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5話
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レイとヘンリーが生成してくれた体は、素晴らしいものだった。
驚くほど違和感がなく、生活する上で全く問題はないのだが、実は本体と大きな違いが二つある。
一つ目は、全く魔力がないこと。
エリオットの自我はあれど、土の体では、自分の魔力は使えないようだった。
二つ目は、血が全く流れていないこと。
当然といえばそうなのだが、土人形の中には、血は一滴もない。
知られると大変なことになるので、人前では決して怪我をしないようにと厳しく言われている。
そして、あまりに深い怪我や強い衝撃を受けると、恐ろしいことに、体が土塊に戻ってしまうらしい。
この点についても、レイたちからは何度も言い含められていた。
確かに、アーノルドの部屋で、本の山が直撃して土塊に……なんて、冗談にもならない。
違和感がないので、つい自由気ままに振舞ってしまうが、常に慎重な行動を心掛けないと。
オリバーは、前後左右に気を配りながら、ゆっくりと台車を押していた。
運んでいるのは大きな鍋。
大量のシチューが入ったそれは、両手で運ぶには危険すぎるので、台車を使っている。
シチュー係に就任してから約十日。
大魔導師は食が細そうだと勝手に思っていたのだけれど、それは大きな勘違いだった。二十四歳のアーノルドは、大鍋いっぱいのシチューを、ものすごい速さで空にする。作り置きをする暇はなく、初めに言っていた保存魔法がいらないほどだった。
――たくさん食べてくれるのは嬉しいけど……アーニーはシチューだけしか食べないのが、ちょっと心配なんだよなぁ。
彼はシチュー以外のものは、全く口にしなかった。
栄養が偏りそうなので、他のものも作ると言っているのだが、残酷なまでの拒否が続いている。
思えば、九歳のアーノルドは、シチューは毎日でも食べたいと言っていた。
好物は飽きずに食べ続けられる性質なのだろう。
「イートン君。何を運んでいるんだ?」
背後から急に声をかけられて、オリバーは背筋をぴっと伸ばした。
シチューから頭を切り替え、急いで体の向きを変える。
「バンフィールド管理官っ。お疲れ様です」
オリバーが挨拶をした先には、三十代半ばの、眼鏡をかけた長身の男が立っていた。
きれいに整えられた亜麻色の髪。
落ち着いた若草色の瞳は、眼鏡越しでも、理知的な光を帯びているのが分かる。
そして、高く通った鼻筋に、柔和な笑みを描く唇。
穏やかな表情は見るからに優しげで、包容力溢れる雰囲気は、彼を一層魅力的な男にしていた。
アーノルドと同じ、魔法省の魔法学研究局学術開発課に所属している、統括管理官のスティーヴン・バンフィールド。
随分と年上になってしまったが、スティーヴンは昔から何でも話せる、エリオットの親友だ。
努力を重ねた彼は、この十五年の間に、頼りがいのある立派な官僚へと成長を遂げていた。
子供の頃から、魔法省で働きたいと願っていたのは、誰よりもよく知っている。
先日、積年の夢を叶えた親友を初めて見た時には、感極まって泣きそうになってしまった。
清濁併せ呑んだ、人間として深い度量を感じさせる壮年の男性を前にして、時間の流れを少しだけ寂しく思ったが、それよりも喜びと感動の方が大きく上回った。
三十代にして高官になった輝くような親友は、オリバー・イートンにとっては気さくな上司だ。
上司といっても、はるか上空の天上人。
総括管理官から見れば、オリバーは末端の人間だろうに、こうして声をかけてくれる。
どんな立場の人にも優しいのは、昔から全く変わっていない。
エリオットは、そんなスティーヴンの思いやりに、昔から何度も救われていた。
「これは、コリンズ先生に召しあがっていただくシチューです!」
元気よく答えると、スティーヴンが驚いた顔をした。
「シチュー? アーノルドが頼んだのかな?」
「いえ、その……私が押しつけたんです」
オリバーは苦笑しながら続けた。
