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本編 第2章
パン屋の看板娘
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「ありがとうございました~!」
ヴェルディアナとリベラトーレの婚約が実質の破棄になってから、早くも十年の歳月が流れた。
ヴェルディアナは二十五歳を迎え、現在は王都にある下町のパン屋『ライ』にて看板娘として働いている。この『ライ』というパン屋はこの辺りでは美味しいと評判であり、ひっきりなしに客がやってくる。そのため、比較的忙しい職場だった。
「ディアちゃん。そろそろいったん休憩に入ってもいいよ~」
「あ、は~い」
このパン屋の店主である夫妻は、ヴェルディアナが没落貴族の娘だと知っても態度を変えずに雇ってくれる貴重な人物だった。それに合わせ、とてもお人好しであり困っている人を放っておけないタイプ。そんなこともあり、ヴェルディアナはここに勤めてもうすでに五年が経過していた。ちなみに、『ディア』というのはここでのヴェルディアナのあだ名のようなものだ。
店舗の奥にある休憩室に入れば、そこにはヴェルディアナの友人の一人であるアナベル・ライがいた。彼女はこのパン屋の店主夫妻の娘であり、将来はこのパン屋を継ぐために普段から厨房でパン作りに励んでいる真面目な女性だ。
そして、ヴェルディアナが来るまでこのパン屋の看板娘だった女性でもある。これは比較的有名な話だ。
「ディア、今日も忙しいねぇ~」
アナベルはきれいな金色の目を細めながら、ヴェルディアナにお茶の入ったカップを差し出しながらそう言ってくれる。
だからこそ、ヴェルディアナは「……忙しいのは、別にいいのだけれど」と言いながらカップを受け取った。その後、そのお茶でのどを潤す。接客業はやはりのどが渇いてしまう。そう思っていた。
「あはは、まーたイザーク様がちょっかいを出しに来られたんだっけ」
そう言ってアナベルはけらけらと声を上げて笑った。そういうこともあり、ヴェルディアナは「あのお方、私が落ちぶれたのを見て楽しんでいらっしゃるのよ」と苦虫をかみつぶしたような表情で零す。
ヴェルディアナの幼馴染であるイザーク・レールは何故か週に一度のペースでヴェルディアナの様子を見るためと言って、『ライ』を訪れていた。その際に一言二言三言も嫌味を告げ帰っていくため、ヴェルディアナは本気でイザークに迷惑していたのだ。もちろん、パンを買って行ってくれるのは素直にありがたい。が、そもそもイザークは貴族である。そのため、こんな下町のパン屋に来る必要はない。
「きっと、ディアのことが好きなのよ。未練があるんじゃない?」
「ないない! イザーク様って、昔から私に意地悪ばっかりしてきたのだもの」
「でも、未だに独身じゃない、彼」
アナベルのその言葉は真実だ。イザークは二十五歳を迎えた今でも独り身だった。
以前ヴェルディアナは彼に結婚しないのかと遠回しに尋ねたことがあった。しかし、その際にイザークは「ヴェルディアナには関係ねぇだろ」と突っぱねてきて。それ以来、ヴェルディアナは尋ねることをしていない。むしろ、できれば会話もしたくないのだ。
「愛情の裏返しかもね~」
そんなことをアナベルはのんきに言うが、そんなものヴェルディアナからすれば迷惑でしかない。愛情の裏返しで意地悪をされるなど、絶対にごめんだ。
「そういえば、ディアってさ。ずっと昔に婚約者がいたんだよね?」
他愛もない会話をしていると、不意にアナベルがそう問いかけてきた。ヴェルディアナの婚約者。とはいっても、それは本当に短い間のものである。
(あれは、夢よ)
だからこそ、ヴェルディアナはずっとそう思ってきた。あんなにもきれいな屋敷に招待され、美味しい紅茶とお茶菓子を出される。そんなもの……自分に縁があるわけがない。
「……まぁ、ね。けど、私が没落令嬢になったから、婚約は実質解消よ。あちらも、もうすでに新しい人がいるはずだわ」
