血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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傘の中の二人

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◆傘の中の二人

 それからの授業はうわの空で聞いていた。それが僕だけだったのか、他の生徒はちゃんと授業に向き合っていたのかは分からない。
 そして、うわの空の原因は他にもある。
 斜め前の女子のうなじと、スカートの裾から伸びたふくらはぎに目がいって、どうしようもない。症状はどんどん酷くなる。それに喉も乾く。
 水を飲んでも治まらない・・そんな渇きだ。体に水以外のものを取り入れたい。
 水筒のお茶を飲んでも、自販機の珈琲や炭酸水を飲んでも渇きは治まらない。
 再び、教室に戻れば、女子の血液が集中している部分に目がいく。
 ここが教室でなく、女子と二人きりなら、間違いなく女の子のふくらはぎに歯を立てているだろう。そして、血がぱんぱんに詰まった太股の肉にも唇を這わしたい。
 女子なら、誰でもいい・・

 そんなことばかり考えているので勉強に身が入るはずもない。
 それに、こんなことを・・僕の体の異常を相談する相手もいない。神城や佐々木にも言えないし、両親に言えば、医者に行くことになる。
 それはイヤだ。
 つまり、松村と同じ考え方だ。医者にも理解できない病気・・いや、病気なんてものじゃなく、人間を越えた・・人外のような現象だったら?
 周囲の人間の視線が変わってしまう。
 そんなことを考えると、怖くなる。
 だから、この体の飢え、女の子の肉に対する欲望は誰にも言えない。

 学校帰り・・雨がしとしと降ってきた。
 傘を持ってきてないな・・
 濡れながら帰るとするか。

 雨は、次第にひどくなってきた。
 頭や鞄が濡れるのを気にしながら歩いていると、
 突然、雨が途切れた。
 だが、そんなはずもなく、傘が差し出されただけのことだった。
「屑木くん、濡れるわよ」
 そう言って、傘を寄せてきたのは委員長の神城涼子だった。
「なんだ、神城か・・」
「何だ、とは何よ!」
「いや、神城は佐々木と帰るのかな・・と、思ってな」
「奈々は、今日は掃除当番よ」と神城は言って、「委員長の私が、傘を貸しているんだから、少しはありがたいと思ったら?」と続けた。
「いや、別に頼んでいないから」と僕は即答した。
 と言いつつ、神城の好意を有難く頂くことにした。
 もしかして、これが高校生になって初めての相合傘か? などと思いながら状況を楽しむことにした。
 時々、肩と肩がぶつかり合う。

「ねえ、今日のこと・・屑木くんはどう思う?」
 二人、並んで歩きながら神城はそう切り出した。
「大崎と吉田女医のことだろ?」
「それもそうだけど・・私、伊澄さんのことが不気味で・・ずっと考えているのよ」
 僕が応えあぐねていると、
「伊澄さんって・・人間じゃない・・」と言いかけ、
「彼女、吸血鬼なんじゃないの?」
 そう神城ははっきりと言った。
 神城の言葉は否定できない・・もうそんな状況まで来ている。そんな気がする。
 しかし・・
「そう言うけどな、神城・・僕たちは、伊澄さんが人の血を吸っているところを一度も見ていない」
「そうだけど・・」
 そんな納得できない様子の神城に、
「伊澄さんは、『補っている』・・・そう言っていたよな?」と話を切り出した。
「ええ、言っていたけど、私、意味がわからないわ」
「神城がわからないこと、僕にわかるわけがないな」と神城を立てておく。
 本当は何となく、僕なりに推測している。
 伊澄瑠璃子は、血を失った体に何かを入れているのだ。

「神城は見ていなかったかもしれないけれど、僕と佐々木は見たんだ」
 僕がそう言うと、
「ああ・・あの物置小屋の中で、伊澄さんが大崎先生の口の中に何かを入れていたっていう気味の悪い話ね」神城は思い出したように言った。
 僕は、
「あれが、伊澄瑠璃子の言うところの『補う』じゃないかな・・って思うんだ」
 
