時々、僕は透明になる

小原ききょう

文字の大きさ
上 下
179 / 327

檸檬(れもん)①

しおりを挟む
◆檸檬(れもん)

 緊張が緩むのを感じた時・・眠くなると思われたが、
「お義母さま、石坂に車を用意させます」
 急に立ち上がった青山先輩の大きな声で吹き飛んだ。
 青山先輩を見上げると、「鈴木くん。上出来だよ」と言っている風に見えた。
 僕は、少しは青山先輩の役に立ったのだろうか・・

 そんな満足げな顔の青山先輩が退出すると、
 突然、青山夫人・・青山麗華さんと二人きりになる。再び緊張が走る。眠気どころではない。
 青山先輩の足音が遠のくのを確認した後、青山夫人は再び綺麗な脚を組み替え、
「あなた・・鈴木くんと言ったわね」と切り出した。
 大きく綺麗な瞳が僕の目に合わさる。更に緊張し身構える。
 僕が改めて「鈴木道雄です」と言うと、
「灯里さんとつき合っている・・それって、嘘・・よね」と強く言った。
 僕の目が大きく見開かれるのを確認して、
「別にかまわないのよ」と言って青山夫人は、笑みを浮かべた。
「それがわかっても、鈴木くんをどうこうしようとも思わないし、灯里さんを叱りつけることもないわ。それに、私が早川を切る考えも変わってはいない」
 
 体中の汗が吹き出すような気がした。
 あえて「嘘ではないです。本当に灯里さんとつき合っています」と言えないでいた。
 言い返せない雰囲気が、青山夫人にはある。
 では、どうする? 「嘘でした、ごめんなさい」と謝るべきなのか?

 ああ・・青山先輩、どうして、こんな時に、僕を一人にして中座するんだよ。
 僕を置いて去るなんて。
ん?「置いて去る」・・それって・・
 あ、そうか。そういうことだったんだな。

「ごめんなさい」そう僕は青山夫人に言った。
 そう切り出しても青山夫人は黙っている。僕の次の言葉を待っている。
 広い部屋に静かな時間が流れ始めた。
「僕の芝居は、下手くそでしたね」
「ええ・・そうね」
「灯里さん・・いえ、青山先輩以上に、僕は要領を得ないし、何ごとにも不慣れで不器用です」
「でしょうね」
 青山夫人は頷きながら僕の話を聞いている。
 そして、僕はこう言った。
「そんな僕だから、青山先輩は、僕を選んだんだと思います」
 そう言うと、青山夫人は綺麗な笑みを浮かべ、
「そうかもしれないわね」と言った。「まさしく灯里さんの選んだ人ね」
「でもそれは、つき合う人としてではありません」
 そう僕が否定すると、
「では、灯里さんにとって、あなたはどんな存在なのかしら?」
 青山夫人のきつい表情が和らいでいる。
 そんな雰囲気を醸し出した人に僕は、
「・・僕は、檸檬だったんたと思います」と言った。
「れもん?」夫人が首を傾げる。だが、笑わずに僕の話に耳を傾けている。
「はい、梶井基次郎の檸檬です」
 そう言って、僕は檸檬の概略を説明した。僕の話を聞き終えると夫人は、「その小説、学生時代に読んだことがあるわ」と懐かしむように言った。
「もう忘れたけれど、あなたがその爆弾・・檸檬みたいなものだったのね」
 僕は「そうです」と答えた。
 夫人の機嫌を害したかとも思われたが、彼女は、「その本、また読んでみることにするわ」と言った。
 そして、
「でも、勘違いされないように、これだけは、言っておくけれど」と改めて厳しい顔になり、
「私もね・・この家・・青山家に嫁いできたからには、引っ込みがつかないこともあるのよ・・まだあたなには分からないでしょうけれど」と強く言った。
 引っ込みがつかない・・何に対して?
 ・・わからない。
「僕には、わからないです。僕は女性ではないし」と言って、部屋の中を見渡しながら、「こんな大きな家の中に住んだこともないですから、そこに住む人の心も想像できないです」と応えた。
 青山夫人は、「あなた、大きな嘘はついたけれど、正直に言うこともあるのね」と評価して「そうね。あなたには、わからないわね」と遠くを見るような目で言った。

 檸檬・・梶井基次郎の小説「檸檬」の主人公が本屋に置いてきた檸檬は爆弾だったが、青山先輩の置いていったのは、僕だ。
 そんな檸檬代わりの僕は何もできない。
 けれど、僕は感じていた。
 青山先輩の義母、青山麗華さんと青山先輩は・・この先、大丈夫だ。
 そんな確信めいたものが生まれた。

 しばらくして青山先輩が戻り、「鈴木くん、車を用意したよ・・行こうか」と言った。

 青山夫人は、「ここで失礼するわ」と部屋に残ることを告げ、「灯里さん。彼をお願いね」と青山先輩に言った。
 青山先輩は「はい、お義母さま」と応え、僕は青山先輩と家の外・・庭へと出た。
 向こうに車と石坂さんが待っているのが見えた。
 改めて思う・・大きな家、そして、庭だ。
 こちらを見て丁寧に会釈をする石坂さんが遠くに見える。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

大人の短い恋のお話

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:134pt お気に入り:3

破戒聖者と破格愚者

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:1

最弱な彼らに祝福を~不遇職で導く精霊のリヴァイバル~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:78pt お気に入り:11

水着の思い出

青春 / 連載中 24h.ポイント:9,514pt お気に入り:1

明太子

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

BL赤ずきんちゃん

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:27

偽りの自分

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:0

一夜限りの関係

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:319pt お気に入り:4

【二章完結】ヒロインなんかじゃいられない!!男爵令嬢アンジェリカの婿取り事情

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:2,385pt お気に入り:2,149

処理中です...