土人形のコリンズ男爵は愛しの大魔導師様を幸せにしたいのだけれど。

梅村香子

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6話

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凍りついたコリンズ家は、大魔導師のアーノルドと共に、帝都では知らぬ者がいないほど有名だった。
謎の侵入者による時止めの魔法に、突如として発現したアーノルドの魔力。
共鳴で凍りついた館に、その中で時を止めた若き当主。
その全てが人々の好奇心を刺激して、魔力共鳴が起こってしばらくは、コリンズ家に数多の野次馬がおしかけていたそうだ。
オリバーも、何度か自宅を見に行こうとしたのだけれど、未だに実現できずにいる。
機会はいくらでもあったのだが、凍りついた我が家を目にする勇気が出なかったのだ。
それが、今日。とうとう、対面することになる。
オリバーは、いつもより早く起きると、緊張しながらアーノルドの部屋に向かった。
遅刻してはならないと、かなり早めに自室を出たのだが、研究棟の近くまで来ると、入り口の横に目を引く長身の男が立っているのが見えた。
しまった。アーノルドだ。

「コリンズ先生っ……」

まさか、外で待っているとは思わなかった。
あんなに朝の弱かった弟が……いや、徹夜は当たり前な生活をしているようだし、昨晩は寝ていない可能性もある。
慌てて駆けていくと、形良い眉がぐっと寄せられた。

「遅い」
「すみませんっ。お待たせしました」

不満そうな漆黒の目に見下ろされて、オリバーは肩を縮こまらせた。

――アーニー……思ったより背か高い……。

成人したアーノルドの立っている姿は初めて見た。
こうして並び立つと、予想以上の身長差に驚いてしまう。
すっかり年上の男になった弟を見上げて、十五年の時の流れを改めて感じた。

「これから向かわれるのは、コリンズ家の館ですよね?」

何も言わず、足早に歩き始めたアーノルド。
オリバーは、半ば駆け足になって後を追った。

「それが目的で来たんだろ」
「えっと、その……そういう、わけでは……」

気持ちを見透かされていて、オリバーはしどろもどろに言葉を返した。
どうしても、一人では見に行くことのできなかった我が家。
アーノルドとなら、勇気を出せると思ったのだ。

――怖いけど、しっかり現実と向き合わないと……。

背丈と歩調が全く違うアーノルドに小走りでついていきながら、オリバーはざわつく心を落ち着かせようとした。
魔法省とコリンズ家は、徒歩圏内にある。
我が家は、貧乏男爵家とは思えないほど、一等地にあった。
建てたのは五代前の当主で、彼もまた突然変異により強大な魔力を持って生まれた人だった。
この世の常として、魔力のある人々は、より高い魔力を持つ家系との婚姻を求める。
となると、コリンズ家のような弱小魔力の家系は、ずっと弱小のまま生きていくことになる。
そんな中で生まれたのが、五代前の当主だ。
彼は、コリンズ家ではありえないぐらいの強い魔力持ちだった。
弱い魔力の家系から、強大な魔力を持った人間が生まれることも、アーノルドの場合と同様に、突然変異と言われている。
我が家に訪れた変異は、神のいたずらか気まぐれか。
突然の強力な魔法使いの誕生に、コリンズ家は一代だけ隆盛りゅうせいを極めた。
この時の豊かさを、先祖は継続させたかっただろうが、突然変異は総じて、次代にはその魔力が継承されない。
コリンズ家も、すぐに弱小魔力に戻ってしまい、過去の一時に蓄えた財産をけずりながら、少しずつ貧しくなっていった。
凍りついている館は、コリンズ家が一番裕福だった時に建てたもので、間取りも立地も素晴らしかった。
その分、エリオットが当主の時には、維持管理が悩みの種でもあったのだけれど。

――あ……どんどん、家が近くなる……。

魔法省の敷地から、通り慣れた道に出て、オリバーはわずかに足を震わせた。
アーノルドは大股でずんずんと進んでいき、馴染みの景色が周囲に広がる。
この辺りは閑静な住宅街だ。
古い邸宅が並んでいて、十五年経っても、街並みはそんなに変わっていなかった。

――やだな。思った以上に、怖くなってくる――

コリンズ家が近づくにつれて、不安と恐怖が心を重くする。
変わり果てた家を見るのも怖いが、その中には自分自身がいる。

――十五年前から凍りついて、時を止めた僕が――……

胸の中で不安が膨れていくが、アーノルドの歩みは止まらない。
弟と共に、ついに家が見えるところまで来てしまった。
この角を曲がれば、すぐだ。
オリバーは、背中を向けたい衝動を我慢して、大股で歩く大魔導師についていく。
現実を直視するのが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。
けれど、きちんと自分の目で見て確かめなければ。

