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第10話 温泉! 湯気から生まれるは少女の活力? (Aパート)
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日はすっかり落ちてしまい、灯りがほとんどの無い田舎には月明かりだけが頼りになる。
それがまた都会のまばゆいネオンで眩しい光に慣れきったかなみ達の目には新鮮に映った。そのせいで迷いに迷っているのだった。
「なんで、田舎ってこんなに暗いのよ」
「私の部屋もこれぐらいだから平気よ」
「あんたは節約のためでしょ」
「でも、そのおかげで夜目にはきくんだよ」
「ありがたくない恩恵だけどね」
マニィの言葉にかなみは拳を握りしめ、悔しさをにじませる。
「でも、だったらなんでこんなに時間がかかるわけ?」
「暗いのが平気でも初めての場所はわからないのよ」
「よーするに方向音痴ってわけね」
「みあちゃん……いきなり決めつけるのはよくないわよ。方向音痴っていうのはね、地図がある状況で迷うことを言うのよ」
「とはいっても、その地図がね……」
みあは社長からもらった旅館までの地図を広げる。
それは明らかに三分で書いたような手抜きの地図で、とてもじゃないがこんな山中で脱出できるようなシロモノではない。
「小学生でもこんなの書かないわよ!」
「はあ、こういうときGPSでもあればなー」
「え、それならあるけど」
みあは携帯を取り出す。
「ええ!? あるならあるって早く言ってくれればいいのに!」
「あんまり使ってなかったから忘れてたのよ。第一ケータイならあんたも持ってるでしょ」
「だって、ケータイなんて電話とメールしか使ってないし」
「通信料金がかかるものだからという財布事情もあるし」
「あんたは黙ってなさい!」
「はあ~……これだから、貧乏女はー……」
みあはため息をつく。
「まあまあ、みあちゃんだって忘れてたんだし、言いっこなしってことで」
「しょうがないわね」
みあは携帯を操作する。
「結構近いじゃない」
「よかった。道順わかってても、こう暗くちゃ迷子になるところだったし」
「あんたなら別に野宿でも大丈夫そうだけど」
「そうね、ここなら部屋代もかからなそうだし」
「かなみ……それ、冗談よね?」
「え、いや、冗談に決まってるじゃない! キャンプならいいけど、さすがに何もなしで山奥は無理よ!」
「……半分本気だったのね」
「まあまあ、早く旅館に行きましょ」
かなみは笑ってごまかす。
その様子を見て、このまま置き去りにしても問題無いとみあは思った。
みあのGPSとかなみの夜目のおかげでなんとか旅館に辿り着けた。
「こ、これが旅館なの?」
みあは信じられないと面持ちで旅館を見上げる。
田舎なのだから木造なのはまだいいとして、すっかり老朽化したボロ具合は『風情がある』を通り越して倒壊寸前なのでは、と危機感を募らせる。しかも明かりは一切灯っていない。
GPSで『旅館』の表示が無かったら無人でスルーしてしまうところだ。
「な、なんかユーレイとか出てきそうね」
「まあ、実際ユーレイはいるんだけどさ」
「千歳さん、どっかに行っちゃったんだろう?」
宝物(?)であるツインテールの片割れを見つけて大喜びで文字通り舞い上がった千歳はそのままどこかへ飛び去って戻って来なかった。
「どーせ、満足して成仏したんでしょ、メデタシメデタシじゃない」
「そうだけど……挨拶ぐらいしてもよかったんじゃ……」
「いいじゃない、あっさりしてくるぐらいちょうどいいのよ」
「みあちゃん、ドライね……なんか大人って感じ」
「当然よ。社長令嬢なんだから借金女とはわけが違うのよ」
「あうう、世の中不公平よ。ともかく中に入ってみましょう」
かなみは勇んで旅館へ入っていく。
「なんで、かなみは悔しそうに涙目になってるのかしら?」
「みあよ、もうちょっと大人になったらどうだ?」
「あたしは十分大人よ、ホミィ」
そうこう言っているうちにかなみは引き戸をガラガラと開ける。
「ごめんくださーい! だれかいませんか!」
「……返事が無い、ただの廃墟みたいね」
「とりあえず野宿は避けられるけど、社長達はどこなのかしら?」
「電話してみるか」
「最初からそうしたほうがよかったんじゃないの?」
「それは言わない約束よ」
みあがそう答えた瞬間、灯りがともる。
「う、まぶし!」
夜目に慣れすぎたかなみは思わず目を塞ぐ。
「電気が通ってたのね」
「ええ、セルフサービスなのが難点なのよね」
土間から社長のあるみが姿を表す。
「社長!」
「無事、お宝はゲットしたみたいね。こっちは空振りだっていうのに」
「そのお宝も空振りだったけどね」
「まあまあ、そういうことあるわよ。ささ、上がって上がって、夕食は出来てるから」
「夕食!!」
かなみは一気に元気を取り戻す。
「まったくゲンキンね。まあ、おなかは空いてたところなんだけど」
「かなみさん、無事でよかったわ」
「翠華さん! 心配してくれてたんですか!」
「そりゃ、もちろん。かなみさんのことだからひょっとしたら野宿する羽目になってるかもしれないと思うと心配で……」
「翠華さん……エスパーなんですか?」
「魔法少女よ」
「本当に危うく野宿しかけたところなんだけどね」
「ついでにみあちゃんも無事でよかったわ」
「ついでって……まあ、あなたに好かれたいとも思わないけど」
「みあちゃん、ごめん。すねちゃった?」
「べ、別にすねてなんかないわよ!」
プイッ、とみあはそっぽ向く。
「かなみさん、みあちゃんに嫌われちゃったみたい」
「いえいえ、いつものカワイイみあちゃんですよ」
「か、カワイイ……? かなみさんってそういうのがタイプなの?」
「タイプって、何の話ですか?」
「い、いいえ、なんでもないわ! みあちゃんとも仲良くなりたいわね、アハハハハ」
「……白々しい」
みあはボソリと呟いた。
「それで夕食はどこなんですか?」
「もうすぐくるわよ」
社長は和服を着込んでいかにも女将のような振る舞いで入ってくる。
「社長、なんですかその格好?」
「せっかくだから気分出そうと思ってね。ああ、大丈夫よこれは経費で落ちるから」
「大丈夫なわけないでしょ」
後から入ってきた鯖戸は苦言を呈する。
「まったく、無理を言って貸してもらった身にもなってほしいものだ」
「こんな美少女に着られるんなら服も幸せでしょ」
あるみはここぞとばかりにポーズをとる。
「服みたいにホコリかぶってるくせに」
「なんですって?」
「僕は服のことを言っただけさ」
鯖戸は何くわぬ顔で座る。
「まったく可愛くないんだから」
「可愛い部長は嫌です」
「かなみちゃん、こういうヤツでも可愛い時はあるものよ」
それは絶対にありえない、とかなみは心底は思った。
「ささ、気を取り直して料理を出しましょうか! 当旅館自慢の山の幸のお料理よ」
「社長、ホントに女将やるつもりなんですか?」
「この旅館はセルフサービスがモットーみたいなのよ」
「どこまでがセルフサービスなんですか、電灯の消灯まで自分の手でやるなんてきいたことがないですよ」
「ほら、今流行りの節電よ。資源は大切にしなくちゃね」
「じゃあ、オフィスの夜間営業もやめればいい節電になりますよ」
