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最終話
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「これから昼餐会なのに、忙しくさせて悪いね」
領主館の執務室で、兄は申し訳なさそうに言った。
今日のお昼は、ソレル商会が主催の昼餐会に出席する予定だ。
しかし、まだ時間に余裕はあるし、それが終われば午後は暇だ。
兄が言うほどに、忙しくはなかった。
「もうっ。謝らないでって、いつも言ってるじゃないですか。兄上の方が余程お忙しいのですから」
造船場の火事では、人的被害は最小限に抑えられたものの、大きな爪痕を残したことには違いなく、兄はこちらが不安になるほど多忙を極めていた。
「責任あるお立場の兄上に対して、簡単に言えることではありませんが、少しはお休みになってくださいね。僕は心配で……」
「大丈夫だよ。忙しいけど、体調管理はちゃんとしてるから。ありがとう」
アメジストの目を優しく細めながらソファに腰かけると、兄は隣に座るように促してきた。
今は人払いをしていて、室内には二人きり。
二人だけの時には、対面ではなく隣同士で座ることを兄は好んでいた。
「今回の騒動について、一応の決着がついたんだ。テオには、早めに伝えておこうと思ってね」
「もう、刑が確定したのですか?」
「いや。この件に関しては、特殊な形をとることになって。人身売買と嫌がらせの両方に関わっていた者は、レナルレに身柄を引き渡すことになった」
「え? レナルレに?」
兄はゆっくり頷くと、事の次第を説明しはじめた。
バッツィーニ伯爵も少し触れていたが、人身売買を主導していたのは、レナルレの豪商だった。
そのことでレナルレは激怒しており、ロベルティアに全面的に謝罪をしてきた。
先の大戦以降、二つの国は友好国として様々な同盟や協定を結んで勢力均衡を保っているが、実はレナルレの方が立場が弱い。
その要因は、かつての侵略行為を含む歴史や、純粋な国力の差など、様々あるらしいのだが。
現状では、レナルレはロベルティアの機嫌を伺いつつ、国交を行っているようだ。
そんな中で今回の騒動が起こり、ロベルティアの不信を買うわけにはいかないレナルレは、謝罪の後、罪人の処罰を自国で行うと言ってきたのだという。
「関わっていた他国も同意したから、量刑を含めて、レナルレに任せることになったよ。うちで処罰するのは、嫌がらせに加担していた者だけだね」
「そうですか……」
「父上から、この件についての裁量は任せるとのお言葉をいただいてね。最初は、レナルレに全てを任せるのはどうかと思って、断るつもりだったんだけど、バッツィーニ伯爵から背中を押されたんだ。ロベルティアよりもレナルレの方が刑罰が重いから、今後、同様の犯罪を防止するためにも、あちらで刑に処すべきだと」
「……レナルレの方が厳罰なのですね。初めて知りました」
「レナルレは島流しや死罪もあって、周辺国では、一番刑罰が重い国なんだよ」
「それで、バッツィーニ伯爵は、自国での処罰を勧めてきたのですね」
「うん。色んな国が関わっていた大罪だからね。見せしめという意味もあると思う」
そこまで話すと、兄はそっと瞼を伏せた。
「……モーリス・ガディオについては、放火の件もあるし、こちらで処罰する予定だったんだけど、本人がレナルレ行きを望んでね」
「厳罰を求めたということですか……?」
「多分ね。少し前に直接話したんだけど、どこか清々しい表情をしていたよ」
イネスの館で、肩の荷がおりたような顔をしていた伯爵を思い出す。
「彼は……ガディオ家の名を汚して終わらせられることに、喜びを感じていたようですもんね……」
「うん……。歪んだ感情だと、自分でも理解しているようだったよ」
兄はどこか切ない表情で、僕と視線を合わせた。
「最初はね、この地で気持ちを新たにして、亡きお父上の代よりもガディオ家を豊かにしようと、誠実に務めていたと言っていたよ」
その努力が徐々に実り、責任のある仕事を任せられるようになったことが嬉しかったという。
しかし、ガディオ家への信頼が厚くなるほど、昔の苦しい記憶がよみがえるようになった。
ラオネスでの自分の地位が上がる度に、憎い父を喜ばせているような気持ちになり、辛くなった。
自身が積み重ねたものが、心を苦しめる。
そんな内なる痛みを抱えていたある日、ちょっとした不正行為に手を染めた。
ささいなことだったが、父やガディオ家を汚すことができたという、仄暗い喜びが心を躍らせた。
そこからは、坂道を転げ落ちるようだった。
ガディオ家の名を背負った自分が、犯罪行為に走れば走るほど、過去の苦しみが清算されていくようだった。
母は既に他界し、弟妹も他家へ婿入りや嫁入りをしている。
妻も婚約者もいない自由な身であったことも、罪に濡れる身を加速させた。
「そんな歪な欲求を満たすために、表向きは誠実に働きながら、数々の犯罪行為に手を出していたみたいでね……」
地獄のような苦しみを与え続けた父と、監獄のようであったガディオ家。
長年虐げられていた憎しみの記憶は、ラオネスで心機一転、頑張ろうとしていた彼の足を何度ふり払っても掴んできて、とうとう闇に引きずり込んだのだ。
「彼は……フレデリクに、美しく正しい世界で、当然のように生きつづけられることが心底羨ましいって言っていました。聞いた時には、感じの悪い嫌味だなって思いましたけど……」
「憎しみに囚われてしまった自身と比べて、言わずにはいられなかったのかもね。最後に放火までしたのも、フレデリクへの意趣返しと、ガディオ家の名を徹底的に潰してやろうっていう、両方の気持ちがあったんだろう……」
もちろん、彼のしたことは許しがたい犯罪だ。
でも、辛い過去や憎しみにどうしても囚われてしまう苦しさを思うと、彼を一方的に非難する気にはなれなかった。
「それで……ゴーチェ子爵は、どうされていらっしゃるのですか?」
こちらも気になっていた。
ガディオ伯爵を逃がした子爵は、火事や脅迫騒動を起こす遠因となってしまった。
「今は自宅での謹慎を命じてる。子爵がいないと回らない仕事も多いから、早急に新しい補佐に引き継ぎが行われる予定だよ。その後は……相応の沙汰がくだされるね。爵位剥奪は間違いないと思う」
「そうですか……」
家族への捨てられない憎しみから、凶行に走ってしまった伯爵と、家族同然の愛情から、愚行を選択してしまった子爵と。
やるせない気持ちに胸が重くなり、僕たちの間にしばらく沈黙がおりた。
「……そもそも、今回の騒動の中心だった人身売買や嫌がらせは、俺が甘く見られていたからだ」
菫色の目が苦渋に満ちる。
「俺がもっと厳しく、毅然としていれば……もっと上手く立ち回っていればと……」
「兄上……」
「情けないけど、こういう時には……アルだったら、こんなことにはならなかったんじゃないかって、考えてしまうんだ」
いつだって強さと優しさを兼ね備えている兄が……国中から絶大な支持を得ている第二王子が、僕と同じようなことを思っていることに驚いた。
「子供の時から、アルの強さはいつだって眩しく見えた。俺は、つい周りの目を気にして動くところがあってね。上に立つ者としては、弱々しいよね」
「それは違うと思いますっ!!!」
僕は思わず大声を出していた。
「確かに、アルフィオ兄上の揺るぎない強さは、僕も内心では、ずっと憧れていました。でも、憧れていたのは、アルフィオ兄上だけではありません!」
僕は、兄の手をぎゅっと握った。
「僕がどれだけ愚行を重ねようとも、兄上はいつも気にかけてくださり、優しく、時には厳しく、僕を諭してくださいました。家族が僕に対して諦めていく中で、兄上はずっと変わらぬ思いやりをくださって……」
アメジストの瞳を見つめながら、僕は過去をかえりみる。
「僕は、それがとても嬉しかった……。兄上にお声をかけていただく度に、家族でいることを許されているんだと、安堵していました」
家族への反発や無視を繰り返していながらも、心の奥底では見捨てられることに怯えていた。
そんな時に、何度も手を差し伸べてくれたのは兄だった。
「クロード兄上……。僕は兄上の温かい陽だまりのような優しさに、何度も救われました。いつも周囲に気を配って、穏やかで優しくあること。それがどんなに難しく、強い心でしか成すことができないか……。僕は身をもって知っています」
「テオ……」
「僕はそんなクロード兄上を、心から尊敬しています。聡明で思いやりに溢れた兄上のことが大好きなんです。だから、アルフィオ兄上の方が、なんて言わないでください。ラオネスの人たちだって、兄上だからこそ、領主就任を喜んでくれたに違いないのですから」
兄に向けての想いを懸命に告げていると、急に強く抱きしめられた。
「あ、兄上っ……!?」
「……色々なことがあって、ちょっと弱気になっていたんだ。上手く積み重ねていけるのか、不安になったりもして……。でも、テオの言葉で、これからも自分らしくやっていこうって思えた……。ありがとう……俺こそ、テオに救われたよ」
「……本当ですか?」
僕は広い胸の中から、きれいなアメジストの瞳を見上げる。
「僕は……兄上のお役に立てましたか?」
そう問うと、柔和な美貌が、春の日差しのような微笑みを浮かべた。
「役に立ったどころの話じゃないよ。テオは、今回の騒動を解決に導いてくれた英雄なんだから。あと、塩漬けに関しても、新たな道を示してくれたしね」
「え? 新たな道?」
「視察の時の話だよ。工場長がいたく感激していてね。テオの発案を受けて、熱量たっぷりに、これからの構想を語ってくれたんだ。それで、船上加工の塩漬けは、早急に規模を拡大していくことに決まったよ。造船場の復旧が終われば、船上加工用の船も、どんどん造船を開始する予定だ」
「あ、兄上……そんなぁっ! 僕は、無責任にテキトーなことを言ってしまっただけで……!」
深く考えずに発した言葉が、本格的な施策として動き出そうとしていて、僕は大いに焦った。
「そんなに謙遜しないで? 素晴らしい考えだよ。もちろん、製塩が始まれば、完全にラオネス産の塩漬けにするからね」
楽しげに話す兄の胸の中で、僕の胸は急速に冷えていく。
ああ……どうしようっ! もし売れ行きが悪かったりしたら、僕は土下座どころじゃすまないよっ。
どうか上手くいきますようにと、心の中で強く願ったところで、扉がノックされた。
従者が領主を呼びにきたようで、兄は抱擁をほどくと、残念そうな顔をした。
「これから会合がいくつか待っていてね。もう少し、テオと二人で過ごしたかったんだけど」
「また、お時間がある時に、ゆっくりお話ししましょうよ」
「そうだね。近いうちに、街も案内したいしね」
「えっ!? 街を散策できるのですか!?」
「進水式の時には叶えられなかった露店の料理も、沢山食べられるようにしておくよ」
「わぁ! 嬉しいです!!」
楽しい予定を語りながら部屋を出ると、廊下には、フレデリクとローランが並んで待機していた。
「じゃあ、俺は行くよ。明日の朝食は一緒にとろう。俺もムール貝を食べようかな」
そう言って、廊下を進みはじめた兄は、急に振り返ると、満面の笑みをこちらに向けてきた。
「テオの愛の告白、すごく嬉しかった。俺も、テオのことが大好きだよ。また明日ね」
わああああああああああああああああ!!!!!!!!
兄は、とんでもない爆弾発言を残して、ローランと共に颯爽と仕事に向かっていった。
あああ……っ。
兄上っ、僕もすごく嬉しいけど……それはないよっ!
そんな言葉を残して、去っていかないでよっ!!
ううっ……振り返りたくない……。
しかし、このまま逃げるわけにもいかない。
僕は、壊れたブリキのおもちゃのように、ぎこちなく振り返る。
そこには、能面のような顔をした専属騎士がいて、静かに僕を見下ろしていた。
ひぃっ!!!!!!
「あ、の……フレッド、その……違うんだよ」
「何が? 愛の告白をしたんだろ?」
「いや、告白っていうか――」
「大好きって、言ったんだろ?」
「それは、その……言ったけど、兄弟としての家族愛であって――」
「俺は、弟に愛の告白なんてしたことがないから分からないな」
だめだ……完全にジェラシーモードだ。
「クロード様、喜んでいてよかったな。相思相愛だ」
「そういうのじゃないからぁっ! フレッド~。ごめんってぇ」
絶対零度の氷の騎士と化した恋人に、僕は弱りきった声を出す。
「ねぇ、許して? 愛の告白なんてしてないよ」
廊下に誰もいないのをいいことに、僕は嫉妬深い騎士にぎゅっと強く抱きついた。
「僕にはフレッドだけだからぁっ!」
END
皆さま、大変お疲れ様でございました!!!
最後までお読みいただいて、本当にありがとうございますっ!!
コメントをくださった方や、エール機能にて応援してくださった方にも、心から御礼申し上げます!!!
久しぶりの毎日更新を、楽しくやり遂げることができました。
新たな試みとしてAIイラストを導入しまして、私にとっては刺激的な連載となりました。
皆さまにも、楽しんでいただけていると嬉しいです!!
そして、本編の連載は終わりましたが、今後はラオネス日常編を、ちょっとずつ書いていこうと思っています。
断続的な公開となりますが、気が向いた時に、さらっと読んでくださると幸せですね~。
バッツィーニ伯爵にぷんぷん丸なフレデリクや、兄弟のスキンシップにジェラジェラするフレデリクを書きたいですねっ!!
……どんどんフレデリク・テュレンヌが大人げなくなるなぁ~!
リーフェ編序盤のスパダリ感が消えていってるのが、いいのか悪いのか……。
そんなフレデリクも踏まえまして、今後もお付き合いいただければ喜びいっぱいですっ。
あと、別ページであとがきを更新する予定です。
本作についてのあれこれや、挿絵に使わなかったAIイラストも載せていたりするので、興味がある方がいらっしゃいましたら、読んでくださればと思います。
それでは、本当に本当にありがとうございました!!
領主館の執務室で、兄は申し訳なさそうに言った。
今日のお昼は、ソレル商会が主催の昼餐会に出席する予定だ。
しかし、まだ時間に余裕はあるし、それが終われば午後は暇だ。
兄が言うほどに、忙しくはなかった。
「もうっ。謝らないでって、いつも言ってるじゃないですか。兄上の方が余程お忙しいのですから」
造船場の火事では、人的被害は最小限に抑えられたものの、大きな爪痕を残したことには違いなく、兄はこちらが不安になるほど多忙を極めていた。
「責任あるお立場の兄上に対して、簡単に言えることではありませんが、少しはお休みになってくださいね。僕は心配で……」
「大丈夫だよ。忙しいけど、体調管理はちゃんとしてるから。ありがとう」
アメジストの目を優しく細めながらソファに腰かけると、兄は隣に座るように促してきた。
今は人払いをしていて、室内には二人きり。
二人だけの時には、対面ではなく隣同士で座ることを兄は好んでいた。
「今回の騒動について、一応の決着がついたんだ。テオには、早めに伝えておこうと思ってね」
「もう、刑が確定したのですか?」
「いや。この件に関しては、特殊な形をとることになって。人身売買と嫌がらせの両方に関わっていた者は、レナルレに身柄を引き渡すことになった」
「え? レナルレに?」
兄はゆっくり頷くと、事の次第を説明しはじめた。
バッツィーニ伯爵も少し触れていたが、人身売買を主導していたのは、レナルレの豪商だった。
そのことでレナルレは激怒しており、ロベルティアに全面的に謝罪をしてきた。
先の大戦以降、二つの国は友好国として様々な同盟や協定を結んで勢力均衡を保っているが、実はレナルレの方が立場が弱い。
その要因は、かつての侵略行為を含む歴史や、純粋な国力の差など、様々あるらしいのだが。
現状では、レナルレはロベルティアの機嫌を伺いつつ、国交を行っているようだ。
そんな中で今回の騒動が起こり、ロベルティアの不信を買うわけにはいかないレナルレは、謝罪の後、罪人の処罰を自国で行うと言ってきたのだという。
「関わっていた他国も同意したから、量刑を含めて、レナルレに任せることになったよ。うちで処罰するのは、嫌がらせに加担していた者だけだね」
「そうですか……」
「父上から、この件についての裁量は任せるとのお言葉をいただいてね。最初は、レナルレに全てを任せるのはどうかと思って、断るつもりだったんだけど、バッツィーニ伯爵から背中を押されたんだ。ロベルティアよりもレナルレの方が刑罰が重いから、今後、同様の犯罪を防止するためにも、あちらで刑に処すべきだと」
「……レナルレの方が厳罰なのですね。初めて知りました」
「レナルレは島流しや死罪もあって、周辺国では、一番刑罰が重い国なんだよ」
「それで、バッツィーニ伯爵は、自国での処罰を勧めてきたのですね」
「うん。色んな国が関わっていた大罪だからね。見せしめという意味もあると思う」
そこまで話すと、兄はそっと瞼を伏せた。
「……モーリス・ガディオについては、放火の件もあるし、こちらで処罰する予定だったんだけど、本人がレナルレ行きを望んでね」
「厳罰を求めたということですか……?」
「多分ね。少し前に直接話したんだけど、どこか清々しい表情をしていたよ」
イネスの館で、肩の荷がおりたような顔をしていた伯爵を思い出す。
「彼は……ガディオ家の名を汚して終わらせられることに、喜びを感じていたようですもんね……」
「うん……。歪んだ感情だと、自分でも理解しているようだったよ」
兄はどこか切ない表情で、僕と視線を合わせた。
「最初はね、この地で気持ちを新たにして、亡きお父上の代よりもガディオ家を豊かにしようと、誠実に務めていたと言っていたよ」
その努力が徐々に実り、責任のある仕事を任せられるようになったことが嬉しかったという。
しかし、ガディオ家への信頼が厚くなるほど、昔の苦しい記憶がよみがえるようになった。
ラオネスでの自分の地位が上がる度に、憎い父を喜ばせているような気持ちになり、辛くなった。
自身が積み重ねたものが、心を苦しめる。
そんな内なる痛みを抱えていたある日、ちょっとした不正行為に手を染めた。
ささいなことだったが、父やガディオ家を汚すことができたという、仄暗い喜びが心を躍らせた。
そこからは、坂道を転げ落ちるようだった。
ガディオ家の名を背負った自分が、犯罪行為に走れば走るほど、過去の苦しみが清算されていくようだった。
母は既に他界し、弟妹も他家へ婿入りや嫁入りをしている。
妻も婚約者もいない自由な身であったことも、罪に濡れる身を加速させた。
「そんな歪な欲求を満たすために、表向きは誠実に働きながら、数々の犯罪行為に手を出していたみたいでね……」
地獄のような苦しみを与え続けた父と、監獄のようであったガディオ家。
長年虐げられていた憎しみの記憶は、ラオネスで心機一転、頑張ろうとしていた彼の足を何度ふり払っても掴んできて、とうとう闇に引きずり込んだのだ。
「彼は……フレデリクに、美しく正しい世界で、当然のように生きつづけられることが心底羨ましいって言っていました。聞いた時には、感じの悪い嫌味だなって思いましたけど……」
「憎しみに囚われてしまった自身と比べて、言わずにはいられなかったのかもね。最後に放火までしたのも、フレデリクへの意趣返しと、ガディオ家の名を徹底的に潰してやろうっていう、両方の気持ちがあったんだろう……」
もちろん、彼のしたことは許しがたい犯罪だ。
でも、辛い過去や憎しみにどうしても囚われてしまう苦しさを思うと、彼を一方的に非難する気にはなれなかった。
「それで……ゴーチェ子爵は、どうされていらっしゃるのですか?」
こちらも気になっていた。
ガディオ伯爵を逃がした子爵は、火事や脅迫騒動を起こす遠因となってしまった。
「今は自宅での謹慎を命じてる。子爵がいないと回らない仕事も多いから、早急に新しい補佐に引き継ぎが行われる予定だよ。その後は……相応の沙汰がくだされるね。爵位剥奪は間違いないと思う」
「そうですか……」
家族への捨てられない憎しみから、凶行に走ってしまった伯爵と、家族同然の愛情から、愚行を選択してしまった子爵と。
やるせない気持ちに胸が重くなり、僕たちの間にしばらく沈黙がおりた。
「……そもそも、今回の騒動の中心だった人身売買や嫌がらせは、俺が甘く見られていたからだ」
菫色の目が苦渋に満ちる。
「俺がもっと厳しく、毅然としていれば……もっと上手く立ち回っていればと……」
「兄上……」
「情けないけど、こういう時には……アルだったら、こんなことにはならなかったんじゃないかって、考えてしまうんだ」
いつだって強さと優しさを兼ね備えている兄が……国中から絶大な支持を得ている第二王子が、僕と同じようなことを思っていることに驚いた。
「子供の時から、アルの強さはいつだって眩しく見えた。俺は、つい周りの目を気にして動くところがあってね。上に立つ者としては、弱々しいよね」
「それは違うと思いますっ!!!」
僕は思わず大声を出していた。
「確かに、アルフィオ兄上の揺るぎない強さは、僕も内心では、ずっと憧れていました。でも、憧れていたのは、アルフィオ兄上だけではありません!」
僕は、兄の手をぎゅっと握った。
「僕がどれだけ愚行を重ねようとも、兄上はいつも気にかけてくださり、優しく、時には厳しく、僕を諭してくださいました。家族が僕に対して諦めていく中で、兄上はずっと変わらぬ思いやりをくださって……」
アメジストの瞳を見つめながら、僕は過去をかえりみる。
「僕は、それがとても嬉しかった……。兄上にお声をかけていただく度に、家族でいることを許されているんだと、安堵していました」
家族への反発や無視を繰り返していながらも、心の奥底では見捨てられることに怯えていた。
そんな時に、何度も手を差し伸べてくれたのは兄だった。
「クロード兄上……。僕は兄上の温かい陽だまりのような優しさに、何度も救われました。いつも周囲に気を配って、穏やかで優しくあること。それがどんなに難しく、強い心でしか成すことができないか……。僕は身をもって知っています」
「テオ……」
「僕はそんなクロード兄上を、心から尊敬しています。聡明で思いやりに溢れた兄上のことが大好きなんです。だから、アルフィオ兄上の方が、なんて言わないでください。ラオネスの人たちだって、兄上だからこそ、領主就任を喜んでくれたに違いないのですから」
兄に向けての想いを懸命に告げていると、急に強く抱きしめられた。
「あ、兄上っ……!?」
「……色々なことがあって、ちょっと弱気になっていたんだ。上手く積み重ねていけるのか、不安になったりもして……。でも、テオの言葉で、これからも自分らしくやっていこうって思えた……。ありがとう……俺こそ、テオに救われたよ」
「……本当ですか?」
僕は広い胸の中から、きれいなアメジストの瞳を見上げる。
「僕は……兄上のお役に立てましたか?」
そう問うと、柔和な美貌が、春の日差しのような微笑みを浮かべた。
「役に立ったどころの話じゃないよ。テオは、今回の騒動を解決に導いてくれた英雄なんだから。あと、塩漬けに関しても、新たな道を示してくれたしね」
「え? 新たな道?」
「視察の時の話だよ。工場長がいたく感激していてね。テオの発案を受けて、熱量たっぷりに、これからの構想を語ってくれたんだ。それで、船上加工の塩漬けは、早急に規模を拡大していくことに決まったよ。造船場の復旧が終われば、船上加工用の船も、どんどん造船を開始する予定だ」
「あ、兄上……そんなぁっ! 僕は、無責任にテキトーなことを言ってしまっただけで……!」
深く考えずに発した言葉が、本格的な施策として動き出そうとしていて、僕は大いに焦った。
「そんなに謙遜しないで? 素晴らしい考えだよ。もちろん、製塩が始まれば、完全にラオネス産の塩漬けにするからね」
