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15話

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それから数日経ったが、あのネズミは誰が仕込んだのか分からなかった。
闘犬の方は、檻の近くにいた不審者を目撃した人がいたらしく、その情報をもとに捜査を進めているという。

「今度は、実行した人だけじゃなくて、嫌がらせを画策してる人も捕まってほしいね」

僕は広いバルコニーにテーブルセットを置いてもらって、ティータイムを楽しんでいた。
今日は、お気に入りの紅茶にレモンを浮かべて、レモンティーにしている。
爽やかな風味が、ラオネスの気候にぴったりだった。

「僕にまで嫌がらせをして、一体何がしたいんだろうね。それほど、兄上が領主なのが嫌なのかな……」

レモンの輪切りを、そっと紅茶からすくいあげて脇に置くと、僕は側に控えている騎士と侍従に視線をうつした。

「クロード様は、ラオネスの人々に喜んで迎え入れられた経緯があります。この辺りを治めておられる地方長官は非常に高齢な方で、補佐のゴーチェ子爵は真面目で勤勉な方ですが、国内屈指の商業都市を支えて発展させるだけの器量は、正直お持ちではない。そのような中で、若く才気に溢れた王子殿下が領主となられ、民は喜びに沸き立ちました」
「そうだったんだ……」

エヴァンの説明に、僕は聞き入った。

「クロード様ご自身は、そんな状況に甘えることなく、謙虚なお考えをお示しになりながら領主業に励んでおられます。歴史ある商人の都市で、よそ者である自分は常に学ぶ側であると……。だからこそ、今回の一連の嫌がらせは、犯人が見つけづらいという背景があります」
「なるほど。ゴーチェ子爵も言ってたけど、目に見える反対勢力が存在しようがないから、逆に犯人が判明しにくく、捜査が難航するってことか……」

腕を組んで思考に沈もうとしたところで、僕の頭の中に疑問符が沢山浮かんだ。

んんっ???
エヴァン、やけに詳しくない???
それに、兄上のことを名前で呼んでるし……どういうことっ!?

「あの、エヴァン……何でそんなに詳しいの? それに、兄上に名前を許されてるって知らなかったよ……」

まさか、エヴァンまで一緒に釣りをしたなんて言わないだろう。
僕は侍従のはしばみ色の瞳をまっすぐに見据えて、静かに詰めよった。

「実は……私は長らくアルフィオ様の密偵でした。クロード様のもとでも少しばかり活動しておりまして、その時に御名前をお許しいただいております」
「密偵!? エヴァンが!?」

僕は驚きの真実に目を丸くした。
だから、兄とラオネスについても事情通だったのか。

「え、じゃあ、密偵から僕の侍従に?」
「はい。アルフィオ様から打診を受けまして」

密偵から侍従だなんて、すさまじい転身だ。
打診をする兄もすごい判断である。それだけ、エヴァンが優秀だったということだろう。

「今更だけど……よかったの?」

普段は秘密裏に活動しているとはいえ、密偵もきちんとした側近の一人だ。
王太子つきならば、それはつまり超絶エリート。
誰もが羨む地位だ。

「はい。私が是非にと受諾しました。アルフィオ様が私を推薦してくださって、今でも感謝しております」
「でも、王太子の側近から僕って……」

格下げ感が半端ではない。
どうしても申し訳なさが先立ってしまう僕に、エヴァンは微笑んだ。

「私はしがない男爵家の人間です。テオドール様にお仕えできることは身に余る光栄ですよ。経緯はどうであれ、私は侍従として非常に充足した日々を送っておりますし、自身の選択に後悔はありません」
「……本当?」
「ええ、本当です。今は侍従の身ですが、テオドール様が命じてくだされば、密偵としても動きますよ」
「えっ! それって、僕の密偵ってことだよねっ!?」

僕は、思わずエヴァンの方に身を乗りだした。

「僕ね、ずっと自分の密偵を持つことに憧れてたんだ!」
「では、今後は密偵としても、私をお使いください」
「わっ! 嬉しいな! って言っても、僕が陰の立役者である密偵を動かすことなんてなさそうだけど……でも、エヴァンという侍従兼密偵がいてくれるってだけで心強いもんね!」
「ありがとうございます」

礼を言いながら笑みを深めるエヴァンに、僕は続ける。

「普段は侍従として働きながら、実は密偵としての顔も持ってるなんて、すごく格好いいね!」

二つの顔を持つ男!
なんてミステリアスな響きだろうか。

「物語の魅力的な主人公みたいだ!」

あるときは侍従。
そして、またあるときは……なんて!

「テオドール様……」
「ん?」

おおいに盛りあがっていると、笑みを浮かべたままのエヴァンが、そっと僕を呼ぶ。
そして、彼の視線が隣に立つ騎士に向けられた。

うわぁぁっ……!!!!!
しまったぁ!!!!!!!

フレデリクの前で、誰かを過度に褒めるのは厳禁だった。
特に身近な男性を褒めると、すぐにジェラシーフレデリクと化してしまうのだ。

僕の密偵だって思って、つい興奮しちゃった。

静かに騎士をうかがい見ると、感情の読めない碧い瞳と視線がぶつかった。

ああ……ご機嫌ななめだ。

フレデリクは僕と目が合うと、いつだって優しい表情を返してくれる。
それがないということは……そういうことだ。

どうしよう。今度はフレッドを褒めちぎればいいかな……。

そんな単純極まりないご機嫌とりを考えていた僕の耳に、扉のノック音が届いた。
何だろうか。今日は一つも予定は入っていないはずだが。

「バッツィーニ伯爵がお会いしたいとのことで、こちらにいらっしゃっています」

侍女からエヴァンへもたらされた言伝を聞いて、僕は驚いた。
フェロモンむんむんな伯爵の微笑みが脳裏をよぎる。

「突然ですし、お断りしましょうか」
「いや、いいよ。今日はずっとのんびりしてるしね。応接間にお通しして」

僕は椅子から立ちあがった。
次の機会に話そうとは言ってあったが、まさか謁見の申し込みをされるとは思わなかった。

「王子殿下に気軽に謁見を願うとは――」

フレデリクがトゲトゲした声で、何やら言っている。

……次から次へと。
今日は完全に、専属騎士のご機嫌ななめな日だ。
それでなくても、フレッドとバッツィーニ伯爵って相性悪そうだもんなぁ。









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