 伊澄瑠璃子は、血を失った体に、口から何かを入れ、元の体に戻している。
 だが、その後の体の様子は、全員おかしくなっている。
 骨がおかしく・・柔らかくなったり、伊澄瑠璃子に従順になったり。

 そうなると、僕の体はどうなんだ?
 僕は黒崎みどりに血を吸われかけ、そのままの状態だ。
 伊澄瑠璃子に口の中に何かを入れられたわけではない。
 そうされないと、僕はずっと何かの枯渇感に喘がなくてはならないのか?

「伊澄さんは、血を失った体を元に戻しているんじゃないかな?」
 そんな僕の憶測を言うと、
 神城は、「いったい何のために? 伊澄さんは何のためにそんなことをするの? それに、それが本当だとしても、白山さんの血は誰が吸ったのよ? あの空中に消えた血はどう説明するの?」と訊いた。
「それがわかれば、苦労しないよ」そう僕は返した。
 しばらく神城は俯き何かを考えているようだった。そして、口を開くと、
「私・・もっと気になることがあるのよ」と話を始めた。
「気になること?」
「ええ、気になるの・・屑木くんは、気づかなかった?」
「神城、ごめん。何の話かわからない」
「クラスの生徒たちのことなんだけど・・」
 ・・じれったい。
「もっとわからない・・ちゃんと説明してくれ」
 僕が急かすと神城は、
「生徒たちもそうだけど、先生にしたって・・今回のこと、授業が終わった時点で、もう忘れているみたいに思えるのよ」
「そういや、途中入場の谷垣先生も、すぐに帰っていったよな?」
「あれだって、すごくおかしいわよ」
「たまたま・・じゃないかな・・」僕が言葉を濁すと、
「屑木くん・・本当にそう思ってる?」
 神城は、僕の顔を覗き込み言った。傘の中、神城の顔が接近する。
「いや・・それはおかしいと思っている・・けれど、僕もそうだけど、神城もこうやって僕と話をしているし、  佐々木や、松村もこの件に関わっている」
「そう言われれば、返す言葉もないわねえ・・」
 そう神城は言って、
「私はまた、伊澄さんが生徒たちや先生を『集団催眠』にでもかけているのかと、勝手に思っていたのよ」
「集団催眠?」
 神城にそう言われてみれば、そんな気もする。
 教室全体が、伊澄瑠璃子を中心に、何かの空気に浸食されているような気がする。
 そして、その能力は保健医の吉田先生も持っている気がする。

「僕もそんな気がするよ」
 僕はそう言って神城の横顔に目を向けた。
 その時だ。
 どくん!
 神城の喉元が視界に入ってきた。生々しい欲望を伴って、僕の脳内に入り込んでくる。
「きゃっ」
 同時に神城の小さな悲鳴が聞こえた。傘が大きく傾き、雨が顔を濡らした。
 あろうことか、気がつくと僕は神城の肩を抱き、その首筋に唇を這わせようとしていた。
 寸前で理性が働いた。
「屑木くん?」
 神城は一瞬何が起きたのか、分からない様子だった。
「ごっ、ごめん! 神城っ・・」
 僕は慌てて謝り、
「ちょっと立ち眩みがしたんだ」と言い訳をした。
 理性が働かなければ、僕は神城の喉元に歯を当て、彼女の血を吸うところだった。
 そんな僕に神城は「屑木くん、目が怖い」と言った。
「ごめん」と僕は重ねて謝って、
「ここからは一人で帰るよ」
 そう神城に言い残して駆け出した。
「屑木くん!」と神城の僕を呼ぶ声が聞こえたが、振り返れなかった。
 空を見上げると、冷たい雨が顔に当たった。なぜか今はそれが心地よかった。
 さっきの血を吸いたいという暗い情念が薄れていく気がしたからだ。
 この欲望を何とかしないと、
 いつか僕は、本物の吸血鬼になる。
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