沈みゆく恋 ~ 触れ合えば逃げていく者へ ~

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

文字の大きさ
12 / 40

近代美術館②

しおりを挟む
 僕の心情を察したのか、三崎さんが、
「只の建物で味気ないでしょ」と澄ました顔で言った。その顔は「建物なんて、どうでもいい。問題はその中にあるものよ」そう言っているように思えた。
 僕はそれには応えず、「他の美術館がどんな建物か知らないから」と返した。
 すると、三崎涼子はほんの少し笑顔を見せて、
「じゃ、北原くんさえよかったら、今度、京都の美術館でも行ってみる? 全然違うわよ」と言った。
 えっ、今度? 今回は神戸で、次は京都・・
 まだ、この中にも入っていないのに・・
 それに、僕たちはつき合ってもいない。何度も美術館に行ったりしたら、それは交際していることにならないのか? 
 いや、そんなはずはない。
 もし、これからも美術館に行くとすれば、それは「友だち関係」だ。いや、「美術館巡り用の友だちだ。きっとそうだ。
 キャンパス内で噂の三崎涼子が僕なんかと交際するわけがない。
 高嶺の花は、決して僕の元へ降り立つことはないのだ。

 美術館の壁面には大きな垂れ幕が掛けられていて、
『エミール・クラウスとベルギー印象派展』と、幕一杯に書かれてあった。
 更に建物の中に入ると、至る所に、同じフレーズが描かれたポスターが貼られているし、チラシもあちこちに重ねられている。
 エミール・クラウスの有名な絵画が、量産されているように見えた。
 僕たちは人の流れに乗るように進んだ。
 美術館に入る時も彼女が先頭で、決して横並びになることはなく、ましてや手が触れ合うこともなかった。ほとんど会話をすることなく入館した。

 順路を進んだ先には、白い壁に囲まれた空間が広がっていた。
 静かな空間だ。ほぼ予想していた通りだ。
 当然、映画館も静かだが、中は人が密集してる。だが、美術館では人の間隔が空いているし、話し声も小さい。
 賑やかな家族連れはいない。中年の夫婦や、同じく中年の一人客が多い。
「順路」に従って、僕たちは進んだ。情けないことに彼女が先頭で、僕は後から追いかける形だった。
 彼女が立ち止ると、僕も立ちどまる。そこには僕の意志はない。
館内には、画集で見た絵が数点あった。
 
 絵には、解説が添付されている。画家の名前、絵の名称、製作年、そして、絵のテーマなどが書かれている。
 三崎涼子は顔を落とし、熱心に解説を読んでいるが、僕はさっぱりだった。読んでも全く分からない。語彙が見知らぬものばかりだ。
 それでも三崎涼子は、説明書きに頭を傾け読んでいる。
 彼女はそれらを理解しているのだろうか?
「説明を読むと絵が分かるの?」とも聞けない。
 僕にできることは、説明書きを読んでいる振りをするだけだった。ああ、情けない。
 僕は解説を読むより、絵を見ることに専念することにした。

 気がつくと傍で、男女の語らいが聞こえた。見ると、若い男が同伴の女性にしきりと絵の説明をしている。
「構図がどうだとか」「色の使い方がいい」とか、男の声が流れてくる。男は両指を使って、三角の形を作り、絵の前に差し出して、女の子に見せている。
「ほら、こうやって見ると、構図がいかに上手く出来ているかわかるだろう」と言っている。
「遠近法」がどうのこうのと言っている男もいた。
 ああ、全然分からない。 
 僕の知識は一夜漬けで画集を見ただけだ。あんな風に説明はできないし、キザなセリフも吐けない。
 的確に絵を解説できる男になれたらいいのに、と思う一方で、三崎涼子とはそんな関係になるとは思えない自分がいた。
 更に思うことは、そもそも絵画というのは、あの男たちのように、ペラペラとしゃべりながら見るものなのか? ということだ。
 あの男たちは、相手の女性に聞かせるために言っているような気がした。

 僕は生まれて初めてこのような場所へ来たが、絵は黙って鑑賞するものだと思っている。絵を見て感じるものだと思っていたのだ。
 つまり、映画と同じだ。映画を見ながらあれこれ批評したりはしないだろう。
 そうは思っても、絵画の知識がない負け惜しみのような気もした。今の僕は、絵について饒舌に話せる人間ではないということだ。

 絵のことは分からないけど、
 展示されている絵は、どれも「いいな」と思った。
 画集で見た絵も、実物を見ると、何かしら伝わってくるものがあった。
 特に、ベルギー印象派を代表する画家「エミール・クラウス」の「河畔に座る少女」や「野の少女たち」などは素晴らしかった。
「河畔に座る少女」は、正式名称は「レイエ河畔に座る少女」と言い、花が咲き乱れる河のほとりに少女が座っている絵だ。顔は横向きだ。
 少女の横顔からは、孤独のようなものが伝わってくる。ずっと絵を見ていると、少女の視線の先にあるのは何か、と考えたりもした。

 そして、「野の少女たち」は、田舎の道を少女たちが歩いている絵だ。ただそれだけの絵だ。
 図書館で閲覧した時は、何も感じなかったけれど、こうして見ると少女たちの表情が手に取るように見える。少女たちは何を思いながら歩いているのだろう? そんな興味が沸いてくるのは、優れた絵の力なのだろうか。
 場所のせいもあるのかもしれない。図書館で見るとの、美術館という厳粛な場所で見るのとでは、全く違う。感覚が研ぎ澄まされるからだろうか。それとも横に三崎涼子がいるからだろうか?
 そのどちらも当たっている気がした。

「北原くん。退屈じゃない?」
 入館してから10分ほど経った頃、僕を気遣うように言った。
 僕は「そんなことはない」という風に首を振った。「退屈だ」なんて言ったら、それで終わりだ。今日という日も消滅するし、これからの展望も無くなる。
 僕が首を振ると、三崎涼子は「そう」と言って再び絵の鑑賞に戻った。

しばらくすると、彼女は何か思い出したように、僕に向き直り、
「こういう絵って、時代背景を知っておくと、面白くなるのよ。絵も違って見えるし」と言った。「その意味で説明書きを読んでいるの」と言いたいようだ。
 更に、「画家の人生や、辿ってきた恋愛なども知ると面白いわ」と楽しそうに言った。
 画家の恋愛・・そんなこと、考えたこともなかった。
 だがそう考えると、遠い存在の画家が急に身近に思えてくるから不思議だ。
 彼女は続けて、
「絵に関して言えば、光の使い方なんかも知っておくと鑑賞する時、面白いわよ」と言った。
「面白い」という言葉が気に入った。
 何も気難しく考える必要はないんじゃないか、そう思えてきた。
 そう思えるようになったのは、彼女のお蔭かもしれない。
 更に三崎涼子は、「エミール・クラウスは自身の絵を「リュミニスム」・・「光輝主義」と言ったりしているの」と言った。
「リュミニスム」とか「光輝主義」とか難しい言葉は分からなかったけれど、その言葉を聞いた後では、絵を見る目が変わってくるから不思議だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小学生をもう一度

廣瀬純七
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスで1番の美少女のことが好きなのに、なぜかクラスで3番目に可愛い子に絡まれる

グミ食べたい
青春
高校一年生の高居宙は、クラスで一番の美少女・一ノ瀬雫に一目惚れし、片想い中。 彼女と仲良くなりたい一心で高校生活を送っていた……はずだった。 だが、なぜか隣の席の女子、三間坂雪が頻繁に絡んでくる。 容姿は良いが、距離感が近く、からかってくる厄介な存在――のはずだった。 「一ノ瀬さんのこと、好きなんでしょ? 手伝ってあげる」 そう言って始まったのは、恋の応援か、それとも別の何かか。 これは、一ノ瀬雫への恋をきっかけに始まる、 高居宙と三間坂雪の、少し騒がしくて少し甘い学園ラブコメディ。

処理中です...