時々、僕は透明になる

小原ききょう

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思春期と自己催眠①

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◆思春期と自己催眠

 速水さんの声が聞こえなくなると、不安になる。一人きりで廃墟に取り残されたような気分になる。
「速水さん、そこにいるんだよな?」
 そう確認すると「ええ、いるわよ」と声が返ってきた。

「気がつくと、私は世界の中で一人きり・・」
 真実味がある言葉だ。
 今も速水さんは、一人、透明だ。

「その頃、速水さんには、学校の友達とか、いなかったのか?」
「私みたいな子はね・・そんな暗い子はね・・ますます、嫌われていくのよ・・友達にも、家族にも・・その頃、本だけが私の友達だった気がするわ」
 それで文芸部っていうわけか。

「いつか、世界が変わる。そう書いてあった本があったわ。信じていれば、必ず、世界が変わる」
 速水さんは空を見上げている。なぜかそんな気がした。
「でも、現実は違ったみたいね」
 信じていて、世界が変わってくれるのなら、そんなに楽なことはないだろう。
 そんな非現実な言葉は嫌いだ。

「ある日、母は言ったの・・『あんたって、けっこう邪魔ね、いっそのこと、いなくなればいいのに・・・目の前から消えてくればいいのに』・・・もうあまり憶えていないけど、そんなことを言われたわ」
 そんな言葉、憶えていたくないだろ。
「それ、冗談だろ」と僕は言った。
 そんなひどいことを子供に対して言う親はいない。いるとしたら、それはもう病気だ。

 僕の言葉に速水さんは「ふふっ」と笑った。
 ・・速水さん、今、君はどんな顔をしているんだ?
 無性に僕は速水さんの姿、いつもの眼鏡のくい上げ顔、その瞳も、表情、それら全てを見たくなった。

「さて、ここからが本題よ。鈴木くんの知りたかったことよ」
「透明化についてか?」
「その頃よ、私が透明化能力を身につけたのは」
 速水さんが母親に邪魔者扱いされるようになった時。

「最初は、鈴木くんと同じよ。本を読んでいる時、眠くなって・・それでも読み続けていたら、透明になったの」
 その話を聞いて、速水さんが僕と同じ経験をしていたこでがすごく嬉しくなった。
 しかし、速水さんの場合は、自由にできる。なぜだ?

「それって、いつのことなんだ?」
「高校一年の5月8日・・忘れないわ・・私、自分の体が怖くなって、図書館で必死で調べたわ」
 一年前か・・
「透明人間の本か?」
 僕の問いに、速水さんは「だから、そんな本には何も書かれていないのよ」と言った。
 前にも図書室で言われた言葉だから、何だか悔しい。

「精神学や、物理関連の本も調べたわ。でも、本の中に納得のいく答えは見つからなかったわ」
 やっぱり、そんなものあるわけがない。

「だから、私は勝手にこの症状は、『思春期に特有な現象』だと思うことにしたの・・それなら、思春期を通り過ぎ、大人になれば治る・・」
 思春期に特有な現象・・
「思春期だけに訪れる病気・・存在を維持したいという気持ちがあるにも関わらず、世界から排除される時、若人は透明になる・・」
 存在を維持したい心。速水さんは家族からその存在を疎まれていた。

「あのなあ・・速水さん、僕の場合・・それに該当しないような気がするんだけど・・」
「鈴木くんには私の症状が移ったのかしら? 席が近いし」
「本当かよっ!」
「それは冗談」
 そう言って速水さんは笑った。

「でも、それって、透明化を自由にできることの説明にはなっていないんじゃないか?」
 僕の疑問に速水さんは、
「ええ・・だから私は実験をしたの・・実験といってもそんなに大袈裟なものじゃないわ」
「実験?」
「自己催眠の一種ね」
「速水さん、ごめん、話が難しくてよくわからない」
 速水さんは時々、難しいことを言うから困る。
「ごめんなさい。鈴木くんには少し難しかったわね」
 そう改めて言われるとむかつく。

 そう思った時、
「あら、もう時間切れね・・」
 時間切れ?
 その言葉が聞こえたのと同時に、速水さんの姿が見えた。
 僕以外、誰もいなかった庭園にようやく現れた。
 話していたのに、懐かしい存在。
 だが、その顔はいつものくい上げ眼鏡の速水沙織ではなかった。
 一目見て、速水さんの顔が涙で濡れているのがわかった。

 そして、速水さんが透明になった理由がわかった。
 彼女は僕に泣き顔を見られたくなかったのだ。

「私も透明でいられる時間は鈴木くんと同じみたいね」
 20分から30分・・それ以上の経験は僕にも速水さんにもない、ということか。

 そう説明しながら、泣いている速水さんは、
「だったら、それを・・眠い時の『存在を維持したい』という気持ちを、何か他の別の心と同調させれば、透明になれるんじゃないかって思ったの」
 そう言葉を絞り出すように言った。

 その速水さんの別の心というのは?・・
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