」
「っていうよりぃ、核ミサイル?」
「どっちにしろやばいってことよね」
しかし、そう言われて一切違和感を憶えないのがあるみの人徳なのかもしれないとかなみは思った。
「私も行ってくるね」
「いってらぁっしゃぁーい」
トーストを食べ終えたかなみはアパートの部屋を出る。涼美は笑顔で見送ってくれる。
学校はいつも通り授業を受けた。数学や社会みたいな眠くなる授業はきっちり眠ったが。
放課後、これまたいつも通りにすぐ学校を出る。
行き先はアパートの自分の部屋だが、同時に職場でもある。
「ただいま」
「おかえりぃ」
涼美が優しく迎えてくれる。
そして、狭い部屋なのでもう既に誰が来ているのかすぐわかった。
「翠華さん……おはようございます」
かなみは奥に座っていた翠華に挨拶した。
「……おはよう」
翠華は緊張した面持ちで答える。
そんな翠華の反応のせいで、かなみは余計に強張る。
(やっぱり、翠華さんに嫌われているのかな……?)
嫌われても仕方が無いことをしてしまったのだが、実際本当に嫌われているとなると辛い。
「………………」
「………………」
無言で視線を交わすが、すぐにそらす。
気にしつつも、声をかけられないこの状況は辛い。
『じゃあ、試してみない?
あんたが翠華に『あなたのこと、嫌いです』って言ってやるのよ』
昨日のみあの言葉を思い出す。
(……そんなバカなこと、出来るわけないじゃない。――でも)
それで本当に嫌われているかどうかわかるなら、少しだけやってみる価値があるかもしれない。
「いやいやいや!」
かなみは思わず頭を振る。
「……え、え?」
それが思わぬところにまで影響を及ぼした。
「……あ」
翠華が呆気にとられていることに気づく。
余計に気まずいことになったと、かなみは直感した。
「……あの、かなみさん?」
翠華は恐る恐る声をかけてきた。
「は、はい……」
かなみはそれに対して縮こまった返事をする。
「どうしたの?」
「………………」
かなみは返答に困った。
変なことを考えていたから、なんて言えるはずがない。
「かなみさん」
「う、ううん、なんでもないです!」
慌ててそう返答するだけで精一杯だった。
「そう……」
翠華はそれだけ言って視線をそらす。
「………………」
なんだか、申し訳なくなってしまう。
やっぱり試してでも知っておきたい。と、かなみの心に魔が差し込んでくる。
(み、みあちゃんが余計なこと言うから……!)
責任はみあに押し付ける。
「あ、あの! 翠華さん!?」
「え、何?」
翠華は慌てて応対する。
「あの、一つ訊きたいことがあるんですが」
かなみは恐る恐る歩み寄る。
「何……?」
翠華の方も強張った表情で受け答えするものだから、かなみはますます緊張する。
(ああ、やっぱりダメ……)
しかし、ここまで話を持ちかけた手前、あとに引くこともできない。
「翠華さんのこと、わたし、嫌いです」
「…‥え?」
翠華はこの世の終わりのような顔をしている。
(――しまったッ!?)
かなみは緊張のあまり、自分がとんでもない失言をしてしまったことに気づく。
(『翠華さん、私のこと、きらいですか?』じゃなくて『翠華さんのこと、私、きらいです』って!?)
そんな心にもないことを。すぐに謝って訂正しなければ!