「これまでの助手の方と同じように、私も全く相手にされなくて、辞めさせられるのも時間の問題でした。それで、どうせ終わりになるのなら、何か行動を起こそうと考えて、私の作ったシチューを先生にご賞味いただいたんです」
「渾身の一撃?」
スティーヴンのいたずらっぽい言葉に、オリバーは小さく笑った。
「そうですね。全力を投じました。幸運なことに、先生がシチューの味を気に入ってくださって。最近は、毎日作っています」
「なるほど。それで、こんなに大量のシチューを……」
「はい。先生は、好きな物だけを続けて口にされるので」
「そういえば……シチューが好物だと、かなり前に聞いたことがあるな」
エリオットの記憶では、スティーヴンに弟の好物を話したのは、ほんの少し前のこと。
『かなり前』と言われるのが、理解はしていても切なくなる。
「……従兄弟の友人から、君のことを紹介してもらってよかったよ」
スティーヴンは、そう言って微笑んだ。
「アーノルドが追い出さない助手は初めてだ」
「シチューを好んでもらえただけですよ。私は、魔力がないですし……」
オリバーは不安げな視線を、若草色の瞳に向けた。
「あの、本当によかったんですか? 助手の立場で、魔力がないなんて」
炊事場で見かける助手は、誰もが高い魔力持ちのようだった。
魔法使いの頂点に立つ大魔導師の助手が、魔力なしでいいのだろうかと、少し心配していた。
「アーノルドの場合は、魔力がない人の方がいいと思ったんだ。過去には、高い魔力を持った人が助手になった時もあったんだけどね。すごい野心家だったようで、色仕掛けで大魔導師に取り入ろうとして、騒ぎになったんだ」
「い、色仕掛け……」
とんでもない話に、オリバーは目が点になった。
アーノルドは完全無視だっただろうに。
あの態度の人間に、色仕掛けをしようとする根性は凄いと思う。
そして、弟にそんな不埒な真似をするなんて、ちょっと怒りが湧いてくる。
「高い魔力と地位に、あの容姿と若さだ。媚びたり、利用しようとする者が後を絶たなくてね。アーノルドの人嫌いは、年々、加速しているんだ。本人が嫌がっているし、助手を置くのはやめようと思っていたけど、彼の不規則な生活が、どうしても気になって。日常生活の世話なら魔力は不要だから、イートン君に頼んだんだ。嫌な気持ちになることが多いと思うけど、どうか、これからも助手を続けて欲しい。親友の弟でね。気難しいが、悪い男じゃないんだ」
「管理官……」
親友の、少し困ったような微笑みを見て、オリバーは申し訳ない気持ちになった。
スティーヴンは、エリオットの代わりに弟を見守ってくれているのだ。
子供の頃から、悩み事は何でも相談していた。
優柔不断で、ぐるぐると悩んでばかりのエリオットに、いつも親身になってくれた。
両親を亡くした時も、弟を迎えた時も、ずっと……。
十五年前にエリオットが凍りついた時、スティーヴンもひどく悲しんだことだろう。
――僕が、凍りついてしまったばかりに……大切な人たちを苦しめている――……
自分が、ひどく罪深い人間に思えた。
「……私にできることは少ないですが、先生のお役に立てるように、頑張りますね」
スティーヴンが優しく頷いた。
十五年前と変わらない、心から安心する表情だった。
この様子だと、オリバーが土人形のエリオットだと知らせても、大事にはならない気がする。
レイからすれば、本家の当主に大罪を告白するのは避けたいかもしれないが、お願いすれば、スティーヴンにも話せるようにしてもらえるだろうか。
――僕がエリオットだって、早く二人に話したい――……
そして、十五年も辛く苦しい思いをさせてしまったことを、謝りたかった。
「イートン君の活躍には期待してるよ」
「えっ……わ、私は、シチューを作るだけで精一杯ですから」
「そう? まだ余裕を感じるけどな」
「余裕なんて、全くないですよっ」
軽口交じりに話していると、心が弾んでくる。
十五年経っていても、立場が違っていても、親友との時間は変わらず楽しいものだった。
それから少しだけ立ち話をすると、スティーヴンは労いの言葉を残して、研究棟から去っていった。
――スティーブに励まされたら、やる気が満ちてきたな。もっとアーニーに信頼してもらえるように、色々と挑戦してみよう――!