――アーニーにだけ辛い現実を押しつけてるなんて、兄として最低なんだから――……

角を曲がって、我が家の前に歩み出た。
震える胸を服の上から押さえて、オリバーは静かに顔を上げる。
そして、勇気を出して視線を向けると、目の前に、とてつもなく異様な館が現れた。
眩しい太陽の光の中。
二階建ての古い館がきれいに全て凍りつき、氷の塊となって輝いていた。
エリオットが生まれ育ち、アーノルドと暮らしていた家。
沢山の思い出が詰まった大切な場所。
それが、美しい青空の下で凍りついている光景は、気持ちの悪い夢のようだった。

――覚悟はしてたけど……辛い……。我が家の、こんなひどい姿を見るのは――……

顔色をなくして衝撃を受けているオリバーの横で、アーノルドは手早く門扉を開けて、前庭を進んでいく。

「早く入れ」
「……は、はい……」

オリバーは重い心を引きずるようにして、門をくぐった。
敷地内に入った途端に、気温がぐっと下がる。
突然の気温差に鳥肌が立ち、無意識に二の腕をさすった。
分かっていたはずなのに、コリンズ家の変わり果てた姿が胸を貫く。
心の準備をしていた自分でも辛いのだ。
十五年前、突然凍った家を目の当たりにした九歳のアーノルドの絶望は、どれだけのものだっただろうか。
オリバーは、二十四歳のアーノルドを見つめた。
彼は、全く感情の読めない表情で、持ってきた手書きの研究書を広げている。
この十五年間、自分は時間を止めていて、苦しみも悲しみもなかった。
けれど、アーノルドは違う。
凍りついた家と兄を突きつけられ、毎日毎日、深い悲しみと向き合わされていた。
受け止めるには、残酷すぎる現実だ。
初めてアーノルドを見た時、彼は痩せこけて傷だらけだった。
エリオットは、絶対にこの子を幸せにしようと心に誓って、養子に迎えた。

――だけど……アーニーは、コリンズ家に来たことで、不幸を背負ってしまった……。

十五年の時の流れはあまりに長く、アーノルドが心に負った深い傷は、もう取り返しのつかないものだ。
オリバーの見つめる先で、アーノルドが小さく呪文を唱える。
それと同時に、凍りついた家が一瞬だけ光った気がした。
大魔導師は何度も多様な呪文をつむいで、実験のようなことをしている。
自分が側にいても邪魔なだけだろうと、オリバーは静かにその場を離れた。
改めて、凍りついた我が家に視線を巡らせると、開いたままの窓に目が止まる。

――この窓は――……

オリバーは、吸い寄せられるように、中途半端に開いている窓の前に立った。
魔力共鳴が起こった時、ここからアーノルドを外に放り投げた。
迫ってくる氷の恐ろしさも、苦しむ弟の体の重さも、昨日のことのように覚えている。
本当に昨日の出来事ならば、どんなにいいか。
もう二度と独りにしないと約束して、悲しむ弟を強く抱きしめることができるのに。
切なげに瞼を伏せながら、オリバーは窓のふちに手を伸ばす。
指先が冷たい氷に触れた瞬間、手首を強くつかまれた。

「ただの氷じゃない。魔力がない奴が触るな」
「ご、ごめんなさいっ」

いつの間にか側に来ていたアーノルドが、厳しい表情をしてこちらを見下ろしている。
オリバーは再度謝りながら、窓から手を離した。
触れたのは一瞬なのに、指先には冷たい感触が不自然に残っている。
魔力共鳴で生成された氷は、刺激が強いようだ。

「ここだけいているから気になったのか?」
「……はい」

頷くと、今度はアーノルドが窓のふちに触れた。
オリバーと違って、魔力の高い大魔導師には悪影響がない様子だ。

「十五年前、この窓から男二人がうちに侵入してきた。そして、魔力共鳴が起こった時……俺は、ここから外に放り出された。家が凍りつく寸前に、俺だけが……」

指先で窓の奥の氷をなぞりながら、漆黒の目が苦しげに細められる。

「この奥に、兄がいる……。自分の身を犠牲にして、俺を助けたまま……時を止めているんだ」

氷の奥は白く不透明で、エリオットの姿は見えなかった。
自分の体が、ここで凍っている。
実感はなく、不思議な気持ちだった。

「……先生は、お兄様を救うために、ずっと研究をしていらっしゃるのですよね」
「それしか、俺の生きる意味はない」

即答された短い言葉の中に感じる、十五年間の深い想い。

「この十五年、何度も想像した。共鳴が起こった時、兄にしがみつくんだ。俺だけ助かることがないように……」
「先生……」

息が止まりそうになるほど、胸が苦しくなる。
あの時、アーノルドを助けたことに後悔はない。
弟が氷に飲み込まれなくて、本当によかったと思っている。
けれど、アーノルドは十五年間、ずっと苦しんでいた。
そして、今も、辛い想いを抱え続けている。

