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傷の痕②

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 僕は速水さんに改めて、
「あ、ありがとう・・」と言った。
 速水さんは「そんなに丁寧に言われると、こっちが恥ずかしくなるわ」と、本当に恥かしいのか、顔をぷいと背けた。
 そして、速水さんは、
「『僕の彼女・・水沢さんの名前を気軽に呼ぶな!』・・」と僕の声真似をして、くすりと笑った。
 速水さん、聞いていたのか。
「あ、あれは、その場しのぎの、文句だ。特に意味はない」適当に紛らわす。
「あら、でも格好良かったわよ」
 格好いい・・そんなこと女の子に言われたの初めてだな。

「格好よかったのは、速水さんの方だよ・・まさか、あんな風に男たちを威嚇するなんて思ってもみなかった」
 そう実感を込めて僕は言った。
 それに対して速水さんはこう言った。
「あの男、鈴木くんの肩を突いたじゃない・・そして、暴力を振るおうとしていたわ」
「だけど、無茶し過ぎだぞ・・現に速水さんは怪我をしたんだし」
「私ね・・暴力は嫌いなのよ」
 暴力・・もしかすると速水さんは、母親の内縁の夫に・・
 それは、前々から知りたかったことだった。
「速水さんはそのキリヤマという・・義理の父親に・・暴力を振るわれたりしたのか?」

 速水さんは、少し自嘲的に微笑むと、意を決したように立ち上がった。
「鈴木くん。私の体を見せてあげましょうか?」
 速水さんは僕の顔をまともに見てそう言った。

「か、体って・・」・・どういうことだ? 
 僕をからかっているのか? 僕は健全な高校生の男子だぞ。
「ここで服を脱ぐのかよ」

 速水さんは「脱がなくても・・ほら、こうして」と言って、背を向け両手で黒髪をかき上げた。
 速水さんの首筋が見えた。そこには、痛々しい青黒いあざが横に走っているのが見て取れた。
「それって・・」僕はどう言葉を返していいのか、言葉が見つからなかった。
「何の器具を使った跡なのかは、言いたくないわ」
 女性が見せたくない場所・・そこには何かの跡がある。 

「まだ、他にもあるわ」
 他にもって・・首以外・・考えたくない。
 それは消えないのか?
 速水さんは髪を戻すと、
「キリヤマの暴力の痕跡よ」と言った。
 暴力の痕跡って・・「その跡が今でも残っているっていうのか」
「消えたのもあるけれど・・消えないのもあるのよ・・いつまでも」
 その声は、速水さんのその声は・・
 まるで夕暮れの中に迷い込んでしまうような小さな声だった。小さいけれど、悲しく、僕の心に刻みつけられた。

 見るたびに思い出す・・忘れたいのに。
 それがあるがためにいつまでも消えない過去。
 そんなことを抱え込み生きているのか、速水さんは・・

「どう、鈴木くん・・もっと見たい?」速水さんはそのままの姿勢で言った。
 僕は・・
「それって・・ダメだろ・・」
 見てはいけない気がする。僕は速水さんにとって、そんな存在ではない。
「興味本位に見てはいけない気がするんだよ」
 それに、速水さんなら、男子に見せてはいけないところも見せそうだ。

「あら、私の体に、少しは興味はあるのね?」
「言葉尻をとらえるなよっ」
 速水さんの言葉にはいつも負ける。たじたじだ。

「私、鈴木くんになら、見せてもいいと思っているのよ」
 やっぱり、からかわれている。これって、一男子としていいことなのか?