オリバーは気持ちも新たに、軽い足取りで廊下を進んでいく。
今日は過去最大量のシチューを作ったが、きっと明日にはなくなっているだろう。
日に日に食べる量が増しているのは、気のせいか。
極端な話だが、今度は食べすぎが心配になってくる。
「先生。シチューをお持ちしました」
細い廊下の先。
古い扉をたたいて部屋に入ると、オリバーは慣れた手つきで台車から鍋を持ち上げた。
慎重な足さばきで奥までいくと、本と書類の山に囲まれて、アーノルドは机に向かっていた。
ここへ初めて来た時から、寸分変わらぬ姿だ。
「すぐに準備しますね」
「…………」
シチュー係に任命されたものの、会話の数が増えたわけではない。
「炊事場では、助手の方々と一緒に調理をするのですが。皆さん、本職は料理人かと思うぐらいの腕前なんですよ。仕上がりが、とても美しくて」
アーノルドからの反応は一切ないが、黙れとは言われないので、オリバーは話を続ける。
「今朝なんて、魚の皮目に、火魔法で焼き色をつけていらっしゃって。びっくりして思わず見学してしまいました」
「…………」
「まるで、一流料理店の厨房にいるかのような気分になったので、私も有名料理人になった気持ちでシチューを作ったんですよ。そうしたら、野菜をちょっとだけ焦がしてしまいました」
「…………」
「気分だけ一流になっても、腕前が伴わないといけませんね」
「…………」
大盛りにしたシチューを差し出すと、アーノルドは無言で食べ始めた。
自分が作ったものを、こんなにも好んで食べてもらえるのは、ものすごく嬉しかった。
クロエに作り方を聞いておいて本当によかったと、過去の自分を褒めたい気持ちだ。
「腕前はまだまだですが、色々と作ってみたいなと思っているので。何かあれば、おっしゃってくださいね」
ぐるりと、勢いよくアーノルドが振り返る。
鋭い視線にはまだ慣れず、オリバーはビクっと肩を震わせた。
「シチュー以外は不要だ」
ずいっと、空の皿を差し出される。
もう食べ終わったのか。
オリバーは急いで皿を受け取ると、二杯目も大盛りにして渡した。
「……見た目にこだわらなくても、うまければそれでいいだろ」
「……!!」
――アーニーが会話をしてくれた――!!
「そ、そうですねっ。特に、私みたいな初心者は味重視にしないと!」
「…………」
慌てて答えたオリバーを、アーノルドは冷めた目で一瞥すると、二杯目のシチューに口をつけた。
もっと話がしたくてうずうずしてしまうが、きっと迷惑なだけだろうから、ぐっと我慢する。
アーノルドは、大盛りのシチューを四杯も食べると、満足そうにスプーンを置いた。
この調子だと、すぐに鍋は空になりそうだ。
「明日も、同じ時間にシチューを持ってきますね」
「明日は昼過ぎに持ってこい」
「昼過ぎ……?」
「朝から外出する」
オリバーは内心で驚いた。
アーノルドの外出は、ここに来るようになってから初めてだ。
引きこもり大魔導師と言われている彼が、この部屋から出るのは、非常に珍しいのではないだろうか。
――どこに行くのか聞いても、無視されるかな?
「あ、のっ……どちらに?」
「自宅だ」
予想に反して、すぐに返答があった。
そして、アーノルドの言う自宅とは……。
――もしかして、コリンズ家のこと――?
そう思ったら、どうしても、もう一歩踏み込みたくなった。
「先生っ。ご一緒したら……だめですか?」
玉砕上等で言ってみたのだが。
「勝手にしろ」
まさかの言葉に、オリバーは飴色の瞳を輝かせた。
「ありがとうございますっ!! 朝一番でこちらに参りますので、よろしくお願いします!」
嬉しくて、何度も頭を下げる。
アーノルドは、何も言わずに書き物を再開した。
――アーニーが一緒に出掛けてくれる……っ。また一歩前進だ……!
少しずつ、少しずつ。
アーノルドに、受け入れてもらえている気がする。
こちらに向けられている広い背中を、オリバーはじっと見つめた。
最初は遠い絶壁の山のように見えていた背中だが、今はぐっと距離が近づいたように思える。
――嬉しいっ。アーニー……アーニー……!
