時々、僕は透明になる

小原ききょう

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嬉しい時の心の暴発①

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◆嬉しい時の心の暴発①

 僕のこれまでの人生。
 特に親しい同性の友人も一人もなく過ごしてきた。男の友達がいないのだから、女友達がいるはずもない。
 成長期の中、初恋だけは一人前にしたが、
 高校に上がっても親しい人間はできなかった。そんな中、佐藤一郎のような外交的な人間と高一の時に親しくなった。
 その佐藤とは、どこかに行ったりする友人ではなく、休憩時間や登下校の時に話す程度だった。けれど、佐藤の親しさは彼の都合で構築されているものだと、透明化した時に佐藤が誰かと話すときに聞いた。
 そんな僕の人生・・結局、僕には小中高と誰とも親しくなってはいなかったし、恋の成就など遥か先の話だった。
 ところがだ。異変が起きた
 僕の透明化に気づいた速水沙織に誘われるまま、文芸サークルに入部。同じ部員の小清水沙希とも話す仲になった。当然、速水部長とも、そして、幽霊部員だった青山先輩ともそれなりに親しくなった。
 これまでの人生では考えられなかったことが次々と起きた。
 そして、今回、僕の恋い焦がれる水沢純子の親友の加藤ゆかりとデートすることに・・
 なんで?
 どうして、こんな流れになったのだろう。
 と、いまさら疑問に思っても、悔やんだりしても、もう僕の前には一本のレールが敷かれている。
 このレールが真っ直ぐなのか、曲がりくねっているのか、それは予想もできない。

 ・・そんなことを昨夜から考えていたが、
 僕が加藤ゆかりとデートするということ・・それは、僕の人生の上で、考えられなかったことだ。文芸サークル入部も想像だにしなかったが、女の子とデートなんて更にありえない。そう思っていた。

 僕はこの高校生活を何事もなく、つまり、友人もなく、恋の成就もなく過ごすつもりだった。初恋の思い出を振り切ることなく、水沢純子に恋したが、絶対に告白しないと決めていた。傷つくのが怖かったからだ。
 そんな僕が、衝動的とはいえ、デートの約束をした。しかも、その相手は、それまで恋の対象として全く見ていなかった加藤ゆかりだ。
 文系の奥手な僕とは対照的な存在。スポーツ系で明るく、敵もいない。悩みなんて何もないような顔。そんな彼女と僕が何がしかの関係があるとすれば、それは彼女が水沢純子の友人であること、それだけだ。
 思い返せば、水沢さんと水族館に行ったのも、加藤ゆかりが佐藤に想いを寄せていて、それにつき合ったことがそもそもの経緯だった。
 加藤には感謝。
 そして、その加藤と・・
 これでいいのか?
 このまま一本のレールの上を進んでしまっていいのか?

 デートは一回だけだ、と言った。僕も加藤も互いにそう言った。
 そもそも一回だけのデートって何だ?
 その後、どうなる? デートした後は、二人はどうなるんだ?
 そして、僕はこう思う。
 僕が加藤ゆかりを好きになること・・そんなことは考えられないのか?

 加藤のことを考えていたら、文芸サークルの速水部長のことが頭をよぎった。
 いや、よぎるなんてものじゃない。
 ずっと前から気にかかっている。
 それは、ずしりと重い。

 加藤ゆかりには申し訳ない言い方だが、僕が加藤に対して抱く感情はこうだ。
 加藤といると、何の気兼ねもいらない。余計な緊張感もなくて済む。
 逆に水沢さんといるとそうはいかない。
 もちろん、それは石山純子に対しても同じだ。
 つまり、僕は水沢純子と石山純子に恋をしたのだから、それは当たり前だ。
 片思いの相手には緊張して当たり前なのだ。
 だが、加藤といると、気持ちが楽だ。
 それは女の子として興味がないということなのかもしれない。
 
 しかし、速水沙織の場合は、違う。
 透明化した速水沙織の心を水沢純子は読み取った。
 そして、「あの人は、鈴木くんを愛している」と言った。
 そう言った水沢さんの言葉を僕は信じていなかった・・だが、僕は中学時代に速水沙織と出会っていたことを知り、速水さんが僕を追いかけていたことを知った。
 速水さんは義父のキリヤマから暴力を受けていた。
 それは、石山純子に公衆電話で告白した夜のことだった。

 だが・・それが分かっても、僕に何ができる?
 どうにもできない。
 なぜなら、僕は速水沙織に対して・・恋をしていないからだ。
 その証拠のように、透明化した速水さんを僕は見ることができない。
 速水さんが僕の姿を見ることは出来ても、僕には、速水さんの姿が見えない。

