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日常編

魅惑の蜜にご用心3

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「本人が伯爵として接してくれと言っているのですから、人払いにまで応じる必要はないと思いますよ」

低く硬い声で、傍に立つフレデリクが言う。
謁見を終えると、僕の騎士は不満の塊になっていた。

「そうだね……」

僕は、自室のソファにぐったりと身を預けて、謁見で疲れた脳みそを休ませていた。

「次に謁見の申し出があったら、兄上も一緒にいてもらうことにするよ。人払いも断るしね」

これ以上、プライベートな話をされても困るし……。
もちろん、希少な贈り物もだ。

僕は、ふところにおさまっている小瓶に、服の上からそっと触れた。
伯爵から贈り物をもらったと口にしようと思ったが、この様子だと、フレデリクの不満が爆発しそうな気がする。

それに……話せば、僕の手元からなくなっちゃうと思うから、少し惜しいなって……。
あやしいものだから、食べたらだめって分かってるけど、世界一って言われると――
いや……そもそも、伯爵の言ってたことは本当なのかな?

「あの……二人はさ、アムネブの蜜って知ってる?」

僕は贈り物のことは伏せて、側にいる侍従と騎士に聞いてみた。

「ええ。非常に高価で希少な蜂蜜ですよね? 心地よい酩酊感が得られるとか」

目の前のテーブルにおいしそうなフィナンシェを置きながら、エヴァンが答える。
きちんと実在はしているようだ。

「やっぱり、高価なんだ……」
「私も、父から聞いたことがあります。大陸中央部のごく限られた地域でしか採れないので、ロベルティアでは、かなりの大金を積んでも、なかなか手に入らないみたいですね。親類が、驚くような金額で取り寄せようとしていたので、父が呆れていました」

……思った以上に、希少で高額なものみたい……。
拒否するのは失礼な行為だったとはいえ、もらってよかったのかな……。

胸の内で静かに不安になっていた僕に、二人から疑問の視線が注がれる。

「どうして、アムネブの蜜のことを話題になさったのですか?」

フレデリクの問いに、全力で自然な表情と声をキープした。

「えっと……伯爵が、珍しい蜂蜜があるって話してくれたんだよ。僕が、蜂蜜好きっていうのを、誰かから聞いたみたいで」
「いかにも、伯爵が好みそうな話題ですね」
「テオドール様には、浮ついた話しかしませんね」

苦笑するエヴァンと、眉根をよせるフレデリクに、僕は交互に視線を巡らせる。

どうしよう……勢いで、嘘をついちゃった。
今更、もらったなんて言ったら、何で嘘をついたのかって怒られるかな……。
わぁ~! 何で話すことをためらったんだよっ、僕は~~~!!

「テオドール様? どうかされました?」

白皙の美貌が、優しい表情をして、僕をのぞき込んでくる。

「う、ううん。何でもないよ……」

口をもごもごさせたけれど、僕は結局、アムネブの蜜がふところにあることを口に出せなかった。






さ、寂しい……!

僕は、消灯した自室のベッドの上で、ごろりと寝返りをうった。
今晩は、久しぶりの一人寝だ。
護衛騎士の打ち合わせが夜に行われるということで、フレデリクは不在だった。
きっと、護衛対象が寝ている内に話し合ってしまおうという考えなのだろうけど。

うう……このところ、ずっと二人で寝てたから、一人がものすごく寂しい……。
こんなにシーツって冷たかったっけ……?

ゴロゴロと寝返りを繰り返して、寂しさを紛らわせようとするが、ちっとも成功しない。
打ち合わせの話を聞いた時に、僕はフレデリクの部屋で待ちたいと言ったのだけれど、いつ終わるか分からないから、今日は別々に寝ようと返されたのだ。

ああっ! さみしいっ!!
無理を言ってでも、フレッドの部屋にいればよかったっ!!!