今にも歌いだしたくなるような喜びが、胸を満たしていく。
「私、先生のシチュー係になれて、本当によかったです」
オリバーはささやくように言うと、アーノルドの背中に向かって柔らかく微笑んだ。
高官となった親友のスティーヴン
驚くほど違和感がなく、生活する上で全く問題はないのだが、実は本体と大きな違いが二つある。
一つ目は、全く魔力がないこと。
エリオットの自我はあれど、土の体では、自分の魔力は使えないようだった。
二つ目は、血が全く流れていないこと。
当然といえばそうなのだが、土人形の中には、血は一滴もない。
知られると大変なことになるので、人前では決して怪我をしないようにと厳しく言われている。
そして、あまりに深い怪我や強い衝撃を受けると、恐ろしいことに、体が土塊に戻ってしまうらしい。
この点についても、レイたちからは何度も言い含められていた。
確かに、アーノルドの部屋で、本の山が直撃して土塊に……なんて、冗談にもならない。
違和感がないので、つい自由気ままに振舞ってしまうが、常に慎重な行動を心掛けないと。
オリバーは、前後左右に気を配りながら、ゆっくりと台車を押していた。
運んでいるのは大きな鍋。
大量のシチューが入ったそれは、両手で運ぶには危険すぎるので、台車を使っている。
シチュー係に就任してから約十日。
大魔導師は食が細そうだと勝手に思っていたのだけれど、それは大きな勘違いだった。二十四歳のアーノルドは、大鍋いっぱいのシチューを、ものすごい速さで空にする。作り置きをする暇はなく、初めに言っていた保存魔法がいらないほどだった。
――たくさん食べてくれるのは嬉しいけど……アーニーはシチューだけしか食べないのが、ちょっと心配なんだよなぁ。
彼はシチュー以外のものは、全く口にしなかった。
栄養が偏りそうなので、他のものも作ると言っているのだが、残酷なまでの拒否が続いている。
思えば、九歳のアーノルドは、シチューは毎日でも食べたいと言っていた。
好物は飽きずに食べ続けられる性質なのだろう。
「イートン君。何を運んでいるんだ?」
背後から急に声をかけられて、オリバーは背筋をぴっと伸ばした。
シチューから頭を切り替え、急いで体の向きを変える。
「バンフィールド管理官っ。お疲れ様です」
オリバーが挨拶をした先には、三十代半ばの、眼鏡をかけた長身の男が立っていた。
きれいに整えられた亜麻色の髪。
落ち着いた若草色の瞳は、眼鏡越しでも、理知的な光を帯びているのが分かる。
そして、高く通った鼻筋に、柔和な笑みを描く唇。
穏やかな表情は見るからに優しげで、包容力溢れる雰囲気は、彼を一層魅力的な男にしていた。
アーノルドと同じ、魔法省の魔法学研究局学術開発課に所属している、統括管理官のスティーヴン・バンフィールド。
随分と年上になってしまったが、スティーヴンは昔から何でも話せる、エリオットの親友だ。
努力を重ねた彼は、この十五年の間に、頼りがいのある立派な官僚へと成長を遂げていた。
子供の頃から、魔法省で働きたいと願っていたのは、誰よりもよく知っている。
先日、積年の夢を叶えた親友を初めて見た時には、感極まって泣きそうになってしまった。
清濁併せ呑んだ、人間として深い度量を感じさせる壮年の男性を前にして、時間の流れを少しだけ寂しく思ったが、それよりも喜びと感動の方が大きく上回った。
三十代にして高官になった輝くような親友は、オリバー・イートンにとっては気さくな上司だ。
上司といっても、はるか上空の天上人。
総括管理官から見れば、オリバーは末端の人間だろうに、こうして声をかけてくれる。
どんな立場の人にも優しいのは、昔から全く変わっていない。
エリオットは、そんなスティーヴンの思いやりに、昔から何度も救われていた。
「これは、コリンズ先生に召しあがっていただくシチューです!」
元気よく答えると、スティーヴンが驚いた顔をした。
「シチュー? アーノルドが頼んだのかな?」
「いえ、その……私が押しつけたんです」
オリバーは苦笑しながら続けた。
