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主人公

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◆主人公

 その顔、背格好、髪型。その清楚で理知的な雰囲気。
 それは、草壁会長のブログの写真で見た少女そのものだった。
 もちろん、このような場所なので、それなりの正装はしている。純白のブラウスに、清楚な紺色のプリーツスカート。
 上流階級の少女たちが持つ雰囲気が一面に醸し出されている。いや、それ以上のものを感じた。
 ブログ上のカジュアルな服装と違ったが、その少女は、
 草壁ミチル。
 つまり、島本さんの実の娘だった。

 草壁ミチルの登場で、会場内は一旦静まり返り、挨拶が始まると、人々は彼女の声に耳を傾けた。そして、一礼の後、ピアノ演奏が始まると、出席者の食事の手が止まった。
 そうだったのか。このパーティの主人公は、草壁ミチルだったのだ。あえて、そのことは言ってはいないが、今日は、彼女の成長した姿のお披露目会でもあったのだろう。

 会場内には、ピアノの音以外は何も聞こえなかった。
 鍵盤の上で、少女の白く細い指が踊っているのが見えた。
 草壁会長は、その様子を目を細め、我が愛娘を鑑賞している。
 彼にとって、ミチルは実の娘だ。それは間違いないと思われる。つまり、彼の唯一、血の繋がりがある人間だ。
 そして、ピアノの奏でる美しい曲を聴きながら、こう思った。
 草壁ミチルは、草壁会長と島本さんとの愛の結晶なのだ、と。
 しかし、親子の状態がこれでいいのか? とも思った。ミチルの実の母親は、娘に会えない日々をアパートで孤独に過ごしている。
 島本さんは、娘のことを片時も忘れたことはないだろう。その証拠に、僕がプリンターでイズミを作成した時にでも、島本さんの思念はプリンターに流れ込んできた。
 
 そんなミチルを見ているのは、イズミも同じだった。
 だが、イズミの場合は、他の人とは完全に異なる。
 もしかすると・・あの少女は、イズミの鏡のような存在かもしれないのだ。
 そのことを決定づけるように、
 イズミは、「あれは、ワタシ?・・」と、誰ともなく言った。
 イズミの小さな声は、いつもと違った。別人の声。
 そして、イズミは、こう言った。
「ワタシは、ミチル」
 ピアノの旋律の中、イズミの声は、何よりも大きく聞こえた気がした。
 私は、ミチル。
 つまり、イズミの中の「ミチル」が顔をもたげたのだ。
 現在、イズミがどんな状態なのか、わからない。完全にミチルに取って代わってしまったのか、一部だけなのか。
 いずれにせよ。イズミの状態はよくなかった。そのことを示すように、イズミはティーカップを落とした。
 静寂の中、コップが割れる音が響いた。同時に、飲みかけの紅茶が足元に広がった。
 これは、まずい。
 僕は片付けながら、周囲の人に、「すみません」と謝り倒し、これ以上、居たたまれなくなったので、イズミの手を引き、そのまま廊下に出た。
「イズミ、気分が悪いのか?」と訊いた。
 イズミは、「何でもありません」と返した。
「ミノルさん、どうかしたのですか?」
 それは、イズミの声だった。さっきの声質ではない。
 平静を装っているようだが、やはり、様子がおかしい。体全体が痙攣しているようだ。
 僕の問いに、イズミは、
「ミノルさんは、優しい」と嬉しそうに二度繰り返した。
 やはり、変だ。イズミらしからぬ言葉だ。
 廊下のトイレ近くのソファーを見つけると、「しばらく、ここに座ってろ」と無理矢理座らせた。イズミは帽子を胸に抱き寄せたまま、静かに座った。

 もっとミチルのピアノ演奏をきいていたかったが、今は、イズミの方が心配だ。
 かといって、イズミに何の力になれるわけでもない。
 イズミは、人間ではなく、ドールだ。介抱することもできない。眠らせるか、充電させるか。水や錠剤を飲ませることくらいしかできない。
 便利なのか、こういう時には、非常に困るのか、分からない。
 そして、イズミはそのどれも拒否した。水も飲みたくないし、錠剤も必要ではない。そう答えた。充電も出かける前にしたから、残量も十分らしい。

 仕方なしに僕はイズミの隣に腰をかけた。お尻が沈み込むようなソファーだ。
 そんな場所でも、ピアノの音は聞こえてくる。しばらくすると、拍手が起こったようだった。そして、また静まりかえった。別の演奏が始まった。悲しい感じの旋律だった。
 しばらくすると、イズミが、くいと顔を上げた。
 そして、「この曲は・・」と呟いた後、思考の海に沈み込んだ。
 しばらくして、イズミは、「この曲は・・」
「会いたい・・」
 イズミは、この演奏の主題が「子が、親に会いたい」そんな思いを込めた曲だと言った。
 イズミのデータの貯蔵庫。すごい! 

 演奏が中盤になると、ミチルの感情が昂ぶったように聞こえた。イズミから聞いたせいもあるが、ミチルの感情が伝わってくる気がした。同時に、この曲を島本さんに聞かせてあげたい。そう思った。
 ミチルは、実の母、島本由美子の存在を知っているのだろうか?
 それとも、既に亡くなった義母を、実の母として信じ込まされて生きているのだろうか。
 知りたい。
 イズミのことは、もちろん、島本さんや、その娘、ミチルのことをもっと知りたかった。
 不思議な感覚だった。
 今まで、僕は人と接することが嫌いで、他人と関わることを避けてきた。
 それがどうだ。
 今は、こんな場所に来て、ただのドールだと思っていたイズミ、暇つぶしに創ったイズミを心配し、島本さんの心を考え、その娘のミチルのことも考えている。
 そんなことの全ての解答が、ピアノの演奏にあるような気がした。

 だが、今日ここに来た本来の目的は、ピアノ演奏を聴くためではない。山田課長の奥さんの心を、イズミの思念読み取り装置で読むことだ。
 山田瞳子・・
 あの人の心を欠いたような瞳が、
 イズミと出会った時から、少しずつ潤ってきた生活を、全てぶち壊してしまうような気がしていた。

 そう思った時、会場のドアが静かに開いた。
 山田瞳子だった。そして、もう一人いる。最初は、山田課長が夫婦揃って退出してきたのかと思ったが、様子は違うようだった。
 真っ黒のサングラスをした男を連れている。まるでボディガードのようだ。
 男は、すらっとした長身で、グラスをかけていても、その顔が整い過ぎるほどの男前だとわかる。通った鼻筋。薄い唇。
 だが、この男の雰囲気、どこかで見たような・・
 遠い記憶を呼び覚まそうとしていると、
「そちらのドールさん。大丈夫?」
 山田夫人が優しく声をかけてきた。優しい声でも、その奥には毒を含んでいるのが感じられる。
「確か、飯山商事の井村さんよね。主人がお世話になっているわ」
 僕は返事をする前に、顔を上げて彼女の顔を見た。
 その顔、あのエスカレーターの上から、エレナさんを突き落とし、平然とロビーを抜けていった冷淡な顔、そのままだった。優しい言葉が似合わない。そんな顔だ。
 僕はとりあえず「ええ」とだけ答え、やり過ごそうとした。
 すると、背後の男が前に出て、
「トウコ」と山田瞳子の名を呼んだ。
 サングラスのせいで気づかなかった。男の肌は、ドールの質感そのものだった。
 男性型のドールだった。おそらくA型だろう。
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