熱砂の魔人に恋をして千と一夜では全く足りなくなりました!

梅村香子

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第2章

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あるところに、この世の全ての王を従えている兄弟王がいました。
二人は力を合わせて広い世界を治めていましたが、しばらくして兄王が死んでしまい、弟王が大王となって世界の王達を束ねていました。
ある日、天上の楽園を自分で造ろうと思い立った大王は、世界中の王達を呼び集め、この世に一つとない楽園のような都を建てるように命令しました。
王達は、ありとあらゆる貴重なものを集めて、それはそれは美しい都を完成させました。
大王はいたく喜び、すぐに自分の都を捨てると、新しい都へ出発しました。
しかし、天上の楽園を模して世界中の富を集結させて造られた都は、あまりの美しさに神の怒りをかってしまい、大王とその一行は都に到着する前に、一人残らず命を奪われてしまいました。
そして、治める者も住む者もいなくなった無人の都は、いつしか誰も場所を知らない伝説の都となりました。

 
「人々はその美しい都をアレムと呼び、後世へと語り継いでいきました。か……」

ルトは、父から聞いた昔話の最後の一節を呟きながら、市場スークの隅を歩いていた。
神の怒りをかう程の、豪華で美しいアレムの都。
伝説を聞いた時には、子供心に見てみたいなと思った記憶があるけれど。
まさか、本当に存在していて、自分が目指す事になるなんて。

(まだ、何もかもが信じられない気持ちだ)

数日前、宝石商だった父がくれた紅宝玉ルビーの中に迷い込んでしまってから、ずっと夢の中にいるようだ。
母が亡くなった時から、ずっと持っている紅宝玉の中に、魔法で造った庭と宮殿があるなんて、誰が思うだろうか。
しかも、その庭で大量の食人鬼グールに襲われて。
今にも鋭い爪で引き裂かれそうになっていた時に、素晴らしく美丈夫であった魔人ジンのファリスに助けられた。
そして、食人鬼や魔人なんて昔話の中だけだと思っていたルトの前で、ファリスは綺麗な魔法を見せてくれた。
話をした時間はわずかなものだったが、彼の優しさは、寂しさに折れそうになっていた心を救ってくれた。
見つめ合い、気持ちを伝え合う事が、どれだけ己の心に喜びをもたらしたか。
しかし、そのファリスの方こそ、紅宝玉に封じ込められて、ずっと一人きりだったのだ。
自分の一年間の寂しさなど砂粒だと思えるほどの、四百年という長い孤独。
そんな想像を絶する孤独の中にいても、ファリスは強く優しい思いやりに溢れていた。
こんな素敵な人を、これ以上、一人きりになんてさせたくない。
だから、ルトは決意した。
ファリスを、紅宝玉の世界から解放すると。
二人で、一人ぼっちから抜け出すのだと。
だって、仲間なのだから。
そう心に誓って、早速、動き始めたのだが。

(でも、現実はかなり厳しいんだよな……)

ファリスの解放の鍵である、金の腕輪の手がかりがあると言われた、伝説のアレムの都。
誰も場所を知らない美しい都と昔話にあったが、大陸南部のハドラントの砂漠に実在するようだった。
行きたい。
一刻も早く、アレムの都へ。
ルトの心は、すでに遠い南の地へと旅に出ている。
だが、現実はそれを許してくれなかった。
まず、どのようにして旅をすればよいのか分からない。
今まで、一度も長い旅をした事がないのだ。
何を準備して、どういった経路でハドラントを目指すか。
悲しいかな、全く頭に浮かばない。
そして何より、金がないのだ。
旅の装備を整えるどころの話ではなかった。

(本当に僕って、使えない奴だよな……)

そんな無知で資金不足な自分が、旅に出る方法として思いついたのが、隊商キャラバンに雇ってもらうという策だった。
荷担ぎとして加わり、南方へ行く隊商を渡り歩けば、無知でも無銭でも、旅を出来ない事はない。
もちろん、旅の経験のない自分にとって、隊商の一員とはいえ、砂漠での移動は過酷だ。
周りに迷惑をかければ、すぐに隊商からは解雇されるだろう。
そもそも、屈強な男達が揃う隊商に荷担ぎとして雇ってもらう事が難しいと思う。
だが、何が何でも、しなければならないのだ。
町の荷降ろし場で待機して、南方に出る隊商がいたら手当たり次第に声をかけるつもりだった。
そして、雇ってもらえる隊商がいれば、すぐに町を出る。

