36 / 61
34話
しおりを挟む
兄の硬い声に、伯爵は不思議そうな顔をした。
「仮面? 一体、何のことでしょうか」
「……レナルレ王国の先王陛下は、女性に対して非常に奔放な御方であられたとか。幾人もの側妃をお迎えになるために、王族の婚姻に関する法律を、強引に改正なさったというのは、有名な話です」
僕は初耳だ。
「その結果、と言えば無粋な表現ですが、現在の国王陛下には、多くのご兄弟がいらっしゃる。中には非公認の方もおられるようですね。その方は一貴族として暮らしながら、陛下の命令で様々な活動を行っていると」
伯爵が派手に笑った。
「さすがは大国ロベルティアの誉れ高き王子殿下でいらっしゃる。注意深く隠していたつもりなのですが」
「伯爵。いえ……王弟殿下とお呼びした方がよろしいですか?」
「非公認ですので、それは勘弁していただきたい」
ええええええええええ!?!?!?
バッツィーニ伯爵がレナルレ国王の弟!?!?!?
僕は衝撃の事実に驚愕した。
前に国王の命令で動いてるって言ってたけど、まさか弟だとは思わないじゃんっ!!
「血縁上ではそういうことになりますが、私はこれからも一伯爵に過ぎませんので、どうかこのことはご内密に」
「ええ。そこはご安心ください。しかし、あなたが諜報目的で我が国に滞在するのならば話は別です」
「私はそういった活動は好みません。例え、国王陛下のご命令であっても断りますよ。どうかご安心ください」
伯爵は微笑みながら兄に即答した。
どこか胡散臭かったが、領主である第二王子から釘を刺されたのだ。
王弟である彼が、嘘をついてまで諜報活動をすることはないだろう。
「それはさておき。今回の件は、ゴーチェ子爵にとって悲しい真実となってしまいましたが、進水式の前に解決が見えてよかったですね」
「ええ。中止も考えていたので、安堵しましたよ」
伯爵の言葉に同調すると、兄は優しい眼差しを、僕に向けた。
「テオには、進水式を楽しんでもらいたかったからね」
「この間、乗せてもらった船ですよね?」
「うん。あの船は、うちといくつかの商会や商人が共同出資していてね。進水式は盛大にしたいって話が出ていたから、大規模なものを予定しているんだ」
「そうなんですね……」
前から楽しみにしていた進水式。
中止にならなくて嬉しかったが、ゴーチェ子爵の手前、僕は静かに返事をした。
傷心している彼を前に、式典の開催を喜べるわけがない。
心から信頼している人が、悪事に手を染めていたと分かった時の悲しみは、どれだけのものか。
それが分かるからこそ、深く項垂れたままの子爵に、どう声をかけていいか分からなかった。
「まさか、ガディオ伯爵が人身売買にからんでた上に、嫌がらせもしてたなんてね……」
僕は事務会館から戻り、自室のソファに力なく座っていた。
エヴァンが淹れてくれた紅茶は、いつも通りおいしいはずなのに、どこか味が遠く感じる。
「野心的な方だとは思っていましたが、犯罪行為にまで加担していたとは……。結局は、お父上よりも破滅的な人生を歩むことになってしまいましたね」
エヴァンが呆れをにじませた声で言う。
宰相の座を狙い、不正行為を繰り返して失脚した、前ガディオ伯爵。
そんな父の姿を見ていただろうに。
この地で屋台骨と呼ばれるまでに実力をつけ、ゴーチェ子爵からは息子のように可愛がられ。
金銭に困ることもなかっただろうに、何故――
「……テオドール様に危害を加えたことは、どれだけ重い刑に処されたとしても、絶対に許せません」
エヴァンの隣に立つフレデリクが、深い怒りをあらわにしながら言葉をつむぐ。
「視察時の桟橋で……もしテオドール様に樽がぶつかっていたらと思うと、今でも身の毛がよだつ思いがします」
