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11話
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その翌日。
オリバーはアップルビー魔法学園へと、焦る心を抑えながら向かっていた。
魔法省と学園は隣接している。
互いの敷地が広いので道のりは長いが、今のオリバーには大した距離に感じなかった。
目指すは、学園の最終学年に属している学生二人。
レイ・バンフィールドとヘンリー・メリアムだ。
一刻も早く、二人に会わなければいけない。
土人形であることを口外しないように、この身にかけられた口封じの魔法。
納得して受け入れていたが、弟のアーノルドにすら真実を話せないのは、もう我慢ができなかった。
今日は二人に頼んで魔法を緩めてもらって、弟にだけでも全てを話すつもりだった。
レイが許してくれるのなら、彼の従兄弟であるスティーヴンにも……。
――この林をまっすぐ行くのが近道かな……?
オリバーは初めて通る道を、少々迷いながら足を進めていた。
魔法省と学園の間には人工林が広がっていて、癒しの場となっている。
整備された道があるので歩きづらくはないし、この林の真ん中を突き抜ければ、少しは早く着くはずだ。
レイたちからは、何かあれば学園の事務局に声をかけてくれと言われている。
オリバー・イートンの名を伝えれば、話が通るようにしてくれているようだった。
――早く、早く……!
アーノルドに少しでも早く話したくて、どんどん駆け足になっていく。
魔法で管理された林は、こんな時でなければ、ゆっくりと散歩を楽しみたいほどの美しさだ。
瑞々しい木々の間を駆けていると、学園の鐘の音が耳に届く。
そろそろ、午後の授業が終わる頃合いだ。今行けば、すんなりと二人に会えるかもしれない。
はやる心が、いっそう足を速くしていく。
息を切らして進んでいると、木々の隙間から、大きなハチが近寄ってきた。
好戦的な動きに、近くに巣でもあったのかと思ったが……どうやら違う。
すぐ側まで来たそれが、見たこともないような大きさと模様をしているのに気づいた。
――これは、ただのハチじゃない……従魔!?
何で、こんなところに従魔が?
疑問に思ったと同時に、背後から幾人かの足音がした。
振り返ると、数人の男がこちらに走ってきている。
どう見ても、ただの通行人ではない。
――僕を……追ってきてる!?
訳が分からないまま再び前を向くと、火の玉が肩をかすめた。
男たちの中に、火の魔法使いがいるようだ。
オリバーは恐怖を飲み込むと、全力疾走で男たちから逃げはじめた。
一体、何なのか。
この辺りは、帝都内でも治安のいい場所だ。
犯罪が起きたという話は、聞いた覚えがない。
――僕が、アーニーの助手だから……?
冷凍室に閉じ込められたことが頭をよぎる。
しかし、そんなものとは毛色が違う気がした。
「ぁ熱っ……っ!」
今度は、火の玉が太もものすぐ側を飛んでいく。
オリバーは木々の隙間を蛇行して、襲ってくる火と男たちから、どうにか逃れていた。
土人形である自分には、命の危機はないと言える。
けれど、こんなところで土塊に戻ってしまえば、レイたちが罪に問われてしまう。
それだけは、何があっても避けなければいけないが、相手は複数人。
まだ学園までは距離があるし、この林を逃げ続けるのは無理だ。
周りにひと気は全くなく、助けを呼ぶこともできない。
――どこか、どこか逃げ込める場所は――……
走る速度が、徐々に落ちてくる。
焦っていると、左方の木々の向こうに小さな建物が見えた。
あれは……倉庫だ。
助手になったばかりの頃に受けた説明を思い出す。
オリバーは走る方向を転換して、小さな建物に向かった。
――追いつかれる前に、何としても倉庫に――!!
火の玉に服を焦がされながら、オリバーは捕まる寸前に目的の建物へ飛び込んだ。
――よかったっ。入れた!!!
