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18話

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ドラントは、ロベルティア王国の海から南方の海域に、群れで分布している回遊魚だ。
その群れはとてつもなく巨大で、王国内の海沿いの街や村は、どこもドラント漁に精を出している。
漁獲されたドラントのほとんどは様々な保存食に加工されるのだが、中でも断トツの加工量を叩きだしているのが塩漬けだ。
樽の中で塩水に漬けられたドラントは、国内はもとより、陸路、海路を経て、大陸各国へと輸出されている。
ロベルティア王国では、莫大な利益をあげる主力輸出品の一つだ。
当然、ここラオネスでも、ドラント漁は非常に盛んであり、加工工場も規模が大きかった。

「第三王子殿下。本日は、ようこそおいでくださいました」

少し緊張しながら迎えた、初めての公務の日。
加工工場のある港に到着して、フレデリクの手をとって馬車から降りると、視察の関係者がずらりと並んで、僕を待っていた。
きっと、工場の責任者や関連する貴族や商人、ギルドの職員が集まっているのだろう。

他国の人もいるって兄上が言ってたし、失礼のないようにしないと……!

工場長から慇懃いんぎんな挨拶を受けながら面々を見ると、歓迎の夜会で目にした人もいる。
その中に、フレデリクが無関心なガディオ伯爵もいた。

「港と工場は隣接しているのですね」

僕は、工場長に無難な微笑みを向けてから、周囲を眺めた。
大きな港には、様々な帆船が接岸しており、数多の水夫が荷の上げ下ろしをしている。
その向こうに見える広い桟橋には、これでもかという数の塩漬けらしき樽が積まれていた。

「ドラントは非常に傷みやすい魚なので、水揚げ後、すぐに加工しなければなりません。その為、直送で持ち込めるようにしているのですよ」

僕は背後を振り返る。
目の前には、石造りの大きな工場が鎮座していた。
この中で、大量のドラントが、毎日樽に詰められているのだ。

「まずは工場内に、と申しあげたいところなのですが、中ではドラントの内臓や小骨を取り除く作業を行っているので、非常に臭いが強烈でして……」

工場長が、そう言いながら苦笑する。

「加工の様子は、外からの軽いご説明に留めさせていただきたいと思います。出荷の過程は、しっかりとご案内いたしますので」

何だって!?

王子に生臭いところを見学させるわけにはいかないと言うのか。
その気持ちは分からないでもないが、今日の目的は工場の視察なのだ。

臭いを嫌がってたら意味がないっ!

「せっかく来たので、是非見せていただきたいです! 臭いは我慢しますから」
「しかし――」
「加工工場の視察で、加工の現場を見ないのは、いかがなものかと思いますっ」
「ですが――」
「おねがいしますっ」

渋る工場長を押して押して押しまくると、どうにか頷いてくれた。

「……かしこまりました。初めて工場に入る際に、臭いで気分が悪くなる者もおりますので、殿下もどうかご無理はなさらないようにお願いいたします」
「はいっ。ありがとうございます!」

満面の笑みでお礼を口にしたのだが、工場長は不安がぬぐえないのか、曇った表情をしている。
ちょっと申し訳なくなったところで、港の方からやってきた水夫が、彼にそっと耳打ちをした。

「ちょうど、ドラントの水揚げが行われるようなので、工場は、そちらを先にご覧いただいてからにしましょう」

そう言って、工場長は僕たちを漁船へ案内しはじめた。
どうやら、工場見学は後回しにされてしまったようだ。

工場長ったら、そんなに嫌がらなくてもいいのに。
まぁ、魚の加工を進んで見ようとする王族なんて、僕ぐらいだろうけどさ!

関係者たちとそろって歩きながら、僕は仕事に専念している人々に目をやった。
造船場でも思ったけど、懸命に作業をしてる人を見るのは気持ちがいい。
荷を運ぶ人。船を操る人。漁の準備をする人。
色んな人が、時には荒々しく声をかけ合いながら、港を運営している。
ほとんど城から出ない生活をしていたら、絶対に見られない光景だ。

本当、ラオネスに来てよかったなぁ。

しみじみとこの地に滞在する喜びを噛みしめていると、側を歩くガディオ伯爵と目が合った。

「夜会の時以来ですね。ガディオ伯爵」

すぐに目を逸らすのも気まずかったので話しかけてみると、完璧な微笑みを返される。

「はい。殿下にお会いできない日々が続いて、残念に思っておりました」
「随分とお忙しいのでしょう?」
「船舶関係のギルドには威勢のいい者が多くて、私のような若輩者は翻弄ほんろうされる日々ですね」

そう言いながらも、彼の微笑みからは余裕が見える。
デキる男の謙遜ってやつか。

「伯爵が優秀でいらっしゃるから、ギルドの方々もつい無理を言ってしまうのかもしれませんね」
「ありがとうございます。私には身に余るお言葉をいただき、恐縮の限りです」
「身に余るだなんて。兄上も伯爵のことを一目置いていらっしゃるようですし。ガディオ家の躍進は素晴らしいですね」

率直に言葉をつむぐと、伯爵の微笑みに自嘲の色が混ざった。

「……天の国にいる亡き父は、ガディオ家の現状を許しがたく思っていることでしょう。そもそも、私のすることには全て反対する人でしたから」
「え……」

思わぬ話の内容に言葉を失うと、伯爵はきれいに表情を整えた。

「申し訳ありません。殿下からのご高配をたまわっておきながら、不躾なことを」
「いえ、そんな――」
「殿下。こちらの漁船です」

伯爵にかけようとしていた言葉が、工場長の声にかき消される。
一隻の中型帆船の前に到着して、僕たちの意識はそちらに吸いよせられた。
かなり年期の入った船だが、よく手入れされているのが見てとれる。
建造中の大型船も見応えがあったが、運行中の漁船を見るのも胸が躍った。
縄具をつかみ、手際よく帆をたたんでいる水夫に感動していると、船と岸壁を結ぶ簡素な木製のタラップを器用に渡って、数多の人夫が荷役をはじめた。
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