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1巻

1-3

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 結局、ジュードが邸宅に戻ってきたと知らせを受けたのは、あれから一時間近くが経った頃だった。
 セレニアは夫婦の寝室に案内され、ジュードを待っていた。
 ルネたちは少し前にジュードの出迎えへ向かった。
 その際、「良い夜を」と言われたので、彼女たちと次に顔を合わせるのは明日の朝になるだろう。
 ……心臓が、どくどくと音を立てている。
 初夜とは一体どういうことをするのだろうか。想像だけで、心臓がはち切れそうだった。
 しかし今はそれよりも、別の問題に直面していた。

(……お腹、空いちゃった)

 ルネに「旦那さまがお戻りになられたようです」と言われた時、うとうとしていた意識が一気に覚醒した。それと同時に、すっかり忘れていた空腹感に気づいてしまったのだ。
 だが、セレニアとて若い女性である。食い意地が張っているとは思われたくない。

(初夜の間にお腹が鳴りませんように……)

 祈るような思いを抱えつつ、セレニアはジュードが寝室に来るのを今か今かと待っていた。
 それから十分ほど経った頃。
 寝室の扉が開き、ジュードが顔を見せた。彼は疲れた様子だったが、セレニアの姿を見て、笑みを浮かべる。

「さすがに遅くなりましたね、すみません」

 ジュードの衣服は、披露宴でのごうしゃなものからシンプルな部屋着に変わっていた。
 着飾った姿も大層美しかったが、ラフな姿もまた違った魅力がある。
 見惚れそうになるセレニアだったが、ハッとして頭を下げる。

「お、おかえりなさいませ……」

 これでいいのかはわからないが、無難に出迎えのあいさつをした。

「せっかくの晴れの日だというのに、仕事の話ばかりで申し訳ありませんでした。ビジネスチャンスはどこにでも転がっているものだから、できるだけ逃したくなくて」

 ジュードはそう言うと、寝台に腰掛けるセレニアのそばに移動した。
 彼が流れるような動きで隣に腰掛けると、自然とセレニアの身体がぶるりと震える。

「おや、この香りは」

 ジュードがなにかに気づいて目を瞬かせる。
 ルネが用意した香油には、バラから抽出した香りが調香されていたらしい。なんでも、ルネの実家がある地方から取り寄せたという話だ。

「香油です。バラの香りなのだとか」
「そうでしたか。これはいいですね。今度展開する化粧品事業に、バラの香料を使った商品を入れても……」

 独り言のように、ジュードがブツブツと呟く。
 それに気を悪くする権利など、セレニアにはない。ただ、笑みを浮かべて彼を見守るだけだ。

(本当に、お仕事熱心な方なのね)

 初夜に新妻を目の前にしても仕事のことを考えているくらいなのだ。よっぽど仕事が大切に違いない。
 けれど、それ以上にセレニアが感じたのはその事実を突きつけられても、なんとも思わない自分自身への落胆だった。
 心のどこかでわかっていたのだろう。
 ――自分が優先されない存在であることを。

(自分でも、気づかないうちにへいしていたのね)

 離れでのあの生活は、想像以上にセレニアの心に負担をかけていたようだ。
 他人に期待することをやめてしまっている。今さらそんなことに気がついた。

「あぁ、すみません。仕事のことになると、ついついこうなってしまって……」
「いえ、構いません」

 ジュードが軽く謝罪の言葉を口にする。眉尻が申し訳なさそうに下がっているのが面白くて、セレニアはつい、くすっと声をあげて笑っていた。

「……セレニア?」

 ジュードが驚いたように首をかしげる。
 セレニアは慌てて口元を手で押さえた。

「申し訳、ございません」

 そして、謝罪の言葉を口にした。
 こういう風に笑うのは、はしたないことだったかもしれない。
 だが、ジュードは特に気にしていないように微笑みかけてくる。

「かしこまる必要なんてありません。セレニアには、そうやって自然体でいてほしいんです」

 彼はそう言って、セレニアの手を取る。

「俺は生粋の貴族じゃない。社交の世界にもうとい。だから、俺の前でかしこまる必要はありません」

 笑みを浮かべたジュードが優しく、穏やかに語りかける。
 その言葉を嬉しく思う気持ちもある。だが、それよりもどういう反応をするのが正解なのかわからない。
 長年、離れにこもって使用人たち以外と関わることなく過ごしてきた。だからそれ以外の他人と、ましてや夫という存在とどういう風に接すればいいかが想像できないでいる。