「あ、あの……翠華さん?」
「………………」
かなみが声をかけると翠華は呆然としていた。
かなみに何を言われたのか、理解できない。というより、理解したくないといった面持ちでかなみから避けようとする。
「翠華さん……あの、今のは、ですね……」
「――!」
翠華はそれ以上、聞いていられず飛び出す。
「翠華さん!」
かなみは止めようとしたが、その全てを翠華は拒否する。
ドタン! と思わず耳を塞ぎたくなるようなドアの音と共に翠華が出て行く。
「あ、あぁ……!」
頭を抱える。
どうしてこうなってしまったのか。
ただ、ちょっと魔が差してしまっただけだというのに。少しだけ、やってみようかと気まぐれてしまっただけだというのに。
よりにもよって、なんて言い間違いを犯すなんて。
「ど、どうしよう……?」
「フフゥ」
途方に暮れるかなみを小馬鹿にするような笑い声だった。
「母さん……」
かなみは恨めしげに呼ぶ。
「……全部、聞いていたわね」
「さあぁ、どうだかしらぁ」
白々しいと、かなみは思った。
こんな狭い部屋だ。ちょっとした会話も隅まで通ってしまう。ましてや涼美は魔法によって常人離れした聴力を持っている。しっかり聞こえていないはずがない。
「でもぉ、さすがにぃ今のはぁ、翠華ちゃんにはぁきつすぎたわねェ」
「くぅ、それは……! って、やっぱり聞こえたんじゃない!」
「私がぁ、こんな狭い部屋の声を聞き逃さないとぉ、思ったぁ?」
「開き直らないでッ!」
この母には困ったものだ。
「まあ、こんな面白いことになるなんてぇ、思わなかっからぁ……さすがにぃ、フォローはしてくるわぁ」
「え……?」
「私なら翠華ちゃんがどっち行ったか、ちゃんと追えるからぁ」
「そんなことできるの?」
「翠華ちゃんの足音や心音はぁ、聞き分ければ簡単に追えるわよぉ」
なんて無駄に凄い聴力なのだろうか、かなみは呆れた。
「じゃ、じゃあ、早く翠華ちゃんを追いかけないと!」
「ああ、追うなら私一人でぇ、かなみはお留守番ねぇ」
「どうしてッ!?」
「今、かなみが追いかけてもぉ、逃げられるか混乱させるだけだからぁ」
「うぅ……」
確かにそのとおりかもしれない。かといって、涼美に任せるのもなんだか心許ない。
「ここはぁ、母さんに任せてぇ」
そう言って、涼美は部屋を出て行く。
「なんかあったの?」
入れ違いでみあが入ってきて、かなみに訊いてくる。
「あ、みあちゃん?」
「あんた、母さん走っていったけど」
「母さんが?」
かなみにはちょっと信じられなかった。いつものほほんと歩いているような印象しかないからだ。それはみあも同じなようで、何かあったのか察して訊いてきたみたいだ。
「う、うん、実はね……」
かなみは何があったのか、一部始終話した。
みあは呆気にとられた後、思いっきり笑いだした。
――翠華さんのこと、わたし、嫌いです。
何を言われたのか、理解できなかった。いや、したくなかった。
でも、聞きたくなかった。聞こえなかった。と思う度に頭の中で反芻する。
「なんで、なんで!」
嫌われるようなことをした憶えはある。
ここ最近、かなみを避けられているように感じていた。それは、かなみに負い目があったからだということを翠華は知らなかった。
別に、攻撃で巻き込んでしまったことを恨んではいなかったのだ。
翠華の方からしてみれば足手まといになってしまった不甲斐なさから逆に声をかけづらかった。
