血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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佐々木奈々

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◆佐々木奈々

「屑木くん・・走るのが早いわ」
 僕に追いつけない君島さんは息を切らしながら訴える。
「ここから出ないと、血を吸われるんだ!」
 僕がきつく言うと、
「血なら、さっき屑木くんに吸われたわよ」と怒り口調で返された。
「あんなものじゃない・・体中の血を全部抜かれるんだ」
 僕がそう言うと、返事の代わりに、僕に追いつくように走り出した。螺旋階段を下り、また廊下を抜けた。「そんなのイヤあっ」
 外だ。邸内の茂みは街灯に照らされ、ほんのりと明るい。
「やっと、出れたわ」と君島さんが安堵の声を洩らした。「私、本当にこんな所を通って来たの?」
「君島さんは、松村に催眠をかけられていたんだよ。だから、ここに来るまでの記憶がないんだ」
「やだ・・そんなの」
 汚らわしい出来事・・松村のことは、思い出したくないことのように君島さんは言った。 
やはり、松村は君島さんの騎士でも何でもなかったようだ。
 
 君島さんにとっての騎士は、僕にとって代わったようだ。君島さんは、その均整のとれた体を惜しげもなく僕に擦り合わせるようにくっ付いている。
 もちろん、こんな状況は僕にとっては望まないことだが・・
 君島さんとの間に同胞意識のようなものが芽生え始めていることは確かだ。
 僕と君島律子。
 二人とも、少し血を吸われただけで、体内には、先ほど見た「あれ」が入っていない。
 二人にはそんな共通点がある。
 だが、同じように、僕も君島さんもお互いにそんなことは望んではいない。
 それに、僕の方は君島さんに「すまない」とさえ思っている。君島さんの血を吸ったのは、この僕なのだから。

 しかし、佐々木奈々の方は・・
 ここに一緒に来るべきではなかった佐々木・・そんな彼女と一緒に外に出ることができなかった。
 もう間に合わない。佐々木は、今頃、松村に「あれ」を体内に入れられている。
 そして、佐々木の・・いつも明るかった佐々木の顔が・・
 穴が開いたように。
 見たくない・・そんな佐々木を見たくない。

 だったら、今からでも遅くはない。
 ひょっとしたら、佐々木は、まだ松村に「あれ」を入れられていないかもしれないのだ。
 
「暗いし、汚いわ」
 僕の思いとは関係なく、君島さんが茂みを抜け始める。
 とにかくここを出たい・・そんな時には血を吸いたい欲望は姿を消すものなのか。
 君島さんは血を吸いたい、などとは一言も言わず、歩いている。
 しかし、僕は・・佐々木が気になる。
 僕は歩みを止めた。
 そんな僕に、
「屑木くん、どうしたの? 早く外に出ましょうよ。こんな所、一秒たりとも居たくないわ」君島さんが言った。

「悪い、君島さん。僕は佐々木をほってけないんだ」
 そう決断する僕に君島さんは、
「屑木くんには、私をここから出す責任があるのよ」と強く言った。
「責任?」
「だって、屑木くんは、私の血を吸ったんだから・・ちゃんと責任はとってもらうわよ」
 まるで、違う話みたいだな。「傷物にされた」とかのそんな話。

「君島さん・・もうここからだと、一人でも帰れるだろ」
 鉄条網の出口は目の前だ。
「屑木くん。家まで送ってちょうだいよ」と駄々をこねる。
 こんな不毛な会話をしている間にも佐々木が・・
 二階の広間に行かなければ、あの男女に遭遇しなければ、佐々木を探すことができる、そう思った。
 だが、僕の考えは甘かったようだ。
 前回、この屋敷に来た時、
 伊澄瑠璃子の腰巾着の一人、白山あかねは空中に血を吸われた。そして、伊澄瑠璃子に「あれ」を入れらた後、いきなり黒崎みどりの血を吸った。
 そう、あの時・・
 白山あかねは・・黒崎みどりの背後に瞬間移動をしていた。