「それをやったら、あなたの借金もセルフサービスにしちゃうからね♪」
あるみは満面の笑みで言い放つ。
借金のセルフサービス……ようするに、今会社が肩代わりしている借金を自分で払えということである。返すあてがまったくないかなみに残された手段は…………。
ここまで想像して、かなみは身震いとともに、
「生意気言ってすみませんでした」
と素直に謝罪するのであった。
「うんうん、魔法少女は素直が一番よ」
そう言っている間に旅館のふすまが密かに開けられた。
そこから数人の人間が入ってきて料理を手早くかなみ達の前に運んでいく。
おそらくこの旅館の中居なはずなのだが、確信は持てなかった。
何故なら、女性とも思われる――彼女達の印象は不気味以前に特に特徴がないというものであった。彼女達ときたら慌てず騒がずただ淡々と目立たないよう動いているのだ。
「まるで歌舞伎の黒子ね」
みあはそう言い表した。
「みあちゃん、なにそれ?」
「常識よ、なんで知らないのよ?」
そんな会話を二、三言かわしていくうちに立派な山の幸料理が並ぶ。
「おお!」
かなみは驚嘆の声を上げる。
山でとれたであろう山菜のおひたしと天ぷら、それに今日着けたばかりの漬物に、牧場から仕入れてきた牛肉の刺身。
どれもこれもまともに食事にありつけていない普段のかなみからしてみれば豪勢極まりない食事であった。
「これ、食べていいんですか!」
「ダメって言ったら?」
「食べます!」
「よろしい、食べていいわよ」
「いただきます!」
かなみの合掌に合わせて、三人は一斉に食べる。
なんだかんだいって、野山を駆けまわっていたのだから腹ペコなのであった。
「うまい! うますぎるよ!」
一気に大量を頬張って歓喜するかなみ。
「本当においしいわ」
普通に一口ずつ丁寧に口に入れて比較的ゆっくりと楽しむ翠華。
「ま、まあ、素朴の味って感じね」
強がりつつも食材に伸ばす箸の手が止まらないみあ。
とまあ、三人とも違ったかたちで夕食を楽しむ。
「おかわり!」
そこでさっそく茶碗を空にしたかなみはおかわりを要求する。
「それは自分でとってきてね」
そう言ってあるみは旅館の地図を渡す。
「おかわりのおひつは食堂にあるから」
「そういうところはセルフサービスなんですね」
なんでそのおひつを持ってきていないのか。さっきの人達に頼めばいいのではないか。と疑問はつきないが、この社長の前ではそういうことになっているからの一言で片付けられると思い、かなみは茶碗を片手に部屋を出て行く。
「くらッ!」
廊下に出てふすまを閉めた途端、視界は一気に暗闇になった。
電灯はついていない上に、窓がないため月明かりさえない真っ暗闇。
「来た時はついていたのに……」
さっきの従業員達が消していったのだろうか。こんな暗くなるならつけたままでいいのになんて余計なことをしてくれたのだろう、とかなみは不満に思った。
「ま、なんとかならない暗さでもないか」
こういうときは普段の習慣がモノを言うものね、とちょっとしたお得感を感じるかなみであった。
「食堂、食堂~♪」
あっという間に暗闇に慣れたかなみはおかわりを楽しみにして食堂へと足を運ぶ。
地図を確認するとここが食堂のようなのだが、食堂も廊下と同じように電灯がついておらず、暗かった。奥にあるキッチンとおもわれる場所さえも暗闇であった。
「こんなんでどうやって料理するのかしら?」
「田舎の人はみんな夜目がきくのかもしれない。そうすれば相当な電気代の節約になる」
「まっさかー、いくら節電だからって、包丁で手を切っちゃったら治療費かかって本末転倒でしょ。」
「それもそうか」
「でも、これじゃどうやって私達の料理を作ってるのかしら? マニィの言うとおり、節電のために暗くしてるからってまだ料理の途中でしょ、でもここには一人もいない。もう作業は終わっちゃってるのかしら? でも、洗い物はどうするのかしら? それにさっきの人達はどうみても怪しいし……」
「案外、幽霊がやってるかもしれない」
かなみはそれを聞いただけでビクッと身震いする。
「ゆ、ゆゆゆ、幽霊なんて、そんなわけないじゃない!」
「そのわりには声が震えてるじゃないか」
「こ、ここ、これは武者震いよ!」
「敵はいないのに、かい?」
「ご、ご、ご飯がそこにあるから!」
「意味がわからない」
「わからなくていいの!」
かなみはキッチンに入っておひつを探す。
「おひつ、おひつはどこなの~」
こんな暗くて不気味なところは早く出て行きたくてたまらない。部屋で翠華やみあが楽しく食事を続けていることを考えると余計にその気持ちが強くなる。
しかし、空腹と天秤にかけると何が何でも腹を満たしたい気持ちの方が勝った。
「あ~それにしても真っ暗のキッチンって不気味ね」
ところどころで調理器具の金属が光っているように見える。どうにもその光が妖しく感じて仕方がない。
「魔法少女は現実にいても、幽霊は現実にいない」
「でもゾンビはいたけど」
「うるさい、黙りなさい!」
とはいっても、マニィのおかげで少しは気を紛らわせたが。
ギィ!
突然、金属の甲高い音が耳に入る。
「――ッ!?」
心臓が飛び出さんばかりに驚きすくみ上がる。
「な、なななな……?」
それはわずかばかりに緩んだ空気を一気に張り詰まらせるものだった。
ギィギィ!
続いて聞こえきた。
こうなるともう気のせいと言うわけにもいかない。
一度や二度ならずも三度聞こえたのだから。
問題はどうしてこんな音がなるか、である。
ここにはかなみ以外の人間はいない。ねずみのような小動物の気配もない。風の音のせい、といいたいがここには窓は無い。換気扇も止まっている。つまり科学的に考えればこのキッチンに音がなる要因が一切無い。
だが、非科学的に考えた場合――
(ま、まさか……!?)
ギィギィ!!
あった。
暗闇の中で浮き彫りになった――そこにあるはずのないシルエットがあった。
人のようでもあり、人じゃないようでもあるような曖昧さ。存在感すらもうっすらとしていて闇の中へと溶けこみかけているが、それでも確かにそこに立っている。
「――ッ!」
それだけならまだよかった。
漏れだしそうな悲鳴を腹へと抑えこみ、飛び上がって逃げ出しそうな足を踏ん張らせて、耐えしのげるレベルだった。
――キラリ!
そのシルエットが持っている妖しく光る金属が目に入った。
――包丁
それはここがキッチンなんだから、あっても不思議じゃない。
だけど、そのシルエットが手に持っているとなるとまるで話が違ってくる。
――殺される!
これがネガサイドやら怪人やらならまだいい。
戦い方も対処の仕方もわかっているからだ。だが、そのシルエットの正体がまったくわからない未知の存在だ。
――戦いでもっとも怖いことはわからないということよ
あるみの助言が脳裏をよぎる。
今がまさにその『もっとも怖いこと』の時だからか。いやがおうにもその意味を思い知ることになった。
――手詰まりで自分じゃどうしようもできないと思った時はね。
そうそう、そんな時のための助言も教えてくれたんだ。
やっぱり社長は頼りになる。
普段はハッチャメチャで、振り回されてまさに悪魔といったものだけど、いざというときは頼りになる。
えっと、その続きは続きはっ、とかなみは思い出す。
――逃げるのも手よ。
よし、逃げよう!
その決断に至るまでコンマ一秒とかからなかっただろう。
キッチンに出てから、廊下を走りこんで翠華達の部屋まで一瞬で駆け抜ける。
変身もしていないのに、魔力で向上した脚力以上の身体能力を発揮したに違いない。
みあに言わせればこれも『火事場の馬鹿力』なのだろう。こういうのも戦闘で役立てればもっと楽に怪人に勝てるのに、肩に乗ったマニィは思った。
「で、でででで、出たーッ!?」
部屋のふすまを開けるなり、かなみは抑え込んでいた悲鳴を一気に開放した。
「はあッ!?」
和気あいあいとしていた翠華達にとって突然のことで当然たじろいだ。
「出たって何が?」
「ネガサイド? 怪人?」
あるみはご飯をバクバク食べながら呑気に訊く。
「そんなの出るわけ無いでしょ! おばけよ、おばけに決まってるでしょ!」
「いえ、そっちの方が現実的だと思うんだけど」
「常識的にみればどっちも非現実的よ」
「まったくもってそのとおりだ」
みあのツッコミに鯖戸は同意する。
「なにあのツッコミコンビ」
「社長に鍛えられたんでしょうね」
「って、社長も翠華さんも落ち着いてないで聞いてくださいよ!」
「はいはい、おばけねおばけ。キッチンに出たんだから腹ペコだったんでしょ?」
あるみは呑気にそんなわけないと手を振る。
「腹ペコのおばけなんてきいたことありません!」
「じゃあ、板前さんじゃない? ここの人、真っ暗で作業するから不気味がられるのよね」
「なんで、真っ暗で作業するんですか!?」
「根暗だから?」
「マジメに答えてください!」
「まあまあ、どうせ敵じゃないんだし、襲ってこないんだから大丈夫でしょ」
「襲ってくるかどうかが判断基準なんですか!?」
「そりゃそうでしょ、あっちが何もしてこなかったらこっちも何もしない。魔法少女は基本受け身よ。
――もちろん、やってきたら容赦しないけどね」
ゾクリと背筋が凍りそうな寒気がした。
最後の一言におぞましい殺気がこもっていた。おばけなんかより社長の方がよっぽど怖いんじゃないかとかなみは思った。
「ささ、かなみちゃん! ご飯食べましょ」
「え、えぇ……!」
逃げてきたはずみで、茶碗を落としてきたのだが今更取りには戻れない。
仕方ないからかなみは残った山の幸を食べた。
とってもおいしいはずなのに、キッチンのおばけのことが気になってあんまり味わえなかった。
「温泉♪ お・ん・せ・ん♪」
お腹いっぱい食べ終えたかなみ達はしばらく食休みをしてから当旅館自慢の温泉に入ることにした。
「かなみさん、元気ね」
「そう、あれで怖いのを精一杯抑え込んでいるように見えるけど」
「やだな、みあちゃん! 温泉入るのに怖いなんてことあるわけないじゃない!」
「そりゃそうよね、何しろお風呂入るのは何日振りってレベルだし」
「失礼な! ちゃんとシャワー浴びてるわよ!」
「湯船に入るのは?」
「い、五日かな……」
「どおりで臭におうわけね」
「え、えぇ、臭くさくないよ! っていうか今日は汗たっぷりかいたでしょ!」
「あたしは今朝から言ってるのよ」
「翠華さん……何か言ってくださいよ」
「え、えぇ、そうね……」
翠華は生返事で返す。
「翠華さん、どうしたんですか?」
「あんた、温泉に入るって決めてからずっと上の空よね」
「え、えぇ、なんでもないわ……ただ、私は……ちょっと緊張しちゃって……」
「緊張って、何でですか?」
かなみは屈託の無い目で翠華を覗きこんでくる。
翠華にとってそれはたまらなくドキッとさせる行為であった。
「だ、だだだ、だって、温泉は混浴なのよ!」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。この旅館の客は私達以外いませんし、部長だったら社長に監禁してもらっていますから」
「そ、そそ、そういうわけじゃなくて、あのね、かなみさん……」
翠華はモジモジと顔を赤らめる。
その様子はまさしく恋する乙女なのだが、その想いの矛先であるかなみはまったく気づいていない。
「裸の付き合い……は、ちょっとね……」
「え、どういう意味ですか?」
「だ、だからね、そういうことは早いと思うのよ!」
「翠華さん、何言ってるんですか?」
「かなみ、そんなの置いてはやく温泉はいろ!」
「そんなのって言い方は失礼でしょ! 翠華さん、もし私達と一緒に入るのが嫌なら無理しなくていいんですよ」
「む、むむ、無理なんかじゃないわ、ただその!」
「もしかして、翠華さん!」
「ひゃあッ!?」
かなみは一気に詰め寄る。
「裸は彼氏さんにしかみせないつもりなんですか?」
「はあッ!?」
傍から聞いていたみあはずっこける。
「裸の付き合いって、翠華さんぐらいの人になると付き合ってる人にしか見せないように心がけるものなんでしょ?」
「え、ええッ!? そ、それはね……!」
「なのに、私無理言っちゃってごめんなさい。そういうことなら私達が先に入ってます。いこ、みあちゃん」
「え、ええ……馬鹿らしいったらありゃしない」
みあは呆れた目でかなみに手を引かれる。
「ち、違うの、かなみさん!」
翠華は必死に叫んだ。
まさか、自分の態度がそんな誤解を生むなんて思いもしなかった。
というか、まだ彼氏がいる設定をかなみが信じ込んでいるなんてすっかり忘れていたのであった。
「結局、入っちゃった……」
翠華は湯けむりの中に身を沈めながらため息をつく。
「あんたも損な性格ね」
隣で湯に浸かっているみあはぼやく。
湯加減ばっちりの露天風呂に今みあと翠華の二人しかいない。
更衣室でかなみは汗のせいで中々服が脱げないと言っていたから、入ってくるのにもうしばらくかかる。とはいっても、数分もかからないだろうから、すぐのことなのだが翠華にはどうにも居心地が悪かった。
早く来て欲しい、と思うのだが、同時に一糸まとわぬかなみの姿を見て平静でいられる自信がないため来て欲しくないとも思った。
そんな葛藤を繰り広げている中、みあは一切関心を示さず露天風呂を満喫していた。
この余裕の態度はかなみとお泊りしているからなのか、とうらやましくもあり、ねたましくもあるフクザツな心境の翠華であった。
「みあちゃん、うらやましい……」
「なんで、あたしが?」
「かなみさんと入るの……初めて、じゃないでしょ?」
「ぶッ!?」
みあは湯の中に顔を沈める。
「時々、みあちゃんのところに泊まってるって聞いたわよ。ということはもちろんお風呂も一緒に入ってるんでしょ?」
「な、なな、なんで、そうなるわけよ! 泊まってるからって、一緒に入るわけ無いでしょ?」
身をじたばたさせて精一杯否定する。
「でも、みあちゃんの肌とてもすべすべだったってかなみさん言ってたわ」
「あんのバカナミ……! 次は湯船に沈めてやるわ!」
「やっぱり入ってるんだ、しかも次の予定まで決まってるのね!」
翠華はジト目で問い詰める。
「ハッ!?」
みあは「しまった! 口が滑った」といつもの口の軽さを呪うのであった。
「やっぱり、みあちゃんがうらやましい」
「な、なにいってんのよ! あんなのと何度も一緒にお風呂のどこがうらやましいってのよ!?」
「何度も……一緒に……!」
「ちょ、なんでそんな目が血走ってるのよ!?」
「のぼせてるからよ、気にしないで……!」
「怖いって、こっち見ないで!」
みあはばしゃばしゃと温泉を翠華に浴びせる。
「ごめんごめん、中々脱げなくて手間取っちゃった」
ガラガラとかなみは戸を開けて入ってくる。
「かなみさん……!」
翠華は条件反射でかなみを見てしまう。
かなみの身体……
ふだ着込んでいるからわかりにくいが、一言で言えば健康的。肉付きがいいわけでないが、かといって痩せほせっているわけではない。
かといって、貧相というわけではなく控えめだがスリーサイズは確かな曲線を描いている。
普段は借金であえいでいるせいで、痩せ細っているイメージが先行してしまっていたが、実際見てみたらそんなことはまったくない。
(……なんて、理想的な身体……!)
翠華がまさしく思い描いていた理想。
控えめで抑えめだが、確かな可憐さと存在感。
「相変わらず貧相ね」
「これからが成長期なの」
翠華がかなみの裸体に眺めている間に、みあが声をかける。
このやり取りは普段通りというか、慣れている感じがする。
(これもやっぱり何度もお風呂入ってるからなのね……私も慣れなくちゃ!)