(無理とか、出来ないとか、考えたって意味がないんだ。今、この瞬間も、ファリスはあの綺麗な世界に一人でいるんだから。僕が頑張らないと)

美しい庭に一人佇む、凛々しい魔人の姿の思い描き、ルトの胸に切なさがよぎる。
焦る気持ちを抑えながら、ルトは足を速めた。
この一年で集めた少しばかりの日用品は、全て売り払った。
家は引き払う算段がつき、仕事も辞めた。
当然だが、市場スークは自分が荷担ぎをしていなくても、いつも通りだった。
まるで、最初からルトなんかいなかったかのように。
しかし、寂しくも悲しくもなかった。
自分には、新しい人生の目標がある。
今は会えないけれど、ファリスという仲間がいるのだ。
早く雇ってもらえる隊商を見つけなければ。
己の生きる場所だったのに、どこか遠くに感じる昼過ぎの露店市。
少し前まで羨望の目を向けていた人々には目もくれずに通り過ぎていると、大きな衝撃を肩に受けて、ルトは尻餅をついた。

「おっと。悪ぃな、大丈夫か?」

すれ違いざまに肩同士がぶつかったようで、見上げると、大柄な男が眉尻を下げて苦笑していた。

「は、はい。平気です」

男は、ルトに怪我がないと知ると、すぐに人ごみの中に紛れて行った。

「いてて……」

鈍痛のする尻を押さえながら立ち上る。
途端にふところが軽くなっているのに気付いた。

(もしかして、今の……っ!)

体の芯が冷えていく。
慌てて懐を探ったが、案の定、そこには何もなかった。
今の男はスリ師だったのだ。
何を考えるよりも先に、男の後を全速力で追ったが、影も形もない。
露店市を抜け、人の溢れる市場中を捜しまわったが、スリ師は見つからなかった。
当然だ。雰囲気からして、相手は手練れのスリ師だろう。
見つかる方がどうかしている。
ルトは力なく、店の土壁にすがりついた。
全身が震えて、冷や汗が止まらない。

(どうしよう……全部、全部、盗られてしまった)

日用品を売った、少しの金。
それと、どんな物よりも大事な紅宝玉を。

(馬鹿だ……僕は、とてつもなく馬鹿だっ。よりによって、紅宝玉を盗まれてしまうなんて)

震える手で、顔を覆った。
市場には盗人が横行している。
それは大都に住んでいた時から、体に刷り込まれている事なのに。
ファリスを救うのだと意気込んで舞い上がり、油断していたのだ。
後悔が、冷えた胸を重くする。
目利きの宝石商であった父が、あの紅宝玉は価値のある上物だと何度も言っていた。
あのスリ師の男は、すぐに売って金にするかもしれない。
紅宝玉がこの町を離れてしまえば、取り戻す事はほぼ不可能になる。

(早く取り返さないと、ファリスが永遠に出られなくなってしまう。ずっと僕を待ってくれているのにっ)

どうすればいいのか。
大きな隊商が到着したのか、市場を巡る人の流れが大きくなった。
老若男女、様々な人がルトの側を通り抜けていく。
その中にいた異国の男が、近くの店で香料を眺め始めた。
そういえば。
異国の罪人が、この町に流れて来たという話を少し前に耳にした。
罪人は、町外れにある宿場に住みついたと言っていたか。
町の事情に疎いルトでも知っている、町外れの宿場。
隊商が出入りする町の玄関口とは反対側にある、最も寂れた場所にある宿屋兼酒場だ。
ならず者の巣窟で、町の者は恐れて近づかないようにしている場所。

(そうだよっ。あの酒場になら、スリ師の男が出入りしているかもしれない!)