「……先生は……お兄様と一緒に凍っていた方がよかったですか……?」

オリバーは、震える声で聞いた。

「何があろうと、俺が望むのは、兄の隣にいることだけだ」

――アーニーは……僕のことを、そんなにも――……

断言するアーノルドを前に、オリバーはぎゅっと下唇を噛みしめた。
こらえきれなかった想いが、涙となって頬を流れていく。
貧しくて、我慢ばかりさせていた自分の隣で笑ってくれるのが嬉しくて。
この家で、一日一日をゆっくりと重ねて、兄弟で手を取り合って生きていこうと思っていた。
賢く優しいアーノルドは自慢の弟で、幼い彼の成長を見守っていくことが、何よりも勝る喜びだった。
十五年前に弟を助けた時。決して、孤独の中に置き去りにするつもりなんてなかった。
傷だらけの七歳のアーノルドを抱きしめた時に、二度と悲しい思いはさせないと固く決意したのに……。

「同情は不快だ」

涙で頬を濡らすオリバーを、アーノルドは冷たい視線で見下ろした。

「あ……ち、違いますっ。これは――っ」

オリバーは、慌てて袖で涙をぬぐった。
つい、我慢できずに泣いてしまった。
こんな所でシチュー係に泣かれても、迷惑に決まっているのに。
アーノルドは不機嫌そうに顔を背けると、再び呪文を唱えながら館の裏手に歩いていって、すぐに姿が見えなくなった。
やってしまった。
これまでに散々、同情や哀れみの感情を向けられて、アーノルドは嫌気がさしているだろう。
泣くなんて、彼にとっては一番わずらわしい行為に違いない。
オリバーは深呼吸をして、心を落ち着かせた。
せっかく自分のことを話してくれたのに、嫌な気持ちにさせてしまった。
すぐに謝りにいかないと。
湿っている目元と頬をもう一度しっかりぬぐうと、急いで家の裏手に向かった。

「コリンズ先生っ。先ほどは失礼しました……先生?」

巨大な氷と化した家を回り込んで駆けていくと、アーノルドが不自然な場所に立って、地面を見下ろしていた。

「どうかされました?」
「ここに掘り返した跡がある」
「え……?」

大魔導師の視線をたどって足元を見ると、部分的に土が柔らかくなっていた。
誰かが大きく穴を掘って、埋めなおしたようだった。

「誰がしたのかは分からないが、魔法で掘り返したんだろう。土の戻し方が甘くて、跡が残っている」

オリバーは、柔らかい土を足で何度か踏みしめた。

「掘られたのは、そんなに前ではなさそうですね」
「先月に来た時には、こんな跡はなかった」
「では、この一か月の間に……」

オリバーの頭の中は、疑問でいっぱいになった。
何もない、家の裏。
掘った者も、掘る理由も、全く見当がつかない。
アーノルドも思い当たらないようで、足元を見下ろしながら考え込んでいる。

「とりあえず、復元させるか」

復元?
一体、何をする気なのか。
問う間もなく、アーノルドが短く呪文を唱える。
すると、目の前に光の玉が現れた。

「わ……っ!?」

不思議な玉は、すぐに猫ぐらいの大きさの異形に変化した。
白い毛むくじゃらの球体のようなそれは、空中でふわふわ浮いている。
これは……従魔だ。

「す、すごい……。私、従魔を初めて見ました」

魔物を異界から召喚して従属させる行為は、高い魔力と知識を要する。
大型の魔物だと、何人もの強い魔法使いの協力が必須となるほどだ。
この魔物は小型だが、それでもかなりの魔力がないと無理だろう。

「普段は、外の倉庫や俺の部屋にいる」
「え!? 常時、顕現けんげんさせていらっしゃるのですか?」
「この程度の魔物なら何でもない」

こちらの世界に顕現させておくと、常に魔力が大量消費される。
アーノルドの魔力は、一体どれだけのものなのか。

「ダリル。スティーヴン・バンフィールドを呼べ。至急だ。魔法省の転移魔法を使わせろ」

そう命じられると、ダリルと呼ばれた従魔は、一瞬で姿を消した。

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