人知れず翠華は気合を入れる。
「翠華さん……?」
「か、かなみさん!?」
翠華はうろたえて、バシャとさせる。
「ど、どど、どうしたの!?」
一糸まとわぬ姿で迫るかなみ。あまりにも刺激の強い光景であった。
「い、いえ、なんでもない。なんでもないわ!」
「そうですか、顔が真っ赤になってるから何かあったと思ったんですが」
「ああ、これはね! のぼせただけだから!」
「ええ、まだほんのちょっとしか入ってないですよ!」
「わ、わたわたし、早上がりなの!?」
ドンと翠華は湯柱を上げながら、浴槽から出る。
「え、そんなに早く出たら風邪ひきますよ!」
「う、うぅ、か、身体を洗うだけよ!」
照れ隠しに翠華は強い口調で言い返す。
「翠華さん、怒らせちゃったかな?」
不安になってみあに訊いてみる。
「さあ、あれが怒ってるように見える」
「うーん」
かなみには怒っているように感じたのだが、みあがそういうのだから違うのだろう。
(やっぱり無理言って一緒に入ってもらったから、ちょっと不機嫌なのかな……)
だが、やはり見当違いの考えに行きたるのであった。
「翠華さん、身体が洗いましょうか?」
「え、え、うえぇッ!?」
翠華はいつの間にか、背後に回られて桶から転がりそうになる。
「かなみさん! そんな、いいわよ!?」
「でも、私翠華さんのために何かしたいんです……日頃お世話になってますから!」
「そ、そんなこと気にしなくていいわよ!」
「いいえ、気にします!」
「そ、そう……!」
意外に食い下がるかなみに翠華は弱り果てる。
仕方ない、と翠華は観念する。
(っていうか、これはお近づきになるまたとないチャンス!)
こういう落ち込んだ気分から一転して前向きな姿勢に切り替えられるのもかなみの影響なのかもしれない。
「そ、それじゃ、お願いしてもいいかしら……?」
「はい!」
かなみは張り切って、手拭きタオルを取り出す。
「はあ~見てられないわ」
「みあちゃんも後でやってあげるからね!」
「ば、バカいってんじゃないわよ!」
「え~、いつもやってあげてるじゃない」
「い、いつも……!」
「そうなんです、みあちゃん。本当に人使いが荒いんですよ」
「余計なこと言うな!」
みあは叫ぶ。
――まったく騒がしいわね。
そんなときに不意に湯気の向こうから艶やかな女性の声がする。
「――ッ!?」
かなみ達は驚く。
「そこに誰かいるんですか?」
「ええ、最初からいたわ」
この温泉には他の客はいなかったはず。人の気配もしなかったから三人で思う存分にハネを伸ばしていたというのに。それを全部見られていたというのはなんだか締りが悪くなる。
「最初から……!」
「まったくあんた達ときたら騒がしいったらありゃしないわ、ちょっとは風情を楽しもうとは思わない」
「す、すみません……」
「バカ! 謝ること無いのよ! 大体あんたいきなり出て上から目線たあ、いい度胸じゃないの!」
みあちゃんも十分上から目線だよとかなみ達は思った。
「随分言うわね、おちびちゃん」
女性の方は湯気から姿を現す。
「なッ!?」
その女性を見て、かなみ達は驚愕した。容姿には見覚えがあったからだ。
裸を見るのは初めてだが、その違いは服を着ているときと大して変わらないというのが第一印象だったから。何しろのその女性は普段から肌を過剰なまでに晒しているからだ。
余談だが、今は大事なところを上手に隠している湯気が衣服といってもいい。
「テンホー!?」
そう悪の秘密結社ネガサイドの幹部の一人。
「そうよ、私こそが悪運の愛人・テンホーよ!!」
ハイテンションこの上ない名乗りであった。
「なんで、ネガサイドの幹部がここにいるわけ?」
「あら、悪の秘密結社が社員旅行しちゃ悪いっていうの?」
「しゃ、社員旅行ッ!?」
「おう、テンホー湯加減はどうだ!?」
ガラガラと勢い良く戸が開けられて全裸の男がハイテンションでやってくる。
「きゃあぁぁぁぁッ!!?」
突然のことでかなみは悲鳴を上げる。
「なんで、あんたも来てるわけよ!?」
「いくら混浴だからって、男がいきなり入るなんて通報モノよ!」
みあがカンセーに向かって指差して叫ぶ。
「あん、何いってんだ? このカンセイ、いつだろうとどこだろうと正面からゆくぞ!」
「いや、そんな堂々と言われても!」
「さすが悪の秘密結社ね! 成敗のしがいがあるわ!」
「みあちゃん、ここは一応混浴だから問題無いと思うけど」
「どーでもいいわ、そんなの気にしていたら悪者退治なんてできないじゃない! 出会い頭に先手必勝、それが鉄則よ!」
「社長は受け身だって言ってたけど」
「細かいことはいいの! さ、とっとと変身するわよ!」
「ええ、でもコインは更衣室においてきちゃったよ!」
「あ……!」
コインが無ければ変身は出来ないということ。
つまり、今ここで襲われたら一巻の終わりという大ピンチという状況である。
「まあ、待てよ。俺達は戦いに来たわけじゃないぜ。戦う時は戦う、休む時は休む、温泉入る時はじっくり浸かる。オンオフはきっちりするのが俺の美学だぜ」
カンセイは得意げに語りながら温泉に浸かる。
「偶然にもあんた達も旅行中みたいね。私達も慰安旅行中なんだから、事を構えたらせっかくの英気も養えないからね」
「なんでそういう理屈になるわけよ! 私達は敵同士でしょ」
「敵だからってな、出会い頭に戦わなくちゃならない法律はねえぜ」
「お前らが法律とか言うな!」
ビシッとみあは再び指差して反論する。
「かなみさん、みあちゃん、落ち着いて。ここはひとまず様子を見ましょう。変身できないんだから」
「翠華さんがそう言うんなら……」
かなみは悔しそうに答える。
「あたし、納得いかない!」
「仕方ないわよ、今戦いになったらやられるのは私達の方なんだから」
「……!」
みあは歯ぎしりをする。自分達が置かれている状況を納得できずとも受け入れようとしているのだ。
「しょうがないわね! 半径10メートル以内に入ったらぶっ殺すから覚悟しなさい!」
「それじゃ浴槽に入れないじゃない」
テンホーは余裕綽々で反論する
「入らなくてもいいわよ! さっさと出なさい!」
「まあまあみあちゃん、そう挑発しないで」
そう言って、かなみは浴槽に入る。
「おう、話のわかるボンビーガールじゃねえか!」
「ボンビー言うな! っていうか、馴れ馴れしくするな!」
「かなみさん……」
さっき『挑発しないで』と言ったばかりなのに、と思う翠華であった。
「まあ、僕達はいつでも入社歓迎ですからね」
「うわッ!?」
かなみの目の前に少年が現れたので驚き、飛びはねる。
「つれないんですね、一度は勧誘した仲じゃないですか」
「その勧誘をきっぱりお断りした仲でもあるわ」
そう、このネガサイドの幹部の一人である礼儀正しくも人を見下した目をした少年・スーシーは以前かなみをネガサイドに勧誘した。結果はかなみが答えたようにきっぱりとお断りしたのだが、どうやら脈ありと認定されてしまったようだ。
「一度断れたぐらいできっぱり縁切りできるとは思わないことですね」
ニコリと笑顔でスーシーは言った。
「かなみさんは絶対に渡さないから!」
翠華は勢い良く割って入る。
「それは残念です」
スーシーはあっさりと引き下がる。
「ああ、僕は諦めが悪い方なので、気が変わったらいつでも言ってください」
と忠告してかなみと翠華から距離をとる。
「翠華さん、ありがとうございます」
「え、ええ……」
純粋に感謝の言葉を述べるかなみに翠華はドキリとさせる。
(勢いでつい出しゃばっちゃったけど……)
自分の行動を振り返って自画自賛しはじめる。
(今のでかなみからの好感度は間違いなく上がったはず!)