そのせいで、最近ギスギスしてしまって余計に会話がしづらかった。今日、とうとう勇気を出して声をかけてみようとしたのだが、まさかこんな結果になってしまうなんて。
というより、嫌われているのなら遅かれ早かれこうなってしまうのだ。
「う、うぅ……」
「ああ、泣かないでぇ」
「――ッ!?」
翠華は驚きのあまり、跳ね上がる。
「涼美さん!?」
背後に涼美が何食わぬ顔で立っていた。
「どうして……!?」
無我夢中で走ってきたから、簡単に追いかけられるとは思えない。なのに、すぐ背後にまで迫っていた。
「フフゥ、翠華ちゃんを驚かせようと思ってぇ」
だからって心臓に悪すぎる。
あるみといい、魔法少女がこの歳になると人の心臓に悪影響を与えるのが趣味になるのだろうか。
「凄く驚きました」
「そう、よかったぁ」
「……よくありませんよ」
翠華はため息をつく。
昨晩、喫茶店で話し込んだおかげで少しだけ打ち解けた。それでこんな風に話せるようになったが、主導権は常に涼美の方にあるのは相変わらずであった。
「それはそうとぉ、ごめんなさいねぇ。かなみが失礼なこと言っちゃってぇ」
「……え?」
まさか母親から謝られるとは思わなかったので、翠華は面食らった。
「ど、どうしてお母さんが謝るんですか!?」
「だってぇ、娘の不始末は母の不始末でもあるんだからぁ」
「不始末だなんて、そんな……かなみさんはただ正直に言っただけで……」
「ふふぅ、翠華ちゃんはいいこねぇ」
「ぎゃッ!?」
涼美は翠華を思いっきり抱きしめる。
思わず悲鳴を上げるが、涼美は気にせず抱きしめ続ける。
「娘に欲しいわぁ」
「……く、苦しい……!」
「言ったでしょぉ、私、翠華ちゃんのこと好きだからぁ」
「好きなのはうれしいですが、苦しい……」
「ああ、苦しいのねぇ」
涼美は気づいて、ようやく翠華を離す。
危うく涼美に押し潰されるところだった。
(こ、殺されるところだったわ……)
かなみもいつかあれで窒息死させられるんじゃないのだろうか、とも思った。
しかし、ここまで来てかなみの心配するのは、最早性分なのだと自分自身で呆れる。
「でも、大好きだって気持ちを伝えるのはぁ、これがいいと思ってぇ」
「それは間違っていないと思いますが」
しかし、自分には出来ないと思った。
「だったらぁ、翠華ちゃんもやってみたらぁ」
「私が? かなみさんに!?」
翠華は直感で無理だと心のなかで叫んだ。
「かなみにやれとは言ってないけどぉ……」
「あ……」
翠華はそこで気づく。
涼美は何も誰にやれとは言っていない。会話の流れと思い込みから、かなみにやれと言ってるのだと思っただけなのだ。
早とちりをしてしまったと翠華は赤面する。
「でも、翠華ちゃんにはかなみにやってほしいわね」
「え、えぇッ!?」
「やってみたらぁ?」
「無理です! 無理です! ムリムリムリムリムリッ!」
翠華は思いっきりブンブンと振り回す。
「そう、案外かなみも喜ぶわよぉ」
「でも、私、かなみさんに嫌われているし……」
「それはありえないわねぇ」
涼美は断言する。
「……え?」
「だってぇ、かなみがぁ突然誰かを嫌いになるなんてことはぁ、ありえないわぁ」
「そうなんですか?」
「それはぁ、あなたの方がよく知ってるでしょぉ」
「……わかりません。知りたいとは思いますが」
「そうねぇ、それが大事よぉ」
ウフフ、と、涼美は笑う。
「じゃあ、知るためにぃ頑張らないとねぇ」
「そ、それとこれとは別ですよ!」
「おんなじよぉ」
そうなのかしら? 本当に果たしてそうなのかしら?