楽しげに話す兄の胸の中で、僕の胸は急速に冷えていく。
ああ……どうしようっ! もし売れ行きが悪かったりしたら、僕は土下座どころじゃすまないよっ。
どうか上手くいきますようにと、心の中で強く願ったところで、扉がノックされた。
従者が領主を呼びにきたようで、兄は抱擁をほどくと、残念そうな顔をした。
「これから会合がいくつか待っていてね。もう少し、テオと二人で過ごしたかったんだけど」
「また、お時間がある時に、ゆっくりお話ししましょうよ」
「そうだね。近いうちに、街も案内したいしね」
「えっ!? 街を散策できるのですか!?」
「進水式の時には叶えられなかった露店の料理も、沢山食べられるようにしておくよ」
「わぁ! 嬉しいです!!」
楽しい予定を語りながら部屋を出ると、廊下には、フレデリクとローランが並んで待機していた。
「じゃあ、俺は行くよ。明日の朝食は一緒にとろう。俺もムール貝を食べようかな」
そう言って、廊下を進みはじめた兄は、急に振り返ると、満面の笑みをこちらに向けてきた。
「テオの愛の告白、すごく嬉しかった。俺も、テオのことが大好きだよ。また明日ね」
わああああああああああああああああ!!!!!!!!
兄は、とんでもない爆弾発言を残して、ローランと共に颯爽と仕事に向かっていった。
あああ……っ。
兄上っ、僕もすごく嬉しいけど……それはないよっ!
そんな言葉を残して、去っていかないでよっ!!
ううっ……振り返りたくない……。
しかし、このまま逃げるわけにもいかない。
僕は、壊れたブリキのおもちゃのように、ぎこちなく振り返る。
そこには、能面のような顔をした専属騎士がいて、静かに僕を見下ろしていた。
ひぃっ!!!!!!
「あ、の……フレッド、その……違うんだよ」
「何が? 愛の告白をしたんだろ?」
「いや、告白っていうか――」
「大好きって、言ったんだろ?」
「それは、その……言ったけど、兄弟としての家族愛であって――」
「俺は、弟に愛の告白なんてしたことがないから分からないな」
だめだ……完全にジェラシーモードだ。
「クロード様、喜んでいてよかったな。相思相愛だ」
「そういうのじゃないからぁっ! フレッド~。ごめんってぇ」
絶対零度の氷の騎士と化した恋人に、僕は弱りきった声を出す。
「ねぇ、許して? 愛の告白なんてしてないよ」
廊下に誰もいないのをいいことに、僕は嫉妬深い騎士にぎゅっと強く抱きついた。
「僕にはフレッドだけだからぁっ!」
END
皆さま、大変お疲れ様でございました!!!
最後までお読みいただいて、本当にありがとうございますっ!!
コメントをくださった方や、エール機能にて応援してくださった方にも、心から御礼申し上げます!!!
久しぶりの毎日更新を、楽しくやり遂げることができました。
新たな試みとしてAIイラストを導入しまして、私にとっては刺激的な連載となりました。
皆さまにも、楽しんでいただけていると嬉しいです!!
そして、本編の連載は終わりましたが、今後はラオネス日常編を、ちょっとずつ書いていこうと思っています。
断続的な公開となりますが、気が向いた時に、さらっと読んでくださると幸せですね~。
バッツィーニ伯爵にぷんぷん丸なフレデリクや、兄弟のスキンシップにジェラジェラするフレデリクを書きたいですねっ!!
……どんどんフレデリク・テュレンヌが大人げなくなるなぁ~!
リーフェ編序盤のスパダリ感が消えていってるのが、いいのか悪いのか……。
そんなフレデリクも踏まえまして、今後もお付き合いいただければ喜びいっぱいですっ。
あと、別ページであとがきを更新する予定です。
本作についてのあれこれや、挿絵に使わなかったAIイラストも載せていたりするので、興味がある方がいらっしゃいましたら、読んでくださればと思います。
それでは、本当に本当にありがとうございました!!
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