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10話
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部屋に戻ると、いくつかあるうちの、一番小さなシャンデリアにしか明かりが灯っていなかった。
エヴァンは、僕が夜会に出ている間に、館の使用人たちと打ち合わせをすると言っていた。
侍従の予想より早く帰ってきてしまったようだ。
「フレッド。また、ご機嫌ななめになってるでしょ~」
小さなシャンデリアの優しい光の中で、僕はフレデリクを見上げた。
「バッツィーニ伯爵は、僕の印象に残るような挨拶をしてくれただけだよ」
「いや。あの伯爵はテオに色目を――」
「そんなわけないって」
「テオはそういうことに鈍感なんだ」
「フレッドが敏感すぎなんだって!」
そう言うと、フレデリクに両肩をつかまれた。
「頼むから、自分の魅力と影響力に、ちゃんと気づいてくれ」
アクアマリンの瞳が、切実な光を宿して僕を見つめてくる。
その気迫が何だかおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。
「兄上たちじゃないんだから。すごく痩せたり、リーフェの騒動があったりして、色もの扱いで注目を浴びてるだけだよ」
僕の言葉に、白皙の美貌が思いきり不服そうな表情を見せる。
フレデリクの中で、僕は一目で誰をも魅了するモテモテ王子になっているみたいだ。
「痩せて大人しくなったからって、悪名高い僕に色目を使う人なんているわけないよ。それより、ちょっとバルコニーに出ようよ」
承服いたしかねているフレデリクを、僕はバルコニーに誘った。
この館はわずかだが高台に建っており、二階にある僕の部屋には広いバルコニーがついている。
部屋から一歩踏み出すと、しっとりとした潮風が僕たちを包んだ。
明かりがちらほらと見えるラオネスの街の向こうには、月光を反射して美しい輝きを放つ夜の海が広がっていた。
本来なら、穏やかな波の音も聞こえるはずだが、夜会の舞曲が重なって、その存在は儚いものとなっていた。
「……さっきはダンスを断ってくれてありがとね」
僕は月を見上げながら言った。
強い光を放つそれは綺麗な真ん丸。
今晩は満月だった。
「僕がダンスを避けてるって、フレッドにはお見通しだったよね……」
僕は苦笑した。
「さすがに今晩は踊らないといけないなって、思い切ろうとしてたから」
「嫌なら踊る必要はないんじゃないか?」
「……そうかな。王子の嗜みでしょ? 拒否するなんて……僕のわがままだ」
僕は視線を落として、バルコニーの欄干に乗せた自分の手を見つめた。
「思い出すんだ……。僕がダンスに誘ったら、みんなが嫌がってた。僕なんかと踊りたくない、気持ち悪いって。分かってるんだよ……そんなに嫌がられてたのは、自分の容姿や素行のせいだって……」
今朝、見た夢が脳裏をよぎる。
謹慎を命じられて、フレデリクに暴力をふるう最低な自分。
あれはただの夢ではなく、過去の記憶だ。
不健康に太りつづけて、高慢な心を省みもせずに。
ぶちぶちとボタンを飛ばしながら専属騎士につかみかかるなんて、もはや王都の醜いモンスターであり、嫌われて然るべき存在だ。
「でも、どうしても……悲しい気持ちになるんだ……」
流れていた舞曲が終わりを迎えて、穏やかな波の音が耳に届いた。
「自分勝手な感傷だって呆れるよね……全部、僕が悪いのに被害者ぶって……」
これから第三王子として頑張っていかなければという時に、こんな些細なことに囚われている自分が情けない。
顔を伏せたままでいると、僕の目の前にフレデリクの右手が差し出された。
「テオドール王子殿下。どうか私と踊っていただけませんか?」
「え……?」
突然の誘いに思わず視線をあげると、フレデリクが微笑んでいた。
月の光を浴びて、キラキラと輝くアクアマリンの瞳。
美丈夫にまっすぐ見つめられて、胸の鼓動が増していく。
「私は華やかな社交の場など全く縁がなく、ダンスは非常に不得手ですが……ずっと、テオドール様と踊りたいと焦がれていました」
「フレッド……」
僕の暗い思い出を払拭しようと、フレデリクはダンスに誘ってくれたのだろう。
愛する人の優しさに、胸が苦しくなるほどの喜びがあふれてくる。
言葉にできないぐらい嬉しくて、僕は目頭を熱くしながらフレデリクの手をとった。