後悔しながら、ベッドの上でゴロンゴロンしていると、いつの間にか、体がベッドの隅へと追いやられていた。
目の前には、三つの引き出しがついた、きれいなチェスト。
夜の闇の中で、僕は、じっとそれを見つめた。
このチェストの真ん中の引き出しには、バッツィーニ伯爵からもらった、アムネブの蜜が入っている。

……伯爵は、寝る前に楽しむ人が多いと言ってたっけ。
いや、だめだっ。ちょっと興味があるとはいえ、あやしい作用がある蜂蜜なんて――
でも、世界一の蜂蜜ってどんな味だろう……王侯貴族が大金を積んで手に入れるほどの……。
いやいや、いくらフレッドがいなくて寂しいからって、王子として軽率なことは――

ぐちゃぐちゃと御託ごたくを並べながらも、僕の手は引き出しに伸びていく。
カーテンの隙間から入る月明かりを頼りに取っ手を引っ張ると、蜂蜜が詰まった小さな瓶が視界に現れた。
ロベルティアでは、めったにお目にかかれない、世にも希少なアムネブの蜜。

「……ちょっとだけなら……伯爵が食べてたぐらいの少量なら、いいかな……」

だって、一人で寝るのは寂しいし――

僕は、好奇心と寂しさに負けて、小瓶と付属の木匙を手にした。
もらった時に、このスプーンの一杯分が適量だと教えてもらっている。
ゆっくりとふたを開けると、それだけで、何かいけないことをしているような気持ちになってしまう。
少しだけ緊張しながら小瓶を傾けると、澄んだ黄金が、とろりと木匙の上にこぼれ落ちてきた。

おいしそう……っ。

僕はごくりと喉を鳴らした。
一杯未満の量なら、酩酊感に襲われることもないだろう……多分。

よし、食べちゃえ! 世界一の蜂蜜っ!!

僕は、えいっと木匙を口に含んだ。

「んんっ……すごいっ……!」

舌に蜂蜜が触れた瞬間、濃厚な甘みと花の香が、口腔内から鼻へと広がっていく。
そして、今までにないコクと、まろやかな舌触り。

わ~! こんなに濃くて華やかな香りの蜂蜜は初めてだっ!!
さすがは世界一っ!! 僕の中でもナンバーワンだよ!!

口の中で、とろけて消えていく蜜を存分に楽しんでいると、もう少し食べたくなった。こんなにおいしいものを、ほんのちょっとで済ませられるほど、僕の食欲は慎ましくない。

もう少しなら、大丈夫かな……。

先ほどより少ない量を木匙に垂らすと、再び口内に迎え入れる。

んんん~~~!!!!!!
おいしいっ!!!!!!!

一面に広がる甘い花畑に飛び込んだような気分だ。
王侯貴族が、こぞって手に入れたがるのも分かる。

まぁ、その人たちが求めてるのは、味より酩酊感の方だろうけど。

しかし、仮に味だけで勝負しても、伝説の蜂蜜になりえる素晴らしさだ。

最高だよっ!!!

口内に広がる香りと味と堪能しまくると、僕は迷いながらも、瓶のふたを閉めた。
もっと食べたいけど……さすがに、これ以上は危険だと思う。
僕は、酩酊感ではなくて、味を知りたかったのだから。
そうして、後ろ髪を引かれる思いで、引き出しにしまおうとしたら、頭がふわりと浮いたような感覚に襲われた。

しまった!! 
食べすぎちゃった……!!

僕は、瓶をチェストの上に置くと、慌ててベッドに寝転んだ。

「あ……ふわふわする……」

酒に酔った時のような、思考が少しぼんやりして、ふわりふわりと体が軽くなる、あの感じ。
しかし、気持ち悪さは一切なく、雲の上で、まどろんでいるような心地よさだった。

「わわ……すごい……っ」

どんどん浮遊感が強くなっていって、僕は困惑した。
テオドールとしては、酒に深く酔ったことは一度もない。
つまり、今世では『酔う』という感覚を、知識として知っているだけなのだ。

ど、どうしよう……どんどん、ふわふわしてきて……うう……。

初めての感覚に、不安がつのる。
不快感はないのだし、ふわふわを楽しみながら眠ればいいのかもしれない。

けれど――……

「フ、フレッド~~~~」

僕はふわふわに困惑しながら、恋人の名を呼んだ。
酩酊感を持て余してしまって、怖くなってくる。

このふわふわって、どれぐらい続くのかな……。

心地よさと心細さが、身の内を駆け巡る。

はぅぅ……ふわふわが、ふわふわして……ふわふわする……。

心が置いてきぼりにされて、体だけが雲の上を散歩しているようだ。

フレッド……さみしいよ……。

僕は不安でたまらなくなって、ベッドから身を起こした。
側に置いてある部屋履きに足を通して、おそるおそる立ち上がる。
ふわっと浮いたような感覚はあるが、ふらつきはしなかった。

騎士の打ち合わせ、もう終わるかな……。
フレッドの部屋の前で、待っておこうかな……。

王子にあるまじき発想だが、ふにゃけた脳内では、まともな思考ができなくて。
わずかな月明かりの中で、もそもそと部屋を横断する。
やけに重く感じる扉を開けると、人気のない廊下が目の前に広がった。
照明は全て消えているが、カーテンのない窓から入る月光で、室内よりは随分と明るかった。

フレッド、どこで打ち合わせをしてるんだろう……。

廊下をふわふわと歩いていく。
フレデリクの部屋の扉までは、地味に距離があるけど、今まで何とも思わなかったのに。
今夜の僕には、とても遠く感じられて、途中で足を止めた。
青白い月光に満ちた廊下は幻想的で、ぼぉっと眺めていると、廊下の奥にある階段の方から、慌てたような足音がした。

「……テオドール様!?」
「あ……!」

優しい月に照らされた廊下に、精悍な体つきの美丈夫が現れた。
ダイアモンドのように輝く髪に、澄んだアクアマリンの瞳。
凛々しく引き締まった美貌は、幻想的な廊下で、言葉をなくしてしまうほどの存在感を放っている。
まるで、舞台の真ん中に立って、全観客を魅了している一番役者のよう。

「フレッドっ!!!」

驚いた様子で駆けてきた美丈夫に、僕はぎゅっと抱きついた。

「よかったぁ~! フレッドが帰ってきたぁ」
「……とりあえず、お部屋に戻りましょう」

安心して、ぐりぐりと体を押しつけていると、腰に腕を回された。
そのまま、フレデリクは僕を持ち上げて、足早に主君の部屋へと向かっていった。

「テオ。どうしたんだ?」

部屋に入って扉を閉めると、すぐにフレデリクは恋人の顔になって、心配そうに僕を見下ろしてきた。

「こんな夜更けに一人で廊下にいるから、幻でも見ているのかと思った」
「フレッドに、会いたくなっちゃって……」
「それは嬉しいが、一人で暗い廊下にいると、心配するだろう?」
「ごめんなさい……。さみしくて、ふわふわするから……フレッドを部屋の前で待ってようって……」