「俺はあなたと持ちつ持たれつの関係を築いていきたいと思っています。俺はあなたに苦労のない生活を提供する。その代わり……そうですね、俺に貴族としての暮らし方でも教えてください」

 ジュードは事もなげにそんなことを提案した。

「ジュードさま……」
「爵位をたまわったといっても実際は金で買ったも同然の、しょせんは成金男爵です。けれどいつまでもそんな風に言われっぱなしでいるわけにもいきませんから」

 先ほどの言葉で抱いてしまった期待が、一気にしぼんだ。
 彼は自分に役目を与えてくれた。だが、それはセレニア自身に期待してのことではない。

(彼が欲しているのはあくまで、侯爵家出身の妻という存在なのだわ)

 そう思って、気持ちが暗くなる。
 でも、そんなことを顔に出してはならない。

「私に、できることであれば」

 震えそうな声をこらえて、セレニアは言う。

「それはよかった」

 ジュードが息を吐いた。
 おもむろに彼の手がセレニアの頬に触れる。……壊れ物を扱うような優しい手つきに、セレニアの心臓がどくんと大きく音を鳴らした。

「遅くなりましたが、セレニア。……いいですか?」

 その「いいですか?」の意味がわからないほど、セレニアは子供ではない。
 閨でのことを教わる前に両親はセレニアの教育を投げ出してしまったから詳細までは知らないが、こういう時にするのは――口づけだ。
 セレニアはそっと目をつむった。
 彼の顔が近づいてきているのがわかる。吐息が肌に当たって、無性に恥ずかしくなって――突如寝室に響く、ぐぅという間抜けな音。
 それは、セレニアのお腹の音だった。

(た、タイミングが、悪すぎる……!)

 あまりの恥ずかしさに、顔から火を噴きそうだ。
 さすがにこういうつやっぽい雰囲気になったら、空腹なんて気にならないと思ったのに。
 彼の顔を見られず、視線をさまよわせる。すると、ジュードが面白そうに笑い声をあげた。

「そういえば、披露宴ではなにも食べる暇がありませんでしたね。……遅めのばんさんにしましょうか」

 ジュードは嫌な顔一つせずにそう言って立ち上がり、寝室を出ていこうとする。
 そのあっけらかんとした態度にセレニアが驚いていると、彼は振り返ってセレニアを見つめた。

「俺は庶民の出ですから。できることは、自分でする主義なんです」

 いたずらっぽいその言葉だけを残して、彼は寝室を出ていってしまった。
 残されたセレニアは、一人呆然とすることしかできなかった。


 しばらくして、ジュードが小さなトレーを持って寝室に戻ってきた。
 トレーの上にある皿には小さなロールパンがいくつか載っている。

「簡単なもので申し訳ないです」

 ジュードは苦笑を浮かべる。
 セレニアは首を横に振った。なにかお腹に入れられるだけでありがたいし、なにより彼が自ら用意してくれたことが嬉しかった。
 ジュードに勧められるがままに寝台からソファーのほうに移動し、腰掛ける。

「実は俺もわりと空腹でして。ちょうどよかったです」

 彼の言葉はセレニアに気を遣わせないためのものだろう。今日一日だけでも、彼がこうしてセレニアをフォローしてくれたのは一度や二度ではない。

(もっと、お仕事にしか興味のない方だと思っていたけれど……)

 たった一日関わっただけで、イメージしていた彼の印象はがらりと変わっていた。
 そんなことを考えつつ、セレニアはロールパンに手を伸ばす。ほんのりと温かい。
 セレニアが手に取ったパンを見つめていると、ジュードは手慣れた手つきで水差しからカップに水を注ぐ。

