沈みゆく恋 ~ 触れ合えば逃げていく者へ ~

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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書店の美少女①

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◆書店の美少女

 お昼休み、大学生協の食堂でランチを食べ終えた僕は、いつものように生協の書店に行った。
 前回、買うのをためらった「ソフィアの秋」を買おうと思ったからだ。
 買う理由は、只ひとつ。文芸部は毎週土曜日に読書会を行う。何の本にするかは持ち回りなのだ。順番が回ってきた人が、前の週に「次回はこの本にします」と予告すると、部員全員その本を購入し、読書会までに読んでくることになる。
 部員は15人ほどだが、いずれ僕の順番が回ってくる。それまでに、何かしらの本を選んでおかないといけない。
 
 読書会用の本は、純文学には限らない。大衆小説もOKだ。
 その読書会用の本として僕が選んでいるのが、五木寛之の「ソフィアの秋」だった。
 他にも候補があることにはあった。
 安倍公房の「砂の女」や大江健三郎の「死者の奢り」だ。
 だが、これらの本はどう考えても純文学の小説に思えた。司会をしていて深く突っ込まれたりしたら、応える自信がない。
 つまり、読書会用の本は、僕自身が理解できないと意味がない。「こんなの只の大衆小説だよ」と言われるのは覚悟の上だ。
 僕が読んでこれなら司会進行ができそうだ。難しい本だと司会が務まらないのだ。
 先週の読書会なんて、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」だったが、内容がさっぱりだったし、部員の言っていることもちんぷんかんぷんだった。純文学なのか、大衆小説なのかさえも分からなかった。

 ああ・・大学の講義も難しいし、本のことを考えるのも大変だな。そう思いながら、いつものように生協の書店の書架を眺めていた。
 目の前には、横溝正史がズラリと並んでいる。
「懐かしいな・・」
 中学の時に夢中になっていた本だ。もうとっくに手放していたが、久々に読みたくなった。

 そう思って、横溝正史の「獄門島」に手を伸ばそうとした時、
 ふわっと風が吹いた気がした。
 実際には、風など吹いてはいない。僕の後ろを人が横切ったにすぎなかった。
 その人は、僕と同じように文庫本の並ぶ書架のある場所でピタリと止まった。
 長い髪の女の子だった。
 春物の薄いピンクのジャケットに、チェック柄のスカート。何でもない格好だが、清楚な雰囲気が伝わってくる。
 金持ち集団の連中とは違う人種のような気がしたし、横顔しか見えないけれど、すっと通った鼻筋がその知性を表していた。

 女の子の目線の先にあるのは、海外文学のコーナーだった。
 彼女はその中から、一冊の本を手にして、裏表紙を向けた。裏側にはあらすじが書いてある。
 何の本を手にしているのだろうか? 分厚い文庫本なことだけは分かる。ドストエフスキーとかだろうか? ここからは見えないし、覗き込む訳にもいかない。けれど気になって仕方ない。
 僕は手にした「獄門島」が急に恥かしくなり、他の本に手を伸ばした。彼女に見られるわけでもないのに、自分が幼稚に思われるのが恥ずかしかったのだ。
 横溝正史は、学生が読んでいても決しておかしくはない。だが、文芸部に属しているというこだわりだろうか、近くにいる彼女に「そんな本を読んでいるの?」とクスリと笑われたくなかったのだ。
 僕がそんなことを思っているとは夢にも思っていない彼女は、文庫本の裏表紙から表に向け一ページ目に目を落とした。その様子を僕は横目で盗み見た。
 彼女の眉間に皺が寄ったようにも見えた。本の内容が好みに合うか、もしくは買う価値があるか、考えているのだろうか?
 
 しばらくすると、彼女は海外文学のコーナーから少し奥に体を移した。
 そこにはSFやミステリー等の海外小説が並んでいる。彼女はそこからも本を抜いた。同じように裏表紙を眺めている。

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