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最終章
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「きれいな部屋……」
ルトは飽きる事なく再び驚いた。
壁に張り巡らされた幾色もの絹の布飾り。
敷き詰められた鳥獣模様の絨毯。
寝台や調度品は全て金銀をふんだんに使い、宝石が散りばめられている。
部屋は開放的な造りになっていて、杏の木とアネモネが風に揺れる美しい庭と繋がっていた。
(僕が最初に寝かされていた部屋よりも、かなり豪華な部屋だ……)
明るい光が満ちる中。
部屋の中央に設えてある小さな噴水は、庭にあるものと同じく虹色に輝いていた。
「素敵だね……」
ファリスに手を引かれ、ルトは噴水の側に重ねてある刺繍の細やかな羽布団の上に座った。
「俺のご主人様が寛ぐ部屋だからな」
精悍な顔に美しい笑みを浮かべながら、ファリスはルトの隣に座って腰を引き寄せた。
「何か食べるか?」
「……うん、少し喉が渇いたな」
部屋に漂う香木の匂いにうっとりしながらファリスを見つめていると、目の前に幾つもの飲物と菓子が並べられた。
「ファリスは本当にすごいね。何でも思うまま」
「この力は全てルトのものだから自由に使ってくれ」
「贅沢だね……。今更だけど、僕がファリスの主だなんて実感がわかないな」
ファリスの封印を解いて、それは色々とあった。
ルトが主人だとファリスは言葉や態度で示してくれて、自分でも主として頑張ろうなんて心を奮い立たせていたけれど。
大きな騒動が収まってしまえば、こんなにきれいで格好いい魔人の主だなんて嘘としか思えない。
まるで現実感がなかった。
「なら、しっかりと実感してもらわないとな……」
「え……」
おとがいを持ち上げられ、黒緑の瞳がルトを捕らえる。
鼻先が触れ合う距離で見つめ合うと、顔が熱くなるのが分かった。
「永遠に俺はルトのものだ……」
ファリスはルトの後頭部に手を回すと唇を重ねた。
「んっ……ぁ」
開いた歯列から差し込まれた舌に口内を舐め回され、夢中で逞しい胸に抱きついた。
ファリスと出逢う前は寂しさに心が潰されてしまいそうだった。
奴隷市に売られそうになり、紅宝玉だけを握りしめて家を飛び出した一年前。
独りは辛くて。でも、誰かを信用するのも怖くて、ずっと体を丸くして震えているような日々だった。
(けど……もう、そんな自分はどこにもいない)
ファリスがいる。
自分を想って抱き締めてくれる。
それだけで辛い気持ちなんて吹き飛んで、誰にも負けないぐらい心が強くなる気がするのだ。
ルトは喜びと幸せに胸が震えるのを感じた。
「ファリス……ずっと傍にいてね」
返事の代わりに噛みつくような激しい口づけをされて、ルトの身は羽布団の上にゆっくりと押し倒された。
「何があっても、もう離れる事は出来ないな」
世界の誰よりも美しく凛々しい魔人に、身も心も全て奪われ囚われる。
「愛してる。ルト」
「ファリス……っ」
ファリスの顔が涙でにじむ。
幸せでも涙は流れるのだと初めて知った。
強く抱きつくと、それ以上の力で抱き返してくれる。
たまらなく嬉しくて、心がはち切れそうだ。
「俺はルトが欲しい。いいか?」
「…………」
己の全部。
余す所なくファリスにさらけ出す。
恥ずかしいけど、それ以上に自分もファリスが欲しかった。
ルトは羞恥に体を染めながら頷いた。
「……んっ……ぁあぅ……っ」
上等な長衣を脱がされ、露わになった上半身。
噴水から散った水滴がルトの柔肌を流れる。
それを追ってファリスの舌が鎖骨から胸元を舐め、つい声が漏れた。
触れられている所が熱い。
指が、唇が、肌をいやらしく這って甘い痺れが身体を走る。
「可愛いな……」
少しの愛撫で白い体を震わせ琥珀の瞳を潤ませるルトに、ファリスは欲望が激しく高ぶるのを感じた。
「あっ……ファリスっ……」
大きな手が優しく腰を撫でる。
熱い吐息を零すと、胸の突起に唇が触れた。
「っあぁ……んっ」
刺激に膨れた突起を執拗に舐め吸われ、最初はくすぐったいだけだったのに、徐々に快感が腰の奥にくすぶっていく。
「気持ちよさそうだな……」
熱くなった下肢を布越しに触られる。
「やぁっ……」
優しく揉まれて、腰が大きく揺れた。
「すぐに、もっと気持ち良くしてやるよ」
誘うように開かれた桃色の唇に口づけながら、ファリスはルトの下肢を覆っているものを全て剥いだ。
先端を濡らして勃ち上がったルトの花芯が外気に触れて、ふるりと震える。
「み、見ないで……。恥ずかしいよ」
「それはご主人様でも無理な願いだ」
