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39話

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若干の暴力表現があります。



「命令だよ、フレデリク。手をはなして」
「……約束を反故ほごになさるのですか」

約束……――

そうだ。ラオネスに来る少し前。
王都の森の中で、僕は絶対に手を離さないと約束した。
あの時、繋いだ手を通して愛を誓ったのだ。

だから、これは……フレッドの愛情に対する裏切りでしかない――

分かっていながらも、僕は喉の奥から声を押し出した。

「フレデリク……。お願い……」

僕は自分の胸に手をやった。
ここには、フレデリクがくれた護身用のダガーがある。
伯爵は、僕が武器を持っているとは思っていないはず。

これで、上手く不意をつくことができれば――

アクアマリンの瞳を強く見つめながら、僕は言葉の裏に思いを隠した。

「僕にはフレデリクとの絆があるから……アイビーのつるのように強い絆が……」

このダガーの柄に刻まれている、永遠の愛を示すアイビー。
これで、僕の意図は通じたはず。

「テオドール様……」

僕の真意を受け取ったフレデリクの瞳が葛藤に揺れている。

大丈夫だよ……僕たちにできないことはない。そうだよね――?

見つめ合う視線から、にぎり合う手から、僕の胸の内を伝えていく。

「分かりました……」

フレデリクは辛そうな声で了承すると、僕の手をそっと離した。

「ありがとう、フレデリク……」

苦渋の表情を浮かべる騎士から一歩離れると、僕は伯爵に視線を向けた。

「新たに火をつけることだけは、どうか止めてください」

そう言いながら、僕は少しずつ伯爵に歩みよる。

「賢明なご判断ですね」

彼は嬉しそうに瞳を輝かせると、側まで来た僕の首筋にダガーを突きつける。
周囲にいる屈強な男たちは、フレデリクにロングソードを向けていた。

「私もロングソードを見目良く構えたいのですが。不得手なのが残念です。しかし、接近戦ではダガーやナイフの方が有利ですからね」
「…………」

どうしよう。足が震える。
鍛錬とは全く違う、実際に刃物を突きつけられる恐怖。
伯爵は、フレデリクに復讐するために、何のためらいもなく僕を傷つける気だろう。

「モーリス……。テオドール様をわずかでも傷つければ、私がお前の全てを切り捨ててやる」

フレデリクの本気の怒りに、伯爵は声を出して笑った。

「お前のその顔がずっと見たかった。対抗心や憎しみをどれだけ燃やしても、お前は私を見ることなど一度もなかった。それが、どんなにみじめなことだったか……っ。お前に分かるか?」

僕の首筋に、ダガーの刃先が触れる。

「殿下。あなた様に恨みはありませんが、私は主君を守れず絶望する騎士を見たいので、どうかお許しくださいね」

大丈夫、大丈夫。

僕は心の中で唱えつづけた。

伯爵のダガーの持ち方、刃の向け方。
見るからに、ダガーの扱いに長けている人ではない。

僕は、ずっとフレッドと積み重ねてきたんだから。
フレッドに教わって、何度もダガーをにぎってきたんだから。

だから、絶対に――

伯爵の気配が、すっと変わるのが分かった。
僕を本気で傷つけようと動いている。

今だ――!!!!

僕は一瞬の隙をついて懐からダガーを振り抜くと、伯爵のそれを弾き飛ばした。
それと同時に、フレデリクが周囲の男たちを倒して戦闘不能にすると、僕を胸の中へと抱きよせる。

「フレッド……っ」

僕は愛する人に強く抱きついた。
震える手でダガーを鞘におさめると、深い安堵に体から力が抜けていく。

「まさか、ダガーをお持ちだったとは。殿下には出し抜かれてばかりですね」

武器と味方を失い、フレデリクにロングソードを向けられた伯爵が、さえずるように笑った。

「しかし、もう手遅れですよ。合図を出さなくとも、護衛が来たり、私が劣勢になったりした時点で、鐘を鳴らすように命じていますから」

え――!?
そんなっ!!

僕は慌てて鐘楼を見上げる。
そこには先程と違って、二人の男がいた。
一人は伯爵の手下で、もう一人は――

「エヴァンっ!」

侍従の姿が見えて、僕は思わず声をあげる。
エヴァンは手下の男を確保して、鐘を鳴らせないようにしていた。

よかった! これで、新たな火事が起こることはない――!

「モーリスっ。これで全て終わりだ」

胸に突きつけられたロングソードを見て、伯爵はすっと目を細める。

「丸腰の人間に剣を向けるとは、卑怯な騎士だな」

伯爵の言葉に、憤りが胸の中に広がった。
どの口で卑怯だというのか。

「……そうだな。お前には正義の剣を向ける価値もない」

そう言って、フレデリクは剣を鞘に戻した。

え――?