「フレデリク……」
確かに、受け身の一つもとれない僕にぶつかっていたら、怪我ではすまなかったかもしれない。
「あの件も、ガディオ伯爵が主導していたという話ですが、嫌がらせの範疇を完全に超えていて、テオドール様の御命を狙っていたとしてもおかしくはありませんね」
「まさか、そこまでは考えてなかったと思うけど……」
エヴァンの発言に曖昧に答えると、フレデリクが眉根をよせた。
「そういう可能性があった時点で、狙っていたも同然です」
フレッド、すごく怒ってるな……。
今にも剣を抜いて、ガディオ伯爵に突きつけそうな様相のフレデリク。
かつて、同じ師のもとで修業していて、見知った仲であることも大きいだろう。
「色々と思うところはあるけど、人身売買を阻止できて、嫌がらせも止められたからよかったよ。リヴィオさんが困り果ててたもんね」
「嫌がらせの被害額は、かなりのものになっていたようですから。テオドール様も、外出制限がなくなって一安心ですね」
「うんっ! まだラオネスをしっかりと楽しめてないから、これからだよ!」
エヴァンと二人で話を逸らしてみたものの、フレデリクの眉間の皺はとれない。
「街で買い物もしてみたいなぁ。王都の時みたいに、またフレデリクにお世話になるね」
「ええ。お任せください」
優しく微笑んではくれたけど、碧い瞳に宿る怒りは、しばらく冷めそうにない。
僕は『バッツィーニ伯爵がまさかの王弟!?』の話をしたかったが、断念した。
今、彼の話なんか出したら、火に油を注ぐようなものだろう。
「ゴーチェ子爵は、気の毒なほどに憔悴していたね……」
僕は王弟殿下の件ではなく、もう一つの話したかったことを口にした。
「ご家族同然に思っていらっしゃったのですから、衝撃は相当なものでしょうね。奥様は随分前に亡くなられており、一人息子であるご嫡男とは折り合いが悪く、十年前に出奔されたと聞いております」
エヴァンの情報に、僕は胸が苦しくなった。
「じゃあ……子爵はずっと、ご子息が消息不明のまま、補佐の仕事を頑張っていたんだ……」
「ええ。そんな時にガディオ伯爵が現れて……共に仕事をするうちに、父親のような気持ちになったのでしょう」
「ご子息と重ねていたのかもしれないね……」
この地でどんどん実力をつけていく若き伯爵を、喜びと共に見守っていただろう子爵。
それを思うと、どうしようもない憤りを、尚のこと感じてしまう。
「誰かに心から必要とされるって、奇跡みたいにすごいことなのに……」
どうして、信頼し合う子爵や兄と共に、ラオネスを誠実に支えていくことができなかったのか。
どうして――
心に押しよせるやるせない気持ちに、僕は静かに瞼を閉じることしかできなかった。
「仮面? 一体、何のことでしょうか」
「……レナルレ王国の先王陛下は、女性に対して非常に奔放な御方であられたとか。幾人もの側妃をお迎えになるために、王族の婚姻に関する法律を、強引に改正なさったというのは、有名な話です」
僕は初耳だ。
「その結果、と言えば無粋な表現ですが、現在の国王陛下には、多くのご兄弟がいらっしゃる。中には非公認の方もおられるようですね。その方は一貴族として暮らしながら、陛下の命令で様々な活動を行っていると」
伯爵が派手に笑った。
「さすがは大国ロベルティアの誉れ高き王子殿下でいらっしゃる。注意深く隠していたつもりなのですが」
「伯爵。いえ……王弟殿下とお呼びした方がよろしいですか?」
「非公認ですので、それは勘弁していただきたい」
ええええええええええ!?!?!?
バッツィーニ伯爵がレナルレ国王の弟!?!?!?
僕は衝撃の事実に驚愕した。
前に国王の命令で動いてるって言ってたけど、まさか弟だとは思わないじゃんっ!!
