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番外編

第三王子専属護衛騎士の昼下がり(前編)

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フレデリク視点の番外短編です。
前後編で公開します。




雲一つない晴天の下。

ロベルティア王国の王都アミンは、今日も多くの人で賑わっていた。
定期市で道沿いには露店が並び、広場では大道芸人が歌と曲芸を披露して大きな喝采を浴びている。

そんな華やぐ王都民を見下ろす丘の上には、堂々とそびえ立つ白亜の王城。
太陽の光で燦々さんさんと輝く美しい城は王都民の誇りであるが、実は民たちの自慢はそれだけではない。
囲壁内に広がる手入れの行き届いた瑞々しい森もまた、城と共に人々のほまれとなっている。

小川のせせらぎ、木々のざわめき、小鳥のさえずり。

緑の中に一歩踏み入れば、城下とは違った柔らかな賑わいに包まれる。
そして、奥へと進んでいくと、爽やかな自然のささやきに混じって、剣を交える無骨な音が耳に届くのだ。

「突きが甘い」
「……あっ……!」

こちらも手入れが行き届いた近衛隊の鍛錬場。
攻撃が完全に読まれ、第三王子の突き出した剣先が容赦なく叩き落とされた。

「これぐらいで反撃不能になってどうする」

体がよろけてしまった第三王子に、彼と対峙している王太子が鋭く声をかける。

「その場しのぎの勢いで攻撃をしかけるな。相手の剣筋をしっかりと見極めてからと言ったはずだ」
「はい……っ」

体勢を整えた王子が、翠の瞳に強い光を宿して鍛錬用の模造剣を握り直す。

「もう一度お願いします!」

凛とした声が鍛錬場に響き、二つの剣が再びぶつかった。

懸命に剣術の稽古に励んでいる第三王子。
彼のしなやかな肢体は溌剌はつらつと躍動して、蜂蜜色の髪は美しくきらめいている。
白磁の肌は遠くからでも目を引き、エメラルドの瞳が輝く美貌は日ごとに魅力が増していた。

ロベルティア王国第三王子テオドール・サシャ・クールトア。

六つ年下の彼は何よりも尊い主君であり、大切な恋人でもある。
このところ、恋人の魅力が急激に高まっている気がして、自分の中で大きな賛否両論が巻き起こっているのだ。

一見して気位の高そうな容姿に反して、テオドールは非常に思いやり溢れる気さくな性格をしている。
愛らしい笑顔と優しさを気前よく振りまいているものだから、近衛隊の騎士たちからの人気は瞬く間に絶大なものになっていた。
今日も、王子たちの鍛錬を見守る騎士が大量に湧いている。
鍛錬場にいるはずのない者まで目につく始末で。

奴らは完全に第三王子目当てで集合しているのである。

非常に面白くない。

頬を緩ませてテオドールを見つめている騎士たちを、総じて蹴散らしてやりたい気分だった。

専属騎士として。
臣民の一人として。

主君が人々に愛されるのは喜び以外の何ものでもない。
……というのは、ただの綺麗事だ。

彼は主君であり恋人なのだから。
数多の視線を集めていれば、やはり不愉快な気持ちにしかならないわけで。

イライラする……。

第三王子専属護衛騎士のフレデリク・テュレンヌは、今日も激しい嫉妬の嵐に身を投じていた。



「ためらわずに攻めてこい」
「はいっ」

王太子アルフィオ・ジル・クールトアの声に合わせて、テオドールが剣を振る。

本日は王太子殿下のご都合とご機嫌が非常によろしいようで。
いつもより兄弟での鍛錬の時間が長くなっていた。

この男のせいで、テオドールと二人きりの時間が削りに削られている。
不満はいつだって膨大だが、当然ながら王太子に向かって文句を言えるわけはない。

理性では十分に分かっているのだ。

アルフィオから見て、こんなに愛らしい弟を可愛がらずにはいられないことぐらい。

長い間、テオドールは家族と距離をとっていた。
特にアルフィオとは完全に関係を絶っていたと聞いている。
交流が途絶えて悪評に包まれていた弟が、努力を重ねて見違えるように魅力的になり。
その上、あんなにキラキラと輝く表情で素直に慕ってこられたら、構いたおしたくなるのが兄心であると思う。

思うが――。

「そういえば、まだ減量を続けているのか?」
「いえ、もう現状維持で――」
「本当か? こんなに細い腰をして」
「わっ……兄上っ!?」

アルフィオの両手が、すぐに細い腰に回る。
そして、軽々とテオドールの体が持ち上がった。

は――?

フレデリクの眉間に深い皺が刻まれる。

「や、やめてくださいよっ!」
「軽すぎだろ」

テオドールの足が空中をかく。

俺は一体何を見せられているんだ――?

テオドールを持ち上げて楽しそうにしているアルフィオを前にして、心がどす黒くなっていく。

幼い子供でもないのに、体重確認で弟の体を抱き上げるか?
しかも、こんな公衆の面前で見せつけるように。
そもそも、何かにつけてベタベタとテオに触りすぎだ!