羞恥に身をよじる可愛らしいルトの体にねっとりと視線を這わせると、ファリスは濡れた花芯を口に含んだ。
「っ!? くち……だめっ」
突然の口淫に、ルトは下肢に埋まる黒髪を引き剥がそうとしたが、襲ってくる快楽に力が入らない。
唇で上下に扱かれ、先端は舌でつつかれて、今までに感じた事のない衝動に、抵抗を忘れて使い魔の名を何度も呼んだ。
「……ぁ……ファリスっ……で、出そう、だからっ……はなしてっ」
根本の二つの膨らみも揉みしだかれ、欲望が放出に向かって駆け上がる。
白磁の肌を薔薇色に染めて快感に悶えるルトを追い詰めるように、ファリスは花芯を根本まで咥えた。
「んっあ……つよく、こするのっ……やぁっ……っあ……でちゃうっ……!」
激しく擦られて、強く鈴口を吸われた刹那。
ルトはファリスの口内へ白濁を放った。
「ぁ……ごめん……っ口の中……」
荒い息を繰り返しながら申し訳なさそうな顔をするルトに、ファリスは欲望の残滓を全て飲み込んで口角を上げた。
「俺が欲しかったんだ」
ファリスはルトの両膝裏を持ち上げると、秘部を露わにした。
「ファリスっ。こんな格好、僕……っ」
あまりの恥ずかしさに、ルトは両手で顔を覆った。
「俺にとっては、いやらしくて最高だ」
太腿にファリスの舌が這う。
「ん……っ」
顔を背けて淫らな舌の感触に息を乱していると、予想外の場所に触れられる感触が走った。
ファリスが後孔に舌を這わせている。
「き、汚いからっ……ぁっ」
ルトの制止を無視して、ファリスの舌は桃色の窄まりを舐め続ける。
いやらしい水音が耳に入ってきて、どうしようもなく興奮していく自分がいる。
ルトはきつく瞼を閉じた。
もう、何も考えられない。
身体中に与えられるファリスの愛情。
湧き上がる快感を受け止めるだけで精一杯だ。
「ここを舐めるだけで気持ちいいんだな」
「いわないでっ……んっ」
ルトの花芯は再び頭をもたげていた。
「また、こんなに濡らして」
「あぁっ……っ……ぅ」
後孔に舌を突き入れられながら花芯を擦られて、ルトの背が甘くしなる。
快感を夢中で追っていると、いつしか尻を舌と指で攻められていた。
ファリスの長い指が、ルトの中をねっとりと解していく。
「……やぁっ……んっぁ」
腰の奥で暴れる快楽の嵐に、ルトは涙を零しながら羽布団に後頭部を擦り付ける。
張りつめた花芯は、止めどなく先走りの淫液を零していた。
「ルト……」
後孔に埋まっていた指が引き抜かれる。
「ルトと一つになる……」
「ん……」
涙に濡れた頬を優しく撫でられて、ルトは黒緑の瞳を見つめながら頷いた。
ファリスが己の欲望を、ルトの白い尻に宛がう。
「あ……ん……ファリスのが……っ」
少しずつ、ファリスの灼熱がルトの体内に入ってきた。
「い……っぁ……ん」
痛みと圧迫感に、身が強張る。
息を詰めて耐えていると、名を呼ばれて唇が重なった。
角度を変えて何度も唇を吸われ、舌が絡まる。
花芯にも指が絡みつき、勢いをなくしていた欲望が再び熱を持った。
「ルト……ルトっ」
飲まれるような口づけの合間に、掠れた声に熱く名を呼ばれる。
ファリスの起立は根本まで中に埋まり、ゆっくりと抜き差しを始めた。
「んぁっ……っあぁ……ぅぁん」
いつの間にか痛みが熱に変わり、己の中で雄の欲望が擦れる感覚にたまらなくなって、ルトはファリスの胸にしがみついた。
こんなに隙間なく誰かに愛されるなんて、少し前までは夢にも思っていなかった。
孤独が辛くて、心も体も冷えきっていた。
けれど、今は熱く深い愛情が身の内に溢れかえっている。
自分の全てがファリスを求めていた。
「あぁっ……ファリスっ、ファリス……っ」
腰の動きが激しくなり、快感が身体中を駆け巡る。
「……四百年間、紅宝玉の中に封印されていたのは……ルトに出逢う為だったんだな」
「……ファリスっ……ぼくっ、ぼく……っ」
こんな、何の取り柄もないちっぽけな自分を、ファリスは運命の相手だと言ってくれている。
「すごい、嬉しくて……ありがとうっ。好きだよ……僕には、ファリスだけ……っ」
どうしようもなく幸せで、ルトはファリスの首に腕を回して自分から唇を求めた。
愛を示すように、ルトの中が雄の起立を甘く締め付け、ファリスは欲望のままに腰を振る。
体の奥を吹き荒れる快楽に、ルトは声を漏らしながら黒緑の瞳を見つめる。
知らぬうちに爆ぜたルトの欲望の残滓が腹を汚しているが、それに気づく暇もなくファリスの熱情に身を沈めていた。
最奥をファリスの起立が穿つ蕩けるような感覚に、ルトは尻を震わせる。
「あぁっ……いっ……ぁん……はっぅ……んあっ!」
激しく突かれると頭の中が真っ白になり、思考が快感一色になる。
「ルト……ルト……愛してる」
