土人形のコリンズ男爵は愛しの大魔導師様を幸せにしたいのだけれど。

梅村香子

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10話

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それから、しばらくして――

オリバーを冷凍室に閉じ込めた三人は、懲戒解雇されたと聞かされた。
その上、帝都からは追放されて、そろって故郷へと帰ったようだった。
魔導師の助手という輝かしい地位を失い、今後は肩身のせまい思いをしていくことだろう。
当然、辛い思いをするのは、当人だけではない。
三人ともが立派な伯爵家や子爵家の出身だった。彼ら一族の社交界での評判は、地に落ちたと言っていい。
家の名に泥を塗った彼らは、自分たちだけでは済まない大きな傷を負ってしまった。
騒動直後は、厳重注意で終わらせようとする保守的な動きがあったようだが、アーノルドとスティーヴンが、それを許さなかったという。
弟と親友のしっかりとした対応には、ほっと胸を撫でおろした。
大事にしたいわけではなかったが、今後も彼らと顔を合わせるのは、正直怖い。
嫉妬であんなにひどいことができる人間がいるなんて、今でも思い出しては背筋を冷たくしていた。

「よし。できた」

オリバーは炊事場で、いつも通りシチューを作っていた。
今回の騒動で、周囲から色々と言われてしまうかと思ったが。
他の助手からは、以前にも増して遠巻きにされているようだった。
きっと、下手に関わらない方がいいと判断されたのだろう。
変に話しかけられても対応に困るので、避けられる方が気が楽だった。
オリバーは、シチューが詰まった鍋を、ゆっくりと台車の上に乗せた。
そして、調理台や魔法かまどの周辺を、わざと時間をかけて整えてみる。
最近、少し……ほんの少しだけ、アーノルドの部屋へ向かう足が重い。
凍えた体を温めてもらった日から、ずっと気まずい思いをしていた。
弟に手淫されるという衝撃的な出来事に対して、どうしても平常心が保てずにいる。
あの手で気持ちよくなって、最後まで達してしまったのかと思うと……。
あまりの恥ずかしさに、アーノルドを直視できない日が続いていた。

――助けてくれたアーニーに変な態度をとるのは失礼だし、ちゃんと気持ちを切り替えないと……。

台車を押しながら、オリバーはあの日のことを必死に頭から追い出した。
それから、にわか仕込みの薄っぺらい平常心を胸に貼りつけると、細い廊下を奥へ奥へと進んでいく。
見慣れた扉の前に到着すると、一度だけ深呼吸をして言葉をつむいだ。

「シチューをお持ちしました」

静かに扉を開けて、本や書類を避けて鍋を奥へと持っていった。
凍えて運び込まれた時に崩れた本や資料は元に戻していたが、全体的に前よりも乱雑になってしまった気がする。
もう少し信頼を得ることができれば、この部屋の整理や掃除を任せてもらえるだろうか。

「先生。お疲れ様です」

声をかけると、アーノルドがくるりと振り返った。
この部屋に初めて来た時の、そびえ立つ不動の山のように感じた背中を思うと、嬉しくなってくる。
……今は諸事情により、まともに直視できないけれど。

「すぐに食べる」
「はい。大盛りしますね」

所定の位置に鍋を置いて蓋を開けると、周囲においしそうな匂いが広がった。
器も大きなものに変えている。
それにたっぷりとシチューを盛ると、アーノルドに差し出した。

「どうぞ……あ、わっ……っ!」

シチューを渡そうとした手が、アーノルドのそれと触れ合ってしまい、思わず手を引く。
床に落ちそうになった器を、大きな手が危なげもなく受け止めた。

「す、すみませんっ」
「…………」

――何をしてるんだっ。気持ちを切り替えようって思ったそばから、僕は……っ。

これでは、アーノルドを意識していると丸分かりではないか。
情けないことに、オリバーが挙動不審になっている一方で、アーノルドには感情の動きが全く見られなかった。
一人で恥ずかしがって騒いでいるのが、気まずさに拍車をかけている。

「……えっと、今日のシチューは、旨味がよく出るように、煮込む前に豚肉をじっくりと焼いてみたんです!」

二人の間に流れる微妙な空気をかき消そうと、オリバーはわざとらしいほどの明るい声を出した。
せっかく普通に会話ができるようになったのに、また距離ができてしまってはたまらない。
慌てた様子で言葉を重ねるオリバーを、アーノルドは静かに見つめる。