密かにガッツポーズするのであった。
「ホント、あんたってロクでもないヤツに気に入られるわね」
みあの一言に翠華も自分も当てはまっているのではないかと反射的に胸に手を当ててしまう。
「う、うん……」
一方のかなみは目の前にいるスーシーや借金取りの黒服の男を思い浮かべていた。
それがまた都会のまばゆいネオンで眩しい光に慣れきったかなみ達の目には新鮮に映った。そのせいで迷いに迷っているのだった。
「なんで、田舎ってこんなに暗いのよ」
「私の部屋もこれぐらいだから平気よ」
「あんたは節約のためでしょ」
「でも、そのおかげで夜目にはきくんだよ」
「ありがたくない恩恵だけどね」
マニィの言葉にかなみは拳を握りしめ、悔しさをにじませる。
「でも、だったらなんでこんなに時間がかかるわけ?」
「暗いのが平気でも初めての場所はわからないのよ」
「よーするに方向音痴ってわけね」
「みあちゃん……いきなり決めつけるのはよくないわよ。方向音痴っていうのはね、地図がある状況で迷うことを言うのよ」
「とはいっても、その地図がね……」
みあは社長からもらった旅館までの地図を広げる。
それは明らかに三分で書いたような手抜きの地図で、とてもじゃないがこんな山中で脱出できるようなシロモノではない。
「小学生でもこんなの書かないわよ!」
「はあ、こういうときGPSでもあればなー」
「え、それならあるけど」
みあは携帯を取り出す。
「ええ!? あるならあるって早く言ってくれればいいのに!」
「あんまり使ってなかったから忘れてたのよ。第一ケータイならあんたも持ってるでしょ」
「だって、ケータイなんて電話とメールしか使ってないし」
「通信料金がかかるものだからという財布事情もあるし」
「あんたは黙ってなさい!」
「はあ~……これだから、貧乏女はー……」
みあはため息をつく。
「まあまあ、みあちゃんだって忘れてたんだし、言いっこなしってことで」
「しょうがないわね」
みあは携帯を操作する。
「結構近いじゃない」
「よかった。道順わかってても、こう暗くちゃ迷子になるところだったし」
「あんたなら別に野宿でも大丈夫そうだけど」
「そうね、ここなら部屋代もかからなそうだし」
「かなみ……それ、冗談よね?」
「え、いや、冗談に決まってるじゃない! キャンプならいいけど、さすがに何もなしで山奥は無理よ!」
「……半分本気だったのね」
「まあまあ、早く旅館に行きましょ」
かなみは笑ってごまかす。
その様子を見て、このまま置き去りにしても問題無いとみあは思った。
みあのGPSとかなみの夜目のおかげでなんとか旅館に辿り着けた。
「こ、これが旅館なの?」
みあは信じられないと面持ちで旅館を見上げる。
田舎なのだから木造なのはまだいいとして、すっかり老朽化したボロ具合は『風情がある』を通り越して倒壊寸前なのでは、と危機感を募らせる。しかも明かりは一切灯っていない。
GPSで『旅館』の表示が無かったら無人でスルーしてしまうところだ。
「な、なんかユーレイとか出てきそうね」
「まあ、実際ユーレイはいるんだけどさ」
「千歳さん、どっかに行っちゃったんだろう?」
宝物(?)であるツインテールの片割れを見つけて大喜びで文字通り舞い上がった千歳はそのままどこかへ飛び去って戻って来なかった。
「どーせ、満足して成仏したんでしょ、メデタシメデタシじゃない」
「そうだけど……挨拶ぐらいしてもよかったんじゃ……」
「いいじゃない、あっさりしてくるぐらいちょうどいいのよ」
「みあちゃん、ドライね……なんか大人って感じ」
「当然よ。社長令嬢なんだから借金女とはわけが違うのよ」
「あうう、世の中不公平よ。ともかく中に入ってみましょう」
かなみは勇んで旅館へ入っていく。
「なんで、かなみは悔しそうに涙目になってるのかしら?」
「みあよ、もうちょっと大人になったらどうだ?」
「あたしは十分大人よ、ホミィ」
そうこう言っているうちにかなみは引き戸をガラガラと開ける。
「ごめんくださーい! だれかいませんか!」
「……返事が無い、ただの廃墟みたいね」
「とりあえず野宿は避けられるけど、社長達はどこなのかしら?」
「電話してみるか」
「最初からそうしたほうがよかったんじゃないの?」
「それは言わない約束よ」
みあがそう答えた瞬間、灯りがともる。
「う、まぶし!」
夜目に慣れすぎたかなみは思わず目を塞ぐ。
「電気が通ってたのね」
「ええ、セルフサービスなのが難点なのよね」
土間から社長のあるみが姿を表す。
「社長!」
「無事、お宝はゲットしたみたいね。こっちは空振りだっていうのに」
「そのお宝も空振りだったけどね」
「まあまあ、そういうことあるわよ。ささ、上がって上がって、夕食は出来てるから」
「夕食!!」
かなみは一気に元気を取り戻す。
「まったくゲンキンね。まあ、おなかは空いてたところなんだけど」
「かなみさん、無事でよかったわ」
「翠華さん! 心配してくれてたんですか!」
「そりゃ、もちろん。かなみさんのことだからひょっとしたら野宿する羽目になってるかもしれないと思うと心配で……」
「翠華さん……エスパーなんですか?」
「魔法少女よ」
「本当に危うく野宿しかけたところなんだけどね」
「ついでにみあちゃんも無事でよかったわ」
「ついでって……まあ、あなたに好かれたいとも思わないけど」
「みあちゃん、ごめん。すねちゃった?」
「べ、別にすねてなんかないわよ!」
プイッ、とみあはそっぽ向く。
「かなみさん、みあちゃんに嫌われちゃったみたい」
「いえいえ、いつものカワイイみあちゃんですよ」
「か、カワイイ……? かなみさんってそういうのがタイプなの?」
「タイプって、何の話ですか?」
「い、いいえ、なんでもないわ! みあちゃんとも仲良くなりたいわね、アハハハハ」
「……白々しい」
みあはボソリと呟いた。
「それで夕食はどこなんですか?」
「もうすぐくるわよ」
社長は和服を着込んでいかにも女将のような振る舞いで入ってくる。
「社長、なんですかその格好?」
「せっかくだから気分出そうと思ってね。ああ、大丈夫よこれは経費で落ちるから」
「大丈夫なわけないでしょ」
後から入ってきた鯖戸は苦言を呈する。
「まったく、無理を言って貸してもらった身にもなってほしいものだ」
「こんな美少女に着られるんなら服も幸せでしょ」
あるみはここぞとばかりにポーズをとる。
「服みたいにホコリかぶってるくせに」
「なんですって?」
「僕は服のことを言っただけさ」
鯖戸は何くわぬ顔で座る。
「まったく可愛くないんだから」
「可愛い部長は嫌です」
「かなみちゃん、こういうヤツでも可愛い時はあるものよ」
それは絶対にありえない、とかなみは心底は思った。
「ささ、気を取り直して料理を出しましょうか! 当旅館自慢の山の幸のお料理よ」
「社長、ホントに女将やるつもりなんですか?」
「この旅館はセルフサービスがモットーみたいなのよ」
「どこまでがセルフサービスなんですか、電灯の消灯まで自分の手でやるなんてきいたことがないですよ」
「ほら、今流行りの節電よ。資源は大切にしなくちゃね」
「じゃあ、オフィスの夜間営業もやめればいい節電になりますよ」
「それをやったら、あなたの借金もセルフサービスにしちゃうからね♪」