ならず者の巣窟と言われているのだ。スリ師がいてもおかしくない。
ルトはそこまで考えると、すがっていた壁を蹴るようにして、寂れた町外れに駆け出した。

(どうか、どうか……スリ師の情報がつかめますように)

市場の賑わいを背に走れば、すぐに人の気配はまばらになる。
町の端へ突き進むと、荒れて砂まみれになった家が目立ってきた。
確か、この辺りだ。
壊れた土壁が山になった隣に、古びた家がある。
一見すると手入れが全くされていない廃屋に見えるが、中から男達の野太い笑い声がしていた。

(ここだ……。人は沢山いるみたいだけど……)

外れかけた木の扉を前に、ルトの足はすくんでしまった。
中からは大勢の男達が騒いでいる声がする。きっと酒に酔って気分が良くなっているのだろう。
この声の主達はどれも町で悪事を重ねている、ならず者だ。
非常事態だというのに、胸が恐怖に震える。

(恐がっている場合じゃないだろっ! 僕は、絶対にスリ師を見つけるんだ!)

ためらう足を叱咤して木の扉を押しあけると、ルトは酒場に足を踏み入れた。
男達の熱気と酒の臭いが混ざった嫌な空気が、体にねっとりとまとわりつく。
壁中に古びた布飾りがかけてあり、昼間なのに薄暗い。 
よく見ると、手前には円卓がいくつも並び、奥は座席になっていた。
そこで数多の男達が浴びるように酒を飲んで、酒場を壊さんばかりに酔い騒いでいた。

「なんだぁ? おめぇは?」

一番手前の円卓に座った濃い髭の男が、ルトを睨んでくる。

「あ、の……僕は人を……」
「はぁ? 聞こえねぇよ。ここは、おめぇみたいなガキが来るところじゃねぇ」

酒瓶を振り回して、髭の男がルトを追い出そうとする。

「ぼ、僕は人を捜しているんです! 大切な物を盗まれたので、取り戻したいんです!」

ルトは髭の男に強い視線を返すと、声を張った。
心臓が、緊張と恐怖で張り裂けそうだ。

「お前、盗んだもんを返せって言いに来たのか?」

ルトの声を聞いていた周りの男達が、一斉に笑った。

「それで、本当に俺らが協力するとでも思ってんの? バカだろっ」

壁に寄りかかって酒を飲んでいた若い男が、下卑た表情でルトをこき下ろす。

「相手にされない事は分かっていますっ。けど、どうしても返して欲しいんです」
「盗んだもんをご希望通りに戻してたら、俺達は食いっぱぐれだ。諦めて帰んな」
「諦めませんっ」

ルトは嘲笑する男達を押し退けるようにして、店の奥に進んだ。
座って酒瓶をあおる者、わめいてふらついている者、どの男も、ルトが捜しているスリ師ではない。

(ここにはいないな……そう簡単に、事が運ぶ訳ないもんな)

「すみませんっ、僕は人を捜していて、この店に出入りしているかも――あの、少しでいいので、話を……!」

周りの酔った男達に手当たり次第に声をかけるが、ルトを相手にする者は誰もいない。
それでも、しつこく聞き回っていると、後ろから背中を殴られてルトは床に膝をついた。

「しつけぇんだよっ! おめぇの話なんざ聞いてる奴はいねぇ。とっとと失せろ!」

店主らしき中年の男が、ルトを怒鳴り上げる。
恐ろしいほどの怒声に心が怯むが、ここで引き下がれば紅宝玉は戻って来ない。

「お願いです。僕の大事なもので――」

尚も食い下がると、腰に店主の蹴りが入った。
気が遠くなるぐらいの痛みにうずくまると、襟首をつかまれて外へと引きずり出された。

「二度と来るんじゃねぇぞ!」

砂の上に転がるルトに吐き捨てるように言うと、店主は中へ戻って行った。
 
痛い。

背中と腰の痛みが、じくじくと全身に回っていく。

最低だ。

惨めで、情けなくて、世界一の愚か者になったようだ。
紅宝玉は盗まれて、酒場では何の協力も得られずに追い出された。
分かっている。
盗品を返してくれる善良な盗人なんか、どこにいるか。

(けど、何としても紅宝玉を取り戻さないといけないんだ。どんな事が起こっても……っ)