ここは、魔法省の研究者が共同で使っている倉庫だ。
様々な魔道具や資料が置いてある。
学園が借りる時もあるので、魔法省の敷地内ではなく、この林の中に建てたらしい。
一見して鍵はかかっていないが、実は魔法で施錠がされており、許可された人間しか出入りすることはできない。
大魔導師の助手である自分は、自由な出入りが可能だと説明を受けていた。
オリバーは急いで扉を閉めると、一番奥の棚の脇でうずくまった。
呼吸を整える間もなく、扉から倉庫全体に衝撃が走る。
男たちが魔法で扉を破ろうとしているようだった。
――やっぱり、狙いは僕――?
先程のハチのような従魔は、オリバーを監視していたようにも思える。
男たちは、大魔導師の助手を害そうとしているのか。
捕まって、傷つけられるのは怖い。
そして、傷つけられたら、土人形であることがバレてしまう。
二つの恐怖に、オリバーはガタガタと身を震わせた。
――アーニー、アーニー……。
心の中で弟を呼びながら、棚の隙間から扉を覗き見る。
ますます激しくなる衝撃と共に、扉が強く光っていた。
こじ開けられるまで、そう時間はかからないだろう。
捕まってしまうと、最悪の事態になる。
どうにかして助けを呼びたいが、こんな倉庫の奥で、魔力のない自分にできることが思いつかない。
――捕まりたくないけど……僕の力では逃げられない……。
恐怖と絶望でいっぱいになっていると、倉庫に響く衝撃音と共にハチの羽音がした。
先程の従魔だ。
そう思った時、別の従魔が脳裏をよぎった。
アーノルドの従魔、ダリル。
普段は『外の倉庫』かアーノルドの部屋にいると言っていた。
その『外の倉庫』が、ここを指しているのかは分からないけれど。
「ダリル……!」
従魔の名を呼ぶ。
もちろん、召喚した本人ではなく、魔力すらない自分が呼んでも反応はない。
――でも、もしかしたら、アーニーに届くかもしれない――!!
「ダリルっ。僕は、アーノルド・コリンズ先生のシチュー係のオリバー・イートン。お願いっ。先生に緊急事態だと伝えてっ」
ダリルが、ここにいるのか。
この伝言を伝えてくれるのか。
何も分からない。全ては賭けだ。
――どうか……どうか、アーニーに伝わりますように――……!
願うオリバーの視線の先で、とうとう扉が弾け飛んだ。
終わった……。
男たちから少しでも見えないように、ぎゅっと膝を抱えて丸くなる。
足音が、そう広くはない倉庫の中に散っていき、すぐに奥まで入ってきた。
――もう、だめだ――
体を震わせながら、助けを諦めた瞬間。
目の前に、太陽のような光が現れた。
この光には見覚えがある。
オリバーは顔を上げて、飴色の瞳を輝かせた。
「先生っ……!!」
一瞬で光が消えると、そこには、ダリルを肩に乗せたアーノルドが立っていた。
「何があった」
「突然、男の人たちに追われて――」
オリバーが説明するまでもなく、男たちがこちらに気づいて駆けてくる。
そして、怒りをあらわにしている大魔導師を見て、驚きに顔をゆがめた。
「俺の助手に何の用だ」
睨みつけながら問うアーノルドを前に、今までとは打って変わって、男たちは一目散に倉庫から逃げていく。
「ダリル。追えっ」
アーノルドの命令に、白いふわふわが勢いよく飛んでいった。
「オリバー。怪我はないか?」
「は、はい……」
膝をついたアーノルドが、顔をのぞき込んでくる。
きれいな漆黒の瞳を見つめ返していると、安堵が胸に広がった。
「これは……火魔法で攻撃されてるじゃないか」
火の玉で焦げた服を見て、形良い眉がぐっと寄せられる。
「焦げているだけで、火傷はしていません。大丈夫です」
そう答えたものの、体に力が入らない。
オリバーは立とうとして、派手に失敗してしまった。
「顔色が悪いし、しばらく立てそうにないな」
恐怖で腰を抜かしているオリバーを、アーノルドは横抱きして持ち上げた。