あるみは満面の笑みで言い放つ。
借金のセルフサービス……ようするに、今会社が肩代わりしている借金を自分で払えということである。返すあてがまったくないかなみに残された手段は…………。
ここまで想像して、かなみは身震いとともに、
「生意気言ってすみませんでした」
と素直に謝罪するのであった。
「うんうん、魔法少女は素直が一番よ」
そう言っている間に旅館のふすまが密かに開けられた。
そこから数人の人間が入ってきて料理を手早くかなみ達の前に運んでいく。
おそらくこの旅館の中居なはずなのだが、確信は持てなかった。
何故なら、女性とも思われる――彼女達の印象は不気味以前に特に特徴がないというものであった。彼女達ときたら慌てず騒がずただ淡々と目立たないよう動いているのだ。
「まるで歌舞伎の黒子ね」
みあはそう言い表した。
「みあちゃん、なにそれ?」
「常識よ、なんで知らないのよ?」
そんな会話を二、三言かわしていくうちに立派な山の幸料理が並ぶ。
「おお!」
かなみは驚嘆の声を上げる。
山でとれたであろう山菜のおひたしと天ぷら、それに今日着けたばかりの漬物に、牧場から仕入れてきた牛肉の刺身。
どれもこれもまともに食事にありつけていない普段のかなみからしてみれば豪勢極まりない食事であった。
「これ、食べていいんですか!」
「ダメって言ったら?」
「食べます!」
「よろしい、食べていいわよ」
「いただきます!」
かなみの合掌に合わせて、三人は一斉に食べる。
なんだかんだいって、野山を駆けまわっていたのだから腹ペコなのであった。
「うまい! うますぎるよ!」
一気に大量を頬張って歓喜するかなみ。
「本当においしいわ」
普通に一口ずつ丁寧に口に入れて比較的ゆっくりと楽しむ翠華。
「ま、まあ、素朴の味って感じね」
強がりつつも食材に伸ばす箸の手が止まらないみあ。
とまあ、三人とも違ったかたちで夕食を楽しむ。
「おかわり!」
そこでさっそく茶碗を空にしたかなみはおかわりを要求する。
「それは自分でとってきてね」
そう言ってあるみは旅館の地図を渡す。
「おかわりのおひつは食堂にあるから」
「そういうところはセルフサービスなんですね」
なんでそのおひつを持ってきていないのか。さっきの人達に頼めばいいのではないか。と疑問はつきないが、この社長の前ではそういうことになっているからの一言で片付けられると思い、かなみは茶碗を片手に部屋を出て行く。
「くらッ!」
廊下に出てふすまを閉めた途端、視界は一気に暗闇になった。
電灯はついていない上に、窓がないため月明かりさえない真っ暗闇。
「来た時はついていたのに……」
さっきの従業員達が消していったのだろうか。こんな暗くなるならつけたままでいいのになんて余計なことをしてくれたのだろう、とかなみは不満に思った。
「ま、なんとかならない暗さでもないか」
こういうときは普段の習慣がモノを言うものね、とちょっとしたお得感を感じるかなみであった。
「食堂、食堂~♪」
あっという間に暗闇に慣れたかなみはおかわりを楽しみにして食堂へと足を運ぶ。
地図を確認するとここが食堂のようなのだが、食堂も廊下と同じように電灯がついておらず、暗かった。奥にあるキッチンとおもわれる場所さえも暗闇であった。
「こんなんでどうやって料理するのかしら?」
「田舎の人はみんな夜目がきくのかもしれない。そうすれば相当な電気代の節約になる」
「まっさかー、いくら節電だからって、包丁で手を切っちゃったら治療費かかって本末転倒でしょ。」
「それもそうか」
「でも、これじゃどうやって私達の料理を作ってるのかしら? マニィの言うとおり、節電のために暗くしてるからってまだ料理の途中でしょ、でもここには一人もいない。もう作業は終わっちゃってるのかしら? でも、洗い物はどうするのかしら? それにさっきの人達はどうみても怪しいし……」
「案外、幽霊がやってるかもしれない」
かなみはそれを聞いただけでビクッと身震いする。
「ゆ、ゆゆゆ、幽霊なんて、そんなわけないじゃない!」
「そのわりには声が震えてるじゃないか」
「こ、ここ、これは武者震いよ!」
「敵はいないのに、かい?」
「ご、ご、ご飯がそこにあるから!」
「意味がわからない」
「わからなくていいの!」
かなみはキッチンに入っておひつを探す。
「おひつ、おひつはどこなの~」
こんな暗くて不気味なところは早く出て行きたくてたまらない。部屋で翠華やみあが楽しく食事を続けていることを考えると余計にその気持ちが強くなる。
しかし、空腹と天秤にかけると何が何でも腹を満たしたい気持ちの方が勝った。
「あ~それにしても真っ暗のキッチンって不気味ね」
ところどころで調理器具の金属が光っているように見える。どうにもその光が妖しく感じて仕方がない。
「魔法少女は現実にいても、幽霊は現実にいない」
「でもゾンビはいたけど」
「うるさい、黙りなさい!」
とはいっても、マニィのおかげで少しは気を紛らわせたが。
ギィ!
突然、金属の甲高い音が耳に入る。
「――ッ!?」
心臓が飛び出さんばかりに驚きすくみ上がる。
「な、なななな……?」
それはわずかばかりに緩んだ空気を一気に張り詰まらせるものだった。
ギィギィ!
続いて聞こえきた。
こうなるともう気のせいと言うわけにもいかない。
一度や二度ならずも三度聞こえたのだから。
問題はどうしてこんな音がなるか、である。
ここにはかなみ以外の人間はいない。ねずみのような小動物の気配もない。風の音のせい、といいたいがここには窓は無い。換気扇も止まっている。つまり科学的に考えればこのキッチンに音がなる要因が一切無い。
だが、非科学的に考えた場合――
(ま、まさか……!?)
ギィギィ!!
あった。
暗闇の中で浮き彫りになった――そこにあるはずのないシルエットがあった。
人のようでもあり、人じゃないようでもあるような曖昧さ。存在感すらもうっすらとしていて闇の中へと溶けこみかけているが、それでも確かにそこに立っている。
「――ッ!」
それだけならまだよかった。
漏れだしそうな悲鳴を腹へと抑えこみ、飛び上がって逃げ出しそうな足を踏ん張らせて、耐えしのげるレベルだった。
――キラリ!
そのシルエットが持っている妖しく光る金属が目に入った。
――包丁
それはここがキッチンなんだから、あっても不思議じゃない。
だけど、そのシルエットが手に持っているとなるとまるで話が違ってくる。
――殺される!
これがネガサイドやら怪人やらならまだいい。
戦い方も対処の仕方もわかっているからだ。だが、そのシルエットの正体がまったくわからない未知の存在だ。
――戦いでもっとも怖いことはわからないということよ
あるみの助言が脳裏をよぎる。
今がまさにその『もっとも怖いこと』の時だからか。いやがおうにもその意味を思い知ることになった。
――手詰まりで自分じゃどうしようもできないと思った時はね。
そうそう、そんな時のための助言も教えてくれたんだ。
やっぱり社長は頼りになる。
普段はハッチャメチャで、振り回されてまさに悪魔といったものだけど、いざというときは頼りになる。
えっと、その続きは続きはっ、とかなみは思い出す。
――逃げるのも手よ。
よし、逃げよう!
