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8話

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今日のシチューは、カブがちょっと多めだ。
アーノルドは、味のしみたカブが好きだと言っていたので、喜ぶだろう。
……十五年前の話だけど。
鍋底からかき上げるように、ゆっくりとシチューを混ぜると、オリバーはかまどの火を切った。
昨日から、使用する鍋を大きくした。
さすがに、こんなには食べないだろうという予想を、アーノルドは軽々と超えていく。
毎食、最低でも山盛り四杯ぐらいは、涼しい顔でぺろりと食べきるのだ。

――あれで、全く飽きないのもすごいんだよな……。

他のものは全く食べずに、シチュー一筋のアーノルド。
偏食を心配していたのだけれど、弟の顔色は、オリバーとして初めて会った時よりも随分とよくなった。
目の下の隈も薄くなってきているので、不規則な生活が少しは改善されたのだと思う。
コリンズ家のことでは、新たな事件まで発生して、迷惑をかけている。
兄として、体調管理の手伝いぐらいはしておきたい。
今日も沢山食べてもらおうと、オリバーは重い鍋を台車に乗せた。

――結局、警吏けいりには言わなかったけど、本当に大丈夫だったのかな――……

家の裏手が掘り返されていたのを発見してから数日経ったが、アーノルドは全く通報しようとはしなかった。
十五年前に続いて、再びの不法侵入だ。
調べてもらった方がいいと思うのだけど、アーノルドは官憲かんけんの犯罪捜査を信用していないようだった。
それならば、自分たちで狙われている理由を探さないといけない。
しかし、全く思い当たらなくて、オリバーはずっと頭を悩ませていた。
時を止めてまで、家の中を捜索する理由は?
地下室に何の用が?
埋蔵金?
宝の地図?
金庫の鍵?
そんな話、両親から一切聞いたことがない。
もしあったとしたら、とうの昔に使っている。

――やっぱり、僕の知らない理由で狙われてるのかな……。

「またシチュー? それしか作れないのかよ」

背後から、突然声をかけられる。
考え込んでいたオリバーは、肩をびくりと揺らして驚いた。
振り返ると、同じ年ぐらいの青年が、三人並んで立っていた。
魔導師の助手だ。
大魔導師はアーノルドだけだが、魔導師の就任は試験制で、今は約二百人が帝国各地でそれぞれの職を全うしている。
この研究棟には、七人の魔導師が在籍していると、スティーヴンが言っていたか。
助手たちとは、毎日のように炊事場で顔を合わせているが、話しかけられるのは初めてだった。

「コリンズ先生がお好きなので……」

素直に答えると、助手の顔が不快そうにゆがんだ。

「大魔導師様の助手で、続いた奴はいなかったのに」
「魔力もないくせに、どうやって取り入ったんだよ」

これは……。
気さくに話しかけてくれたというわけではなさそうだ。

「私の作るシチューの味を、先生が気に入ってくださったんです」
「ふざけるなよっ。シチューごときで、助手が続くわけないだろっ」
「いたっ……っ」

腕を強くつかまれて、鈍い痛みが走る。

「高い魔力を持った俺たちが、大魔導師様の助手に志願しても無視されたんだ。お前なんかが簡単になってたまるかっ」
「そんなのっ……」

完全な八つ当たりだ。
アーノルドは助手を置くことを拒否していた。
オリバーが助手になれたのは、大魔導師の不規則な生活を心配したスティーヴンが、野心や魔力とは無縁の人間を探していたからだ。

――面白くない気持ちは分かるけど、こんな暴力的な行為に走るのは間違ってる――……

「ほら、こっち来いよ。魔力がない役立たずでも、掃除ならできるだろ」

つかまれた腕を引っ張られて、台車の前から引きはがされる。

「やめてくださいっ。何をするんですか!?」

抵抗するが、三対一の劣勢では逃げられそうにない。
無理に暴れて、体が土塊つちくれに戻ってしまうのも怖かった。

「この中に入れ。何年も放置されてる食材があるから、整理でもしとけよ」
「ま、まって……っ!」

強引に冷凍室に放り込まれると、目の前で勢いよく扉が閉じられた。
急に冷気にさらされて、体がぶるりと震える。

「突然、何なんですかっ!!」

ガチャガチャとドアノブを回すが、扉は少しも動かない。
鍵はついていないはずなのに。

「開けてくださいっ。開けてっ!!」

強く扉をたたくと、嫌な笑い声が返ってきた。

――もしかして、閉じ込められた……?

この部屋は、食材を冷凍しておける氷室のような部屋だ。
もちろん、天然の氷室ではなく、魔法で部屋全体を冷やしている。
こんな所に閉じ込められたら、体がどうなってしまうか分からない。
強い衝撃や激しい外傷で、自分の体は土塊つちくれに戻ると説明されている。
体が凍えても、土になってしまうかもしれない。

「いたずらはやめてくださいっ!」

オリバーは、焦って何度も扉をたたくが、全く開く気配はない。
どういうつもりなのか。

「……おねがい……あけて……っ」

体の芯が瞬く間に冷えて、扉をたたく腕に力が入らなくなっていくのを感じた。
寒すぎて、手足が上手く動かない。
魔法で人為的に冷やされているので、とんでもない早さで体が凍えていく。
すぐに、声を出す気力もなくなり、その場にうずくまって膝を抱えた。