冷凍室に閉じ込められた時と同じ状態に、激しく動揺してしまう。
「せ、先生っ。いいですからっ」
「立てないのに遠慮するな」
「でもっ――」
アーノルドが呪文を唱えはじめて、これ以上の抵抗ができなくなる。
弟の温もりを意識してしまいそうになり、内心で慌てていると、体が光に包まれた。
眩しさに、思わず目をつぶる。
次に瞼を上げた時には、倉庫から大魔導師の部屋に移動していた。
「今日は、もう横になっていろ」
先日と同じように、奥の部屋にあるベッドに寝かされる。
もぞもぞと靴を脱ぐと、横になったオリバーは、申し訳なさそうに口を開いた。
「いつもすみません……」
「いや……。間に合ってよかった」
漆黒の瞳に安堵がにじんでいて、アーノルドの優しさに心が温かくなった。
「ダリルのこと、よく覚えていたな」
「扉が壊される直前に思い出せたんです。あの倉庫に、ダリルがいてくれてよかった……」
アーノルドの助けがなかったら、今頃どうなっていたか。
「コリンズ先生。助けに来てくださって、本当にありがとうございます」
オリバーが感謝と喜びに微笑むと、アーノルドもわずかに笑みを見せた。
――あ……アーニーが笑ってくれた――……
穏やかに細められた漆黒の目に、心が跳ねる。
初めて見た、大人のアーノルドの微笑みだった。
「すぐに助けてもらえて嬉しかったです。あんなに短い時間で転移魔法が使えるなんて、すごいですね」
「正確には、移動魔法じゃない。ダリルの移動に便乗したんだ。帰りも、あいつの残した魔力の跡をたどって戻ってきた」
「そんなことができるんですか」
「応用魔法の一つだ。近距離だからできたんだが。以前に同じ方法で移動したことがあったしな」
「さすがは大魔導師様ですねっ」
明るい声音で言うと、ベッドの端に腰かけたアーノルドが、そっと視線を下げた。
「……今回も、俺のせいだな」
「そんな……先生は何も――」
「お前が狙われたのは、俺の助手だからだ」
「……私に危害を加えてまで、先生を苦しめようとする人がいるんですか……?」
「俺を嫌ってる奴は大量にいるが、さすがにここまでのことはしないと思う。今、動いているのは、コリンズ家を嗅ぎまわってる連中だろう」
時止めの魔法を使われ、家の裏を掘り返されていたコリンズ家。
「先生のお家に秘密があって、それを誰かが探っているのかもしれないという話ですよね」
アーノルドは首肯した。
「秘密が何かは分からないが、地下室をわざわざ確認するぐらいだ。相手は魔力共鳴を解いて、家の中に入りたがっているとみて間違いない」
「ということは……私を人質にして、先生の研究内容を奪おうとしているのでしょうか?」
助手の命を引き換えに、大魔導師の研究を奪う。
ありえないことではないと思う。
「研究途中のものを奪っても、あいつらには理解できないだろう。これは、俺の勝手な推測だが……あいつらが企んでいるのは、もっと荒っぽいことだ」
「荒っぽいこと?」
しっかりと話を聞きたくて身を起こそうとしたオリバーを、アーノルドは軽く手で制して言葉を続ける。
「まず、前置きとして、世界中で起こっている魔力共鳴は、基本的に半永久的なものだ」
「有史以前から続いている共鳴もあるんですよね。数千年前から、なんていう伝説が存在するものもあるとか」
「それらはまれに解けることもあるが、仕組みは全く解明されていない。だが、過去に同じ条件で解けたものが、いくつか存在する」
共鳴が解けることすら珍しいのに。
同じ条件で解けたものが複数あるのならば、大きな発見なのではないだろうか。
「どんな条件なんですか?」
「共鳴を起こした者の死だ」
「え……?」
予想していなかった言葉に、オリバーは目を見開いた。
「共鳴を起こした者の一人が、その現場で死亡すると同時に、共鳴が解けている」
考えたくもない条件に、胸の奥が冷えていく。
「そ、れは……絶対的な条件では……ないんですよね……?」