あれから十年も経った。だからこそ、リベラトーレも十八歳を迎えている。ということはきっと、可愛らしい同い年くらいの令嬢と結婚、または婚約しているはず。そんな想像をヴェルディアナはしてしまった。
「……あはは。って、そうそう。お話は変わるんだけれど、ディアに一つだけ報告があります~!」
ヴェルディアナがリベラトーレのことを考えていると、アナベルは手をパンっとたたいてそんなことを言う。その表情はとても嬉しそうであり、何かいいことがあったのは間違いないだろう。
「私ね、彼にプロポーズされちゃったの!」
「そうなの⁉ おめでとう!」
アナベルの言葉にヴェルディアナは驚きながらも祝福の言葉を告げる。
彼女には幼馴染の恋人がおり、その恋人とはかれこれ三年ほど付き合っているというのは、ヴェルディアナも聞いていた。相思相愛ということもあり、そろそろ結婚するかも……とヴェルディアナも思っていたのだ。しかし、本当にいざその時が来ると嬉しいものだ。大切な友人には、やはり幸せになってほしい。ヴェルディアナは心の底からそう思っていた。
「小規模だけれど、挙式もする予定なんだ。だから、ディアにも日程が決まったら教えるね。ぜひ、来てほしいのよ」
にっこりと笑ってそう告げてくるアナベルに、ヴェルディアナは「絶対に行くわ!」と笑顔で言葉を返す。きっと、ウェディングドレスを身に纏ったアナベルは、とてもきれいだ。それは、容易に想像が出来る。
(私も、そろそろ恋人とかほしい……かも)
幸せそうなアナベルを見ていると、ふとヴェルディアナはそんなことを思ってしまう。恋人にするのならば、やはり年上で頼りがいがあり、たくましく筋肉ムキムキの男性が良いなぁ。年下は多分無理。
「ディアにもいい人が出来たら教えてね! お祝いするから!」
「……ありがとう」
アナベルのその言葉が純粋に嬉しかったこともあり、ヴェルディアナは笑顔のままお礼を言う。
いつかは自分にも素敵な恋人が出来て、結婚出来たらいいなぁ。そんな淡い夢を、この時のヴェルディアナは見ていた。だが、その夢はあっけなく木っ端みじんとなる。
――たった一つの、『呪い』によって。
ヴェルディアナとリベラトーレの婚約が実質の破棄になってから、早くも十年の歳月が流れた。
ヴェルディアナは二十五歳を迎え、現在は王都にある下町のパン屋『ライ』にて看板娘として働いている。この『ライ』というパン屋はこの辺りでは美味しいと評判であり、ひっきりなしに客がやってくる。そのため、比較的忙しい職場だった。
「ディアちゃん。そろそろいったん休憩に入ってもいいよ~」
「あ、は~い」
このパン屋の店主である夫妻は、ヴェルディアナが没落貴族の娘だと知っても態度を変えずに雇ってくれる貴重な人物だった。それに合わせ、とてもお人好しであり困っている人を放っておけないタイプ。そんなこともあり、ヴェルディアナはここに勤めてもうすでに五年が経過していた。ちなみに、『ディア』というのはここでのヴェルディアナのあだ名のようなものだ。
店舗の奥にある休憩室に入れば、そこにはヴェルディアナの友人の一人であるアナベル・ライがいた。彼女はこのパン屋の店主夫妻の娘であり、将来はこのパン屋を継ぐために普段から厨房でパン作りに励んでいる真面目な女性だ。
そして、ヴェルディアナが来るまでこのパン屋の看板娘だった女性でもある。これは比較的有名な話だ。
「ディア、今日も忙しいねぇ~」
アナベルはきれいな金色の目を細めながら、ヴェルディアナにお茶の入ったカップを差し出しながらそう言ってくれる。
だからこそ、ヴェルディアナは「……忙しいのは、別にいいのだけれど」と言いながらカップを受け取った。その後、そのお茶でのどを潤す。接客業はやはりのどが渇いてしまう。そう思っていた。
「あはは、まーたイザーク様がちょっかいを出しに来られたんだっけ」
そう言ってアナベルはけらけらと声を上げて笑った。そういうこともあり、ヴェルディアナは「あのお方、私が落ちぶれたのを見て楽しんでいらっしゃるのよ」と苦虫をかみつぶしたような表情で零す。