その決断に至るまでコンマ一秒とかからなかっただろう。
キッチンに出てから、廊下を走りこんで翠華達の部屋まで一瞬で駆け抜ける。
変身もしていないのに、魔力で向上した脚力以上の身体能力を発揮したに違いない。
みあに言わせればこれも『火事場の馬鹿力』なのだろう。こういうのも戦闘で役立てればもっと楽に怪人に勝てるのに、肩に乗ったマニィは思った。
「で、でででで、出たーッ!?」
部屋のふすまを開けるなり、かなみは抑え込んでいた悲鳴を一気に開放した。
「はあッ!?」
和気あいあいとしていた翠華達にとって突然のことで当然たじろいだ。
「出たって何が?」
「ネガサイド? 怪人?」
あるみはご飯をバクバク食べながら呑気に訊く。
「そんなの出るわけ無いでしょ! おばけよ、おばけに決まってるでしょ!」
「いえ、そっちの方が現実的だと思うんだけど」
「常識的にみればどっちも非現実的よ」
「まったくもってそのとおりだ」
みあのツッコミに鯖戸は同意する。
「なにあのツッコミコンビ」
「社長に鍛えられたんでしょうね」
「って、社長も翠華さんも落ち着いてないで聞いてくださいよ!」
「はいはい、おばけねおばけ。キッチンに出たんだから腹ペコだったんでしょ?」
あるみは呑気にそんなわけないと手を振る。
「腹ペコのおばけなんてきいたことありません!」
「じゃあ、板前さんじゃない? ここの人、真っ暗で作業するから不気味がられるのよね」
「なんで、真っ暗で作業するんですか!?」
「根暗だから?」
「マジメに答えてください!」
「まあまあ、どうせ敵じゃないんだし、襲ってこないんだから大丈夫でしょ」
「襲ってくるかどうかが判断基準なんですか!?」
「そりゃそうでしょ、あっちが何もしてこなかったらこっちも何もしない。魔法少女は基本受け身よ。
――もちろん、やってきたら容赦しないけどね」
ゾクリと背筋が凍りそうな寒気がした。
最後の一言におぞましい殺気がこもっていた。おばけなんかより社長の方がよっぽど怖いんじゃないかとかなみは思った。
「ささ、かなみちゃん! ご飯食べましょ」
「え、えぇ……!」
逃げてきたはずみで、茶碗を落としてきたのだが今更取りには戻れない。
仕方ないからかなみは残った山の幸を食べた。
とってもおいしいはずなのに、キッチンのおばけのことが気になってあんまり味わえなかった。
「温泉♪ お・ん・せ・ん♪」
お腹いっぱい食べ終えたかなみ達はしばらく食休みをしてから当旅館自慢の温泉に入ることにした。
「かなみさん、元気ね」
「そう、あれで怖いのを精一杯抑え込んでいるように見えるけど」
「やだな、みあちゃん! 温泉入るのに怖いなんてことあるわけないじゃない!」
「そりゃそうよね、何しろお風呂入るのは何日振りってレベルだし」
「失礼な! ちゃんとシャワー浴びてるわよ!」
「湯船に入るのは?」
「い、五日かな……」
「どおりで臭におうわけね」
「え、えぇ、臭くさくないよ! っていうか今日は汗たっぷりかいたでしょ!」
「あたしは今朝から言ってるのよ」
「翠華さん……何か言ってくださいよ」
「え、えぇ、そうね……」
翠華は生返事で返す。
「翠華さん、どうしたんですか?」
「あんた、温泉に入るって決めてからずっと上の空よね」
「え、えぇ、なんでもないわ……ただ、私は……ちょっと緊張しちゃって……」
「緊張って、何でですか?」
かなみは屈託の無い目で翠華を覗きこんでくる。
翠華にとってそれはたまらなくドキッとさせる行為であった。
「だ、だだだ、だって、温泉は混浴なのよ!」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。この旅館の客は私達以外いませんし、部長だったら社長に監禁してもらっていますから」
「そ、そそ、そういうわけじゃなくて、あのね、かなみさん……」
翠華はモジモジと顔を赤らめる。
その様子はまさしく恋する乙女なのだが、その想いの矛先であるかなみはまったく気づいていない。
「裸の付き合い……は、ちょっとね……」
「え、どういう意味ですか?」
「だ、だからね、そういうことは早いと思うのよ!」
「翠華さん、何言ってるんですか?」
「かなみ、そんなの置いてはやく温泉はいろ!」
「そんなのって言い方は失礼でしょ! 翠華さん、もし私達と一緒に入るのが嫌なら無理しなくていいんですよ」
「む、むむ、無理なんかじゃないわ、ただその!」
「もしかして、翠華さん!」
「ひゃあッ!?」
かなみは一気に詰め寄る。
「裸は彼氏さんにしかみせないつもりなんですか?」
「はあッ!?」
傍から聞いていたみあはずっこける。
「裸の付き合いって、翠華さんぐらいの人になると付き合ってる人にしか見せないように心がけるものなんでしょ?」
「え、ええッ!? そ、それはね……!」
「なのに、私無理言っちゃってごめんなさい。そういうことなら私達が先に入ってます。いこ、みあちゃん」
「え、ええ……馬鹿らしいったらありゃしない」
みあは呆れた目でかなみに手を引かれる。
「ち、違うの、かなみさん!」
翠華は必死に叫んだ。
まさか、自分の態度がそんな誤解を生むなんて思いもしなかった。
というか、まだ彼氏がいる設定をかなみが信じ込んでいるなんてすっかり忘れていたのであった。
「結局、入っちゃった……」
翠華は湯けむりの中に身を沈めながらため息をつく。
「あんたも損な性格ね」
隣で湯に浸かっているみあはぼやく。
湯加減ばっちりの露天風呂に今みあと翠華の二人しかいない。
更衣室でかなみは汗のせいで中々服が脱げないと言っていたから、入ってくるのにもうしばらくかかる。とはいっても、数分もかからないだろうから、すぐのことなのだが翠華にはどうにも居心地が悪かった。
早く来て欲しい、と思うのだが、同時に一糸まとわぬかなみの姿を見て平静でいられる自信がないため来て欲しくないとも思った。
そんな葛藤を繰り広げている中、みあは一切関心を示さず露天風呂を満喫していた。
この余裕の態度はかなみとお泊りしているからなのか、とうらやましくもあり、ねたましくもあるフクザツな心境の翠華であった。
「みあちゃん、うらやましい……」
「なんで、あたしが?」
「かなみさんと入るの……初めて、じゃないでしょ?」
「ぶッ!?」
みあは湯の中に顔を沈める。
「時々、みあちゃんのところに泊まってるって聞いたわよ。ということはもちろんお風呂も一緒に入ってるんでしょ?」
「な、なな、なんで、そうなるわけよ! 泊まってるからって、一緒に入るわけ無いでしょ?」
身をじたばたさせて精一杯否定する。
「でも、みあちゃんの肌とてもすべすべだったってかなみさん言ってたわ」
「あんのバカナミ……! 次は湯船に沈めてやるわ!」
「やっぱり入ってるんだ、しかも次の予定まで決まってるのね!」
翠華はジト目で問い詰める。
「ハッ!?」
みあは「しまった! 口が滑った」といつもの口の軽さを呪うのであった。
「やっぱり、みあちゃんがうらやましい」
「な、なにいってんのよ! あんなのと何度も一緒にお風呂のどこがうらやましいってのよ!?」
「何度も……一緒に……!」
「ちょ、なんでそんな目が血走ってるのよ!?」
「のぼせてるからよ、気にしないで……!」
「怖いって、こっち見ないで!」
みあはばしゃばしゃと温泉を翠華に浴びせる。
「ごめんごめん、中々脱げなくて手間取っちゃった」
ガラガラとかなみは戸を開けて入ってくる。
「かなみさん……!」
翠華は条件反射でかなみを見てしまう。
かなみの身体……
ふだ着込んでいるからわかりにくいが、一言で言えば健康的。肉付きがいいわけでないが、かといって痩せほせっているわけではない。
かといって、貧相というわけではなく控えめだがスリーサイズは確かな曲線を描いている。
普段は借金であえいでいるせいで、痩せ細っているイメージが先行してしまっていたが、実際見てみたらそんなことはまったくない。
(……なんて、理想的な身体……!)
翠華がまさしく思い描いていた理想。
控えめで抑えめだが、確かな可憐さと存在感。
「相変わらず貧相ね」
「これからが成長期なの」
翠華がかなみの裸体に眺めている間に、みあが声をかける。
このやり取りは普段通りというか、慣れている感じがする。
(これもやっぱり何度もお風呂入ってるからなのね……私も慣れなくちゃ!)