「魔法省が管理している数百年の記録の中に、同じように現場で死亡した事例はいくつも残っているが、共鳴が解けたものは、ほとんどない」
「なら、ごくまれにそういうこともある……ぐらいの?」
「そうだ。だが、現状で共鳴を解くための一番確実な方法は、この条件を満たすことだ」
「…………」
そんな恐ろしいことが、一番確実な方法と言えてしまうなんて。
「お前を襲った奴らは、この少ない可能性にかけて、俺をコリンズ家の前で殺そうとしているんじゃないかと思う」
「じゃあ……私を人質にして、先生の命を……? で、でも、すごく低い確率なのに――」
「何が何でも、コリンズ家の中に入りたい奴らからすれば、少しでも解ける可能性があるものには飛びつくんだろう。俺が共鳴を解明するのを待つよりは、俺を殺す方が現実的なやり方だ」
頭がぐらぐらする。
オリバーを襲ってきた男たちは、アーノルドの命を奪って、魔力共鳴を解こうとしている。
とんでもない推測に、身の毛がよだつ。
「余計、体調を悪くさせたな」
表情を強張らせているオリバーの髪を、アーノルドは少々荒っぽく撫であげた。
「ここにいれば安全だ。どうせ俺は引きこもりだしな。心配なのは、お前だな」
「あ……私が人質にとられてしまえば、ご迷惑どころの話ではないですもんね……」
「迷惑とか考えてる場合じゃないだろうが」
呆れたように言うと、アーノルドの漆黒の瞳が、じっとオリバーを見下ろしてくる。
「しばらく、お前もここで生活しろ」
「えっ!?」
「その方が安心できる」
大魔導師の提案に、オリバーは目を丸くする。
二人での生活に抵抗はないし、むしろ喜ばしいけど……。
「……先生のお邪魔になりませんか?」
「別に。お前が周りをちょろちょろしているのには慣れた」
「ちょろちょろって、そんなネズミみたいにっ」
つい文句を言うと、アーノルドが声を出して笑った。
十五年前の幼いアーノルドと重なる、屈託のない笑顔。
――アーニーの笑顔は、昔から変わらないな……。
楽しそうな顔を見せてくれたことが嬉しくて、胸がくすぐったくなった。
そうだ。アーノルドがコリンズ家に来てから、色んな表情を浮かべるようになった時にも、こんな気持ちになっていた。弟の豊かな感情に触れるたびに、心が幸せで満たされて――
――僕は、あの時の暮らしを取り戻したい。だから……これ以上は、何一つ奪われてはいけないんだ……。
コリンズ家の謎も、それを狙う者の目的も、分からないことだらけだ。
戦おうにも、魔力のない土人形が、従魔を使役するほどの集団に敵うわけがない。
――でも……僕だって、アーニーを守りたい……。
弟の命が狙われているかもしれない。
それなのに、ただ傍観しているだけだなんて、兄として最低ではないか。
――もう二度と、アーニーを辛い目には遭わせたくないんだから……!!
十五年前の悲劇を繰り返すような真似は絶対にしない。
必ず、アーノルドとの穏やかな生活を再び手にするのだ。
静かに、けれども熱く、深く。
エリオットの心に宿った闘志は、体を土塊に戻してしまいそうなほど燃え上がっていった。
微笑むアーノルド
オリバーはアップルビー魔法学園へと、焦る心を抑えながら向かっていた。
魔法省と学園は隣接している。
互いの敷地が広いので道のりは長いが、今のオリバーには大した距離に感じなかった。
目指すは、学園の最終学年に属している学生二人。
レイ・バンフィールドとヘンリー・メリアムだ。
一刻も早く、二人に会わなければいけない。
土人形であることを口外しないように、この身にかけられた口封じの魔法。
納得して受け入れていたが、弟のアーノルドにすら真実を話せないのは、もう我慢ができなかった。
今日は二人に頼んで魔法を緩めてもらって、弟にだけでも全てを話すつもりだった。
レイが許してくれるのなら、彼の従兄弟であるスティーヴンにも……。
――この林をまっすぐ行くのが近道かな……?