――どうしよう……。早く、ここから出ないと……。

あの三人は、どれぐらいの時間が経ったら扉を開ける気なのか。

――寒い、寒い……。

呼吸をするたびに、五臓六腑が凍っていく感覚がする。
この部屋は、非常に短い時間で、どんな食材も凍らせられると聞く。
生きた土人形も、きっと例外ではないだろう。
本体は我が家で凍りつき、影である土人形は冷凍室に閉じ込められて。
どんな体になっても、氷になってしまう運命なのか。

――いやだ、さむい……つめたい――……。

圧倒的な冷気に襲われて、抗う気持ちさえ奪われていく。
全ての感覚が凍りついて、膝を抱えたまま全く動けなくなった。
そして、否応なしに、意識も細く、遠くなり……。

「アーニー……たすけて……」

小さくつぶやくと、オリバーの瞼と意識は、ゆっくりと閉じられていった。




「オリバーっ!」

それから、どれぐらい経ったか。
バンっと激しい音を立てて扉が開くと、アーノルドが冷凍室に姿を現した。

「しっかりしろっ」

ほぼ意識を失っているオリバーの側に、アーノルドが膝をつく。

「こんなに冷えて……。おいっ、オリバーっ!!」
「……ァ……っ」

肩を強く揺さぶられて、少しだけ意識が戻ってくるが、体の感覚は消えたまま。
四肢が動かずに、目すら開けられない。
けれど、冷えた心に安堵の光が灯ったのを感じた。
弟が来てくれた。
……助けに来てくれた。

――よかった――……

オリバーは、アーノルドに横抱きにされると、すぐに冷凍室から運び出された。

「最低な犯罪行為だな。帝都にいられると思うなよ」

大魔導師が怒りに染まった声で言う。
周囲が騒がしくなったが、オリバーにそれを聞き取る余裕はなく。
アーノルドは足早に炊事場から去ったのか、気づけば静かになっていた。

「……遅いと思って来てみれば……。どれだけ閉じ込められていたんだ」
「せ、んせ……」

礼を言いたいのに、唇が震えるだけで、ほとんど声が出ない。

「あいつら……ふざけた真似をして……。助手には、本気でろくな奴がいないな……」

過去の嫌な記憶が蘇ったのか、アーノルドは漆黒の目を忌々しげに細める。
そして、青白い顔で震えているオリバーを見下ろして、表情に悔しさをにじませた。

「しばらく、俺のベッドで寝ておけ」

炊事場から大魔導師の部屋に運ばれたようで、アーノルドは本や資料が崩れ落ちるのも気にせずに、オリバーを横抱きにしたまま奥に突き進む。
いつも、アーノルドが研究に没頭している部屋よりも、もっと奥。
今まで、扉の存在を知るだけだった隣の部屋に入ると、オリバーはベッドに寝かされた。
寝室のようだが、周囲を見る気力はなく、少しでも寒さから逃れたくて体を丸くした。

「すぐに部屋を暖める」

靴を脱がされると、全身が毛布に包まれた。
アーノルドの呪文を聞きながら、丸まった自分の体をきつく抱きしめる。
魔力で室温を上げてくれたようだが、全く実感できない。
魔法で芯まで冷やされたせいか、凍てついた体は、なかなか元に戻らなかった。

「体温が上がらないな……」

いつまで経っても青白い顔で震えているオリバーを見て、アーノルドは毛布をめくった。

「服を脱がせるぞ」
「ぇ……ぁ……っ」

こんなに寒いのに、どうして服を脱がせるのか。
疑問に思えど、抵抗する力はなくて。
あっという間に下着一枚にされると、アーノルドも上半身だけ服を脱ぎ捨てた。

「人肌で直接温める」

そう言って、アーノルドも靴を脱ぐと、オリバーの隣で横になった。

――あっ……アーニーがベッドに……。

強く抱きしめられ、裸の肌がぴたりとくっついた。
兄弟とはいえ、裸で抱き合うなんて、目を丸くする出来事だ。
だが、寒さが邪魔をして、上手く思考が働かない。

「芯から冷えてるな……」
「……っ」

背中を、ゆっくりと撫でられる。
強烈な寒さにより羞恥心が機能せず、オリバーはたまらず温かい体に抱きついた。

――アーニー、あたたかい――……

アーノルドの体に、子供のようにしがみついて暖をとる。
広い胸に頬を寄せて、震える体を夢中になって押しつけた。
隙間なく触れ合っている肌から、優しい温もりが伝わってきて、冷えた体に安堵が広がっていく。
浅かった呼吸が穏やかになり、固まっていた筋肉がゆっくり弛緩しかんして。
体を貫く氷の芯が、徐々に溶けていくような――

――あたたかくて、きもちいい……。

弟の胸に強く腕を回して、心地よさに身をゆだねる。
少しずつ、少しずつ。
体の震えが止まって、寒さがどこかに去っていくのが分かる。

「先生……」

冷えきっていた体に感覚が戻ってきて、オリバーは小さな声でアーノルドを呼んだ。

「話せるようになったな」
「はい……」

五感が戻ってくると、思考も働くようになってくる。

――……僕……こんなに強く抱きついて……アーニーの肌が……っっ!

すると、今更ながらに、叫び出したいほどの羞恥に襲われた。
九歳のアーノルドとは、毎晩一緒に寝ていた。
抱きついてくる小さな体が可愛くて。
当然だが、その時とは全く違う。
たくましい、大人の男の体。
毛布の中でくっついていると、次第に肌がしっとりと汗ばんできた。




突然、雪山遭難編みたいになっております。
好きなんですよね……凍えた体を体温であたためるシチュが……!!
次話はアダルト描写があります。
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