「僕もダンスは苦手だけど、フレッドとなら踊りたいよ」
微笑みながらそう返すと、白皙の美貌が喜色に染まる。
「では、私のリードを許してくださいますか?」
「もちろんだよ」
頷くと、フレデリクにそっと引きよせられる。
女性パートを踊るのは初めてだけど、簡単なステップなら大丈夫だろう。
ちょうど新たに舞曲の演奏が始まって、僕たちは美しい音色に身を任せた。
腰を支えられて、ゆっくりとステップを踏む。
これまでとは逆の足運びに最初は戸惑ったが、何度も初歩的な動きを繰り返しているうちに、少しずつ慣れてくる。
フレデリクは不得手だなんて言っていたけど、女性パートを踊るのは初めてだからこそ、よく分かる。
しっかりとしたホールドとリード。
重ねている手から、支えられている腰から、フレデリクの迷いのない気遣いが伝わってくる。
僕なんかより、よほどダンスが上手だ。
「フレデリク様は、とてもダンスがお上手ですね」
「とんでもないことです。拙いばかりですが……」
アクアマリンの瞳が、愛おしげに僕を見つめてくる。
「テオドール様と踊りたいという気持ちは誰にも負けません」
舞曲が一番の盛りあがりを迎え、フレデリクは僕の腰を引きよせると、大きくターンした。
嬉しくて、幸せで。
僕は夢中になって踊りつづける。
少し複雑なステップも、フレデリクとなら心の底からわくわくした。
「楽しいね……!」
「ああ。テオと踊っていると、一曲が短く感じるな」
「ふふっ。そうだね」
艶やかな銀髪がきらめき、凛々しい美貌が甘い表情を浮かべる。
僕は胸を高鳴らせながら、月下の貴公子をうっとりと見つめた。
一曲終わるごとに、過去の暗い記憶が、フレデリクに塗り替えられていく。
「僕、こんなに幸せなダンスの時間は生まれて初めてだよ」
「俺も、ダンスがこんなに心を弾ませるものだとは知らなかった。これから先は、悲しい記憶より、今晩のことを思い出してほしい」
「うん……。もう悲しい気持ちなんて、すっかり忘れちゃったよ!」
僕は満面の笑みをフレデリクに向けた。
「素敵な時間をありがとう」
心からお礼を言うと、急に力強く抱きよせられた。
「フレッド……?」
「……もう、俺としか踊らないでくれ。テオが誰かと踊るところを見たくない。テオの腰を抱くのも、手の温もりを知るのも、俺だけでいい。俺だけじゃないと嫌なんだ……」
強く強く抱きしめられて、フレデリクの独占欲に心が熱くなる。
ダンスは教養の一つで、王子として半ば義務のようなものだと思っていた。
これまでのこともあり、拒否をしてはいけないと。
でも――
「じゃあ……第三王子は大のダンス嫌いってことにしようか」
僕はぎゅっとフレデリクを抱き返した。
「僕も、フレッド以外の人とは踊りたくない。一緒にステップを踏むのはフレッドとだけがいい」
顔をあげて、碧く澄んだ瞳と深く見つめ合う。
「もう、フレッドとしか踊らないって約束するよ。だから、フレッドも僕以外の人と踊らないでね」
「当然だ」
そう言うと、フレデリクは僕の後頭部に手を回した。
「約束するから……王子殿下に誓いのキスをしてもいいか……?」
甘い眼差しが唇に注がれると、僕は瞼を閉じることしかできなくなる。
「ぁ……」
熱い吐息がからむと、すぐに唇が重なった。
背筋に淫らな痺れが走って、心がとろりと溶けていく。
「ん、ふぁ……っ」
唇が擦れ合い、歯列を舌でくすぐられる。
「はぁ、んん……ぁっ、フレッド……」
下唇をいやらしく吸われて、差し出した舌をねっとりと絡みとられた。
きもちいい――
深く熱く交わる唇に頬を熱くしながら、僕は混ざり合った唾液を飲み込んだ。
「テオ……」
ゆっくりと唇が離れると、月光を宿した精悍な美貌が、僕を一心に見つめてくる。
情熱を秘めた碧い瞳にうっとりと見惚れていると、新たな舞曲が耳に届いた。
「あ……最後の曲だね……」
夜会の舞曲は最初と最後の曲が決まっているので、聞いただけで始めと終わりは判断できるのだ。
最後の一曲……フレッドと踊りたいな――
僕はフレデリクから少しだけ体を離すと、右手を差し出した。
「今夜の最後の曲、僕と踊ってくれませんか?」
僕のダンスの誘いに、月下の貴公子は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「喜んで」
もちろん、エヴァンは今回も空気を読んで、二人の時間を邪魔しないようにしています……!
エヴァンは、僕が夜会に出ている間に、館の使用人たちと打ち合わせをすると言っていた。
侍従の予想より早く帰ってきてしまったようだ。
「フレッド。また、ご機嫌ななめになってるでしょ~」
小さなシャンデリアの優しい光の中で、僕はフレデリクを見上げた。
「バッツィーニ伯爵は、僕の印象に残るような挨拶をしてくれただけだよ」
「いや。あの伯爵はテオに色目を――」
「そんなわけないって」
「テオはそういうことに鈍感なんだ」
「フレッドが敏感すぎなんだって!」
そう言うと、フレデリクに両肩をつかまれた。
「頼むから、自分の魅力と影響力に、ちゃんと気づいてくれ」
アクアマリンの瞳が、切実な光を宿して僕を見つめてくる。
その気迫が何だかおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。
「兄上たちじゃないんだから。すごく痩せたり、リーフェの騒動があったりして、色もの扱いで注目を浴びてるだけだよ」
僕の言葉に、白皙の美貌が思いきり不服そうな表情を見せる。
フレデリクの中で、僕は一目で誰をも魅了するモテモテ王子になっているみたいだ。
「痩せて大人しくなったからって、悪名高い僕に色目を使う人なんているわけないよ。それより、ちょっとバルコニーに出ようよ」
承服いたしかねているフレデリクを、僕はバルコニーに誘った。
この館はわずかだが高台に建っており、二階にある僕の部屋には広いバルコニーがついている。
部屋から一歩踏み出すと、しっとりとした潮風が僕たちを包んだ。
明かりがちらほらと見えるラオネスの街の向こうには、月光を反射して美しい輝きを放つ夜の海が広がっていた。
本来なら、穏やかな波の音も聞こえるはずだが、夜会の舞曲が重なって、その存在は儚いものとなっていた。
「……さっきはダンスを断ってくれてありがとね」
僕は月を見上げながら言った。
強い光を放つそれは綺麗な真ん丸。
今晩は満月だった。
「僕がダンスを避けてるって、フレッドにはお見通しだったよね……」
僕は苦笑した。
「さすがに今晩は踊らないといけないなって、思い切ろうとしてたから」
「嫌なら踊る必要はないんじゃないか?」
「……そうかな。王子の嗜みでしょ? 拒否するなんて……僕のわがままだ」
僕は視線を落として、バルコニーの欄干に乗せた自分の手を見つめた。
「思い出すんだ……。僕がダンスに誘ったら、みんなが嫌がってた。僕なんかと踊りたくない、気持ち悪いって。分かってるんだよ……そんなに嫌がられてたのは、自分の容姿や素行のせいだって……」
今朝、見た夢が脳裏をよぎる。
謹慎を命じられて、フレデリクに暴力をふるう最低な自分。
あれはただの夢ではなく、過去の記憶だ。
不健康に太りつづけて、高慢な心を省みもせずに。
ぶちぶちとボタンを飛ばしながら専属騎士につかみかかるなんて、もはや王都の醜いモンスターであり、嫌われて然るべき存在だ。
「でも、どうしても……悲しい気持ちになるんだ……」
流れていた舞曲が終わりを迎えて、穏やかな波の音が耳に届いた。
「自分勝手な感傷だって呆れるよね……全部、僕が悪いのに被害者ぶって……」
これから第三王子として頑張っていかなければという時に、こんな些細なことに囚われている自分が情けない。
顔を伏せたままでいると、僕の目の前にフレデリクの右手が差し出された。
「テオドール王子殿下。どうか私と踊っていただけませんか?」
「え……?」
突然の誘いに思わず視線をあげると、フレデリクが微笑んでいた。
月の光を浴びて、キラキラと輝くアクアマリンの瞳。
美丈夫にまっすぐ見つめられて、胸の鼓動が増していく。
「私は華やかな社交の場など全く縁がなく、ダンスは非常に不得手ですが……ずっと、テオドール様と踊りたいと焦がれていました」
「フレッド……」
僕の暗い思い出を払拭しようと、フレデリクはダンスに誘ってくれたのだろう。
愛する人の優しさに、胸が苦しくなるほどの喜びがあふれてくる。
言葉にできないぐらい嬉しくて、僕は目頭を熱くしながらフレデリクの手をとった。
「僕もダンスは苦手だけど、フレッドとなら踊りたいよ」
微笑みながらそう返すと、白皙の美貌が喜色に染まる。
「では、私のリードを許してくださいますか?」
「もちろんだよ」
頷くと、フレデリクにそっと引きよせられる。
女性パートを踊るのは初めてだけど、簡単なステップなら大丈夫だろう。
ちょうど新たに舞曲の演奏が始まって、僕たちは美しい音色に身を任せた。
腰を支えられて、ゆっくりとステップを踏む。
これまでとは逆の足運びに最初は戸惑ったが、何度も初歩的な動きを繰り返しているうちに、少しずつ慣れてくる。
フレデリクは不得手だなんて言っていたけど、女性パートを踊るのは初めてだからこそ、よく分かる。
しっかりとしたホールドとリード。
重ねている手から、支えられている腰から、フレデリクの迷いのない気遣いが伝わってくる。
僕なんかより、よほどダンスが上手だ。
「フレデリク様は、とてもダンスがお上手ですね」
「とんでもないことです。拙いばかりですが……」
アクアマリンの瞳が、愛おしげに僕を見つめてくる。
「テオドール様と踊りたいという気持ちは誰にも負けません」
舞曲が一番の盛りあがりを迎え、フレデリクは僕の腰を引きよせると、大きくターンした。
嬉しくて、幸せで。
僕は夢中になって踊りつづける。
少し複雑なステップも、フレデリクとなら心の底からわくわくした。
「楽しいね……!」
「ああ。テオと踊っていると、一曲が短く感じるな」
「ふふっ。そうだね」
艶やかな銀髪がきらめき、凛々しい美貌が甘い表情を浮かべる。
僕は胸を高鳴らせながら、月下の貴公子をうっとりと見つめた。
一曲終わるごとに、過去の暗い記憶が、フレデリクに塗り替えられていく。
「僕、こんなに幸せなダンスの時間は生まれて初めてだよ」
「俺も、ダンスがこんなに心を弾ませるものだとは知らなかった。これから先は、悲しい記憶より、今晩のことを思い出してほしい」
「うん……。もう悲しい気持ちなんて、すっかり忘れちゃったよ!」
僕は満面の笑みをフレデリクに向けた。
「素敵な時間をありがとう」
心からお礼を言うと、急に力強く抱きよせられた。
「フレッド……?」
「……もう、俺としか踊らないでくれ。テオが誰かと踊るところを見たくない。テオの腰を抱くのも、手の温もりを知るのも、俺だけでいい。俺だけじゃないと嫌なんだ……」
強く強く抱きしめられて、フレデリクの独占欲に心が熱くなる。
ダンスは教養の一つで、王子として半ば義務のようなものだと思っていた。
これまでのこともあり、拒否をしてはいけないと。
でも――
「じゃあ……第三王子は大のダンス嫌いってことにしようか」
僕はぎゅっとフレデリクを抱き返した。
「僕も、フレッド以外の人とは踊りたくない。一緒にステップを踏むのはフレッドとだけがいい」
顔をあげて、碧く澄んだ瞳と深く見つめ合う。
「もう、フレッドとしか踊らないって約束するよ。だから、フレッドも僕以外の人と踊らないでね」
「当然だ」
そう言うと、フレデリクは僕の後頭部に手を回した。
「約束するから……王子殿下に誓いのキスをしてもいいか……?」
甘い眼差しが唇に注がれると、僕は瞼を閉じることしかできなくなる。
「ぁ……」
熱い吐息がからむと、すぐに唇が重なった。
背筋に淫らな痺れが走って、心がとろりと溶けていく。
「ん、ふぁ……っ」
唇が擦れ合い、歯列を舌でくすぐられる。
「はぁ、んん……ぁっ、フレッド……」
下唇をいやらしく吸われて、差し出した舌をねっとりと絡みとられた。
きもちいい――
深く熱く交わる唇に頬を熱くしながら、僕は混ざり合った唾液を飲み込んだ。
「テオ……」
ゆっくりと唇が離れると、月光を宿した精悍な美貌が、僕を一心に見つめてくる。
情熱を秘めた碧い瞳にうっとりと見惚れていると、新たな舞曲が耳に届いた。
「あ……最後の曲だね……」
夜会の舞曲は最初と最後の曲が決まっているので、聞いただけで始めと終わりは判断できるのだ。
最後の一曲……フレッドと踊りたいな――
僕はフレデリクから少しだけ体を離すと、右手を差し出した。
「今夜の最後の曲、僕と踊ってくれませんか?」
僕のダンスの誘いに、月下の貴公子は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「喜んで」
もちろん、エヴァンは今回も空気を読んで、二人の時間を邪魔しないようにしています……!
応援ありがとうございます!
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