「ぼ、ぼくもっ……んぅ……あいしてるっ…ぁんっ」
逞しい胸にすがりつき快楽に溺れきった声を漏らすルトの最奥で、ファリスの欲望が放たれた。
「ぁっ……ファリス、ファリス……っ」
激しい快感の余韻に意識が蕩けて、ふわふわと幸福の中を漂う。
ゆっくりと己の雄をルトの中から引き抜くと、荒い呼吸を繰り返す白く華奢な体をファリスは優しく抱き締めた。
「今回の事で大変な目に遭わせたが……ルトの体が傷ついてなくて安心した」
ゆっくりと肌を撫でられ、心地良い脱力感に身を委ねる。
「ファリスが守ってくれたおかげだよ」
ルトは黒緑色の瞳を甘く見つめた。
「紅宝玉の中にいる時も、僕を守ってくれたよね」
亡者の村で紅宝玉が光った時の事だ。
「……外からルトに名を呼ばれた気がして、届く筈もないが力を放出した時があったが……それか?」
「それだよっ! すごいね。ファリスはどこにいても僕を救ってくれる」
ルトは嬉しくなってファリスに頬擦りをした。
「愛するルトの使い魔なんだから、それぐらい当然だ」
うっとりと微笑むと自然に唇が重なる。
「そういえば、ルトとの最初の約束をまだ果たしてないな」
「約束?」
「庭で会った時にしただろ? 何でも願いを叶えると」
あの美しい庭でファリスとの別れ際にした約束だ。
「そういえば、してたね」
「まぁ、約束なんか関係なく、ルトの願いはどんな事でも全て叶えるけどな」
「ふふ、嬉しい」
ファリスがルトの黒髪を優しく梳く。
その温かい感触に、胸の中が穏やかな幸福感で満たされる。
この温もりさえあれば、何もいらないのだけれど。
でも、少しだけ我儘になってもいいだろうか。
「じゃあ、一つだけ……叶えて欲しいな」
「何だ?」
凛々しい顔が蕩けるような笑みを浮かべる。
「ファリスに僕の家族になって欲しい」
「ルト……」
主の予想外の願いに、ファリスは胸の中にある、どんな宝物よりも美しく愛しい体を強く抱き締めた。
「ご主人様。それは願うまでもない事だ」
「そうなの? でも、僕はこれさえ叶えば後は何もいらないよ」
ルトは逞しい胸に何度も頬擦りした。
自分の愛する家族は天国へと旅立ってしまった。
一人残された寂しい日々は、ルトの心を固く冷たくしてしまっていた。
もう一人は嫌だ。
心身共に愛し愛される喜びを知った今、孤独には戻れない。
何よりも大切な掛け替えのない魔人と、新しい家族に――。
「主と使い魔じゃなくてね。今からは大切な家族だよ……」
「ああ……。愛しい、俺の家族だ……」
溢れる愛と喜びに胸を震わせる魔界でも指折りの強さを誇る魔人に、ルトはそっと唇を寄せた。
花崗岩と雪花石膏が敷き詰められた庭が、太陽の光を浴びて輝いている。
その向こうには海。
青い海がどこまでも続き、美しい島々の間を海鳥達が生き生きと行き交っている。
そんな鳥たちを追うように、いくつもの大きな船が港を出発していた。
ここまで船人の明るい声が聞こえてきそうだ。
ヘイデルの魔法が解かれ、今度はカリムの魔法でよみがえった七つの島の国。
ルトとファリスは落ち着いた頃を見計らって、再興が進む島国に来訪していた。
「この島々と海って元々はファリスが四百年前に魔法で造ったんだよね?」
「ああ。世界で一番美しい国を、という願いをされてな」
「なるほど。本当に素晴らしく美しい国だね」
ルトは窓の外に広がる絶景を眩しそうに眺めた。
この国が少し前まで不毛な岩と砂になっていたなんて、信じられない気持ちだった。
「アスアドとカリムはすぐ来るって! 今、真珠を見に行ってるんだよ」
連絡係をしてくれていたシディが窓から飛び込んできた。
会っていなかった少しの間に、やんちゃな笑顔に拍車がかかっている。
見ているだけで楽しくなる、素敵な笑みだった。
「何だか悪かったね。急に来ちゃって」
「そんな事ないって! 二人共、喜んでたよ!」
シディは、はしゃぎながら優美な刺繍が施された絨毯に座って、側にあった羽布団を抱き締めた。
「アスアドから聞いたけど、この国ではとても美しい真珠が採れるんだよね」
国が不毛の地になっていた間は伝説の真珠として高値で取引されていたとアスアドが言っていたか。
それならば、国が復活した今、皆がこぞって欲しがっているだろう。
「そうそう。需要は多いし、質は落とせないしで色々大変みたい。それで、今日は王子様と側近が直々に視察なさってんの」
「大変そうだね。僕もその真珠見てみたいな」
「美しい真珠が欲しいのか? それぐらい、すぐに出せる」
本気で魔法を使おうとしているファリスをルトは慌てて止めた。
「そういう事じゃないよっ。大丈夫だからっ。ちょっと見たいなって思っただけ!」
「……二人共、相変わらずだね」
