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34話
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兄の硬い声に、伯爵は不思議そうな顔をした。
「仮面? 一体、何のことでしょうか」
「……レナルレ王国の先王陛下は、女性に対して非常に奔放な御方であられたとか。幾人もの側妃をお迎えになるために、王族の婚姻に関する法律を、強引に改正なさったというのは、有名な話です」
僕は初耳だ。
「その結果、と言えば無粋な表現ですが、現在の国王陛下には、多くのご兄弟がいらっしゃる。中には非公認の方もおられるようですね。その方は一貴族として暮らしながら、陛下の命令で様々な活動を行っていると」
伯爵が派手に笑った。
「さすがは大国ロベルティアの誉れ高き王子殿下でいらっしゃる。注意深く隠していたつもりなのですが」
「伯爵。いえ……王弟殿下とお呼びした方がよろしいですか?」
「非公認ですので、それは勘弁していただきたい」
ええええええええええ!?!?!?
バッツィーニ伯爵がレナルレ国王の弟!?!?!?
僕は衝撃の事実に驚愕した。
前に国王の命令で動いてるって言ってたけど、まさか弟だとは思わないじゃんっ!!
「血縁上ではそういうことになりますが、私はこれからも一伯爵に過ぎませんので、どうかこのことはご内密に」
「ええ。そこはご安心ください。しかし、あなたが諜報目的で我が国に滞在するのならば話は別です」
「私はそういった活動は好みません。例え、国王陛下のご命令であっても断りますよ。どうかご安心ください」
伯爵は微笑みながら兄に即答した。
どこか胡散臭かったが、領主である第二王子から釘を刺されたのだ。
王弟である彼が、嘘をついてまで諜報活動をすることはないだろう。
「それはさておき。今回の件は、ゴーチェ子爵にとって悲しい真実となってしまいましたが、進水式の前に解決が見えてよかったですね」
「ええ。中止も考えていたので、安堵しましたよ」
伯爵の言葉に同調すると、兄は優しい眼差しを、僕に向けた。
「テオには、進水式を楽しんでもらいたかったからね」
「この間、乗せてもらった船ですよね?」
「うん。あの船は、うちといくつかの商会や商人が共同出資していてね。進水式は盛大にしたいって話が出ていたから、大規模なものを予定しているんだ」
「そうなんですね……」
前から楽しみにしていた進水式。
中止にならなくて嬉しかったが、ゴーチェ子爵の手前、僕は静かに返事をした。
傷心している彼を前に、式典の開催を喜べるわけがない。
心から信頼している人が、悪事に手を染めていたと分かった時の悲しみは、どれだけのものか。
それが分かるからこそ、深く項垂れたままの子爵に、どう声をかけていいか分からなかった。
「まさか、ガディオ伯爵が人身売買にからんでた上に、嫌がらせもしてたなんてね……」
僕は事務会館から戻り、自室のソファに力なく座っていた。
エヴァンが淹れてくれた紅茶は、いつも通りおいしいはずなのに、どこか味が遠く感じる。
「野心的な方だとは思っていましたが、犯罪行為にまで加担していたとは……。結局は、お父上よりも破滅的な人生を歩むことになってしまいましたね」
エヴァンが呆れをにじませた声で言う。
宰相の座を狙い、不正行為を繰り返して失脚した、前ガディオ伯爵。
そんな父の姿を見ていただろうに。
この地で屋台骨と呼ばれるまでに実力をつけ、ゴーチェ子爵からは息子のように可愛がられ。
金銭に困ることもなかっただろうに、何故――
「……テオドール様に危害を加えたことは、どれだけ重い刑に処されたとしても、絶対に許せません」
エヴァンの隣に立つフレデリクが、深い怒りをあらわにしながら言葉をつむぐ。