「これまでの助手の方と同じように、私も全く相手にされなくて、辞めさせられるのも時間の問題でした。それで、どうせ終わりになるのなら、何か行動を起こそうと考えて、私の作ったシチューを先生にご賞味いただいたんです」
「渾身の一撃?」
スティーヴンのいたずらっぽい言葉に、オリバーは小さく笑った。
「そうですね。全力を投じました。幸運なことに、先生がシチューの味を気に入ってくださって。最近は、毎日作っています」
「なるほど。それで、こんなに大量のシチューを……」
「はい。先生は、好きな物だけを続けて口にされるので」
「そういえば……シチューが好物だと、かなり前に聞いたことがあるな」
エリオットの記憶では、スティーヴンに弟の好物を話したのは、ほんの少し前のこと。
『かなり前』と言われるのが、理解はしていても切なくなる。
「……従兄弟の友人から、君のことを紹介してもらってよかったよ」
スティーヴンは、そう言って微笑んだ。
「アーノルドが追い出さない助手は初めてだ」
「シチューを好んでもらえただけですよ。私は、魔力がないですし……」
オリバーは不安げな視線を、若草色の瞳に向けた。
「あの、本当によかったんですか? 助手の立場で、魔力がないなんて」
炊事場で見かける助手は、誰もが高い魔力持ちのようだった。
魔法使いの頂点に立つ大魔導師の助手が、魔力なしでいいのだろうかと、少し心配していた。
「アーノルドの場合は、魔力がない人の方がいいと思ったんだ。過去には、高い魔力を持った人が助手になった時もあったんだけどね。すごい野心家だったようで、色仕掛けで大魔導師に取り入ろうとして、騒ぎになったんだ」
「い、色仕掛け……」
とんでもない話に、オリバーは目が点になった。
アーノルドは完全無視だっただろうに。
あの態度の人間に、色仕掛けをしようとする根性は凄いと思う。
そして、弟にそんな不埒な真似をするなんて、ちょっと怒りが湧いてくる。
「高い魔力と地位に、あの容姿と若さだ。媚びたり、利用しようとする者が後を絶たなくてね。アーノルドの人嫌いは、年々、加速しているんだ。本人が嫌がっているし、助手を置くのはやめようと思っていたけど、彼の不規則な生活が、どうしても気になって。日常生活の世話なら魔力は不要だから、イートン君に頼んだんだ。嫌な気持ちになることが多いと思うけど、どうか、これからも助手を続けて欲しい。親友の弟でね。気難しいが、悪い男じゃないんだ」
「管理官……」
親友の、少し困ったような微笑みを見て、オリバーは申し訳ない気持ちになった。
スティーヴンは、エリオットの代わりに弟を見守ってくれているのだ。
子供の頃から、悩み事は何でも相談していた。
優柔不断で、ぐるぐると悩んでばかりのエリオットに、いつも親身になってくれた。
両親を亡くした時も、弟を迎えた時も、ずっと……。
十五年前にエリオットが凍りついた時、スティーヴンもひどく悲しんだことだろう。
――僕が、凍りついてしまったばかりに……大切な人たちを苦しめている――……
自分が、ひどく罪深い人間に思えた。
「……私にできることは少ないですが、先生のお役に立てるように、頑張りますね」
スティーヴンが優しく頷いた。
十五年前と変わらない、心から安心する表情だった。
この様子だと、オリバーが土人形のエリオットだと知らせても、大事にはならない気がする。
レイからすれば、本家の当主に大罪を告白するのは避けたいかもしれないが、お願いすれば、スティーヴンにも話せるようにしてもらえるだろうか。
――僕がエリオットだって、早く二人に話したい――……
そして、十五年も辛く苦しい思いをさせてしまったことを、謝りたかった。
「イートン君の活躍には期待してるよ」
「えっ……わ、私は、シチューを作るだけで精一杯ですから」
「そう? まだ余裕を感じるけどな」
「余裕なんて、全くないですよっ」
軽口交じりに話していると、心が弾んでくる。
十五年経っていても、立場が違っていても、親友との時間は変わらず楽しいものだった。
それから少しだけ立ち話をすると、スティーヴンは労いの言葉を残して、研究棟から去っていった。
――スティーブに励まされたら、やる気が満ちてきたな。もっとアーニーに信頼してもらえるように、色々と挑戦してみよう――!
