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上書きされる恋

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◆上書きされる恋 

 喫茶コーナーの窓際のボックス席に小清水さんと速水部長はいた。
 僕は速水部長の指示通り、小清水さんの隣に座った。
 速水さんはレモンティー。小清水さんはホット珈琲が、テーブルにそれぞれ置かれている。

「鈴木くん。沙希さんをほったらかしにして、水沢さんと、会っていたのね」
 僕と顔を合わせるなり第一声、速水さんがそう言った。
 速水さんはいつもに増してきつめの表情を浮かべている。
 小清水さんは俯いていたが、顔を上げ、
「鈴木くん、ごめんなさい」と言った。「私、あまり話が面白くなくて・・上手に話せなくて」
 そう話す小清水さんの顔は、今まで泣いていたように見えた。

 いや、小清水さん。そんなんじゃないんだ・・でも、小清水さんの話を聞いているうちに眠くなってしまったのは事実だ。
「ちがうんだ。小清水さん。僕、急にトイレに・・その、行きたくなって・・走って・・」
 格好悪いけれど、そんなことより、
 ああ、あんないたいけな表情を浮かべている小清水さんに僕は嘘をついている。

「鈴木くん。それ、本当?・・私の退屈な話のせいじゃないの?」
「小清水さん。本当だよ」力強く僕は言った。
 これは緊急避難の嘘だ。必要な嘘なんだ。

 少し落ち着いた小清水さんを見た後、速水さんが眼鏡の奥に鋭い目を光らせながら、
「鈴木くん、それで、水沢さんとは何の用だったのかしら?」
 速水さんの眼光が鋭く、怖い。
「水沢さんとは、たまたまそこで会っただけなんだ」
 と僕が言うと、
「待ち合わせじゃないのね?」と怖めの声の速水部長。
「待ち合わせじゃなかったの?」と声を震わせる小清水さん。

「本当だよ。待ち合わせなんかじゃない」それは本当だ。

「わかったわ。それでは、この話はもういいわ」と速水さんは話を切り替えた。「沙希さんもそれでいい?」と言うと、「はい」と小清水さんは頷いた。
 
 タイミングよく僕の注文をウェイトレスさんが訊きにきて、僕はアイスコーヒーを頼んだ。
 速水さんは、ティーカップに口をつけた後、
「それで・・さっきまで、いったい何の話をしていたのかしら?・・鈴木くんがひどい・・いえ、違うわ、最低の男、という話だったわね」
 そう速水さんが厭味ったらしく言うと、
「速水部長・・違いますよお」と小清水さんが慌てて否定した。

「速水さん、読書会の本の話じゃなかったんですか?」
 改めて速水さんにそう言った。「僕は小清水さんと本選びの最中だったので」
 そうそうと小清水さんは頷いた。
「あら、どんな本が候補に上がっていたのかしら?」
 まだ、小清水さんとそんな話までいっていない内に僕が透明化したのだ。

「実は全然まだなんです」と小清水さんは申し訳なそうに述べる。
 そこで僕は、
「さっき・・・さっき、小清水さんが言っていた本・・そ、その翻訳小説・・がいいんじゃないかな」
「えっ・・あの本?・・何だったかな・・恋愛ものだったのだけど」と本の題名をド忘れしたらしい小清水さんに速水さんが、
「その本、ツルゲーネフの『初恋』じゃないかしら?」
 まだ何も言っていないよ。ただ恋愛ものの翻訳小説と言うだけで、しかも「初恋」って、何だよ。

「速水部長、思い出しました・・フィッツジェラルドの『冬の夢』です。その話を鈴木くんに話していたんです」
さっきの本、「冬の夢」という題名だったのか・・

「ああ、あの話も恋の話だったわね」さすがに速水さんは部長というだけよく本のことを知っているみたいだ。
「はい、翻訳の仕方によって変わるジュディの口調の違いを説明していたところ、急に鈴木くんが走りだして・・」
 そこでまた小清水さんが涙口調になる。