人知れず翠華は気合を入れる。
「翠華さん……?」
「か、かなみさん!?」
翠華はうろたえて、バシャとさせる。
「ど、どど、どうしたの!?」
一糸まとわぬ姿で迫るかなみ。あまりにも刺激の強い光景であった。
「い、いえ、なんでもない。なんでもないわ!」
「そうですか、顔が真っ赤になってるから何かあったと思ったんですが」
「ああ、これはね! のぼせただけだから!」
「ええ、まだほんのちょっとしか入ってないですよ!」
「わ、わたわたし、早上がりなの!?」
ドンと翠華は湯柱を上げながら、浴槽から出る。
「え、そんなに早く出たら風邪ひきますよ!」
「う、うぅ、か、身体を洗うだけよ!」
照れ隠しに翠華は強い口調で言い返す。
「翠華さん、怒らせちゃったかな?」
不安になってみあに訊いてみる。
「さあ、あれが怒ってるように見える」
「うーん」
かなみには怒っているように感じたのだが、みあがそういうのだから違うのだろう。
(やっぱり無理言って一緒に入ってもらったから、ちょっと不機嫌なのかな……)
だが、やはり見当違いの考えに行きたるのであった。
「翠華さん、身体が洗いましょうか?」
「え、え、うえぇッ!?」
翠華はいつの間にか、背後に回られて桶から転がりそうになる。
「かなみさん! そんな、いいわよ!?」
「でも、私翠華さんのために何かしたいんです……日頃お世話になってますから!」
「そ、そんなこと気にしなくていいわよ!」
「いいえ、気にします!」
「そ、そう……!」
意外に食い下がるかなみに翠華は弱り果てる。
仕方ない、と翠華は観念する。
(っていうか、これはお近づきになるまたとないチャンス!)
こういう落ち込んだ気分から一転して前向きな姿勢に切り替えられるのもかなみの影響なのかもしれない。
「そ、それじゃ、お願いしてもいいかしら……?」
「はい!」
かなみは張り切って、手拭きタオルを取り出す。
「はあ~見てられないわ」
「みあちゃんも後でやってあげるからね!」
「ば、バカいってんじゃないわよ!」
「え~、いつもやってあげてるじゃない」
「い、いつも……!」
「そうなんです、みあちゃん。本当に人使いが荒いんですよ」
「余計なこと言うな!」
みあは叫ぶ。
――まったく騒がしいわね。
そんなときに不意に湯気の向こうから艶やかな女性の声がする。
「――ッ!?」
かなみ達は驚く。
「そこに誰かいるんですか?」
「ええ、最初からいたわ」
この温泉には他の客はいなかったはず。人の気配もしなかったから三人で思う存分にハネを伸ばしていたというのに。それを全部見られていたというのはなんだか締りが悪くなる。
「最初から……!」
「まったくあんた達ときたら騒がしいったらありゃしないわ、ちょっとは風情を楽しもうとは思わない」
「す、すみません……」
「バカ! 謝ること無いのよ! 大体あんたいきなり出て上から目線たあ、いい度胸じゃないの!」
みあちゃんも十分上から目線だよとかなみ達は思った。
「随分言うわね、おちびちゃん」
女性の方は湯気から姿を現す。
「なッ!?」
その女性を見て、かなみ達は驚愕した。容姿には見覚えがあったからだ。
裸を見るのは初めてだが、その違いは服を着ているときと大して変わらないというのが第一印象だったから。何しろのその女性は普段から肌を過剰なまでに晒しているからだ。
余談だが、今は大事なところを上手に隠している湯気が衣服といってもいい。
「テンホー!?」
そう悪の秘密結社ネガサイドの幹部の一人。
「そうよ、私こそが悪運の愛人・テンホーよ!!」
ハイテンションこの上ない名乗りであった。
「なんで、ネガサイドの幹部がここにいるわけ?」
「あら、悪の秘密結社が社員旅行しちゃ悪いっていうの?」
「しゃ、社員旅行ッ!?」
「おう、テンホー湯加減はどうだ!?」
ガラガラと勢い良く戸が開けられて全裸の男がハイテンションでやってくる。
「きゃあぁぁぁぁッ!!?」
突然のことでかなみは悲鳴を上げる。
「なんで、あんたも来てるわけよ!?」
「いくら混浴だからって、男がいきなり入るなんて通報モノよ!」
みあがカンセーに向かって指差して叫ぶ。
「あん、何いってんだ? このカンセイ、いつだろうとどこだろうと正面からゆくぞ!」
「いや、そんな堂々と言われても!」
「さすが悪の秘密結社ね! 成敗のしがいがあるわ!」
「みあちゃん、ここは一応混浴だから問題無いと思うけど」
「どーでもいいわ、そんなの気にしていたら悪者退治なんてできないじゃない! 出会い頭に先手必勝、それが鉄則よ!」
「社長は受け身だって言ってたけど」
「細かいことはいいの! さ、とっとと変身するわよ!」
「ええ、でもコインは更衣室においてきちゃったよ!」
「あ……!」
コインが無ければ変身は出来ないということ。
つまり、今ここで襲われたら一巻の終わりという大ピンチという状況である。
「まあ、待てよ。俺達は戦いに来たわけじゃないぜ。戦う時は戦う、休む時は休む、温泉入る時はじっくり浸かる。オンオフはきっちりするのが俺の美学だぜ」
カンセイは得意げに語りながら温泉に浸かる。
「偶然にもあんた達も旅行中みたいね。私達も慰安旅行中なんだから、事を構えたらせっかくの英気も養えないからね」
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「お前らが法律とか言うな!」
ビシッとみあは再び指差して反論する。
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かなみは悔しそうに答える。
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「……!」
みあは歯ぎしりをする。自分達が置かれている状況を納得できずとも受け入れようとしているのだ。
「しょうがないわね! 半径10メートル以内に入ったらぶっ殺すから覚悟しなさい!」
「それじゃ浴槽に入れないじゃない」
テンホーは余裕綽々で反論する
「入らなくてもいいわよ! さっさと出なさい!」
「まあまあみあちゃん、そう挑発しないで」
そう言って、かなみは浴槽に入る。
「おう、話のわかるボンビーガールじゃねえか!」
「ボンビー言うな! っていうか、馴れ馴れしくするな!」
「かなみさん……」
さっき『挑発しないで』と言ったばかりなのに、と思う翠華であった。
「まあ、僕達はいつでも入社歓迎ですからね」
「うわッ!?」
かなみの目の前に少年が現れたので驚き、飛びはねる。
「つれないんですね、一度は勧誘した仲じゃないですか」
「その勧誘をきっぱりお断りした仲でもあるわ」
そう、このネガサイドの幹部の一人である礼儀正しくも人を見下した目をした少年・スーシーは以前かなみをネガサイドに勧誘した。結果はかなみが答えたようにきっぱりとお断りしたのだが、どうやら脈ありと認定されてしまったようだ。
「一度断れたぐらいできっぱり縁切りできるとは思わないことですね」
ニコリと笑顔でスーシーは言った。
「かなみさんは絶対に渡さないから!」
翠華は勢い良く割って入る。
「それは残念です」
スーシーはあっさりと引き下がる。
「ああ、僕は諦めが悪い方なので、気が変わったらいつでも言ってください」
と忠告してかなみと翠華から距離をとる。
「翠華さん、ありがとうございます」
「え、ええ……」
純粋に感謝の言葉を述べるかなみに翠華はドキリとさせる。
(勢いでつい出しゃばっちゃったけど……)
自分の行動を振り返って自画自賛しはじめる。
(今のでかなみからの好感度は間違いなく上がったはず!)
密かにガッツポーズするのであった。
「ホント、あんたってロクでもないヤツに気に入られるわね」
みあの一言に翠華も自分も当てはまっているのではないかと反射的に胸に手を当ててしまう。
「う、うん……」
一方のかなみは目の前にいるスーシーや借金取りの黒服の男を思い浮かべていた。
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