酒場が無理ならば、市場へ戻ろう。
片端から聞いていけば、話を聞いてくれる人が、一人ぐらい居るだろう。
スリ師の男を知っている人が、いないとも限らない。

(落ち込んでる暇なんてないっ)

塞ぎ込む気持ちを胸から追い出して立ち上がろうすると、目の前に小さな手が差し伸ばされた。

「お兄さん、引きずり出されちゃったの?」

幼い声を追って顔を上げると、目前に十一、二歳ぐらいの少年が立っていた。

(すごい可愛い子……)

ルトは目をみはった。
綺麗な濡羽色の髪に、ぬば玉のような黒々とした輝く瞳。
まろい頬はうっすらと薔薇色で、あどけない目鼻立ちは目が離せなくなる愛らしさだ。 
数多の国の人々が集まる大都でも、見た事がないぐらいの可憐さだった。
こんな可愛らしい少年が、自分に何の用だろうか。
促されるままに手を取り立ち上がると、少年は嬉しそうに笑った。

「僕、シディっていうんだ。お兄さんは?」
「ルトだよ」
「ルトは、盗人を捜してたよね?」

シディはルトの服についた砂を、手ではらってくれた。

「ありがとう……。何で知ってるの?」
「僕は、ある人の使いをしてるんだ。その人が、この店にいたんだよ」

という事は、この少年は、ならず者の使いをしているのか。
可憐な容姿に似合わない事をしているな、とルトは思った。

「名前はアーキルっていうんだけどね。ルトの話を聞いて、興味を持ったみたい。協力してもいいって言ってるんだけど、どうかな?」
「本当にっ!?」

思わずシディの肩を揺さぶりそうになった。
酒場では全く相手にされなかったが、密かに気持ちを動かしてくれた人がいたのか。

「話してみる?」
「もちろん、お願いするよっ」

希望の糸が、どうにか繋がった。

(良かった。本当に、良かった……!)

一筋の望みに感極まっていると、シディがルトの顔を覗き込んできた。

「……大切な物を盗まれたんだね」
「うん。とても大切な物なんだ。決して盗まれてはいけないものだったのに、僕が油断してたから……だから、絶対に取り戻さないといけないんだ」
「そうなんだ……。アーキルは頼りになる男だからね。きっと見つけてくれるよ」

シディは可愛らしい笑みを浮かべた。

「この酒場で話すと、周りから袋叩きにされるからね。移動したんだ。市場に近い店にいるから、ついて来てよ」

小さな背に続いて、来た道を戻っていく。
市場に近づき、徐々に増えていく通行人を見ながら、ルトは気を引き締めた。
希望が繋がった。それは自分にとって、素晴らしい幸運だ。
しかし、油断をしてはいけない。
アーキルという男が、紅宝玉を取り戻してくれると確定した訳ではないのだ。
そもそも、その男だってならず者だろう。協力するふりをして、何を要求してくるか分かったものではない。
気を緩ませて失敗するなんて、もう絶対にしたくなかった。

「ここだよ」

話にあった通り、市場近くの飯屋に案内される。
先程の酒場とは比べものにならないぐらい、明るくて清潔だ。
隊商の男達が絨毯に座り、うららかに飲食を楽しんでいる。

「アーキル! つれて来たよ」

シディは、隅にある椅子に腰かけ、小さな円卓で料理をつまんでいる男に声をかけた。

(この人が……アーキル?)

使い古されているが、質の良さそうな暗褐色の長衣トーブを身に付けている、座っていても分かる長身の体。
洗いざらしの豊かな栗色の髪。
二重を描く紅榴石ガーネットの男らしい目は、秘めた宝石のように深く輝いている。
そして、すっきりと通った鼻梁に反するような少しゆるめの唇が、男の色香を漂わせていた。
年齢は、ファリスと同じく二十代の半ばぐらいか。
精悍でいて、どこか柔らかな雰囲気。
あの酒場にいたと言うから、ルトを嘲笑していた酒臭い男達と同じような雰囲気だろうと思っていたが。
こんな小さな町のならず者にしておくには、もったいないような青年だ。