そして、伯爵の胸倉をつかむと、勢いよく彼の頬を殴りつけた。
後方へ吹き飛ぶように倒れこんだ伯爵へ、尚も拳を向けるフレデリク。

「フレッド、だめっ!」

僕は慌ててフレデリクの背中にしがみついた。
猛烈な怒りに震える体を、必死に引き止める。

「もっと殴ればいい。主君を害した私が憎いだろう? 傷つけたいだろう?」

口の端に血をにじませながら、伯爵がゆがんだ表情を浮かべた。
最後までフレデリクの矜持きょうじをつぶそうとしてくる伯爵に、強い怒りが込み上げてくる。

「僕を使ってフレデリクをおとしめるのはやめて!! フレデリクが輝かしい道を歩んでるというなら、それだけの努力をずっと続けてるからだ。恵まれてるというなら、幸運さえ味方をしたくなるほどに、信念を持って誠実に生きてるからだ!!」

僕は愛する騎士の体を抱きしめながら、伯爵を強く見据えた。

「これ以上、僕の騎士の誇りを汚さないでっ!!」

僕の声が広間に響いた直後。
勢いよく扉が開き、護衛の騎士たちが入ってきた。
どうやら、伯爵の企みをすでに認識しているようで、瞬く間に伯爵と手下の男たちを捕縛していった。

「テオっ!」

騎士に続いて、兄が飛び込んでくる。
火事の現場で僕のことを聞いて、駆けつけてくれたのだろう。

「兄上っ。僕は無傷ですよ」
「よかった……」

兄は心から安心した様子で、僕をぎゅっと抱きしめてきた。

「ごめんね……。テオをこんなに怖い目に遭わせて……」
「兄上のせいではありませんよ。ここに来たのは、僕の意志ですから」
「これ以上、被害が大きくならないように勇気を出してくれたんだろう? 伯爵の企みは手下の男から聞いたよ。テオのおかげで、第二の火が放たれることはなかった。本当にありがとう……。フレデリクも怪我はないか?」

短く頷いたフレデリクから、兄が伯爵へと視線をうつす。
それと同時に、ゴーチェ子爵が自身の監視役と思しき従者と姿を現した。

「モーリス……どうして――」

今にも泣き出しそうな顔で、子爵は伯爵を見つめる。
放火に王子への脅迫に。
罪から逃がしたはずの伯爵が、これでもかと罪を重ねたのだ。
子爵の衝撃と絶望は、相当なものだろう。

「これまでの人生で、もう逃げるのは飽きておりましたから。それに、この地から抜け出すのは無理だと……子爵も分かっておいでだったでしょう?」
「……だからといって、こんな――」
「結局……私は過去の恨みや苦しみを捨てることができませんでした。今も、憎いガディオ家を汚しつくして終わらせられることに、言いようのない喜びを感じています」

伯爵は、まるで肩の荷がおりたように力なく笑った。

「……この地は、そして、私は……モーリスの心に、安らぎを与えることはできなかったのか……」

子爵の目から一筋の涙がこぼれる。

「いいえ、ゴーチェ子爵。ラオネスは、私にとって愛すべき第二の人生の地であり、あなた様は理想の家族そのものでした。もし、子爵が本当の父であったのなら……私は野に咲く名もなき花一輪にすら、幸せを見出せたかもしれませんね……」
「モーリス……っ」

騎士に四方を固められ、伯爵が広間を出ていく。

「第三王子殿下……。次にお会いした時には、是非とも過去と決別する方法を教えていただきたいものです」

すれ違いざまにきれいな微笑みを見せると、伯爵は扉の向こうに消えていった。

「……モーリス……」

子爵は、糸が切れた人形のようにその場にへたり込み、悲痛な面持ちの従者が静かに寄りそっている。
誰も何も言葉にできず、重い静寂が広間を支配していたが、それもつかの間だった。

「殿下っ。火は延焼することなく、ほぼ鎮火しました」

駆けてきた騎士がもたらした報告が広間の空気を一変させ、被害が止まったことに皆が安堵した。
しかし、それから一件落着となるわけもなく。
失神していた職員の男が意識を取り戻し、すぐに彼の妻の捜索がはじまった。
進水式の大混乱をしずめて、火事の被害を受けた人の手当てや燃えた施設の確認をして。
今までにない災難に、造船場は上を下への大騒ぎが長く続くこととなった。




キーアイテムとなっているダガーは前作番外編「第三王子の昼下がり」
絶対に手を離さないという約束は「テオとフレッドの昼下がり(前編)」
からの流れとなっております!

今までに積み重ねたダガーの鍛錬があればこそっていうテオの活躍が胸熱ですよね~!!
フレデリクの高潔な騎士らしからぬ行動に、テオを害された深い怒りが伝わってきます……!
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