シディがおかしそうに笑った。
八年もの間、砂漠と不毛な岩山に変化していた七つの島の国。
ヘイデルの魔法が解かれ、カリムの魔力で以前と寸分違わぬ美しさで時を刻み始めたのだが。
当然ながら、周りとの八年間の差異に国内外が大いに混乱した。
喜びと困惑が入り混じる中で、消えていた国交を復活させ全てを元に戻すのは予想以上に困難な事だった。
しかし、第二王子を筆頭に、呪われていた国は瞬く間に強い基盤を取り戻していると、ルトはこの島に来る途中に立ち寄った隣国の市場で耳にしていた。
「……やっぱり、僕達が来るのは早かったかな?」
隣国の小さな市場で王子の働きを耳にするぐらいだ。
アスアドとカリムの忙しさは国一番だと言っても過言ではないだろう。
「いつ来たって二人は忙しいって。ご主人様の分まで頑張ってるみたいだしね……」
シディの主。
アスアドの兄、アムジャット。
国を呪った償いに、自ら腕輪に封じられる事を望んだ人だ。
「腕輪は、あれから何もないか?」
「うん。王様とお后様はどうしても中の二人に会いたいみたいで色々やってるけど音沙汰なしだよ。まぁ、当然だよね」
「……本当に良かったのか? アムジャットと主従契約をしたままだと、これから不都合も多くなる」
シディはアムジャットが封印される時、主従契約を継続する事を選択して今も彼の使い魔だ。
「もちろん。不都合なんてどうでもいいよ。僕はご主人様に会える日をずっと待つんだ。どれだけ先でもね。それで、次に会った時には、ご主人様の心をヘイデルから奪ってやるんだ。僕の方が絶対にご主人様を幸せに出来るから」
「シディ……」
「ルトも、そう思うでしょ?」
シディは微笑んだ。
どんな状況でもアムジャットの幸福を強く望んでいたシディ。
大人びた笑みにシディの深い想いが隠れているように見えた。
「……僕は別に悲しくなんてないんだ。次にご主人様と会う時は僕も大人の姿になっていたいし、丁度いいってもんだよ」
「シディは、きっと強くて美しいジンに成長するんだろうね」
「もちろんっ! ヘイデルなんて足元にも及ばないから」
シディは愛らしい表情を浮かべると、宙に浮いて窓から飛び出した。
座ったり飛んだり落ち着かない様子が何とも微笑ましい。
「あの二人、遅いなぁ。もう宮殿内には帰って来てると思うんだけど。ちょっと捜してくる」
急がないから平気だと言う前に、シディは眼下の緑の中へ消えて行った。
部屋に静寂が戻り、波の音と海鳥の鳴き声だけが小さく届く。
「シディは、本当にご主人様の事が好きなんだね」
「ただの契約というだけじゃなかったんだろうな」
ずっと、アムジャットの気持ちはヘイデルに向いていた。
今からも二人は腕輪の中。
永遠に二人きり。
それはシディにとって複雑な事実であろう。
「僕は本当に幸せ者だね。ファリスがずっと傍にいてくれて大事にしてくれる。大好きな人と一緒に居られる事って決して当たり前じゃないもんね」
ルトはシディが飛び出した窓辺に寄り、大海原を眺めた。
「そうだな。だからこそ、ルトとの出逢いに感謝できるし、一刻一刻を大切に思える」
「うん……」
小さな町で荷担ぎの仕事をして暮らしていた時、明日など来なくていいとさえ思った日もあった。
喪失感や孤独。そんなものばかりに目をやっていたが、今は違う。
己の未来がこの海のように大きく広がっている事を知っている。
「僕ね、ファリスと一緒にいるようになって、初めて明日が楽しみだって思ったんだ。大都で暮らしていた時は生活は豊かだったけど、そんな風に考えた事はなかったし、一人で暮らしていた時は不安ばかりだった。でもね、ファリスの傍にいると、すごい幸せで、明日も明後日も……いや、一分後だって楽しみでしょうがないんだ」
「……いつの間にそんな殺し文句を覚えたのか」
ファリスはぎゅっと強くルトを抱き締めた。
「俺もだ……。俺も、ルトの傍にいる事が幸せでならない。封じられていた四百年が嘘みたいだ」
嬉しい。
愛する人が自分と同じ気持ちでいてくれて、胸の中が熱くなる。
「ありがとう。僕を好きになってくれて」
「礼を言うのは俺の方だ。ルトは俺を見つけ出してくれた……愛する家族だ」
「ファリス……」
黒緑色の瞳を見上げると、後頭部を包まれて唇が優しく重なった。
温かい感触に、心が充足感にほどけてゆく。
今は幸せでも、これから先に大きな困難が待っているかもしれない。
けれど、ファリスと共にいれば、彼が隣にいてくれさえすれば、どんな事でも乗り越えていけると信じている。
だって、強い絆で結ばれた家族なのだから。
「可愛い俺のルト……愛してる」
最愛の人の甘い言葉に、ルトは可憐な微笑みを浮かべた。
END
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
ルトは飽きる事なく再び驚いた。
壁に張り巡らされた幾色もの絹の布飾り。
敷き詰められた鳥獣模様の絨毯。
寝台や調度品は全て金銀をふんだんに使い、宝石が散りばめられている。
部屋は開放的な造りになっていて、杏の木とアネモネが風に揺れる美しい庭と繋がっていた。
(僕が最初に寝かされていた部屋よりも、かなり豪華な部屋だ……)
明るい光が満ちる中。
部屋の中央に設えてある小さな噴水は、庭にあるものと同じく虹色に輝いていた。
「素敵だね……」
ファリスに手を引かれ、ルトは噴水の側に重ねてある刺繍の細やかな羽布団の上に座った。
「俺のご主人様が寛ぐ部屋だからな」
精悍な顔に美しい笑みを浮かべながら、ファリスはルトの隣に座って腰を引き寄せた。
「何か食べるか?」
「……うん、少し喉が渇いたな」
部屋に漂う香木の匂いにうっとりしながらファリスを見つめていると、目の前に幾つもの飲物と菓子が並べられた。
「ファリスは本当にすごいね。何でも思うまま」
「この力は全てルトのものだから自由に使ってくれ」
「贅沢だね……。今更だけど、僕がファリスの主だなんて実感がわかないな」
ファリスの封印を解いて、それは色々とあった。
ルトが主人だとファリスは言葉や態度で示してくれて、自分でも主として頑張ろうなんて心を奮い立たせていたけれど。
大きな騒動が収まってしまえば、こんなにきれいで格好いい魔人の主だなんて嘘としか思えない。
まるで現実感がなかった。
「なら、しっかりと実感してもらわないとな……」
「え……」
おとがいを持ち上げられ、黒緑の瞳がルトを捕らえる。
鼻先が触れ合う距離で見つめ合うと、顔が熱くなるのが分かった。
「永遠に俺はルトのものだ……」
ファリスはルトの後頭部に手を回すと唇を重ねた。
「んっ……ぁ」
開いた歯列から差し込まれた舌に口内を舐め回され、夢中で逞しい胸に抱きついた。
ファリスと出逢う前は寂しさに心が潰されてしまいそうだった。
奴隷市に売られそうになり、紅宝玉だけを握りしめて家を飛び出した一年前。
独りは辛くて。でも、誰かを信用するのも怖くて、ずっと体を丸くして震えているような日々だった。
(けど……もう、そんな自分はどこにもいない)
ファリスがいる。
自分を想って抱き締めてくれる。
それだけで辛い気持ちなんて吹き飛んで、誰にも負けないぐらい心が強くなる気がするのだ。
ルトは喜びと幸せに胸が震えるのを感じた。
「ファリス……ずっと傍にいてね」
返事の代わりに噛みつくような激しい口づけをされて、ルトの身は羽布団の上にゆっくりと押し倒された。
「何があっても、もう離れる事は出来ないな」
世界の誰よりも美しく凛々しい魔人に、身も心も全て奪われ囚われる。
「愛してる。ルト」
「ファリス……っ」
ファリスの顔が涙でにじむ。
幸せでも涙は流れるのだと初めて知った。
強く抱きつくと、それ以上の力で抱き返してくれる。
たまらなく嬉しくて、心がはち切れそうだ。
「俺はルトが欲しい。いいか?」
「…………」
己の全部。
余す所なくファリスにさらけ出す。
恥ずかしいけど、それ以上に自分もファリスが欲しかった。
ルトは羞恥に体を染めながら頷いた。
「……んっ……ぁあぅ……っ」
上等な長衣を脱がされ、露わになった上半身。
噴水から散った水滴がルトの柔肌を流れる。
それを追ってファリスの舌が鎖骨から胸元を舐め、つい声が漏れた。
触れられている所が熱い。
指が、唇が、肌をいやらしく這って甘い痺れが身体を走る。
「可愛いな……」
少しの愛撫で白い体を震わせ琥珀の瞳を潤ませるルトに、ファリスは欲望が激しく高ぶるのを感じた。
「あっ……ファリスっ……」
大きな手が優しく腰を撫でる。
熱い吐息を零すと、胸の突起に唇が触れた。
「っあぁ……んっ」
刺激に膨れた突起を執拗に舐め吸われ、最初はくすぐったいだけだったのに、徐々に快感が腰の奥にくすぶっていく。
「気持ちよさそうだな……」
熱くなった下肢を布越しに触られる。
「やぁっ……」
優しく揉まれて、腰が大きく揺れた。
「すぐに、もっと気持ち良くしてやるよ」
誘うように開かれた桃色の唇に口づけながら、ファリスはルトの下肢を覆っているものを全て剥いだ。
先端を濡らして勃ち上がったルトの花芯が外気に触れて、ふるりと震える。
「み、見ないで……。恥ずかしいよ」
「それはご主人様でも無理な願いだ」
羞恥に身をよじる可愛らしいルトの体にねっとりと視線を這わせると、ファリスは濡れた花芯を口に含んだ。
「っ!? くち……だめっ」
突然の口淫に、ルトは下肢に埋まる黒髪を引き剥がそうとしたが、襲ってくる快楽に力が入らない。
唇で上下に扱かれ、先端は舌でつつかれて、今までに感じた事のない衝動に、抵抗を忘れて使い魔の名を何度も呼んだ。
「……ぁ……ファリスっ……で、出そう、だからっ……はなしてっ」
根本の二つの膨らみも揉みしだかれ、欲望が放出に向かって駆け上がる。
白磁の肌を薔薇色に染めて快感に悶えるルトを追い詰めるように、ファリスは花芯を根本まで咥えた。
「んっあ……つよく、こするのっ……やぁっ……っあ……でちゃうっ……!」
激しく擦られて、強く鈴口を吸われた刹那。
ルトはファリスの口内へ白濁を放った。
「ぁ……ごめん……っ口の中……」
荒い息を繰り返しながら申し訳なさそうな顔をするルトに、ファリスは欲望の残滓を全て飲み込んで口角を上げた。
「俺が欲しかったんだ」
ファリスはルトの両膝裏を持ち上げると、秘部を露わにした。
「ファリスっ。こんな格好、僕……っ」
あまりの恥ずかしさに、ルトは両手で顔を覆った。
「俺にとっては、いやらしくて最高だ」
太腿にファリスの舌が這う。
「ん……っ」
顔を背けて淫らな舌の感触に息を乱していると、予想外の場所に触れられる感触が走った。
ファリスが後孔に舌を這わせている。
「き、汚いからっ……ぁっ」
ルトの制止を無視して、ファリスの舌は桃色の窄まりを舐め続ける。
いやらしい水音が耳に入ってきて、どうしようもなく興奮していく自分がいる。
ルトはきつく瞼を閉じた。
もう、何も考えられない。
身体中に与えられるファリスの愛情。
湧き上がる快感を受け止めるだけで精一杯だ。
「ここを舐めるだけで気持ちいいんだな」
「いわないでっ……んっ」
ルトの花芯は再び頭をもたげていた。
「また、こんなに濡らして」
「あぁっ……っ……ぅ」
後孔に舌を突き入れられながら花芯を擦られて、ルトの背が甘くしなる。
快感を夢中で追っていると、いつしか尻を舌と指で攻められていた。
ファリスの長い指が、ルトの中をねっとりと解していく。
「……やぁっ……んっぁ」
腰の奥で暴れる快楽の嵐に、ルトは涙を零しながら羽布団に後頭部を擦り付ける。
張りつめた花芯は、止めどなく先走りの淫液を零していた。
「ルト……」
後孔に埋まっていた指が引き抜かれる。
「ルトと一つになる……」
「ん……」
涙に濡れた頬を優しく撫でられて、ルトは黒緑の瞳を見つめながら頷いた。
ファリスが己の欲望を、ルトの白い尻に宛がう。
「あ……ん……ファリスのが……っ」
少しずつ、ファリスの灼熱がルトの体内に入ってきた。
「い……っぁ……ん」
痛みと圧迫感に、身が強張る。
息を詰めて耐えていると、名を呼ばれて唇が重なった。
角度を変えて何度も唇を吸われ、舌が絡まる。
花芯にも指が絡みつき、勢いをなくしていた欲望が再び熱を持った。
「ルト……ルトっ」
飲まれるような口づけの合間に、掠れた声に熱く名を呼ばれる。
ファリスの起立は根本まで中に埋まり、ゆっくりと抜き差しを始めた。
「んぁっ……っあぁ……ぅぁん」
いつの間にか痛みが熱に変わり、己の中で雄の欲望が擦れる感覚にたまらなくなって、ルトはファリスの胸にしがみついた。
こんなに隙間なく誰かに愛されるなんて、少し前までは夢にも思っていなかった。
孤独が辛くて、心も体も冷えきっていた。
けれど、今は熱く深い愛情が身の内に溢れかえっている。
自分の全てがファリスを求めていた。
「あぁっ……ファリスっ、ファリス……っ」
腰の動きが激しくなり、快感が身体中を駆け巡る。
「……四百年間、紅宝玉の中に封印されていたのは……ルトに出逢う為だったんだな」
「……ファリスっ……ぼくっ、ぼく……っ」
こんな、何の取り柄もないちっぽけな自分を、ファリスは運命の相手だと言ってくれている。
「すごい、嬉しくて……ありがとうっ。好きだよ……僕には、ファリスだけ……っ」
どうしようもなく幸せで、ルトはファリスの首に腕を回して自分から唇を求めた。
愛を示すように、ルトの中が雄の起立を甘く締め付け、ファリスは欲望のままに腰を振る。
体の奥を吹き荒れる快楽に、ルトは声を漏らしながら黒緑の瞳を見つめる。
知らぬうちに爆ぜたルトの欲望の残滓が腹を汚しているが、それに気づく暇もなくファリスの熱情に身を沈めていた。
最奥をファリスの起立が穿つ蕩けるような感覚に、ルトは尻を震わせる。
「あぁっ……いっ……ぁん……はっぅ……んあっ!」
激しく突かれると頭の中が真っ白になり、思考が快感一色になる。
「ルト……ルト……愛してる」
「ぼ、ぼくもっ……んぅ……あいしてるっ…ぁんっ」
逞しい胸にすがりつき快楽に溺れきった声を漏らすルトの最奥で、ファリスの欲望が放たれた。
