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25話

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「テオ……本当に、本当にごめんね……」
「兄上……」

僕が海に落ちたと聞いて、顔色を変えて駆けつけてきた兄のクロードが、沈痛な面持ちで頭をさげてくる。
入浴を終えて自室のベッドで横になっていた僕は、ちょっと居たたまれない気持ちになった。
僕がベッドにいるのは、海に落ちたからではない。
フレデリクとの濃い情交により、腰に力が入らないからだった。

「兄上。どうか謝らないでください。大事をとって横になっていますが、僕に怪我はありません」

僕はベッドから上半身を起こした。

「ただ、フレデリクが背中に怪我を……」

そう言いながら、僕は傍に立つフレデリクに視線を向けた。
きっと、あまり大事にはしたくないだろう。
だけど、あんなひどい怪我を、兄に報告しないわけにはいかなかった。

「大した怪我ではありませんので、ご心配は不要です」

フレデリクは端的に答えると、申し訳なさそうな顔をしている兄に、軽傷だと強調していた。
あんなにひどい打ち身、全くもって軽傷とは言えない。
でも、話が大きくなることを望んでいないフレデリクの気持ちを考えて、僕は何も言わなかった。

「完全に嫌がらせの域を超えてる。テオをこんな危険な目に遭わせて……フレデリクも本当にすまない」

謝罪を重ねる兄に、僕は胸がしめつけられる思いがした。

「兄上……。兄上が責任を感じることなんて、何もありませんよ」
「公務を中止にする判断ができなかった、俺の責任だ」
「嫌がらせに屈して中止にしていたら、ラオネスの外交が滞ってしまいますよ。それで……今回の騒動も、金銭で雇われていた人の仕業だったのですか?」
「樽を固定していたロープを外したのは、子供だったよ」
「え……子供?」

固定されたロープを外したのは、漁師の息子だったそうだ。
毎日のように港で父の手伝いをしている子で、僕が視察をしている時も、いつも通り仕事に励んでいたという。
誰もが見知っている上に小さな子供。港の人夫や警備の騎士も、その子に対して特に警戒はしていなかった。

「馴染みの子なら、まさか突然ロープの固定を外すなんて、誰も思いませんよね」
「そうなんだよ。普段は出荷用の樽に触ることもなかったようだからね。でも、今日は違った……。荷を船に積むからロープの固定を外してと、その子に頼んだ者がいたんだ。子供でも外せるようになっているから、とね」

実際、弱い力で解除できるように固定具には細工がされていたようだ。
そして、荷崩れが起こりやすいように樽の位置もずらされていた。
もちろん、一つだけではなく、いくつかの荷山が同じように。
僕が桟橋のどの辺りに立っても、事故を起こせるようにしていたのだろう。

「頼んだ者というのは、見つかったのですか?」
「人夫の格好をしていたけど、顔は見覚えのない男だったそうだよ。今、総力をあげて捜索中だ」
「そうですか……。今、その子は……?」
「事情を聴き終えて、今は家に戻っているよ」

本人も家族も、さぞかし驚いて、不安を感じていることだろう。

「お父さんの仕事を一生懸命手伝っていた子に、こんなひどい仕打ちを……」

その子の心の内を思うと、胸が重くなる。
だまされたとはいえ、自分のせいで誰かが海に落ちたとなれば、辛い思いをしているはずだ。
それが王子と騎士となれば、尚更だ。

「言うまでもないことですが、僕はその子や家族を罪には問いません」

フレデリクに視線を向けると、彼も頷いてくれた。

「どうか穏便に事を運んでいただきたいです。その子や家族が、今回の件で責められることがなければいいのですが……」

だまされたことが周知され、僕が罪に問わなかったとしても、王子と専属騎士を海に落としてしまったことには変わりない。
理不尽な仕打ちを受けてしまう可能性は大いにありえる。

「あの子たち家族が、辛い境遇にならないように尽力するよ」

心配する僕を安心させるように、兄は穏やかに微笑んだ。

「ありがとうございます。兄上」
「いや……。俺は、礼を言われるような領主じゃないよ」

兄が細くため息をついた。

「嫌がらせについても、ギルドや商人たちから不安の声がずっと出ているというのに……。本当に自分の無能さには呆れるよ。相手方が、テオに卑劣な行為をしかけた理由も分かってるんだ」
「え……?」
「俺を領主の身から退しりぞかせようとしている。続く嫌がらせも、それが目的だろう」

僕は、兄の言葉に息をのんだ。

「例の人身売買の件も含めて、色々と俺が邪魔なんだ」
「だからって、こんなこと……」
「王子であり弟であるテオの身に何かあれば、俺の重大な責任問題だ。領主を退任させる大きなきっかけの一つになる。小さな嫌がらせを続けるより、テオに危害を加える方が、俺を追い詰めるには、効率がいいと言えるだろう」
「じゃあ、僕は……兄上をおとしいれる道具にされたってことですか……?」

兄は硬い表情で瞼を伏せた。

「……父上の意向には逆らうことになるけど、テオは王都に戻った方がいい。今のラオネスは、テオにとって危険だ」
「嫌ですっ。兄上が辛い目に遭っているというのに、僕だけ逃げろっていうんですか!?」
「でも、またテオが狙われたら――」
「兄上っ……」

僕は、ぎゅっと強く掛布を握りしめた。

「僕が兄上の足を引っ張る存在になっていることは分かっています。ここで素直に王都に帰った方が、これ以上のご迷惑をかけずにすむことも……。でも、僕は絶対に帰りません。兄上は大切な家族なんです。僕は苦しい思いをしている大事な人に背を向けることは、もう二度としたくない……」

十九年間、僕は側にいてくれる人の思いを全て踏みつけて、大切にしなかった。
そして、前世の記憶がよみがえってからも、大事な人の苦しみに気づけなかった。

「僕はこれまで……ひどい弟でした。兄上の思いやりをずっとないがしろにしてきた僕に、決して口にする資格のない言葉だと思います。だけど……僕はもう後悔したくありません。大切な人とちゃんと向き合って……深い悲しみの中にあれば一緒に泣き、困難があれば一緒に立ち向かいたいのです」

僕は、言葉を失っている兄に懇願した。

「兄上……どうかお願いです。僕にも共に立ち向かわせてください……少しでも、兄上の役に立ちたいのです」
「テオ……」

兄が嬉しそうに、そして少し泣きそうに、アメジストの目を細めた。

「……テオがこんなにも俺のことを大切にしてくれるなんて……嬉しくて涙が出そうだ」

優しく微笑むと、兄は僕の頭を優しく撫でてくれた。

「ありがとう。テオが一緒に戦ってくれると、百人力だね」
「それは過大評価ですよ……!」
「そう? 俺からすると、戦神タリゼオンよりも心強いけどな」
「言いすぎですって」

そう言うと、兄が楽しそうに笑った。
その温かい笑顔が嬉しくて、僕も釣られたように笑みを浮かべた。










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