「……食事はすんだのか?」
「ま、まだです」
「一緒に食べるか?」

アーノルドからの突然のお誘いに、オリバーの心臓が飛び跳ねた。

「いいんですか……?」
「そこの下にある椅子を使え」
「分かりましたっ」

二十四歳の弟と一緒に食事をするのは初めてだ。
気まずさを吹き飛ばすほどの喜びが胸を躍らせる。
オリバーは、元気よく古い丸椅子を資料の山の中から引っぱり出すと、自分のシチューを器に盛った。
まさか、食事に誘ってもらえるとは思わなかった。
また一歩。アーノルドが気を許してくれたのだと思うと、嬉しくて仕方がない。

「先生。ありがとうございます」
「お前が作ったんだから、礼を言うのは俺の方だろ」
「一緒に食べてくださるのが、すごく嬉しいんです」
「単純だな」
「物事は単純が一番ですよ」

オリバーは椅子に座って微笑むと、アーノルドと共にシチューを口に運んだ。
うん。おいしい。
幼いころから食べ慣れた、クロエのシチューの味。
作り始めた時より、腕が上がっている気がした。

「……上達したな」

アーノルドが、つぶやくように言う。

――アーニーも、上手くなったって思ってくれたんだ……!

オリバーは、喜びに笑みを深めた。

「先生に褒めていただけて、今日は嬉しいことばかりですっ。好みの味に近づきましたか?」
「ああ」

小さく頷くと、アーノルドはシチューをおかわりした。
相変わらず、食べるのが早い。
もりもりと勢いよく食べるアーノルドは、見ているだけで幸せな気持ちになる。

「一緒に食べると楽しいですね」

オリバーもおかわりをして、二杯目を食べていると、アーノルドの視線を感じた。

「……お前は、兄に似てるな」
「えっ!?」

胸の奥がざわりと騒いだ。
姿形が全く違うから、しっかりと別人のふりはしていなかった。
言動も意識して変えた方がよかっただろうか。

「表情や仕草が……兄と重なる」
「そ、そうなんですね……」

どう反応していいか分からずに、あいまいな表情で答える。
何か言えば、もっとおかしなことになりそうだ。

「嫌そうだな」
「ま、まさかっ。先生の大切なお兄様と似ているなんて光栄です」
「大切?」

アーノルドが、自嘲じちょうするように一笑した。

「俺は、兄を氷の中に閉じ込めた犯人だ」
「それは……っ」

アーノルドのせいではない。
魔力共鳴は事故だ。そして、誰が悪いかと言えば、不法侵入をした男二人だ。
そう口にしたいが、上手く言葉にできなかった。
こういった慰めは、この十五年で数えきれないほどされてきたはずだ。
今更、同じような言葉をかけても、アーノルドは乾いた気持ちになるだけだろう。

「……お兄様は、魔力共鳴のことを知ったら、先生が原因だと思うでしょうか」
「兄は優しい人だ。俺のせいだとは、きっと考えもしない」

即答すると、アーノルドは視線を下げた。

「事故だとは理解している。それに、侵入者による時止めの魔法が実行されていれば、俺たち兄弟がどうなっていたかは分からない。二人とも殺された可能性だってある。だが、俺があの場にいなければ……少なくとも、兄が永遠の時の中で凍りつくことはなかった……」

絞り出すような声に、心が締めつけられる。

――アーニーは何も悪くない。何の罪も背負う必要はないのに――……

後悔と罪悪感に苦しんでいる弟に、家族として言葉一つかけられないのが辛い。
そして、他人のふりをしている自分が、世界一の愚かな兄に思えた。

「先生。私は――っ」

エリオットだと言いたかった。
十五年間も独りにしてごめんねと言って、苦しむ弟を抱きしめたかった。
けれど、兄だと口にしようとした瞬間に喉が固まり、声が出せなくなる。
口封じの魔法は強力で、オリバーは唇を震わせることしかできなくなった。

「どうかしたのか?」
「いえ……何でも……ありません……」

オリバーは、魔法にあらがうのを諦めて、瞼を伏せた。
もう、限界だ。
これ以上、アーノルドの横で他人として過ごすのは我慢できない。
レイとヘンリーに、口封じの魔法を緩めてもらうように頼みに行こう。
アーノルドは、土人形のことを他言するような人ではない。
二人を説得して、弟にだけでも話せるように。

――アーニー。もう少し待っていて――……

自分がエリオットだと、一刻も早く話したい。
失った十五年は戻ってこないが、いっぱい話して、たくさん抱きしめて、命を削るようにして取り組んでいる研究も、少しは休んでと声をかけたかった。
帝都の人々は、共鳴の悲しき被害者はエリオットだと言っているけれど……。
一番の被害者はアーノルドだ。
目の前で全てが凍りつき、重い罪悪感まで背負って。

――早く、アーニーの苦しみを終わらせないと。それは、土人形の僕でも、できるはずだから……。

オリバーのふりをしたエリオットは、飴色の瞳に深い愛情を秘めて、シチューを食べるアーノルドを優しく見つめ続けた。


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