血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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揺れ動く心

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◆揺れ動く心

 このまま家に帰ることなんてできない。
 ファミレスで景子さんを見かけただけなら、それでいい。だが、景子さんはあの吸血鬼学生といたのだ。
 二人がどういう関係なのかはわからないが、景子さんは催眠にかけられている可能性がある。
 あの学生は、松村が君島さんを催眠状態にして、屋敷に連れ込んだのと同じようなことをするかもしれない。
 血を吸って、仲間を増やすのかもしれない。
 そして、あの男の体内にいる小さな「あれ」よりも数段大きい化物のようなものに血を捧げるのかもしれない。
 そう思うと、いてもたってもいられない。体が再びファミレスに向かっていた。
「屑木くん!」
 君島さんが、僕の手を引いた。
「戻るの?」君島さんは僕の強い意志を確認するように訊いた。
「ああ」僕はそう答えた。そして、
「あの人は、大事な人なんだ」
 僕がそう答えると君島さんは「さっきの女の人のこと?」と言った。
 君島さんの目が真剣だ。君島さんは僕の手を離さない。
「私と、どっちが大事?」
 つき合っている男女のような会話だ。
「大事さ」のレベルが違い過ぎる。
 それはどうしてだか、僕にもわからない。君島さんと比較のしようがない。それが神城や佐々木であっても同じだ。
「比べられない・・」と僕は答えた。
「え・・」君島さんは困惑した表情を浮かべた。
 僕は君島さんとつき合っているわけでもないし、たぶん僕には恋心もない。けれど、身近に血を吸える存在は君島さんしかいない。そういう意味では大事だ。
 けれど、君島さんの方は違うのだろう。
 血を吸われた者は、吸った人間に惹かれるようになる。
 そんな現象のせいで、君島さんは僕に疑似恋愛のようなものを抱いている。それは僕の方も同じかもしれない。
 だが、そんな関係を超えて、僕は景子さんのことを慕っている。
 景子さんは、僕の永遠の憧れの女性だ。

 すると、しばらく何か考えていたような君島さんは手を離して、こう言った。
「屑木くん、男らしくないわね」
 そう言った君島さんは優しい目をしていた。
「え?」君島さんの言った意味、意図が掴めない。
「男だったら、早く、さっきの人のところに行きなさいよ!」 
 怒っているような声だが、その声には暖かいものが感じられた。
「わかった」
 僕は君島さんに背を向け、通りに出た。そんな僕のあとに君島さんはついてきていた。
「放っとけないのよ」君島さんはそう言った。
 だが、ファミレスに戻るまでもなく、
 景子さんと学生は連れだって店を出てきたところだった。
 景子さんは僕の姿を認めると、その場に立ち止まり、
「和也くん」と言った。当然、その表情は笑顔だ。
「景子さん」僕もそう言った。
 すると男が、「小山さん、知り合いかい?」と景子さんに尋ねた。訊かれた景子さんは「ええ、そう」と答えた。
 男の顔には、穴が空いているように見える。それは景子さんには見えないのか?

「和也くん、どうしたの?」
 景子さんは僕の傍の君島さんを見て、「そちらの人。ひょっとして、和也くんの彼女?」と微笑んだ。
 僕は即座に「違う」と強く否定した。即座に君島さんが「屑木くん、それ、ひどいわ」と反応した。
 すると、男が僕と君島さんの顔を見比べ、
「ん?・・君たちには、どこかで会ったかな?」と言った。
 こいつ、忘れているのか。いくら暗がりだったとはいえ、熾烈な戦いだったと思うが。
「シンドウくん。知っているの?」
 景子さんが男に言った。「シンドウ」と言うのか。
 訊かれた男は「いや、気のせいだ」と返した。嘘なのか本当なのかわからない。

 それよりも景子さんを止めないと、この男から景子さんを引き離さないと。
「景子さん、これから、どこへ行くの?」
 僕は必死の思いで尋ねると、景子さんは「え?」と言って、
「家に帰るところだけど」と微笑み、
「和也くん、何かあったの?」と訊いた。
 思われていることの嬉しさが込み上げてくる。
 けれど僕は「何もないよ」と答えた。景子さんは「そう・・」と安堵するような息を吐いた。
 景子さんの澄んだ瞳が僕の目を射抜く。僕は嘘を見破られるのが怖くて目を伏せた。
 けれど、言いたい。
 景子さん、その男は吸血鬼だ。僕なんかとはレベルが違う。

 すると、僕を援護するように、君島さんが口を開いた。
「そこの男。顔に穴が空いているわよ」
 男の表情が変わった。
 景子さんは、「え?」と戸惑いの表情を見せ、男の顔を見た。
 だが、景子さんはすぐに顔を戻し、「何のこと?」と君島さんに言った。
「変なことを言う彼女さんね」景子さんは優しく微笑んだ。
 当惑したのは君島さんの方だ。すぐ僕に、
「あの女の人には見えないのかしら?」と言った。
 僕は「いや、おそらく催眠のせいだ。景子さんには見えない」と答えた。
 この男は、穴が空いている顔を見られても、景子さんに分からないように、催眠をかけている。
 景子さんには見えない。そもそも誰が顔に穴の空いた人間とファミレスに行くだろうか。

 そんなやり取りを見ていた男が、
「じゃ、小山さん。ここで」と景子さんに告げ、去っていった。
 取り敢えずの難は逃れたが、男は僕たちが現れなかったら、景子さんをどこかに連れていったかもしれない。行き先は、あの屋敷だったかもしれない。
 結果的にこれで良かったのだろうか? いずれにしろ、ほっとした。

 景子さんは、男が去るとは思っていなかった、そんな顔を見せた後、「和也くん、じゃあね」と手を振って、家の方角に向かった。
 景子さんの後姿をぼうっと眺めていた僕に、
「好きなのね。あの人が」と君島さんが言った。
「いや、あの人はね。僕のお隣のお姉さんだ。好きとか、そんなんじゃない」
 けれど、大切な人なんだ。そう君島さんに言った。

「でも、同じ血の匂いがする」君島さんは、さっきの店内で言ったのと同じセリフを繰り返した。
 少しだけど、僕はあの人の血を飲んだ。僕の体の中には、あの人の血がある。そのせいだろう。そんな意味のことを言うと、
 君島さんは「それだけじゃないわ」と言って、
「もっと強いもの・・何かの繋がりを感じるの」と強く言った。
 そして、
「屑木くんが、あの人を大事に思うのはかまわないけれど・・」と言って、
「私は、屑木くんがあの人の所に行かないように、何かをするかもしれない」と続けた。
「それ、どういう意味だよ」
「全力で、あなたたちの仲を邪魔するかもしれないわ」
 君島さんは何かを決断するように言った。
 その言葉を聞いた時、夕暮れの光がさっと、僕たちの間に落ちてきたような気がした。
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