翠華はだんだん涼美のペースに乗せられているような気がする。
「だってぇ、母娘でもわからないことはあるものぉ、お互いを知る努力は怠っちゃいけないわぁ」
「……涼美さんでもわからないことがあるんですか?」
「わからないことだらけよぉ」
ウフフ、と、また笑う。
とてもそうは思えない。この笑みは娘のことはなんでもお見通しだという母の愛に満ちたものに思えてならないからだ。
「私ねぇ、かなみに会う時のが凄く怖かったのぉ」
「怖かった?」
「ずっとぉ、放っておいてぇ、おまけに借金まで押し付けちゃったからぁ、凄く恨まれてると思ったのぉ」
それは当たり前だと翠華は密かに思った。
何しろ、自分がかなみの両親を憎んだことがあるからだ。
かなみに借金を負わせて、かなみを見捨てて、かなみに働かせて……それもこれも全て両親のせいだから許せない、と。何度も思った。
「正直殺されてもぉ仕方ないと思ってたのよぉ」
涼美はため息混じりに言う。
「そ、そんな殺すだなんて……かなみさんはそんなことしませんよ……」
「そのくらいぃ、憎まれてるとぉ思ったのよぉ。今にして思うとぉバカなことだけどねぇ」
かつての自分がバカだったとでも言わんかのように笑う。
「でもぉ、あるみが一言言ってくれたおかげでぇ、会う決心がついたのよぉ」
「それはなんですか?」
「――かなみは私に一言も恨み言を言わなかった」
その返事を聞いて、翠華は唖然とした。
「私のこと、嫌いか? って聞いたら『わかりません』って答えたそうよぉ」
「……凄いですね、かなみさんは」
翠華は素直にそう思った。
もし、かなみと同じ立場になったとしたら、間違いなく挫けていただろうし、こんな地獄に突き落とした両親を恨んだに違いない。にも関わらず、当のかなみはそんなことを一切せず、両親を憎んではいなくて嫌ってすらいなかった。
とてもじゃないが真似はできない。
「だからぁ、私も会う決心がついたのぉ。さすがに恨み言はいくらでもきく覚悟はしたけどねぇ。その必要はなかったみたいだけどぉ」
涼美は苦笑する。
話を聞けば聞くほど、かなみの凄さを思い知らされる。
「凄いですね、私にはとてもできませんよ」
「そうねぇ、私にだって無理よぉ、だからこそ思わない?」
「え、何がですか?」
「そんなかなみがあなたのことをわけもなく嫌いになると思う?」
「あ……」
そんな話を聞かされると、ならないとはっきり言える気がする。
地獄に突き落とした両親を憎まなかった上に嫌わなかった。かなみが仕事の仲間で嫌われるようなことをした記憶が特にない自分のことを嫌うなんてとても思えない。
「思えないでしょ?」
「………………」
翠華ははっきり答えられなかった。
――翠華さんのこと、わたし、嫌いです
かなみからはっきりそう言われた。
いくら、かなみが誰かを嫌うことなんてありえないって涼美から言われても、はっきりそう言われてしまったのだ。そのせいで、かなみが翠華を嫌っていないと母親から太鼓判を押されても信じきれずにいた。
「かなみも本当に罪作りねぇ」
「……え?」
「うっかりとはいえぇ、とんでもないことぉ言っちゃったんだものぉ」
「うっかりであんなこと言うものなんですか?」
「普通は言わないわねぇ、だからぁ、今めちゃくちゃ後悔していると思うわよぉ」
「はあ……」
そう言われても、翠華は腑に落ちなかった。
「だからぁ、ちゃんとかなみと話してあげてぇ」
「そ、それは……」
「ね、お願い」
むしろ、こっちからお願いしたいぐらいのお願いだった。
「でも、向こうは……」
「顔もみたくないとかぁ、言われてないでしょ」
そこまで言われてさすがに寝込む。というか今でさえ両の足でちゃんと立っていることが不思議なくらい頭がクラクラしている。
「それはそうですけどぉ」
「大丈夫、かなみが嫌がったらぁ、ごはん抜きにするからぁ」
「それはかわいそうです!」
「フフゥ、翠華ちゃんは優しいのねぇ、嫌われてるかもしれない相手を気遣うなんてぇ」
「そ、それは、当たり前のことだと……思うんで……」
「それを当たり前と言えるのが優しさなのよぉ、まあ、母さんに任せてぇ」
「任せるってどういう意味ですか?」
「任せては任せてぇよ」
どういう意味なのか全然わからなかった。
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