「視察時の桟橋で……もしテオドール様に樽がぶつかっていたらと思うと、今でも身の毛がよだつ思いがします」
「フレデリク……」
確かに、受け身の一つもとれない僕にぶつかっていたら、怪我ではすまなかったかもしれない。
「あの件も、ガディオ伯爵が主導していたという話ですが、嫌がらせの範疇を完全に超えていて、テオドール様の御命を狙っていたとしてもおかしくはありませんね」
「まさか、そこまでは考えてなかったと思うけど……」
エヴァンの発言に曖昧に答えると、フレデリクが眉根をよせた。
「そういう可能性があった時点で、狙っていたも同然です」
フレッド、すごく怒ってるな……。
今にも剣を抜いて、ガディオ伯爵に突きつけそうな様相のフレデリク。
かつて、同じ師のもとで修業していて、見知った仲であることも大きいだろう。
「色々と思うところはあるけど、人身売買を阻止できて、嫌がらせも止められたからよかったよ。リヴィオさんが困り果ててたもんね」
「嫌がらせの被害額は、かなりのものになっていたようですから。テオドール様も、外出制限がなくなって一安心ですね」
「うんっ! まだラオネスをしっかりと楽しめてないから、これからだよ!」
エヴァンと二人で話を逸らしてみたものの、フレデリクの眉間の皺はとれない。
「街で買い物もしてみたいなぁ。王都の時みたいに、またフレデリクにお世話になるね」
「ええ。お任せください」
優しく微笑んではくれたけど、碧い瞳に宿る怒りは、しばらく冷めそうにない。
僕は『バッツィーニ伯爵がまさかの王弟!?』の話をしたかったが、断念した。
今、彼の話なんか出したら、火に油を注ぐようなものだろう。
「ゴーチェ子爵は、気の毒なほどに憔悴していたね……」
僕は王弟殿下の件ではなく、もう一つの話したかったことを口にした。
「ご家族同然に思っていらっしゃったのですから、衝撃は相当なものでしょうね。奥様は随分前に亡くなられており、一人息子であるご嫡男とは折り合いが悪く、十年前に出奔されたと聞いております」
エヴァンの情報に、僕は胸が苦しくなった。
「じゃあ……子爵はずっと、ご子息が消息不明のまま、補佐の仕事を頑張っていたんだ……」
「ええ。そんな時にガディオ伯爵が現れて……共に仕事をするうちに、父親のような気持ちになったのでしょう」
「ご子息と重ねていたのかもしれないね……」
この地でどんどん実力をつけていく若き伯爵を、喜びと共に見守っていただろう子爵。
それを思うと、どうしようもない憤りを、尚のこと感じてしまう。
「誰かに心から必要とされるって、奇跡みたいにすごいことなのに……」
どうして、信頼し合う子爵や兄と共に、ラオネスを誠実に支えていくことができなかったのか。
どうして――
心に押しよせるやるせない気持ちに、僕は静かに瞼を閉じることしかできなかった。
「仮面? 一体、何のことでしょうか」
「……レナルレ王国の先王陛下は、女性に対して非常に奔放な御方であられたとか。幾人もの側妃をお迎えになるために、王族の婚姻に関する法律を、強引に改正なさったというのは、有名な話です」
僕は初耳だ。
「その結果、と言えば無粋な表現ですが、現在の国王陛下には、多くのご兄弟がいらっしゃる。中には非公認の方もおられるようですね。その方は一貴族として暮らしながら、陛下の命令で様々な活動を行っていると」
伯爵が派手に笑った。
「さすがは大国ロベルティアの誉れ高き王子殿下でいらっしゃる。注意深く隠していたつもりなのですが」
「伯爵。いえ……王弟殿下とお呼びした方がよろしいですか?」
「非公認ですので、それは勘弁していただきたい」
ええええええええええ!?!?!?
バッツィーニ伯爵がレナルレ国王の弟!?!?!?
僕は衝撃の事実に驚愕した。
前に国王の命令で動いてるって言ってたけど、まさか弟だとは思わないじゃんっ!!