「おい、フレデリクっ。顔、顔っ!」

隣に立っている近衛隊長のレオン・ノアイユが、地獄の門番のような表情をしているフレデリクの肩を小突く。

「お前なぁ……」

嫉妬心まみれのフレデリクに、レオンが呆れた眼差しを向ける。

「その強すぎる執着心、どうにかしろよ。主君に向けていい感情じゃないだろ。ほんっと、相変わらず恐ろしいぐらいの一点集中型だな……」

三つ年上のレオンは、見習い騎士の時に同じ師についていた兄弟子のような存在だ。
フレデリクが剣術の修業をはじめて右も左も分からぬ時に、色々と世話をしてくれたのも彼である。
いかにも厳しそうな雰囲気に反して、レオンはなかなか世話好きでマメな男だ。
軟派なところはどうかと思うが、付き合いも長く、それなりに尊敬はしている。

……つもりだ。

「まぁ、あんなに可愛い王子殿下の専属になったら、執着する気持ちも分かるけどな」

アルフィオにからかわれて拗ねた顔をしているテオドールを見て、レオンは目尻を下げる。

きた、きた。
いつものやつ。

「レオンこそ、気が多いのはどうにかならないのか」

フレデリクは周囲に聞こえない程度の声でレオンに言葉を返した。
いくら身内のような存在とはいえ、公の場で近衛隊長に砕けた口調で話しかけるのは不躾な行為だ。

「気が多い?」

レオンは心外だとばかりに目を見開いた。

「美麗な老若男女を総じて賛美しているんだ。崇高な精神と言ってほしいね」
「……ものはいいようだな」

再び肩を小突かれる。

「隊長に向かって失礼だぞ!」
「大変申シ訳アリマセン」
「棒読みっ」

フレデリクは小さく笑いながら、周囲にいる騎士たちに目をやった。
レオンだけではなく、誰もがテオドールに優しい眼差しを向けているように見えるのは気のせいではないだろう。

恋人の愛され力が高いのも問題である。

「専属騎士に決まった時には、王子殿下があんなに変わることも、お前が主君至上主義になることも、想像すらできなかったよな」

レオンがしみじみと言う。

確かに、専属騎士に任命された時には、こんなに心を奪われるとは思っていなかった。

フレデリクはテオドールとの過去に思いを巡らせた。


第三王子とまともに対面したのは約十年前の晩餐会の時だ。

国王と宰相である父は幼い頃からの友であり、ロベルティア王国をより良い国にしていこうと誓い合った同志だった。
そのため、王家の私的な催しにテュレンヌ家が招待されることも多く、両家は非常に親しい間柄であった。
当時は見習い騎士としての修業に集中していて、テュレンヌ家の子息として社交界に顔を出すことはほとんどなかったのだが。
その時は、フレデリクも是非にということで招待を受けて、家族そろって国王主催の小さな晩餐会に出席した。

そこで初めて顔を合わせたテオドールはまだ幼かったが、お世辞にも品のある王子とは言い難かった。
絶対的な存在感を示す王族の中で、ずいぶんと浮いているなと思ったが、第三王子に対する悪評は以前から耳にしていたので、別段の驚きはなかった。
しかし、晩餐会の間はずっとテオドールを視界に入れないようにしていた記憶がある。
品のない態度が不愉快だったからではない。

虚栄心に満ちた姿が、過去の自分と重なって痛々しく感じたからだ。

いわゆる、同族嫌悪というやつだ。

自分は幼い頃、体が弱くてベッドに伏せたままの暮らしが続いていた。
勉強や剣術はもちろんのこと、日常的な行動さえ満足にできなくて。
優秀な弟が自由に駆け回りながら様々なことに励む姿に醜い感情を抱いていた。
どんどん降り積もっていく、寝室から出ることもままならない恨みや辛み。
それらを、自分は愚かにも家族や使用人にぶつける日々を送っていた。

晩餐会でのテオドールは、そんな昔の自分そのもので。
強烈な同族嫌悪に襲われて、見ていられなくなったのだ。

恵まれているとは分かっているのに、自分の気持ちも周囲の環境も、何一つ思うようにならない苛立ち。
そんな気持ちが手にとるように分かって。

だからこそ、直視できなかった。

多感な年ごろであった自分は、過去の大きな後悔と重なるテオドールの存在を受け入れることができなかったのだ。

「……本当、人生は何が起こるか分からないな」

今度はフレデリクがしみじみと言う。

初めて会った晩餐会以降、テオドールとはほとんど顔を合わせることはなく、十年の月日が流れていた。
耳にする第三王子の噂は年々よくないものになっていたが、騎士団の隅でひたすらに剣術を磨いていた自分にはどこか他人事であった。
しかし、その一方で、護衛騎士を些細な理由で次々と退けてしまうテオドールのわがままは一向に止まらなかったようで。
とうとう、近衛隊に所属すらしていない自分に宰相の父経由で専属騎士の話が来てしまったのだ。