「血縁上ではそういうことになりますが、私はこれからも一伯爵に過ぎませんので、どうかこのことはご内密に」
「ええ。そこはご安心ください。しかし、あなたが諜報目的で我が国に滞在するのならば話は別です」
「私はそういった活動は好みません。例え、国王陛下のご命令であっても断りますよ。どうかご安心ください」
伯爵は微笑みながら兄に即答した。
どこか胡散臭かったが、領主である第二王子から釘を刺されたのだ。
王弟である彼が、嘘をついてまで諜報活動をすることはないだろう。
「それはさておき。今回の件は、ゴーチェ子爵にとって悲しい真実となってしまいましたが、進水式の前に解決が見えてよかったですね」
「ええ。中止も考えていたので、安堵しましたよ」
伯爵の言葉に同調すると、兄は優しい眼差しを、僕に向けた。
「テオには、進水式を楽しんでもらいたかったからね」
「この間、乗せてもらった船ですよね?」
「うん。あの船は、うちといくつかの商会や商人が共同出資していてね。進水式は盛大にしたいって話が出ていたから、大規模なものを予定しているんだ」
「そうなんですね……」
前から楽しみにしていた進水式。
中止にならなくて嬉しかったが、ゴーチェ子爵の手前、僕は静かに返事をした。
傷心している彼を前に、式典の開催を喜べるわけがない。
心から信頼している人が、悪事に手を染めていたと分かった時の悲しみは、どれだけのものか。
それが分かるからこそ、深く項垂れたままの子爵に、どう声をかけていいか分からなかった。
「まさか、ガディオ伯爵が人身売買にからんでた上に、嫌がらせもしてたなんてね……」
僕は事務会館から戻り、自室のソファに力なく座っていた。
エヴァンが淹れてくれた紅茶は、いつも通りおいしいはずなのに、どこか味が遠く感じる。
「野心的な方だとは思っていましたが、犯罪行為にまで加担していたとは……。結局は、お父上よりも破滅的な人生を歩むことになってしまいましたね」
エヴァンが呆れをにじませた声で言う。
宰相の座を狙い、不正行為を繰り返して失脚した、前ガディオ伯爵。
そんな父の姿を見ていただろうに。
この地で屋台骨と呼ばれるまでに実力をつけ、ゴーチェ子爵からは息子のように可愛がられ。
金銭に困ることもなかっただろうに、何故――
「……テオドール様に危害を加えたことは、どれだけ重い刑に処されたとしても、絶対に許せません」
エヴァンの隣に立つフレデリクが、深い怒りをあらわにしながら言葉をつむぐ。
「視察時の桟橋で……もしテオドール様に樽がぶつかっていたらと思うと、今でも身の毛がよだつ思いがします」
「フレデリク……」
確かに、受け身の一つもとれない僕にぶつかっていたら、怪我ではすまなかったかもしれない。
「あの件も、ガディオ伯爵が主導していたという話ですが、嫌がらせの範疇を完全に超えていて、テオドール様の御命を狙っていたとしてもおかしくはありませんね」
「まさか、そこまでは考えてなかったと思うけど……」
エヴァンの発言に曖昧に答えると、フレデリクが眉根をよせた。
「そういう可能性があった時点で、狙っていたも同然です」
フレッド、すごく怒ってるな……。
今にも剣を抜いて、ガディオ伯爵に突きつけそうな様相のフレデリク。
かつて、同じ師のもとで修業していて、見知った仲であることも大きいだろう。
「色々と思うところはあるけど、人身売買を阻止できて、嫌がらせも止められたからよかったよ。リヴィオさんが困り果ててたもんね」
「嫌がらせの被害額は、かなりのものになっていたようですから。テオドール様も、外出制限がなくなって一安心ですね」
「うんっ! まだラオネスをしっかりと楽しめてないから、これからだよ!」
エヴァンと二人で話を逸らしてみたものの、フレデリクの眉間の皺はとれない。
「街で買い物もしてみたいなぁ。王都の時みたいに、またフレデリクにお世話になるね」
「ええ。お任せください」
優しく微笑んではくれたけど、碧い瞳に宿る怒りは、しばらく冷めそうにない。
僕は『バッツィーニ伯爵がまさかの王弟!?』の話をしたかったが、断念した。
今、彼の話なんか出したら、火に油を注ぐようなものだろう。
「ゴーチェ子爵は、気の毒なほどに憔悴していたね……」
僕は王弟殿下の件ではなく、もう一つの話したかったことを口にした。
「ご家族同然に思っていらっしゃったのですから、衝撃は相当なものでしょうね。奥様は随分前に亡くなられており、一人息子であるご嫡男とは折り合いが悪く、十年前に出奔されたと聞いております」
エヴァンの情報に、僕は胸が苦しくなった。
「じゃあ……子爵はずっと、ご子息が消息不明のまま、補佐の仕事を頑張っていたんだ……」
「ええ。そんな時にガディオ伯爵が現れて……共に仕事をするうちに、父親のような気持ちになったのでしょう」
「ご子息と重ねていたのかもしれないね……」
この地でどんどん実力をつけていく若き伯爵を、喜びと共に見守っていただろう子爵。
それを思うと、どうしようもない憤りを、尚のこと感じてしまう。
「誰かに心から必要とされるって、奇跡みたいにすごいことなのに……」
どうして、信頼し合う子爵や兄と共に、ラオネスを誠実に支えていくことができなかったのか。
どうして――
心に押しよせるやるせない気持ちに、僕は静かに瞼を閉じることしかできなかった。
33
お気に入りに追加
647
あなたにおすすめの小説

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる