血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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血縁者

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◆血縁者

「これで、私の話はおしまい・・今度は、屑木くんが話す番よ・・あなたはどうして、伊澄さんに『あれ』を入れてもらっていないの?」
 それは・・伊澄さんに何かを入れられそうになった時、景子さんが現れたからだ。だが、その話を言ってはいけないような気がする。
「よ、避けたんですよ・・」僕は話を誤魔化した。「公園で、伊澄さんに口の中に入れられそうになった時、怖くて避けたんです」
 僕がそう言うと、
「嘘おっしゃい!」
 それは親が子を叱りつけるような大きな声だった。
「う、嘘じゃ・・」僕が言い澱んでいると、
「伊澄さんの催眠にかかったら、普通の人間は動けなくなるのよ」
 あれは・・あの時、動けなかったのは、催眠だったのか・・
「でも、僕は、避けたんです」断固として抵抗する。

 僕がそう言うのを見ると、
 吉田女医の固く結んだ口から、二本の鋭い歯の先がじりじりと現れ始めた。
「さっきも言ったでしょう? この体を維持するのは大変なの・・血を飲まないとね・・本当に体が腐りそうなのよ」
「僕は、もう血を吸われてますよ・・そんな人間の血を吸うんですか?」
「だから、言ってるでしょう・・人間は不完全、あなたはまだ人間・・不完全なの・・だから、あなたの血は美味しいのよ!」
 まずい・・僕はまた血を吸われてしまう。背が凍りつく。
 逃げなければ・・立ち上がって・・
 あれ? 体が動かない。
 僕の慌てぶりを観察しながら吉田女医は、
「うふふっ、これが催眠の力よ・・屑木くんは、私に血を吸われるまで、この場所を動けないのよ」
 と、言って大きく笑った。
「それがイヤだったら、教えなさいっ! どうして、あなたの屑木くんの体には、『あれ』が入っていないのよ」 そうきつく言って、
「教えてくれたら、血を吸わないでいてあげるわ」と続けた。
 どうしたらいい?・・このままだと、血を吸われてしまう。
 本当のことを話せばいいのか? 伊澄さんといる所に景子さんが現れたと。

「さあ・・どうなの? 誰かが現れたの?」まるで拷問にでもかけられているような気分だ。
 僕は「そうです・・途中で、他の人が現れたから、伊澄さんは止めました」と言った。
 僕が言ったのを見て、
「あら、正直になったわねえ・・それで、誰に助けてもらったの?」
「そ、それは・・」
 さすがに名前は出せない。景子さんに迷惑はかけられない。
 だって、景子さんは僕とは何の関係もないじゃないか。隣の家に住んでいるというだけのただの優しいお姉さんだ。
 吉田女医が、どうしてそんなことを知りたいのかはわからないが、僕が景子さんの名前を出すことによって、景子さんに迷惑がかかることは絶対にあってはならない。
 あんなに優しい景子さん・・
 僕は守らなければならない・・景子さんのことを。

 すると、吉田女医は、こう言った。
「お母さんにでも助けてもらったの?」

 お母さん?
 どうして、そこで僕の母親が出てくるんだ? だが、吉田女医は冗談で言っている風にも見えない。
「ち、違います。母は公園になんて来ないですよ」
 そう・・母はあの箱ブランコのある公園には来たことがない。
 今、思い返してみれば、母とは、他の公園に行くことはあっても、あの公園だけは一緒に行かなかった。まるで、母が公園を避けていたかのように思えた。
 幼い頃からそうだった。あの公園に行く時は決まって父とだった。
 もっと記憶を遡れば、その時、景子さんがいつも一緒に・・

「お母さんじゃないのね・・」
 吉田女医は当てが外れたように小さく言い「お父さんでもないのよねえ」と続けた。
 そう言った吉田女医の口元から二本の牙が後退していた。
「おかしいわねえ・・」
 何がおかしいのか、分からないし、早くこの場を離れたい。血を吸われたくない。

 そう思った時、吉田女医はこう言った。
「伊澄さんの催眠は、血縁者でないと解けないのよ」
 血縁者?
「同じ血の者が、唯一、伊澄さんの催眠に対抗できるの」
 どういうことなんだ? 分からない。
 そんな僕の顔を見て、
「だから、私はね・・他の吸血鬼とタイプが違うのよ」と言った。
 吸血鬼のタイプ? 
 だが、そんなことはどうでもいい・・それより、この場を離れることが先決だ。
 しかし、体がまるで動かないし、さっきの血縁者・・同じ血という話も気になる。

「私は屑木くんと同様、血を吸われ、他の皆と同じように、伊澄さんに体の中に『あれ』を入れられたのよ」
「みんな・・そうなんですか?」と僕が訊ねると、「私の場合・・ちょっと違うのよね」と言った。
 そして、吉田女医は自分の境遇のことを語り始めた。
「私は、大学時代の友人に血を吸われたの・・女友達ね。その子がなぜか、大学の裏手の屋敷に行こうって、しきりに誘うのよ。その子が言うには、『みんな、あそこに行って、幸せになっているから』っていうのよ。意味が分からなかったけど、私は行くことにしたの」
「断らなかったんですか?」
 そう僕が訊ねると、吉田女医は自嘲的に笑って、
「その時の私は、今の私とは違うのよ。気が弱く、いろんな人の言いなり・・当然、ボーイフレンドもいなくて、その子が唯一の友達であるのと同時に、恋人だったのよ」

 それって、同性愛・・なのか? と思っていると、
「その辺は、屑木くんの想像に任せるわ」と言って話を続けた。
「あの屋敷のことは知っているでしょう? あそこで私は血を吸われたのよ・・その女友達にね。でも突然のことで状況がよく呑み込めなかった私は、嬉しかったのよ。その子とそんな風に触れ合えたことが」
 女同士・・不気味だ。僕にはそんな感覚が理解できない。
「でも、その後が大変・・血を吸いたくなってしょうがなかったのよ。抑えようにも抑えきれない・・そんな時に現れたのが、あの伊澄瑠璃子という女よ。彼女は保健室にやってきたわ」
「保健室で伊澄さんに・・入れられたんですね」

 僕はそう話を合わせながら、体を動かし、何とかこの場を脱することができないか模索していた。
 すると、吉田女医は、「うふふっ」と不気味な笑顔を見せ、
「伊澄さんはね・・残念ながら、最後まで入れることが出来ず終いだったのよ」と言った。
 吉田女医は、伊澄瑠璃子の失策をあざ笑うように言った。
「伊澄さんが、私の口をこじ開け、ズルズルと入れ始めた時・・父が現れたのよ」 
 吉田女医のお父さん?
「吉田先生のお父さんって・・」
「ああ、私の父を知らない? 普段目にしていると思うけれど・・そうね、知らないわよね。学校の用務員さんだもの」
 そうだったのか。
「私はこの町で父親と二人暮らしなのだけれど、父が現れたことで、私は救われたのよ」
 吉田女医はそう言って、
「すごく中途半端な吸血鬼として、私は生まれ変わったのよ」と笑った。
 中途半端な吸血鬼・・
 そう思っていると、吉田女医はその場に立ち、
「だって、見て、この体を!」と言って体を一回転させた。セミロングの髪が舞い、ふわりと香水の匂いが広がった。
「以前の私の体とは大違いだし、内気な性格も、ほら、こんなに大胆になったわ」
 そう言って、更に自分自身を誇示するように体を見せびらかした。
「屑木くんも、私のこの体、素敵だと思うでしょう? 正直に感想を言っていのよ」
 僕はコクリと頷いた。「素敵だと思います」そう言うしかない。
「それとも、年頃の男の子には、目に毒かしら?」
 僕は更に深く頷いた。そうしないと吉田女医は納得しないだろう。

 しばらくして吉田女医の気が治まったのか、
「もし、屑木くんが、伊澄さんに入れられるところを誰かに救われたのなら・・その人は、あなたの血縁者のはずよ・・それ以外に考えられないわ」
 そう断言するように言った。

 僕はその言葉に対して、
「違います・・その人は近所の人で、僕とは全く関係のない人です」と答えた。
 僕の返事に納得できない様子の吉田女医は、
「まあいいわ・・その人のことは、今後の課題として、今日のところは血を吸うことは勘弁してあげるわ・・今晩は他の誰かの血を吸うことにするから」
 吉田女医は、そう言って、妖しげな口元から舌を出し、唇を舐め上げた。

「そんなっ・・そんなことをしたら、吸血鬼が増えていくじゃないですか」
 考えると怖くなった。
 僕と関係のない人の血ならまだいい。
 だが、それが僕の家族や、神城や佐々木のような友人・・そして、景子さんだったら大変だ。
 だが、そう思っても、僕には止められない。
「あら、いけない?」
 吉田女医は、そう言って、
「人の血を吸うことは、そんなにいけないことかしら?」と問うた。
「ダメだと思います」
「でも、生きていくためなのよ・・人間も生きていくために、他の生物を殺傷しているわ」
 
 吉田女医の吸血願望は僕には止められない勢いを感じた。
 彼女が立ち去ろうと自転車に跨ったところ、僕は訊ねた。

「そもそも、吉田先生の女友達の血は・・誰が吸ったんですか?」
 僕の問いかけに吉田女医は、
「それはね・・伊澄さんが、懸命に守ろうとしている者よ」と答えた。

 伊澄瑠璃子が守ろうとしている人・・と

 吉田女医が立ち去ると、体は信じられないほどに軽く動いた。
 吉田女医から得た話もあるが、僕にとっては非常に理解に苦しむ話が混ざっていた。
 今まで僕は、血を吸われた者は吸血鬼化し、その後、伊澄瑠璃子に何かを体の中に入れられると、吸血願望はなくなる・・そう思っていた。
 伊澄瑠璃子は「楽になるわよ」と言っていた。
 だが、吉田女医は、「血を吸いたい」と言っていた。僕は危うく彼女に血を吸われる所だった。
 しかし、吉田女医は伊澄瑠璃子に何かを完全に入れられたわけではなかったようだ。
 その途中で、吉田女医の父親が現れ、その儀式のようなものは中断された。
 吉田女医の吸血願望があるのは、それが原因なのだろうか?
 もし、そうではなく、何かを入れられなくても吸血願望があるのなら、
 そうであれば、
 松村と屋敷に行く君島律子が危ない・・
 それは確信に変わった。
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