「フレデリクっ!」

蜂蜜色の髪を光らせながら、兄との鍛錬を終えたテオドールがこちらに駆け寄ってくる。

「兄上ったら、今日はそんなに鍛錬しないって言ってたのに。結局、いつも以上にがっつり手合わせだよ」

怒りを表明して唇を尖らせるテオドール。
澄んだエメラルドの瞳が、まっすぐにこちらを見上げてくる。

可愛い。本当に可愛い。

こんなに愛らしい表情で、本人は怒っているつもりなのだ。
本当に罪作りな王子である。

「真摯に剣を振るう殿下の優美なお姿を前に、王太子殿下もつい時間を忘れてしまわれるのですよ」

軟派隊長が嬉々として口を開いた。

はじまった。

レオンお決まりの賛美の時間である。

「私も殿下とご一緒させていただく時間は、いつも永遠を願うほどで――」
「ハハ……ソウナンダァ~」

続く甘ったるい言葉に、テオドールが苦笑する。
相変わらず心に響いてこない装飾過多な言葉が並ぶが、大筋の内容は間違っていないと思う。

少し前まで、王太子は腕試しのために時折ここに顔を見せる程度だった。
しかし、今ではテオドールを呼び出しては、頻繁に足を運んでくる。
熟練の騎士たちも目をみはるほどの実力を持つアルフィオと、数か月前からロングソードと向き合うようになったテオドール。
その実力差は言うまでもない。
王太子のアルフィオにとっては、多忙な政務の合間を縫ってわざわざ初心者の相手をしているようなものだ。
本人の性格を考えると、そんな非効率なことを率先して行うなんて到底思えない。

つまり、それだけテオドールを構いたくて仕方ないのだ。

「テオドール様。お疲れでしょうから、今日の鍛錬はもう終わりにしましょう」
「えぇ~!? 今日はまだダガーを触ってないよ」
「無理をして体を壊してはいけません」
「何だか、どんどん過保護になってる気がするなぁ」

テオドールが柔和に表情を緩ませた。
愛する主君から優しい表情を向けられる度に、本当に専属騎士になってよかったと心の底から思う。

ずっと、騎士であることが人生の全てだと信じて生きていた。
しかし、ここ数年は目標もなく強さを求め続ける日々にふと空しさを感じる時があった。
贅沢な悩みだと自分でもよく分かっていたが、どうにも気持ちが晴れずに実力も伸び悩んでいた。

第三王子専属護衛騎士の話が自分に舞い込んできたのは、そんな時だった。
国王からの打診とはいえ、断ってもいいと父は言ってくれたが、フレデリクは承諾した。
父の面目を潰さないためでもあったが、どういう形であれ、空しさ感じる日々から抜け出せるかもしれないという淡い期待も心のどこかにあったのだ。

それから、当然だが生活は一変した。

噂に違わぬ強烈なテオドールのわがままに振り回される毎日。

どうせ解任されるだろうから少しの我慢だと、周囲はいたく同情してくれたが。
フレデリク自身は日を追うごとにテオドールの専属騎士を続ける意志が高まっていった。

十年前に初めて会った時から、テオドールの心は全く変わっていないように見えた。

劣等感や虚栄心、そして自暴自棄な態度。

なりたい自分に届かず、なれない自分に絶望しているだろうテオドール。

かつての自分が騎士という夢を持って少しずつ努力を重ねていったように。
テオドールにも少しでいいから何かを積み重ねて、人生の新たな景色を見て欲しいと強く思い始めていた。
だが、そんな気持ちも謹慎と共に途切れてしまって。
菫の館での王子の引きこもり生活はひどいものになっていると聞いていた。

しかし――。

数か月後に再会したテオドールは大きく変わっていた。

見違えるように体型も話し方も眼差しも変わり。
エメラルドの瞳は力強く希望に輝いていた。

驚きながらも再び側で仕えるようになれば。
魅力的なテオドールに惹かれるのは至極当然のことであった。



「分かったよ。今日はもう終わりにする。その代わり――」

テオドールがそっと身を寄せて、続きの言葉を耳打ちしてくる。

「宿舎にあるフレデリクの部屋を見てみたいな……だめ?」
「部屋……ですか……?」

予想外の要望に目をみはる。

「最低限の家具があるだけの小さな部屋です。テオドール様がわざわざ足を運ばれるまでもありませんよ」
「部屋の中身は関係ないよ。僕はフレデリクの生活の場を知りたいんだ」

生活の場といっても、普段は寝るためだけの部屋といっていい。
見るものは何もないと返したかったが、期待に溢れる王子を前にすれば頷くしか道はなかった。

「いいですけど、本当に何もないですよ」
「やった! ずっと行ってみたいなって思ってたんだ!」

満面の笑みを浮かべるテオドール。

何の面白みもないと思うのだが。
困惑気味のフレデリクをよそに、テオドールはレオンや周囲の騎士たちにさらっと挨拶をすると、近衛隊の宿舎へと足取り軽く向かっていった。


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