「ちょうど店から追い出されてたよ。名前はルトだって」

シディがルトを紹介しながら椅子に座った。

「美味しそうっ! 食べていい?」

円卓の上に並んだ料理を前に、シディが目を輝かせる。

「ああ。ルト、お前も好きなだけ食え」

アーキルの隣に座らせられ、皿が目の前に置かれた。

「いえ、僕は……」
「いいから食え。お前、いくら大事なもんを盗られたからってな、顔色が悪すぎるぞ」

そういえば、ファリスに会ってから旅に出る準備に必死で、ろくに食べていなかった。

「大丈夫です。それより……アーキルさんが、お話を聞いて下さると」

必死な表情を見せるルトに、アーキルは笑った。

「そう焦るなよ。急いだって、意外と結果は大して変わらないもんだ」
「うんうん。焦ると、大切なものまで見えなくなっちゃうじゃない?」

シディが山羊肉を頬張りながら、訳知り顔で言う。

(そんな余裕な気持ちになんて、なれっこないよ)

ルトは声を大にして言いたかった。
背筋を走る冷たい絶望感は、一秒ごとに増しているのだ。

「手遅れになるかもしれないと思うと、僕は……!」
「分かった、分かった。食いながら聞くから、お前も口に入れろ」

沈痛な面持ちで視線を下げたルトの前に、シディが料理を積んでいく。
木の実を詰めた山羊肉に、塩漬けの魚。
香辛料たっぷりで煮込んだ鶏のスープと、蜂蜜と米で作った揚げ菓子。
数種の果汁や酒まで並び、ルトの前がご馳走の山になった。
こんな贅沢な料理を前にするのは久しぶりだ。
この町に住んでからは、ナツメヤシを主食にした質素な食事ばかりしていた。

「では、いただきます……」

食欲はないが、食べないと話が始まらないようだ。
鶏肉を口に入れると、香辛料の効いた肉汁が舌に染み込んだ。
おいしい。
食べる気なんてなかったのに、口の中が新たな一口を望んでいる。
空腹なのだと、今更ながらに気付いた。

「で、どこで何を盗られたんだ?」

アーキルが、酒で口を濡らしながら言った。

「露店市で、紅宝玉とお金を」
「金は諦めろ。スッた奴の特徴は?」
「大柄な中年の男で……鼻の横に大きなほくろがありました」
「大柄でほくろか……心当たりはあるな」
「本当ですかっ?」

ルトの声に歓喜が交じった。

「すぐに、僕と会わせてもらえませんか?」
「はぁ? 本気か?」

ルトの極端な願いに、アーキルとシディが弾けたように笑い始めた。

「お前、アホだろっ。盗んだ紅宝玉と金を返してくださいって頭でも下げるのか? それで取り戻せると思ってんのか?」
「そんな泥棒いないって!」

明らかにルトを馬鹿にした二つの声が、飯屋の喧騒に加わった。
酒場の男達と全く同じ反応だ。

「お、思えないですけど、僕には正面から頼むしか方法が――」
「あのなぁ。何の為に俺がここにいると思ってんだよ。盗った奴と話はつけてやるさ」

アーキルが口角を上げた。

「でも、そんな事までしてもらっても……僕はお礼が何も出来ないです」

全てを売り払った金を盗まれたのだ。
ルトの手元には、今着ている服ぐらいしかない。
対価として何も差し出せないのは、まずいのではないか。

「見るからに貧しそうなお前に、礼なんか期待するかよ。そもそも話を持ち込んだの俺だ。全部任せて、ゆっくり飯でも食ってろ」
「そうそう! アーキルは、確実に取り返してくれるからさ。安心して一緒に食べよう」

取り戻すのは簡単だと言うような口ぶりの二人を、ルトは不安そうに見やった。

「何だよ、その顔は。俺達が信用できないのか? そりゃあ、お前からしたら、胡散臭いならず者だろうが」
「い、いえっ。信用してない訳では……ただ、すぐに取り戻せる目途がついた事が、信じられなくて」