 ・・なぜか、そのことが辛い。
 次第に辛くなってきた。

 僕は速水沙織に告白されたわけではない。水沢さんが勝手にそう思っているだけなのかもしれないし、過去に出会っていたことで、僕が勝手に速水沙織が僕のことを好きなのではないか?・・と思っているのに過ぎない。

 速水沙織は沈黙している。
 そして、その先も見えない。

 だから、僕は今日・・
 文芸サークルの部室に来た。放課後の部室ではなく、夏休みの夕暮れ時の部室だ。
 速水沙織は叔父さんの家で過ごさず、又、母親のいる家に行くこともなく、部室で沈黙読書会を一人で楽しんでいる。
 いや、「楽しんでいる」と言うのは語弊がある。速水さんにとっては、「部室で過ごす」という以外に選択肢はないのだ。
 母親の家には暴力男のキリヤマがいるし、叔父さん夫婦の家では気を遣う。
 速水さんにとっての唯一の逃げ場がこの部室だ。

「ちゃんと、夕方には叔父さんのいる須磨の家には帰っているんだよな?」
 速水さんは読んでいた文庫本を閉じ、いつものように眼鏡をくい上げして、
「ええ、ご心配なく・・ちゃんと帰っているわ。食事も三度しているし、睡眠も十分とっているわ」と淡々と言った。「私、こう見えても、とても真面目なのよ。どこかの不良少女じゃないわ」
 速水さんのいつもの口調を聞いていると、少し安心する僕がいる。
「それで、鈴木くんは、この私に何の用なのかしら?」
 改めて訊かれると言葉を失う。
「いや・・特に用事があるわけじゃないんだ」
 僕がそう言うと、僅かな笑みを浮かべて、
「あら、鈴木くんは、部室で一人寂しそうに本を読んでいる私に同情してくれるのね。嬉しいわ」と言った。
 僕は「その言い方・・全然嬉しそうに言っているように聞こえないんだけどな」と返した。
 僕の返しに速水さんは、少し笑って、
「用がないのなら、私とくだらない雑談でもしようと思ってきたわけね」と言った。
「そう・・雑談だ」と僕は言った。「けど、くだらなくもない」

「小清水さんのことを報告していなかったしな」
 僕は速水さんの近くの椅子に腰かけると、小清水さんとの間にあったことを話した。
 彼女のこと・・つまり、小清水沙希の多重人格のことを話せる人間は速水さんしかいない。
 小清水さん自身の秘密めいた話を他人に報告することはいけないことだと分かっていても、僕だけの心の中に封じ込めておくことも悪いような気もする。
 それに小清水さんの多重人格については、速水さんも顧問の池永先生も承知していることだ。

「あら、私の了承なしで、また人前で透明になったのね」
 僕の話を聞き終えると速水さんはそう言った。
「僕が透明になること・・それって速水さんの承諾がいるのか?」
「あまり、人前で透明になるのは、好ましくない・・そう思っただけよ」
 そう言った速水さんに、「人がいないところで、透明になることも意味がないけどな」と返した。
 すると速水さんは、やるせないような溜息を吐き、
「鈴木くん、私、言ったでしょう。覚えている?」と言った。「透明化している時に、心が暴発すると、そのままあの世に行ってしまうかもしれない、という話を」
 透明化している時に、心が暴発するということ・・僕はそれを体験している。
 合宿の夜、文芸サークルの部員が酔っ払いにからまれた時、体を透明化させて、部員を難から救おうとした際にそれは起こった。
 心が遠くに吹き飛ばされるような感覚だった。
 あの時は、速水さんが僕を抱き留めてくれて助かった。

「覚えているよ。あの時は、速水さんに助けられた・・」
 心の暴発で、透明化どころか、僕の存在自身が消失してしまう・・実際にどうなるのか、僕には分からないが、もし本当にそうなるのなら、恐ろしいことだ。
 若くして死んでしまう・・そんな緊急事態を速水沙織は救ってくれた。

 僕がそう言うと、速水さんは豊かな胸を両腕で抱き、
「あの時、後ろから鈴木くんの背中を抱き締めた時の感覚は、この胸が覚えているわ」と真顔で言った。
「おい・・そんなことを真面目な顔で言うなよ・・」
 確かに、速水さんに背後から抱き締められた時、ギュッと速水さんの胸が押しつけられていたが、そんなこと・・本人に言うかよ!

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