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本編
第56話 『狂気の男』 ③
しおりを挟む――しあわせですか?
そう尋ねられて、私が返せる言葉と答えはたった一つだけ。たった、一言だけ。
「そうですね。私は今、とても幸せですよ」
たった、それだけの言葉。
私は、アイザイア様と一緒にいることが出来て、幸せです。アラン様のことは悲しいけれど、それでもそれ以上に幸せが勝っているのかもしれない。だから、なのかもしれない。我ながら薄情な女だとは思うけれど、それでも私とアイザイア様のことを引き裂こうとした人物なのだから、それはそれで当たり前かも、なんて。
「私、アイザイア様と想いが通じて、幸せです。ただ、きれいごとでアラン様のことを許しますよ、とは言いません。でも、それと同時に感謝もしているのです」
「……感謝?」
「はい、アラン様がいらっしゃったからこそ、私はアイザイア様に本音をぶつけることが出来ました。そのおかげで、想いも通じ合いましたし。だから、アラン様に向ける感情ははっきりと言えば半々です。感謝と、許せないという気持ち。……これで、満足されましたか?」
アラン様が私に対して望んでいる答えは、きっとこんな言葉なのだろう。いいや、もしかしたら違うかもしれない。でも、それでも別に構わない。私は、もう自分の心に嘘なんてつきたくないから。もう、自分の気持ちを隠し通して、抑えつけることを止めたから。これからは、出来る限り自分に正直に生きたいと、思っているから。
「……そうですね。満足です、よ。モニカ様が、素敵な女性だって再認識しましたし。……覚えていますか? モニカ様と僕は、ずっと昔に出逢っているんですよ」
「……存じておりませんわ」
「でしょうね。それは、僕も知っています。僕、貴女に救われた。貴女が、僕の心を救ってくれたのです。だから、僕は貴女に執着していた。……まぁ、そのこともすべて無駄に終わりましたけれどね。父上のことも、継母のことも。利用するだけ利用して、捨てるつもりでした。貴女さえ手に入れば、あとは何もいらないから」
「…………」
アラン様は、どこか遠くを見つめながらそうおっしゃいました。その覚悟は、もしかしたらとてもすごいものなのかもしれません。それに、私だってそんな風に一途に想いを寄せられて、悪い気はしないのです。それが、人間の性でしょう? ……もしも、私がアイザイア様の婚約者ではなかったら。もしも、私がアイザイア様に想いを寄せていなかったら。アラン様に、心を奪われていたのかもしれませんね。なんて、それはあくまでも、空想上の話ですけれど。
「そのために、禁忌の魔法にまで手を染めたのに。ぜーんぶ無駄。面白いですよね。なんだか、そう思うと笑いがこみ上げてきちゃって。……あ、そうだ、アイザイア様」
「……どうした?」
「禁忌の魔法の術書が、ベアリング伯爵家の地下に眠っています。僕は、それを見て禁忌の魔法に手を染めました。……できることならば、その術書は燃やしちゃってください。もうこれ以上、僕みたいな不幸な人間が出ないように」
「……そうだな。騎士の手配をしておく」
アイザイア様はそうおっしゃって、通信が出来る魔法機器に何やら話しかけていらっしゃいます。きっと、先ほどの禁忌の術書のことや、アラン様のことをご報告するためなのでしょうね。
「……これで全部終わり――なーんて、上手くはいきませんけれどね。あの禁忌の術書に寄れば、禁忌の術書自体はこのフェリシタル王国に十五冊あるそうですよ。……たった一冊、燃やしただけで何が変わるって言うのでしょうか。あ、僕は残りの術書の居場所は知りませんよ。……知っているのは、その一冊だけ」
「そうか。元よりお前には期待していないから。……すべてが終わる、なんて楽観的に考えたりはしない」
アラン様の挑発的なお言葉に、アイザイア様は冷たく言葉を返されます。禁忌の術書。それが、まだあるなんて。私は一瞬だけそう思いましたが、そりゃそうでしょうね。たった一冊だけ、というわけがないのですから。十五冊。程遠い数字にも思えますが、探せば見つかるかもしれません。そして、燃やしてしまいましょう。『粛清』自体も、まだまだ始まったばかりのようですし。
「……じゃあ、ルーサー。アラン・ベアリングについては頼んだぞ。こっちは、レノーレ嬢に会ってくる」
「はい、アイザイア様」
「モニカ、行こうか」
「……はい」
ルーサーさんが、アラン様を牢から出し、何処かに連れて行きます。……そして、今から私とアイザイア様は、因縁の相手に会いに行くのですよね。レノーレ・ビエナート様に。さぁ、レノーレ様に最後の挨拶、とでも行きましょうか。
「禁忌の術書、か。……利用価値が、あるかもな……」
「……アイザイア様?」
「いや、何でもない」
この時、アイザイア様が何を呟かれていたのか。それを、私が知ることはありませんでした。
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