オリバーは初めて通る道を、少々迷いながら足を進めていた。
魔法省と学園の間には人工林が広がっていて、癒しの場となっている。
整備された道があるので歩きづらくはないし、この林の真ん中を突き抜ければ、少しは早く着くはずだ。
レイたちからは、何かあれば学園の事務局に声をかけてくれと言われている。
オリバー・イートンの名を伝えれば、話が通るようにしてくれているようだった。
――早く、早く……!
アーノルドに少しでも早く話したくて、どんどん駆け足になっていく。
魔法で管理された林は、こんな時でなければ、ゆっくりと散歩を楽しみたいほどの美しさだ。
瑞々しい木々の間を駆けていると、学園の鐘の音が耳に届く。
そろそろ、午後の授業が終わる頃合いだ。今行けば、すんなりと二人に会えるかもしれない。
はやる心が、いっそう足を速くしていく。
息を切らして進んでいると、木々の隙間から、大きなハチが近寄ってきた。
好戦的な動きに、近くに巣でもあったのかと思ったが……どうやら違う。
すぐ側まで来たそれが、見たこともないような大きさと模様をしているのに気づいた。
――これは、ただのハチじゃない……従魔!?
何で、こんなところに従魔が?
疑問に思ったと同時に、背後から幾人かの足音がした。
振り返ると、数人の男がこちらに走ってきている。
どう見ても、ただの通行人ではない。
――僕を……追ってきてる!?
訳が分からないまま再び前を向くと、火の玉が肩をかすめた。
男たちの中に、火の魔法使いがいるようだ。
オリバーは恐怖を飲み込むと、全力疾走で男たちから逃げはじめた。
一体、何なのか。
この辺りは、帝都内でも治安のいい場所だ。
犯罪が起きたという話は、聞いた覚えがない。
――僕が、アーニーの助手だから……?
冷凍室に閉じ込められたことが頭をよぎる。
しかし、そんなものとは毛色が違う気がした。
「ぁ熱っ……っ!」
今度は、火の玉が太もものすぐ側を飛んでいく。
オリバーは木々の隙間を蛇行して、襲ってくる火と男たちから、どうにか逃れていた。
土人形である自分には、命の危機はないと言える。
けれど、こんなところで土塊に戻ってしまえば、レイたちが罪に問われてしまう。
それだけは、何があっても避けなければいけないが、相手は複数人。
まだ学園までは距離があるし、この林を逃げ続けるのは無理だ。
周りにひと気は全くなく、助けを呼ぶこともできない。
――どこか、どこか逃げ込める場所は――……
走る速度が、徐々に落ちてくる。
焦っていると、左方の木々の向こうに小さな建物が見えた。
あれは……倉庫だ。
助手になったばかりの頃に受けた説明を思い出す。
オリバーは走る方向を転換して、小さな建物に向かった。
――追いつかれる前に、何としても倉庫に――!!
火の玉に服を焦がされながら、オリバーは捕まる寸前に目的の建物へ飛び込んだ。
――よかったっ。入れた!!!
ここは、魔法省の研究者が共同で使っている倉庫だ。
様々な魔道具や資料が置いてある。
学園が借りる時もあるので、魔法省の敷地内ではなく、この林の中に建てたらしい。
一見して鍵はかかっていないが、実は魔法で施錠がされており、許可された人間しか出入りすることはできない。
大魔導師の助手である自分は、自由な出入りが可能だと説明を受けていた。
オリバーは急いで扉を閉めると、一番奥の棚の脇でうずくまった。
呼吸を整える間もなく、扉から倉庫全体に衝撃が走る。
男たちが魔法で扉を破ろうとしているようだった。
――やっぱり、狙いは僕――?