ヴェルディアナの幼馴染であるイザーク・レールは何故か週に一度のペースでヴェルディアナの様子を見るためと言って、『ライ』を訪れていた。その際に一言二言三言も嫌味を告げ帰っていくため、ヴェルディアナは本気でイザークに迷惑していたのだ。もちろん、パンを買って行ってくれるのは素直にありがたい。が、そもそもイザークは貴族である。そのため、こんな下町のパン屋に来る必要はない。
「きっと、ディアのことが好きなのよ。未練があるんじゃない?」
「ないない! イザーク様って、昔から私に意地悪ばっかりしてきたのだもの」
「でも、未だに独身じゃない、彼」
アナベルのその言葉は真実だ。イザークは二十五歳を迎えた今でも独り身だった。
以前ヴェルディアナは彼に結婚しないのかと遠回しに尋ねたことがあった。しかし、その際にイザークは「ヴェルディアナには関係ねぇだろ」と突っぱねてきて。それ以来、ヴェルディアナは尋ねることをしていない。むしろ、できれば会話もしたくないのだ。
「愛情の裏返しかもね~」
そんなことをアナベルはのんきに言うが、そんなものヴェルディアナからすれば迷惑でしかない。愛情の裏返しで意地悪をされるなど、絶対にごめんだ。
「そういえば、ディアってさ。ずっと昔に婚約者がいたんだよね?」
他愛もない会話をしていると、不意にアナベルがそう問いかけてきた。ヴェルディアナの婚約者。とはいっても、それは本当に短い間のものである。
(あれは、夢よ)
だからこそ、ヴェルディアナはずっとそう思ってきた。あんなにもきれいな屋敷に招待され、美味しい紅茶とお茶菓子を出される。そんなもの……自分に縁があるわけがない。
「……まぁ、ね。けど、私が没落令嬢になったから、婚約は実質解消よ。あちらも、もうすでに新しい人がいるはずだわ」
あれから十年も経った。だからこそ、リベラトーレも十八歳を迎えている。ということはきっと、可愛らしい同い年くらいの令嬢と結婚、または婚約しているはず。そんな想像をヴェルディアナはしてしまった。
「……あはは。って、そうそう。お話は変わるんだけれど、ディアに一つだけ報告があります~!」
ヴェルディアナがリベラトーレのことを考えていると、アナベルは手をパンっとたたいてそんなことを言う。その表情はとても嬉しそうであり、何かいいことがあったのは間違いないだろう。
「私ね、彼にプロポーズされちゃったの!」
「そうなの⁉ おめでとう!」
アナベルの言葉にヴェルディアナは驚きながらも祝福の言葉を告げる。
彼女には幼馴染の恋人がおり、その恋人とはかれこれ三年ほど付き合っているというのは、ヴェルディアナも聞いていた。相思相愛ということもあり、そろそろ結婚するかも……とヴェルディアナも思っていたのだ。しかし、本当にいざその時が来ると嬉しいものだ。大切な友人には、やはり幸せになってほしい。ヴェルディアナは心の底からそう思っていた。
「小規模だけれど、挙式もする予定なんだ。だから、ディアにも日程が決まったら教えるね。ぜひ、来てほしいのよ」
にっこりと笑ってそう告げてくるアナベルに、ヴェルディアナは「絶対に行くわ!」と笑顔で言葉を返す。きっと、ウェディングドレスを身に纏ったアナベルは、とてもきれいだ。それは、容易に想像が出来る。
(私も、そろそろ恋人とかほしい……かも)
幸せそうなアナベルを見ていると、ふとヴェルディアナはそんなことを思ってしまう。恋人にするのならば、やはり年上で頼りがいがあり、たくましく筋肉ムキムキの男性が良いなぁ。年下は多分無理。
「ディアにもいい人が出来たら教えてね! お祝いするから!」
「……ありがとう」
アナベルのその言葉が純粋に嬉しかったこともあり、ヴェルディアナは笑顔のままお礼を言う。
いつかは自分にも素敵な恋人が出来て、結婚出来たらいいなぁ。そんな淡い夢を、この時のヴェルディアナは見ていた。だが、その夢はあっけなく木っ端みじんとなる。
――たった一つの、『呪い』によって。
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