血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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マット運動と平均台

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◆マット運動と平均台

 5時間目は体育の授業だった。
 いつもサボってばかりの大崎先生が行方不明状態なので、臨時で担任の上里江美子先生が体育を受け持つことになった。
「大崎先生の授業・・今まで自習ばかりだったみたいね」
 大崎先生が適当にソフトボールやテニスを生徒にさせていたのに比べて上里先生はちゃんと生徒を見守っている。
「私、体育の授業は中学校時代以来なのよ」と上里先生は照れるように言って、マット運動の指導を始めた。男女別ではなく合同で、場所もグラウンドではなく体育館の使用だ。
まず準備運動の柔軟体操から始まる。
 手首や腕のストレッチを行う。ウォームアップを済ませると、マットを使って小学校でもやった前転、後転などを何度か行い、補助付き倒立や跳躍運動もした。
 昨日、教室で首をあらぬ方向にまで曲げて見せた松村を見てみる。
 今のところ、目立った動きはないようだ。

 続けてグループ分けとなり、マットを使った倒立前転に移った。倒立前転の出来ない者は補助者付きで行う。
 倒立前転の後は、倒立側転。
 そんな風に種目を行っていると、近くで女子の歓声が上がるのが聞こえた。
 その称賛の的は伊澄瑠璃子だ。
 綺麗に、かつ、優雅にマット運動の種目をこなしている。
 長い黒髪がヘアゴムで結われてはいるものの、宙に髪が揺れ、舞う景色は溜息が漏れるほどに美しい。
 そして、目を奪われるのは髪だけではない。その体型・・プロポーションだ、若干痩せた感じはするものの均整のとれた体つき、その上、張りのある白すぎるほどの肌は女子が憧れてやまないのも仕方のないことに思える。

 そして、男子の方に視線を戻すと、やはり松村の運動神経はかなり向上しているように見える。
 僕が「松村、おまえ、運動神経がよくなったよな」と声をかけると、
「ああ、なんだか体が軽いんだよ。それによく動く」と答えた。
 それが何でもない状況であれば、聞く方も気持ちがいいのだが、吸血鬼のことがあってからでは、その言葉に何とも不気味さを感じる。
 どこまでも曲がる手首、一回転しそうな首。どれも不自然極まりなく気持ち悪い。
 そして、最も気になるのは、顔に穴が開いているように見えることだ。
 だが、それは目を細めて凝視しないと分からない。

 女子のグループでまた一段と大きな歓声が上がった。
 歓声の対象は前転宙返りを何度もしている伊澄瑠璃子だ。宙からマットに脚を着く時の音が心地いい。
「伊澄さん・・きれいだなあ」と横の男子が評価する。
「女子の中で、彼女だけ、別格だな」と別の男子。
「伊澄さんに比べると、委員長の神城も、高飛車の君島律子も見劣りするよな」とわざわざ比較対象を引っ張り出して評価する男子。
「そうそう、君島の奴、すっかり影を潜めたよな」
「本当だ。取り巻きもいなくなったみたいだしな」

 そんな引き合いに出される君島律子は、体育座りで両膝を深く抱え込み伊澄瑠璃子の様子を羨ましげに見ている。
 伊澄瑠璃子がしているマット運動は君島律子が難なくこなしていたものだ。だが、今、彼女が同じことをしても誰も見ない。見てくれない。それは彼女自身が一番良く知っている。
 
 そんな彼女を見ていると、僕の目は体育座りの君島律子の脚に移った。
 制服のスカートとは違って体操着は露出部分が多い。ムッチリした太股が目に飛び込んでくる。
 それまで彼女の太腿を見ても何も感じなかった僕は、突き上げてくるような欲望を感じた。
 その張り詰めた肉の塊の中に僕の求めるものがある。
 僕の口を、歯を、君島律子の白い太腿に当てたい・・そして、更に・・
 いや、違う、健全な男子の欲望として、そんな欲望はおかしい。

 おかしな欲望を打ち消すように女子の別のグループに目を移すと、
「あれえっ、あかねったら。倒立前転できるようになっているじゃないの! あれだけ、できないできない、って言っていたのに」
 その大きな声は黒崎みどりだ。
 補助者なしで倒立前転をしているのは白山あかね。
 あの屋敷に行ったメンバーだ。
 白山あかねがどれほどの運動神経なのかは知らないが、黒崎がそう誉めるのだから、以前は補助者付きで倒立前転をしていたのだろう。
 白山あかねは、マットから下りると、
「みどりだって・・運動神経よくなってるじゃない」と黒崎に対して言った。
 そういうことか。
 男子の松村にしろ、黒崎みどり、白山あかね。
 皆運動神経が向上している。その共通点は、あの屋敷に行ったこと、血を吸われたかもしれないことだ。
「なんだか、私・・体がすごく軽いのよ」
 白山あかねの明るい声が弾む。
 その顔を目を細めて見ると、遠くからでも松村同様に顔が空虚に見える。
 白山は体が軽くなったのが嬉しいのか、その場でぴょんぴょん跳ねて見せた。
 それに合わせて黒崎も跳ねだした。
 その跳躍も少しおかしい・・かなり高く垂直跳びをしている。
 体力テストでもあればその成果を知ることになるだろう。
 体が軽いのか、跳躍力がアップしているのか?
 