「僕と速水さんが・・と、友達だからか? それとも部員だからか・・」部員は違うな。
「そうね・・友達では・・ないわね・・」
 あっさり否定された。勇気を出して恥ずかしいセリフを言ったつもりだったんだけどな。
 一応、現在の僕には友達と呼べる人はいない。
「違うのかよ」
「うふっ・・友達と言って欲しかったのかしら?」
 お見通しだな。けれど、
 僕は「いや、別に・・」と言葉を濁した。
「そうね・・・鈴木くんと私は、あえて言うのなら・・『同志』かしら?」
「同志?」
「そう・・透明人間同士・・」
「それ、なんかイヤな響きだな・・」

 速水さんは僕の言葉に少し笑顔を見せると、
「あの男は、母のいない時を見計らって、いつも何らかのことを仕掛けてきたわ」
「一緒に住んでいたのは、速水さんが中学生だった頃だな」
「ええ・・そして、あの男のすることは次第に増長していったわ」
 更に過激になっていったっていうことか?
「母がいる時にでも、私に手を出すようになった」
「それはいくらなんでも・・」
 光景が目に浮かぶようだった。
「いつか、話したでしょ、乳もみ先生の話」
 僕が友達作りの女先生の話をした時のことだ。速水さんの小学校の担任の先生のエピソードだ。
「ああ・・宿題を忘れた子の罰として、生徒の脇腹をくすぐっていた先生か・・くすぐりながらついでに胸を揉んでいたという・・」
 結局、どちらか分からずじまいの。
「同じようなことを私もされたことがあるわ」
 え・・
「速水さん・・その男に、揉まれ・・」と言いかけ、僕は口を閉ざした。
「それも、母の前よ・・」
「それ・・虐待が母親公認っていうことか?」
「そうでもないわ・・あの男、母に言ったのよ・・『俺は沙織をくすぐっているだけだ』って」
 ・・開いた口が塞がらない。
「そしたら、お母さん、何て言ったと思う?」
「わからない」
「『お二人さん・・仲がいいのねぇ』って・・」
 速水さんはそこまで言うと、嗚咽のような声を漏らし、声を詰まらせた。

「そんな母に、疑われないように・・安心させるために・・私が何をしたと思う?」
 言葉を途切れさせながら速水さんはそう質問した。
「わからない・・もしかして・・されるのを・・揉まれるのを我慢したりしていたのか?」
 僕の想像に速水さんは首を振って、
「私・・必死で笑ったのよ・・くすぐられて笑いを堪える時のような声を出したの」
 ひどい・・
「でも・・そんなお母さんに対して、そんな芝居の必要があったのか? 正直に言えばいいだろ! お母さん、 私、お父さんに揉まれてる!・・助けて、って」
 僕の中に速水さんの悲しみが伝わってくるのと同時に、激しい憤りが沸き上がってきた。

 大きな声を出す僕に、速水さんは、
「そう言うことが無駄だと、わかっていたのよ。中学生の頭なりに・・」
「ちゃんと言えば、きっと・・わかってくれる」
 だって、たった二人きりの母娘じゃないか。
「母はね・・精神疾患を患っていたのよ」
 病気?・・心の?
「その頃にはもう・・倫理観がほとんど欠如していたのよ」
 何がそこまで速水さんの母親を変えたのだろう?

「・・速水さんのお母さんは、まだその男と一緒にいるんだな?」
「ええ・・母と、内縁の夫は、似た者どうしかもしれないわね。まだ一緒に住んでいるようだから」
 この町の南にその家はあるらしい。
「速水さんの母親には悪いけれど・・いくら病気でも、娘に関心なさすぎだろ・・それにおかしすぎる」

 そう言った僕の言葉に速水さんは答えなかった。
 いつまで待っても、速水さんの声は返ってこなかった・・
 ただ、西陽の差す部室に静かな嗚咽が漏れていた。

 しばらくして、速水さんは、何かを呑み込むように、
「ごめんなさい・・これ以上、話すのはよしておくわ」
 速水さんはそう言った。
 いつもの速水さんらしくない口調だった。

 速水さんは、もうこれ以上、話すことが出来ないし、思い出したくないのだ、と僕は思った。

 速水さんはこんな思いを抱きながら、この薄暗い部室に遅くまで残っている。
 僕は何もできない・・
 僕を守ってくれた速水さんに対して、
 何も返せない・・
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