「どうぞ」
「……あ、ありが、とう、ございます」

 彼が流れるような動きでカップを手渡してきたので、セレニアも当然のように受け取ってしまった。
 こういうことをするべきは、妻である自分の役割ではないだろうか。少なくとも、主人にさせることではないはずだ。
 だが、ジュードは気にするそぶりもなくロールパンを口に運ぶ。その姿を見て、セレニアも一口大にちぎったロールパンを口に運んだ。
 ふわふわして、とても美味だった。少し食べるだけでも、お腹が満たされていく。
 二つほどを食べ終えると、セレニアは小さく「ごちそうさまでした」と口にした。

「もういいのですか?」

 そんなセレニアを見つめ、ジュードが尋ねた。
 対するセレニアは、目を細めて「はい」と返事をする。
 セレニアはあまり大食いではない。むしろ小食なほうだった。
 そのせいか身体もきゃしゃ、というよりも貧相なのだ。強風が吹けば簡単に飛ばされてしまうのではないかというほどに。

「そうですか」

 セレニアの言葉を素直に受け取って、ジュードは残りを平らげる。三つあったパンは、あっという間にジュードの胃袋の中に収まってしまった。

(すごい食べっぷり……)

 心の中で感心していると、ジュードは空になった皿を持つ。

「片づけてきます」

 彼は簡潔な言葉を残して、寝室を出ていった。
 やはり彼は言葉通り、自分でできることは自分でする主義らしい。
 貴族だからといって、使用人に頼りっぱなしというわけではないようだ。

(お腹も膨れたし、よく眠れそうだわ)

 ふとそう思って、「ふわぁ」と大きなあくびをする。だが、すぐにハッとした。
 先ほどまでそういう空気になっていたのだから、このまま眠るということはないだろう。
 セレニアはいたたまれない気持ちに襲われた。その気持ちを押し込めるように、カップの水を流し込む。冷たさで、少しだけ心が落ち着いた。

「……あら? そういえば」

 不意にセレニアの口から言葉がこぼれた。
 そういえば、自分は大切なことを忘れていたのではないだろうか。

「私、ジュードさまのご両親にごあいさつをしていないわ……」

 普通なら、互いの両親の顔合わせなどもあるはず。それなのに、ジュードは自身の両親を紹介していない。
 いや、むしろ……

(いいえ、ジュードさまのご親族は参列されていなかったわ)

 今さらそんな重大なことに気がついて、セレニアはどうしようかと悩む。
 彼に尋ねるか、尋ねないか……

(親族のことだもの、きちんと知っておくのは大事なことだわ……)

 葬儀や結婚、それ以外にもなにかと付き合いが必要なことはあるだろう。なにも知らないでいるわけにはいくまい。
 とりあえず、聞くだけ聞いてみよう。もしかしたら、遠方に住んでいたり、身体が悪かったりして式に来ることができなかったのかもしれない。
 それなら手紙の一通くらい送るのが礼儀というものだ。
 セレニアがそんなことを考えていると、寝室の扉が開いた。

「遅くなりました」

 ジュードが戻ってきたのだ。

「ついでに軽く片づけを済ませていまして。……この時間に使用人を起こすのは忍びないので」

 さも当然のように言って、彼はセレニアの隣に腰を下ろす。
 どこか、疲れた顔をしていた。

「ジュードさま」

 セレニアは意を決して彼に声をかける。

「どうしましたか?」

 ジュードはセレニアに視線を向けて、言葉の続きを促した。
 どういう風に尋ねようか。少し迷って、セレニアはおずおずと口を開く。

「その、お尋ねしたいことが……」
「尋ねたいこと?」
「はい。私、ジュードさまのご両親にごあいさつをしていない、です、よね……」

 最後のほうは、はっきりとは言えなかった。
 セレニアを見るジュードの目が、どんどん鋭くなったからだ。

「ええと、必要がないのであれば、いいのです。ただ、遠方にいらっしゃるとか、そういったことなら、せめてお手紙だけでも……」
「――必要ありません」

 鋭い声がセレニアの耳に突き刺さる。
 ジュードはずっとセレニアに穏やかな声で話しかけてくれていた。
 それなのに、今はまるで違う。低く、地をうような、いらちの含まれる声だ。

あいさつはいりません。手紙も、不要です」
「……あ、あの、その」
「あまり俺に深入りしないでください。……そういうの、困るんです」

 はっきりとした拒絶の言葉だった。
 胸を突き刺されたような痛みに襲われて、セレニアは身を縮める。
 余計なことだと真正面から言われてしまった。

「も、申し訳、ございません……! 出すぎた真似、でしたよね……」

 そうだ。自分はしょせん、買われた身。
 余計な真似をしようなどと思わなければよかった。
 ただ、少しでも彼の役に立ちたくて、彼との間に信頼関係を欲してしまっただけ……

(そんなの、ジュードさまには必要ないのに)

 どうしようもない気持ちが胸を支配して、苦しささえ覚えてしまう。
 胸の前でぎゅっと手を握っていると、肩にぽんっと優しく手を置かれた。
 恐る恐る視線を向けると、ジュードがセレニアを見つめていた。

「強く、言いすぎました」
「ジュードさま」
「ただ、深入りしないでほしいというのは本当です。あなたが知る必要はないことですから。どうか、俺のことについてはお構いなく」

 傷ついているのはセレニアのはずだ。それなのに、どうしてなのだろうか。
 そう告げた彼のほうが、苦しそうな表情をしているように見えて仕方がなかった。
 セレニアはなにも言えず、ただ、この件に関してはせんさくするまいと決めた。

(ジュードさまを傷つけないためにも、私自身が傷つかないためにも……)

 それが最善のような気がしたのだ。

「すみません、セレニア」

 彼がどこか苦しそうな声で謝罪する。

「……いいんです、気にしていませんから」

 嘘だ。本当はとても気にしている。
 けど、これ以上彼に気を遣わせたくない。その一心だった。
 そんなセレニアの様子が彼にはどう見えたのだろうか。彼は静かに「ありがとうございます」と礼を口にした。

「あぁ、そうだ。せっかくなので、これを持ってきていたんです」

 ふとジュードが話題を変える。そして、ポケットから個包装の小さなクッキーを取り出した。どこかの店で売られているもののようだ。
 クッキーは中心がくぼんでおり、その上にはたっぷりと真っ赤なジャムが載っている。
 一目見て、とてもしそうだと思う。

「……これは?」

 クッキーを見つめながら、セレニアが尋ねる。すると、ジュードはいたずらっぽく笑った。

「夜中に食べるお菓子は、しいのですよ」

 彼の言葉の意味がわからない。
 ぽかんとするセレニアをよそに、ジュードは包装からクッキーを取り出す。
 きらきらとしているように見える真っ赤なジャムは、イチゴだろうか?
 想像するだけでイチゴの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がって、ごくんと唾を呑む。セレニアの視線はクッキーに注がれていた。

「はい、どうぞ」

 彼がクッキーをセレニアの口元に持ってくる。
 ……人に食べさせてもらうなんて、はしたないことだ。でも、クッキーの魅力には勝てなかった。

(……甘い)

 そのクッキーは、今まで食べたどんなお菓子よりも甘かった。
 甘さ自体は控えめのはずだ。なのに、どうしようもないほどに甘やかに感じられる。
 イチゴジャムの酸味、香ばしく、ほんのりと甘みを感じさせる生地。……しくて、たまらない。

しかったですか?」

 彼に問われて、セレニアはためらいなく首を縦に振った。
 すると、彼が笑みを深める。その表情はどこか子供っぽくて、無邪気なものに見えた。
 その笑みを見ていると、セレニアの胸の奥がきゅうっと締めつけられる。

「よかったです」

 ジュードが穏やかな声で言う。
 先ほどの拒絶なんてなかったことにするような。元に戻ったような。そんな雰囲気だった。
 セレニアは、自然とほうっと息を吐く。
 目をつむって、一旦呼吸を整えて。ゆっくりと目を開けて――

「きゃぁっ!」

 視界いっぱいに広がっていたジュードの整った顔に、とっさに悲鳴が上がる。
 どくんと高鳴った自身の鼓動に戸惑ったセレニアをよそに、ジュードはどんどん顔を近づけてくる。

「っ!」

 彼の舌が、セレニアの唇の端を舐めた。
 身体が硬直した。すぐに逃げようと身をよじったものの、ジュードの手に後頭部を掴まれ、それは叶わない。
 さらに彼はそのまま、触れるだけの口づけを落としてくる。

「んっ」

 角度を変えて何度も行われる口づけに、頭がくらくらしてしまう。
 身体からどんどん力が抜けていく。
 気がつくと、後頭部を掴んでいたはずのジュードの手は、いつの間にかセレニアの腰に移動していた。

「ぁ、あっ」

 逃げたくてたまらない。それなのに、ずっとこうしていたい。
 矛盾する気持ちを抱えて、セレニアは少し離れたジュードの顔を見つめる。
 ぼうっとする意識の中、彼がくすくすと笑った。

「……セレニアは、とても可愛らしいですね」

 耳元でささやかれる甘ったるい声。
 心臓が大きな音を鳴らす。鼓動がどんどん駆け足になって、身体の芯が熱くなっていく。

「唇の端にジャムがついていたので、ちょっといたずらしてみたのですが……。やっぱり、俺も我慢ができそうにないです」

 ジュードはなんでもない風に言うと、立ち上がってセレニアを軽々と横抱きにした。
 突然身体が宙に浮いて、セレニアは驚きの声をあげる。それを気に留めることもなく、ジュードはその足を寝台のほうに向けた。

「あ、あの、まっ!」

 待って――と言おうとしたのに、ジュードが足を止めることはない。

「あなたが可愛いのが悪いんですよ」

 挙句、見事なまでの責任転嫁だ……。などと思う間もなく、寝台に下ろされる。
 すぐさまセレニアの身体に覆いかぶさるように、彼も寝台に乗り上げた。巨大な寝台は、大人二人が乗ったところでびくともしない。

「そんな風に見つめられると、意地悪したくなってしまうのですが」

 彼をじっと見つめることしかできないセレニアに向かって、ジュードがそんなことを告げる。
 少し上がった唇の端は、どうしようもないほどに色気を感じさせた。

「ジュード、さま」

 唇が彼の名前を紡ぐと、もう一度触れるだけの口づけを落とされた。
 ついばむような口づけのたびに、身体から余計な力が抜けていく。

「唇を開いて」

 優しく指示されて、セレニアはおずおずと唇を開く。
 するとジュードがもう一度口づけてくる。しかし、今度は先ほどのものとは違った。

「ふぁっ……!」

 うっすらと開いたセレニアの唇に、ジュードの舌が差し込まれた。

(ぁ、なに、これぇ……!)

 舌は甘い味がした。きっと、先ほど舐めとられたジャムの味なのだろう。

「んっ、んぅ……」

 ぼんやりとする脳内。意識が口づけにひっぱられる。
 ジュードの舌が口蓋を舐め、歯列をなぞった。さらには頬の内側をつつかれて、舌を吸われる。
 抵抗する気力など失われて、セレニアは彼にされるがままになってしまう。

(……ぁ)

 どうしてか、身体の奥底がゾクゾクとしてくる。
 うまく言葉に表せない感覚が背筋を伝って、身体が熱を帯びる。
 ジュードの指がセレニアの身体をなぞるたびに、じんじんと熱を持つようだった。

(お、かしい……)

 どうして、自分は口づけだけでこんなにも反応してしまっているのだろうか……
 口元から聞こえてくる、くちゅくちゅという水音が恥ずかしい。耳をふさぎたい衝動に駆られるも、そんなことをするわけにはいかないと、思考のどこかが訴えてきた。

「んっ、んんぅ」

 他人の舌が自分の口内にあるというのは、未知の感覚だった。
 それにほんろうされながら、セレニアは身をぶるりと震わせた。すると、ジュードの唇がようやく離れていく。
 体感で一時間以上にも思えた口づけは、セレニアから冷静な判断能力を奪っていた。

「……セレニア」

 ジュードの指が、セレニアのナイトドレスにかかる。彼の優しい声に、脳がしびれるようだった。
 先ほどまで食事をしていたとは思えないほどのなまめかしい雰囲気。
 思わず、セレニアは息を呑む。
 これから、初夜がはじまるのだ。たとえ形式的なものだとしても。


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