 そこまで考えが及んだ時、予想通りの事が起きた。
「おい、お前ら!」男の声が聞こえた。
 瞬間移動だ。あの男女は一瞬で僕らの行く手をふさいだ。
「逃げられると思っていたのかよ」 
 僕の腕を掴んだのは、さっきのカップルの男の方だった。痩せているが力が強い。

「いやあっ・・屑木くん、助けてっ」
 君島さんを羽交い絞めしているのは、痩せた女の方だ。女狐に見える。
「この子の血・・美味しそう・・」
 女は舌なめずりをした。
 僕は男に腕を封じられ、動きの取りようがない。君島さんの方は首筋に女の頭がかぶさっている。

 結局・・僕たちは完全な吸血鬼ではないのだ。
 彼らにとって僕たちは、血が溢れるほどある人間と同じだ。ただの獲物に過ぎない。

 これで、終わりだな・・
 おそらく、体を動けなくされる。
 そして、僕と君島さんはここで血を吸われ、「あれ」を体内に入れられる。

 そう思った時、
「屑木くん!」
 強く僕を呼びかける声。
 その声は、佐々木奈々だった。
 すぐ後ろに松村もいる。だが、佐々木の顔には穴が開いていた。

「なんだ、知り合いか」男が舌打ちをするように言って僕から手を離した。
 女の方も君島さんから離れると、
「なんなのよっ、もうっ・・今からいいところだったのに」と悔しがっている。

 そういうことか。
 すぐに僕は理解した。だが、当の佐々木の方は自分がしたことに気づいていない。
 それは催眠だ。
 体内に「あれ」を入れられた人間が意識的も無意識にもかけることのできる催眠。
 おそらく佐々木は、僕たちを助けるために男女の動きを封じたのだろう。
 僕と君島さんは助かった。男女に血を吸われずに済んだ。
 僕と君島さんは男女から離れることができた。

 佐々木に「ありがとう」と言おうと、その顔を見ると、
 暗がりでもわかる・・その顔は悲しみで、くしゃくしゃに歪んでいた。
「ごめんね、屑木くん。私の体、変になっちゃった」
「変・・って?」
 僕の問いに佐々木は、「言いたくない」と小さく言った。
 こんな佐々木を見るのは初めてだった。
「佐々木、ごめん、助けてあげられなくて」
 全部、僕のせいだ。
 佐々木は「ううん」と首を強く振った。「屑木くんのせいじゃないですよ。こればっかりはどうしようもないです」
 そんなこと言うなよ・・切なくなるじゃないか。
 それに、佐々木がこんなことになって、神城になんて言ったらいいんだよ。

「佐々木・・ごめんな」と僕は謝った。「僕は、血を吸われていたんだよ・・前に屋敷に行った時、黒崎みどりに・・」
 佐々木は黙って聞いている。
「ずっと、血を吸いたくてしょうがなかった。けれど、神城や佐々木に嫌われたくなくて、ずっと黙っていた」
「屑木くん・・ずっと苦しんでいたんですね」
 いや、僕の状況より、佐々木の置かれた状態の方が酷い。僕はまだあれを入れられていない。
「ごめん・・佐々木・・こんなことになってしまって」
 しかし、佐々木は、僕にこう言った。
「屑木くん。君島さんを助けてあげて」
 僕に寄り添うしかない君島さんのことを「救ってあげて」・・佐々木はそう言った。
 ちくしょうっ!
 何も出来ない自分が歯がゆい。

 松村が、「屑木、あの二人の動き・・あいつらの催眠は俺が抑えておく。だからその隙に逃げてくれ」と言った。
「そんなことができるのか?」
「ちょっとの間だけどな」と松村は答えた。「それくらいはさせてくれ」
 結局、松村は何をしたかったのか?
 だが、佐々木には、もう松村しかいない・・そう思った。「松村、佐々木を頼む!」
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