先程のハチのような従魔は、オリバーを監視していたようにも思える。
男たちは、大魔導師の助手を害そうとしているのか。
捕まって、傷つけられるのは怖い。
そして、傷つけられたら、土人形であることがバレてしまう。
二つの恐怖に、オリバーはガタガタと身を震わせた。
――アーニー、アーニー……。
心の中で弟を呼びながら、棚の隙間から扉を覗き見る。
ますます激しくなる衝撃と共に、扉が強く光っていた。
こじ開けられるまで、そう時間はかからないだろう。
捕まってしまうと、最悪の事態になる。
どうにかして助けを呼びたいが、こんな倉庫の奥で、魔力のない自分にできることが思いつかない。
――捕まりたくないけど……僕の力では逃げられない……。
恐怖と絶望でいっぱいになっていると、倉庫に響く衝撃音と共にハチの羽音がした。
先程の従魔だ。
そう思った時、別の従魔が脳裏をよぎった。
アーノルドの従魔、ダリル。
普段は『外の倉庫』かアーノルドの部屋にいると言っていた。
その『外の倉庫』が、ここを指しているのかは分からないけれど。
「ダリル……!」
従魔の名を呼ぶ。
もちろん、召喚した本人ではなく、魔力すらない自分が呼んでも反応はない。
――でも、もしかしたら、アーニーに届くかもしれない――!!
「ダリルっ。僕は、アーノルド・コリンズ先生のシチュー係のオリバー・イートン。お願いっ。先生に緊急事態だと伝えてっ」
ダリルが、ここにいるのか。
この伝言を伝えてくれるのか。
何も分からない。全ては賭けだ。
――どうか……どうか、アーニーに伝わりますように――……!
願うオリバーの視線の先で、とうとう扉が弾け飛んだ。
終わった……。
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足音が、そう広くはない倉庫の中に散っていき、すぐに奥まで入ってきた。
――もう、だめだ――
体を震わせながら、助けを諦めた瞬間。
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「先生っ……!!」
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「突然、男の人たちに追われて――」
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アーノルドの命令に、白いふわふわが勢いよく飛んでいった。
「オリバー。怪我はないか?」
「は、はい……」
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「でもっ――」
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「いつもすみません……」
「いや……。間に合ってよかった」
漆黒の瞳に安堵がにじんでいて、アーノルドの優しさに心が温かくなった。
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「コリンズ先生。助けに来てくださって、本当にありがとうございます」
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「そんなことができるんですか」
「応用魔法の一つだ。近距離だからできたんだが。以前に同じ方法で移動したことがあったしな」
「さすがは大魔導師様ですねっ」
明るい声音で言うと、ベッドの端に腰かけたアーノルドが、そっと視線を下げた。
「……今回も、俺のせいだな」
「そんな……先生は何も――」
「お前が狙われたのは、俺の助手だからだ」
「……私に危害を加えてまで、先生を苦しめようとする人がいるんですか……?」
「俺を嫌ってる奴は大量にいるが、さすがにここまでのことはしないと思う。今、動いているのは、コリンズ家を嗅ぎまわってる連中だろう」
時止めの魔法を使われ、家の裏を掘り返されていたコリンズ家。
「先生のお家に秘密があって、それを誰かが探っているのかもしれないという話ですよね」
アーノルドは首肯した。
「秘密が何かは分からないが、地下室をわざわざ確認するぐらいだ。相手は魔力共鳴を解いて、家の中に入りたがっているとみて間違いない」
「ということは……私を人質にして、先生の研究内容を奪おうとしているのでしょうか?」
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ありえないことではないと思う。
「研究途中のものを奪っても、あいつらには理解できないだろう。これは、俺の勝手な推測だが……あいつらが企んでいるのは、もっと荒っぽいことだ」