「血縁上ではそういうことになりますが、私はこれからも一伯爵に過ぎませんので、どうかこのことはご内密に」
「ええ。そこはご安心ください。しかし、あなたが諜報目的で我が国に滞在するのならば話は別です」
「私はそういった活動は好みません。例え、国王陛下のご命令であっても断りますよ。どうかご安心ください」
伯爵は微笑みながら兄に即答した。
どこか胡散臭かったが、領主である第二王子から釘を刺されたのだ。
王弟である彼が、嘘をついてまで諜報活動をすることはないだろう。
「それはさておき。今回の件は、ゴーチェ子爵にとって悲しい真実となってしまいましたが、進水式の前に解決が見えてよかったですね」
「ええ。中止も考えていたので、安堵しましたよ」
伯爵の言葉に同調すると、兄は優しい眼差しを、僕に向けた。
「テオには、進水式を楽しんでもらいたかったからね」
「この間、乗せてもらった船ですよね?」
「うん。あの船は、うちといくつかの商会や商人が共同出資していてね。進水式は盛大にしたいって話が出ていたから、大規模なものを予定しているんだ」
「そうなんですね……」
前から楽しみにしていた進水式。
中止にならなくて嬉しかったが、ゴーチェ子爵の手前、僕は静かに返事をした。
傷心している彼を前に、式典の開催を喜べるわけがない。
心から信頼している人が、悪事に手を染めていたと分かった時の悲しみは、どれだけのものか。
それが分かるからこそ、深く項垂れたままの子爵に、どう声をかけていいか分からなかった。
「まさか、ガディオ伯爵が人身売買にからんでた上に、嫌がらせもしてたなんてね……」
僕は事務会館から戻り、自室のソファに力なく座っていた。
エヴァンが淹れてくれた紅茶は、いつも通りおいしいはずなのに、どこか味が遠く感じる。
「野心的な方だとは思っていましたが、犯罪行為にまで加担していたとは……。結局は、お父上よりも破滅的な人生を歩むことになってしまいましたね」
エヴァンが呆れをにじませた声で言う。
宰相の座を狙い、不正行為を繰り返して失脚した、前ガディオ伯爵。
そんな父の姿を見ていただろうに。
この地で屋台骨と呼ばれるまでに実力をつけ、ゴーチェ子爵からは息子のように可愛がられ。
金銭に困ることもなかっただろうに、何故――
「……テオドール様に危害を加えたことは、どれだけ重い刑に処されたとしても、絶対に許せません」
エヴァンの隣に立つフレデリクが、深い怒りをあらわにしながら言葉をつむぐ。
「視察時の桟橋で……もしテオドール様に樽がぶつかっていたらと思うと、今でも身の毛がよだつ思いがします」
「フレデリク……」
確かに、受け身の一つもとれない僕にぶつかっていたら、怪我ではすまなかったかもしれない。
「あの件も、ガディオ伯爵が主導していたという話ですが、嫌がらせの範疇を完全に超えていて、テオドール様の御命を狙っていたとしてもおかしくはありませんね」
「まさか、そこまでは考えてなかったと思うけど……」
エヴァンの発言に曖昧に答えると、フレデリクが眉根をよせた。
「そういう可能性があった時点で、狙っていたも同然です」
フレッド、すごく怒ってるな……。
今にも剣を抜いて、ガディオ伯爵に突きつけそうな様相のフレデリク。
かつて、同じ師のもとで修業していて、見知った仲であることも大きいだろう。
「色々と思うところはあるけど、人身売買を阻止できて、嫌がらせも止められたからよかったよ。リヴィオさんが困り果ててたもんね」
「嫌がらせの被害額は、かなりのものになっていたようですから。テオドール様も、外出制限がなくなって一安心ですね」
「うんっ! まだラオネスをしっかりと楽しめてないから、これからだよ!」
エヴァンと二人で話を逸らしてみたものの、フレデリクの眉間の皺はとれない。
「街で買い物もしてみたいなぁ。王都の時みたいに、またフレデリクにお世話になるね」
「ええ。お任せください」
優しく微笑んではくれたけど、碧い瞳に宿る怒りは、しばらく冷めそうにない。
僕は『バッツィーニ伯爵がまさかの王弟!?』の話をしたかったが、断念した。
今、彼の話なんか出したら、火に油を注ぐようなものだろう。
「ゴーチェ子爵は、気の毒なほどに憔悴していたね……」
僕は王弟殿下の件ではなく、もう一つの話したかったことを口にした。
「ご家族同然に思っていらっしゃったのですから、衝撃は相当なものでしょうね。奥様は随分前に亡くなられており、一人息子であるご嫡男とは折り合いが悪く、十年前に出奔されたと聞いております」
エヴァンの情報に、僕は胸が苦しくなった。
「じゃあ……子爵はずっと、ご子息が消息不明のまま、補佐の仕事を頑張っていたんだ……」
「ええ。そんな時にガディオ伯爵が現れて……共に仕事をするうちに、父親のような気持ちになったのでしょう」
「ご子息と重ねていたのかもしれないね……」
この地でどんどん実力をつけていく若き伯爵を、喜びと共に見守っていただろう子爵。
それを思うと、どうしようもない憤りを、尚のこと感じてしまう。
「誰かに心から必要とされるって、奇跡みたいにすごいことなのに……」
どうして、信頼し合う子爵や兄と共に、ラオネスを誠実に支えていくことができなかったのか。
どうして――
心に押しよせるやるせない気持ちに、僕は静かに瞼を閉じることしかできなかった。
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