しかも、無償で。

「親切心溢れる俺と出会えた奇跡に、感謝するんだな」

アーキルは杯に残っていた酒を飲み干すと、勢いよく立ち上った。

「不安な気持ちで飯を食っても美味くないだろうからな。早速、取り返してきてやるよ。家に届けてやるから、シディに家の場所を教えておけ」

そう言うや否や、すぐに飯屋から出て行こうとしているアーキルの背に、ルトは慌てて声をかけた。

「アーキルさんっ……あの、ありがとうございます」
「礼は、お前の手に紅宝玉が戻った時に聞こう」

アーキルはルトに振り向いて微笑みを浮かべると、扉の向こうへと姿を消した。

「じゃあ、僕達は楽しく食べちゃおう。本当に何も心配しなくていいからね? アーキルは無理な事は最初からしないし」
「……うん。本当にアーキルさんに会えた事に感謝しないとな。盗品を取り戻すなんて、普通は無理だもんね」

ならず者達の集まる酒場から追い出された時は、絶望感で胸がいっぱいだったのに。
紅宝玉を取り戻そうとしてくれる人がいた。本当に奇跡だ。

「あの酒場にまで来て取り戻そうとする人、初めて見たよ。そんなに大切な紅宝玉なの?」

シディが揚げ菓子をつまみながら聞く。

「父の形見なんだ」

今は、それ以上の意味があるからこそ、取り戻さないといけないのだが。

「そうなんだ……形見なら、すごい大切だよね」
「僕にとっては、お守りみたいなものだから。これから旅に出るし、どうしても手放したくなくて」
「旅? どこに行くの?」
「南方に行こうと思ってるんだ」

シディは無邪気な声を上げた。

「へぇー! 凄いなぁ! 南方って、どこか目的地はあるの?」
「それがよく分からなくて。ハドラントの砂漠って知ってる?」
「……ハドラント……?」

ルトの何気ない問いに、シディの顔から笑みが消えた。

「シディ?」
「……何でもないよ。やけに遠くに旅に出るんだなって驚いちゃった。ハドラントって幾つも国を超えた向こうでしょ?」
「やっぱり遠いんだね。南方にあるという事しか知らなくて」
「……知らない遠くの砂漠になんかに、どうして行くの?」

心なしか、シディの声が尖った気がした。

「笑われると思うけど、伝説の都を探しているんだ」
「それってアレムでしょ! 誰から聞いたのっ?」

シディの顔が険しくなる。詰め寄られ、ルトは顔を引いた。

「よ、よく分かったね。アレムの都の事は、父から聞いたんだよ」
「それは都を作った大王が滅ぼされたって話でしょ? ハドラントにアレムがあるっていうのは誰も知らないよ」

鋭い指摘に、次の言葉が出なくなる。
確かに、ハドラントの砂漠に都があるというのは、魔人のファリスに聞いたのが初めてだ。
しかし、本当の事は言わない方がいい気がした。シディの剣幕に尋常ならざるものを感じるからだ。

「……シディはアレムの都に迷い込んでしまった人の話を聞いた事がない? 旅人がある日、謎の都に辿り着いて、少しだけ宝物を持って帰ったんだって。その後、色々な人に謎の都について語ると、それはアレムの都ではないかと言われたっていう話。この話の旅人が、南方のハドラントを旅していたらしいんだ。これも小話として父から聞いたんだけどね」
「それで、ハドラントに探しに行こうって思ったの?」
「そうだよ」

嘘は言ってない。
父から旅人の話を聞いたのは本当だ。
ただし、ハドラントの砂漠を旅していたというのは、ルトの脚色だが。

「無理だと思うけど」
「分かってるよ。でも、どうしても行ってみたいんだ。父が亡くなる前に一度でいいから見てみたいって言ってたから、代わりに僕が見てやろうってね」

これは大嘘だ。

「シディこそ、アレムの都の場所を知っているみたいだけど、どうして?」

逆に質問をすると、シディは眉を寄せた。

「アーキルが教えてくれたんだよ」

いかにも嘘ですと言わんばかりの、ぶっきらぼうな声だった。

「早く食べちゃおうよ。ルトを家まで送るからさ。アーキルが紅宝玉を取り戻したら、僕が持っていってあげる」
「ありがとう。お願いするよ」

話はこれで終わりだと魚にかぶりつくシディを見て、ルトも山羊肉に口をつけた。 
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