「荒っぽいこと?」
しっかりと話を聞きたくて身を起こそうとしたオリバーを、アーノルドは軽く手で制して言葉を続ける。
「まず、前置きとして、世界中で起こっている魔力共鳴は、基本的に半永久的なものだ」
「有史以前から続いている共鳴もあるんですよね。数千年前から、なんていう伝説が存在するものもあるとか」
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同じ条件で解けたものが複数あるのならば、大きな発見なのではないだろうか。
「どんな条件なんですか?」
「共鳴を起こした者の死だ」
「え……?」
予想していなかった言葉に、オリバーは目を見開いた。
「共鳴を起こした者の一人が、その現場で死亡すると同時に、共鳴が解けている」
考えたくもない条件に、胸の奥が冷えていく。
「そ、れは……絶対的な条件では……ないんですよね……?」
「魔法省が管理している数百年の記録の中に、同じように現場で死亡した事例はいくつも残っているが、共鳴が解けたものは、ほとんどない」
「なら、ごくまれにそういうこともある……ぐらいの?」
「そうだ。だが、現状で共鳴を解くための一番確実な方法は、この条件を満たすことだ」
「…………」
そんな恐ろしいことが、一番確実な方法と言えてしまうなんて。
「お前を襲った奴らは、この少ない可能性にかけて、俺をコリンズ家の前で殺そうとしているんじゃないかと思う」
「じゃあ……私を人質にして、先生の命を……? で、でも、すごく低い確率なのに――」
「何が何でも、コリンズ家の中に入りたい奴らからすれば、少しでも解ける可能性があるものには飛びつくんだろう。俺が共鳴を解明するのを待つよりは、俺を殺す方が現実的なやり方だ」
頭がぐらぐらする。
オリバーを襲ってきた男たちは、アーノルドの命を奪って、魔力共鳴を解こうとしている。
とんでもない推測に、身の毛がよだつ。
「余計、体調を悪くさせたな」
表情を強張らせているオリバーの髪を、アーノルドは少々荒っぽく撫であげた。
「ここにいれば安全だ。どうせ俺は引きこもりだしな。心配なのは、お前だな」
「あ……私が人質にとられてしまえば、ご迷惑どころの話ではないですもんね……」
「迷惑とか考えてる場合じゃないだろうが」
呆れたように言うと、アーノルドの漆黒の瞳が、じっとオリバーを見下ろしてくる。
「しばらく、お前もここで生活しろ」
「えっ!?」
「その方が安心できる」
大魔導師の提案に、オリバーは目を丸くする。
二人での生活に抵抗はないし、むしろ喜ばしいけど……。
「……先生のお邪魔になりませんか?」
「別に。お前が周りをちょろちょろしているのには慣れた」
「ちょろちょろって、そんなネズミみたいにっ」
つい文句を言うと、アーノルドが声を出して笑った。
十五年前の幼いアーノルドと重なる、屈託のない笑顔。
――アーニーの笑顔は、昔から変わらないな……。
楽しそうな顔を見せてくれたことが嬉しくて、胸がくすぐったくなった。
そうだ。アーノルドがコリンズ家に来てから、色んな表情を浮かべるようになった時にも、こんな気持ちになっていた。弟の豊かな感情に触れるたびに、心が幸せで満たされて――
――僕は、あの時の暮らしを取り戻したい。だから……これ以上は、何一つ奪われてはいけないんだ……。
コリンズ家の謎も、それを狙う者の目的も、分からないことだらけだ。
戦おうにも、魔力のない土人形が、従魔を使役するほどの集団に敵うわけがない。
――でも……僕だって、アーニーを守りたい……。
弟の命が狙われているかもしれない。
それなのに、ただ傍観しているだけだなんて、兄として最低ではないか。
――もう二度と、アーニーを辛い目には遭わせたくないんだから……!!
十五年前の悲劇を繰り返すような真似は絶対にしない。
必ず、アーノルドとの穏やかな生活を再び手にするのだ。
静かに、けれども熱く、深く。
エリオットの心に宿った闘志は、体を土塊に戻してしまいそうなほど燃え上がっていった。
微笑むアーノルド
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「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
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俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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