 時間が経つと、上里先生が平均台を用意させた。平均台は腰より少し高い程度。
「平均台が怖い子はマットの上でかまわないわよ。自信のある子だけ、平均台にトライしてみて」
 そんな上里先生の号令で、マット運動のままでいる子と、平均台に並ぶ子とに分かれた。
部活などで運動にたけている子たちは、Y字バランスや、スワンバランス、ジャンプ、スキップ等をしながら順番に平均台をこなしていく。

 自分の体が軽くなった、と嬉々として報告し合う黒崎みどりと白山あかねも平均台の順番に並んでいる。
 そして、平均台に立つと、
「見てっ、みどり、私、何でもできそうよ!」
 そう言って白山あかねは平均台の上で、倒立前転をした。そして綺麗にポーズをとった。
「すごいわ。あかね」と黒崎は称賛した。

 その光景を見ていると神城涼子が近くに来て、
「ねえ、屑木くん・・白山さん、絶対おかしいわよ。黒崎さんはともかく、白山さんがあんなに運動神経がいいなんて。今まで平均台に上がったことなんてなかったもの」
 そこまで白山の運動神経のことを知らない僕は、
「そうなのか?」と小さく言った。
 幽霊屋敷に行った白山は松村と同じく運動神経が向上している。

 白山あかねは相方の黒崎に褒められて調子づいたように何度も平均台の上で跳躍し、倒立前転や後転を繰り返した。
 そして、
「見て、みどり!」と言って、
そのままジャンプしたかと思うと、前転宙返りを行おうとした。
 だが・・
 次の瞬間、白山あかねは、
「あれっ?」
 と小さな悲鳴を上げ、平均台からストンと落ちた。
 低い平均台だが、変な落ち方をしたらしく首からマットに突っ込んでいる。
 僕の目には首がへしゃげてマットに埋もれているように見えた。
 だが、すぐに白山あかねは立ち上がった。

 上里先生がすぐに駆け寄り、「白山さん。大丈夫?」と言うなり、手で口元を押さえた。
 悲鳴が出るのを押さえているのだ。
 先生の視線の先・・白山あかねを見ると、
 白山あかねの首が真横に曲がっていた。
 完全に首の骨が折れている!
「きゃあっ!」
 一人の女子が大きな声を張り上げた。その声を機に次々と女子の悲鳴が上がった。
 黒崎みどりが白山の顔を指差して、
「あかね・・その首・・」と震える声で言った。
「どうかしたの? みどり」
 首が真横に折れているまま、白山あかねは黒崎に近寄った。
 白山の目がくりくりと上下左右に動いている。
「ひっ!」
 近づいてくる白山に黒崎は後ずさりした。
 そんな黒崎に白山は、
「あれぇ、みどりの顔がおかしい・・横に見えるわ」と言った。
「おかしいのはあかねの顔よっ!」
 そう指摘された白山は頭に触れ、
「あら、本当だわ」と言って。
 自分の頭を両腕で掴むと、「えいっ」と声を出し、本来あるべき位置に戻した。
 ぐきっ、と鈍い音がしたが、白山自身は痛みを伴わなかったようだ。
「うふっ、みどりの顔が元通り・・真っ直ぐに見えるわ」
 そう言って白山は微笑んだ。
「あわわっ」黒崎は変な声を出し、腰が抜けたようにその場にへたっと座り込んだ。
 そして、
「あかねがそうなら・・私も・・」とうわ言のように言った。「私も、骨がおかしくなっているんだわ」
 そう言った黒崎みどりの顔は顔面蒼白だった。
 おそらく黒崎は、相方の白山と同じように自分の体の異変を感じ取っているのだろう。
 そして、そうなった原因は、あの屋敷の出来事だ。 
 骨がおかしく・・それは、骨がぐにゃぐにゃに柔らかくなっている・・そう思えた。白山あかねの首の骨は、松村と同じだ。
 骨がどこまでも曲がっていく。

 上里先生はそんな白山あかねの様子を見て異常を感じたらしく、
「とにかく、白山さんは休んで、保健室に行きなさい」
 そう言って、黒崎みどりに保健室に一緒に行ってあげるように言った。
「もう大丈夫ですよ」と言う白山を黒崎は「一応、見てもらったら?」と言って保健室に引っ張っていった。

「屑木くん・・さっきの白山さんを見たわよね」と神城が言った。
「ああ・・見た・・首が折れていた」
「絶対におかしいですよね」
 佐々木奈々も近くに来ていた。
「だからと言って・・どうすることもできないよ・・それに・・」
「それに?」神城が僕の話を促した。
「おそらく、黒崎みどりの体も、いずれそうなる・・そんな気がする」
 そう僕は言った。
 更に僕は、
「あの二人、保健室に行ったんだよな?」と神城と佐々木に向かって言った。
 すると佐々木奈々が「保健室には、あの吉田先生がいる・・屑木くんはそう言いたいのですよね」と言った。
「ああ・・」と返事をした後、
 僕は、「もしかして・・」と言って、その先を言い澱んだ。
 神城は「何よ、言いかけて。ちゃんと最後まで言いなさいよ」と強く言った。
「いや、これは僕の想像だけど・・あの屋敷に行ったのは、僕たちや、松村だけじゃない・・そんな気がするんだ」
「私たちだけじゃない・・」
「ああ・・他にもいる」
 佐々木奈々が「私もそう思いますよ」と同調した。
「そして、さっきの白山のように骨がぐにゃっとなった生徒は他にもいると思うんだ」
「やだ・・それって、屑木くんの想像でしょ?」
「想像だけど・・もし想像が当たっていたら、そんな生徒は白山みたいに保健室に行ったのかな?・・ってそう思った」
 神城はしばらく考えた後、
「そんな人はみんな保健室に行く・・」と言った。
「保健室には吉田先生がいますよね」佐々木が続けた。

 そう・・保健室には女医の吉田先生がいる。
 鏡に映ったその顔・・僕と佐々木はその腐ったように見えた顔を目撃している。

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