大きな手に頬を優しく撫でられる。
僕は、ほっと安堵の息を吐いて、目を細めた。

「……テオ、酔ってる?」
「よ、酔ってないよ……」

……不安になって、フレッドに会いに部屋を出ちゃったけど……。
アムネブの蜜を食べたって言ったら、絶対に怒られる。

「本当か? 目が据わってる。テオが、寝る前に酒を飲むとも思えないが……」
「……お酒なんて飲んでないもん」
「…………」

澄んだ碧眼にじっと見つめられて、思わず目をそらしてしまう。

「……ベッドの上で、もっと話を聞こうか」
「わっ……!」

逞しい腕に軽々と抱き上げられ、部屋の奥へと運ばれる。

「どうして、ふわふわしてるのか……聞かせてくれるか?」

フレデリクは、僕をベッドに下ろして傍に腰かけると、まっすぐに問いかけてきた。

「……ひみつ……です」

怒られるのが怖いから本当のことは口にできず、かといって、上手くごまかすこともできなくて。

「秘密?」
「うん……」
「なら、暴くしかないな」

フレデリクは、わずかに口角を上げると、僕のおとがいを持ちあげた。

「唇の端が濡れてる……」
「あ……」

しまった。蜂蜜がついているのに気づかなかった。

「王子殿下は、寝る前に何か食べたのかな?」

アクアマリンの目が細められると、白皙の美貌が近づいてくる。
拒む間もなく口の端をペロリと舐められると、次いで唇が重なった。

「あっ……んん」

すぐに歯列が割られて、熱い舌が、僕の口内を少しばかり強引に舐めまわす。

「んむっ……はぁっ……ぁんっ」

時間をかけて、口の中をたっぷりと暴かれると、唾液の糸を引きながら、唇がそっと離れた。

「蜂蜜の味だな……」
「…………」

ああ……どんどんバレていく……。

切れ味よく進んでいく名探偵騎士の捜査を前にして為す術もなく、僕は視線を下げて、口を閉じておくことしかできない。
体を縮こまらせている主君をよそに、フレデリクは鋭い視線を周囲に巡らせると、チェストの上にある小瓶と木匙に目を止めた。

「テオが食べたのはこれか?」

小瓶を手に取ってふたを開けると、名探偵騎士は上品な仕草で中身の匂いを嗅いだ。
そして、すぐに瓶を元に戻すと、僕をまっすぐに見つめてきた。

「テオ……」
「…………」

う……うう……。

もう僕は、崖っぷちに追い詰められた犯人だ。

「謁見の時に話を聞いたと、テオは言っていたが……実際は、バッツィーニ伯爵から、アムネブの蜜をもらっていたのか?」
「あ……いや、その……はい……」

小さな声で事実を認めた僕に、フレデリクが硬い表情をする。

「それで、俺がいない間に食べて……酩酊感が怖くなって、俺を待とうとしていたと?」

全てを見破られ、僕は深くうなだれる。

「ご、ごめんなさい……」
「どうして、もらったことを言わなかったんだ?」
「世界一おいしい蜂蜜って聞いたから、少し食べてみたくて……。みんなに話すと、味見ができなくなると思って……」
「隣国の王弟からの贈り物とはいえ、中身が不明なものを口にしたらだめじゃないか」
「……伯爵が毒見してくれたから、いいかなって判断してしまいました……」

僕は、ためらいがちに顔を上げた。

「王子として軽率だったよ……。もう、こんなことは二度としないから……。勝手にものをもらわないし、あやしいものは口にしない」

謝罪の視線を向けると、アクアマリンの瞳が、静かに僕を見下ろしていた。

「もうしないって約束できるか?」
「うん。約束するよ。フレッド……怒ってる?」
「怒ってない。ただ、ほかの男からの贈り物を秘密にされたのは、恋人として悔しいな」
「うう……ごめんね……。僕、無神経だった」
「俺に隠し事はなしだ。主君としても恋人としても……」
「うん……」

逞しい体に抱きつきながら再度謝ると、フレデリクは優しく笑って、僕の謝罪を受け入れてくれた。

「話はここまでにして、そろそろ体を休めよう。蜜の作用がどれぐらい続くか分からないが……ふわふわしてる以外に、不快感はあるか?」

フレデリクは、僕を丁寧な手つきでベッドに寝かせて、掛布を広げた。

「ううん。ちょっとふわふわしてるだけ。気分はいいよ」
「眠れそうか? 寝ている間に、蜜の作用がなくなるといいが」
「フレッドが一緒なら眠れるよ」

そう言って、恋人の手をにぎると、アクアマリンの目が嬉しそうに輝いた。

「ラオネスに来てからは、いつも二人で寝てたから、一人で寝るのが寂しくて……」
「そうだな。俺も、今晩一人で寝るのは寂しいと思ってた」
「ふふっ。僕たち、両想いだね」

僕も嬉しくなって、勢いよく掛布をめくると、恋人を招き入れた。

「ね……フレッドのいつもの場所だよ。ほら、早くっ」

フレデリクは、僕の頭をひと撫ですると、ロングソードや上着を側に置いて、靴を脱ぐ。
そして、僕を抱きしめるようにして、隣で横になった。

「フレッド~~~~!!!」

僕は、傍にある温もりを、ぎゅっと強く抱き返した。

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