「ぁっ……ファリス、ファリス……っ」
激しい快感の余韻に意識が蕩けて、ふわふわと幸福の中を漂う。
ゆっくりと己の雄をルトの中から引き抜くと、荒い呼吸を繰り返す白く華奢な体をファリスは優しく抱き締めた。
「今回の事で大変な目に遭わせたが……ルトの体が傷ついてなくて安心した」
ゆっくりと肌を撫でられ、心地良い脱力感に身を委ねる。
「ファリスが守ってくれたおかげだよ」
ルトは黒緑色の瞳を甘く見つめた。
「紅宝玉の中にいる時も、僕を守ってくれたよね」
亡者の村で紅宝玉が光った時の事だ。
「……外からルトに名を呼ばれた気がして、届く筈もないが力を放出した時があったが……それか?」
「それだよっ! すごいね。ファリスはどこにいても僕を救ってくれる」
ルトは嬉しくなってファリスに頬擦りをした。
「愛するルトの使い魔なんだから、それぐらい当然だ」
うっとりと微笑むと自然に唇が重なる。
「そういえば、ルトとの最初の約束をまだ果たしてないな」
「約束?」
「庭で会った時にしただろ? 何でも願いを叶えると」
あの美しい庭でファリスとの別れ際にした約束だ。
「そういえば、してたね」
「まぁ、約束なんか関係なく、ルトの願いはどんな事でも全て叶えるけどな」
「ふふ、嬉しい」
ファリスがルトの黒髪を優しく梳く。
その温かい感触に、胸の中が穏やかな幸福感で満たされる。
この温もりさえあれば、何もいらないのだけれど。
でも、少しだけ我儘になってもいいだろうか。
「じゃあ、一つだけ……叶えて欲しいな」
「何だ?」
凛々しい顔が蕩けるような笑みを浮かべる。
「ファリスに僕の家族になって欲しい」
「ルト……」
主の予想外の願いに、ファリスは胸の中にある、どんな宝物よりも美しく愛しい体を強く抱き締めた。
「ご主人様。それは願うまでもない事だ」
「そうなの? でも、僕はこれさえ叶えば後は何もいらないよ」
ルトは逞しい胸に何度も頬擦りした。
自分の愛する家族は天国へと旅立ってしまった。
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もう一人は嫌だ。
心身共に愛し愛される喜びを知った今、孤独には戻れない。
何よりも大切な掛け替えのない魔人と、新しい家族に――。
「主と使い魔じゃなくてね。今からは大切な家族だよ……」
「ああ……。愛しい、俺の家族だ……」
溢れる愛と喜びに胸を震わせる魔界でも指折りの強さを誇る魔人に、ルトはそっと唇を寄せた。
花崗岩と雪花石膏が敷き詰められた庭が、太陽の光を浴びて輝いている。
その向こうには海。
青い海がどこまでも続き、美しい島々の間を海鳥達が生き生きと行き交っている。
そんな鳥たちを追うように、いくつもの大きな船が港を出発していた。
ここまで船人の明るい声が聞こえてきそうだ。
ヘイデルの魔法が解かれ、今度はカリムの魔法でよみがえった七つの島の国。
ルトとファリスは落ち着いた頃を見計らって、再興が進む島国に来訪していた。
「この島々と海って元々はファリスが四百年前に魔法で造ったんだよね?」
「ああ。世界で一番美しい国を、という願いをされてな」
「なるほど。本当に素晴らしく美しい国だね」
ルトは窓の外に広がる絶景を眩しそうに眺めた。
この国が少し前まで不毛な岩と砂になっていたなんて、信じられない気持ちだった。
「アスアドとカリムはすぐ来るって! 今、真珠を見に行ってるんだよ」
連絡係をしてくれていたシディが窓から飛び込んできた。
会っていなかった少しの間に、やんちゃな笑顔に拍車がかかっている。
見ているだけで楽しくなる、素敵な笑みだった。
「何だか悪かったね。急に来ちゃって」
「そんな事ないって! 二人共、喜んでたよ!」
シディは、はしゃぎながら優美な刺繍が施された絨毯に座って、側にあった羽布団を抱き締めた。
「アスアドから聞いたけど、この国ではとても美しい真珠が採れるんだよね」
国が不毛の地になっていた間は伝説の真珠として高値で取引されていたとアスアドが言っていたか。
それならば、国が復活した今、皆がこぞって欲しがっているだろう。
「そうそう。需要は多いし、質は落とせないしで色々大変みたい。それで、今日は王子様と側近が直々に視察なさってんの」
「大変そうだね。僕もその真珠見てみたいな」
「美しい真珠が欲しいのか? それぐらい、すぐに出せる」
本気で魔法を使おうとしているファリスをルトは慌てて止めた。
「そういう事じゃないよっ。大丈夫だからっ。ちょっと見たいなって思っただけ!」
「……二人共、相変わらずだね」
シディがおかしそうに笑った。
八年もの間、砂漠と不毛な岩山に変化していた七つの島の国。