オリバーは気持ちも新たに、軽い足取りで廊下を進んでいく。
今日は過去最大量のシチューを作ったが、きっと明日にはなくなっているだろう。
日に日に食べる量が増しているのは、気のせいか。
極端な話だが、今度は食べすぎが心配になってくる。
「先生。シチューをお持ちしました」
細い廊下の先。
古い扉をたたいて部屋に入ると、オリバーは慣れた手つきで台車から鍋を持ち上げた。
慎重な足さばきで奥までいくと、本と書類の山に囲まれて、アーノルドは机に向かっていた。
ここへ初めて来た時から、寸分変わらぬ姿だ。
「すぐに準備しますね」
「…………」
シチュー係に任命されたものの、会話の数が増えたわけではない。
「炊事場では、助手の方々と一緒に調理をするのですが。皆さん、本職は料理人かと思うぐらいの腕前なんですよ。仕上がりが、とても美しくて」
アーノルドからの反応は一切ないが、黙れとは言われないので、オリバーは話を続ける。
「今朝なんて、魚の皮目に、火魔法で焼き色をつけていらっしゃって。びっくりして思わず見学してしまいました」
「…………」
「まるで、一流料理店の厨房にいるかのような気分になったので、私も有名料理人になった気持ちでシチューを作ったんですよ。そうしたら、野菜をちょっとだけ焦がしてしまいました」
「…………」
「気分だけ一流になっても、腕前が伴わないといけませんね」
「…………」
大盛りにしたシチューを差し出すと、アーノルドは無言で食べ始めた。
自分が作ったものを、こんなにも好んで食べてもらえるのは、ものすごく嬉しかった。
クロエに作り方を聞いておいて本当によかったと、過去の自分を褒めたい気持ちだ。
「腕前はまだまだですが、色々と作ってみたいなと思っているので。何かあれば、おっしゃってくださいね」
ぐるりと、勢いよくアーノルドが振り返る。
鋭い視線にはまだ慣れず、オリバーはビクっと肩を震わせた。
「シチュー以外は不要だ」
ずいっと、空の皿を差し出される。
もう食べ終わったのか。
オリバーは急いで皿を受け取ると、二杯目も大盛りにして渡した。
「……見た目にこだわらなくても、うまければそれでいいだろ」
「……!!」
――アーニーが会話をしてくれた――!!
「そ、そうですねっ。特に、私みたいな初心者は味重視にしないと!」
「…………」
慌てて答えたオリバーを、アーノルドは冷めた目で一瞥すると、二杯目のシチューに口をつけた。
もっと話がしたくてうずうずしてしまうが、きっと迷惑なだけだろうから、ぐっと我慢する。
アーノルドは、大盛りのシチューを四杯も食べると、満足そうにスプーンを置いた。
この調子だと、すぐに鍋は空になりそうだ。
「明日も、同じ時間にシチューを持ってきますね」
「明日は昼過ぎに持ってこい」
「昼過ぎ……?」
「朝から外出する」
オリバーは内心で驚いた。
アーノルドの外出は、ここに来るようになってから初めてだ。
引きこもり大魔導師と言われている彼が、この部屋から出るのは、非常に珍しいのではないだろうか。
――どこに行くのか聞いても、無視されるかな?
「あ、のっ……どちらに?」
「自宅だ」
予想に反して、すぐに返答があった。
そして、アーノルドの言う自宅とは……。
――もしかして、コリンズ家のこと――?
そう思ったら、どうしても、もう一歩踏み込みたくなった。
「先生っ。ご一緒したら……だめですか?」
玉砕上等で言ってみたのだが。
「勝手にしろ」
まさかの言葉に、オリバーは飴色の瞳を輝かせた。
「ありがとうございますっ!! 朝一番でこちらに参りますので、よろしくお願いします!」
嬉しくて、何度も頭を下げる。
アーノルドは、何も言わずに書き物を再開した。
――アーニーが一緒に出掛けてくれる……っ。また一歩前進だ……!
少しずつ、少しずつ。
アーノルドに、受け入れてもらえている気がする。
こちらに向けられている広い背中を、オリバーはじっと見つめた。
最初は遠い絶壁の山のように見えていた背中だが、今はぐっと距離が近づいたように思える。
――嬉しいっ。アーニー……アーニー……!
今にも歌いだしたくなるような喜びが、胸を満たしていく。
「私、先生のシチュー係になれて、本当によかったです」
オリバーはささやくように言うと、アーノルドの背中に向かって柔らかく微笑んだ。
高官となった親友のスティーヴン
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