ヘイデルの魔法が解かれ、カリムの魔力で以前と寸分違わぬ美しさで時を刻み始めたのだが。
当然ながら、周りとの八年間の差異に国内外が大いに混乱した。
喜びと困惑が入り混じる中で、消えていた国交を復活させ全てを元に戻すのは予想以上に困難な事だった。
しかし、第二王子を筆頭に、呪われていた国は瞬く間に強い基盤を取り戻していると、ルトはこの島に来る途中に立ち寄った隣国の市場で耳にしていた。
「……やっぱり、僕達が来るのは早かったかな?」
隣国の小さな市場で王子の働きを耳にするぐらいだ。
アスアドとカリムの忙しさは国一番だと言っても過言ではないだろう。
「いつ来たって二人は忙しいって。ご主人様の分まで頑張ってるみたいだしね……」
シディの主。
アスアドの兄、アムジャット。
国を呪った償いに、自ら腕輪に封じられる事を望んだ人だ。
「腕輪は、あれから何もないか?」
「うん。王様とお后様はどうしても中の二人に会いたいみたいで色々やってるけど音沙汰なしだよ。まぁ、当然だよね」
「……本当に良かったのか? アムジャットと主従契約をしたままだと、これから不都合も多くなる」
シディはアムジャットが封印される時、主従契約を継続する事を選択して今も彼の使い魔だ。
「もちろん。不都合なんてどうでもいいよ。僕はご主人様に会える日をずっと待つんだ。どれだけ先でもね。それで、次に会った時には、ご主人様の心をヘイデルから奪ってやるんだ。僕の方が絶対にご主人様を幸せに出来るから」
「シディ……」
「ルトも、そう思うでしょ?」
シディは微笑んだ。
どんな状況でもアムジャットの幸福を強く望んでいたシディ。
大人びた笑みにシディの深い想いが隠れているように見えた。
「……僕は別に悲しくなんてないんだ。次にご主人様と会う時は僕も大人の姿になっていたいし、丁度いいってもんだよ」
「シディは、きっと強くて美しいジンに成長するんだろうね」
「もちろんっ! ヘイデルなんて足元にも及ばないから」
シディは愛らしい表情を浮かべると、宙に浮いて窓から飛び出した。
座ったり飛んだり落ち着かない様子が何とも微笑ましい。
「あの二人、遅いなぁ。もう宮殿内には帰って来てると思うんだけど。ちょっと捜してくる」
急がないから平気だと言う前に、シディは眼下の緑の中へ消えて行った。
部屋に静寂が戻り、波の音と海鳥の鳴き声だけが小さく届く。
「シディは、本当にご主人様の事が好きなんだね」
「ただの契約というだけじゃなかったんだろうな」
ずっと、アムジャットの気持ちはヘイデルに向いていた。
今からも二人は腕輪の中。
永遠に二人きり。
それはシディにとって複雑な事実であろう。
「僕は本当に幸せ者だね。ファリスがずっと傍にいてくれて大事にしてくれる。大好きな人と一緒に居られる事って決して当たり前じゃないもんね」
ルトはシディが飛び出した窓辺に寄り、大海原を眺めた。
「そうだな。だからこそ、ルトとの出逢いに感謝できるし、一刻一刻を大切に思える」
「うん……」
小さな町で荷担ぎの仕事をして暮らしていた時、明日など来なくていいとさえ思った日もあった。
喪失感や孤独。そんなものばかりに目をやっていたが、今は違う。
己の未来がこの海のように大きく広がっている事を知っている。
「僕ね、ファリスと一緒にいるようになって、初めて明日が楽しみだって思ったんだ。大都で暮らしていた時は生活は豊かだったけど、そんな風に考えた事はなかったし、一人で暮らしていた時は不安ばかりだった。でもね、ファリスの傍にいると、すごい幸せで、明日も明後日も……いや、一分後だって楽しみでしょうがないんだ」
「……いつの間にそんな殺し文句を覚えたのか」
ファリスはぎゅっと強くルトを抱き締めた。
「俺もだ……。俺も、ルトの傍にいる事が幸せでならない。封じられていた四百年が嘘みたいだ」
嬉しい。
愛する人が自分と同じ気持ちでいてくれて、胸の中が熱くなる。
「ありがとう。僕を好きになってくれて」
「礼を言うのは俺の方だ。ルトは俺を見つけ出してくれた……愛する家族だ」
「ファリス……」
黒緑色の瞳を見上げると、後頭部を包まれて唇が優しく重なった。
温かい感触に、心が充足感にほどけてゆく。
今は幸せでも、これから先に大きな困難が待っているかもしれない。
けれど、ファリスと共にいれば、彼が隣にいてくれさえすれば、どんな事でも乗り越えていけると信じている。
だって、強い絆で結ばれた家族なのだから。
「可愛い俺のルト……愛してる」
最愛の人の甘い言葉に、ルトは可憐な微笑みを浮かべた。
END
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