 そんな小清水さんを見て速水さんは「なるほど」と呟き、
「鈴木くん。人の話は、きっちりと目を覚まして聴くものよ」と僕を戒めた。
 どうやら、速水さんは僕がどの時点で透明化したのか理解したらしい。
 二人とも・・ごめんなさい。

「恋・・初恋と言えば・・」
 速水さんは呟くように言った後、
「お二人の初恋はいつかしら?」と言った。
 速水さん、また何でそんな質問を。
 そんな質問を僕たちに投げかけた後、速水さんはコホンと咳払いをして「失礼、こういうことは私から言うものね。私の場合は、小学校の先生よ」
 速水部長、小学校の先生なんて、また無難なことを言ったな。
 
 僕のアイスコーヒーが運ばれてきた。氷がコップに当たる音がなぜか心地いい。
「では、沙希さんから」
 速水さんの問いかけに、小清水さんが「ええっ、速水部長~」と大変お困りの様子を見せると、
「いつ?・・でいいわ・・相手が誰とかまでは言わなくていいわ」
 相手を言わなくていいという問いに何故か安心したような小清水さんは、
「私も小学校の先生です」と言った。
「なんだか、つまらないわ」速水さんは、小清水さんの回答に不満気な様子を見せる。
 僕も保育園の保母さんとか言おうかな。
 それとも・・
「次は鈴木くんよ」と言って、
「保育園の先生とか、幼稚園の先生とか、いわゆる先生ものはナシよ」僕の言おうとすることを見透かしたように速水さんは条件付けをした。
 何だよ、それ! 先回りして言ったな。自分は似たようなことを言っておいて。

「高校生になってからだよ」
 正直に僕は言った。
「随分と遅い初恋ね」と速水部長。「高校生って・・鈴木くん、本当なの」と小清水さん。
 悪かったな。でも、本当だぞ。
 他に好きな人は・・

 いや、この回答は少しまずいな。高校生だと。今だ・・現在進行形だ。

「鈴木くん。お相手は誰なの?」と小清水さんがさっそく訊ねてきた。
 すると速水さんが「沙希さん、そんなこと鈴木くんが軽々と言うと思う?」と嗜めた。
 ・・助かった。いつも速水さんには助けられる。

 そんな話をしているうちに、速水さんと小清水さんはそれぞれ紅茶とコーヒーを飲み終わり、僕はアイスコーヒーを半分ほど飲んだ。
 美少女二人と・・こんな経験もそうそうあるものではない。
 いくらきつい性格とはいえ、あの勉強にしか興味のなさそうな速水沙織とおっとりした大人しい性格の小清水さんとこうして喫茶店で時間を過ごせるなんて・・
 そう思った時、速水さんはこう言った。

「初恋、初恋と言うけれど・・・それが初めての恋だと、どうして言えるのかしら?」
 そう言った速水さんの言葉になぜか僕はドキリとした。
 なぜだろう・・
「本人が『初めて』だと、これが『初めての恋』だと・・そう思い込もうとしているのかもしれないわね」
 速水沙織がそう言った時、僕のアイスコーヒーの氷がカランと音を立て、崩れた。
「速水部長、それって、どういうことなんですか?」
 小清水さんが興味津々で訊いた。
 
「私も、さきほど小学校の先生だと言ったけれど、本当はもっと前、幼稚園の男先生だったかもしれないわ」
 さらりと速水さんは言ったが、
 幼稚園かよ! それも男の先生って、そんな先生がいたのかよ!

「速水部長、どういうことですか?」
「つまり、一つの恋のあと、次の恋が強烈な印象があれば・・」
 僕は速水さんの言葉に続けて、
「つまり、一つ目の恋は、なかったことに・・いや、そこまでいかなくても、単なる一時的な憧れで片付けてしまって、二つ目の強い恋を初恋にしてしまうってこと、なんじゃないかな」
 
 僕は速水さんに続けて言った言葉を、小清水さんに説明するように言った。
 小清水さんは「なるほどぉ」と納得したように言った。
 僕の説明した内容で、合っているのか?

 そこで速水部長は眼鏡をくいっと上げ、
「さすがは、鈴木くん、文芸サークルの一員として大きく成長したわね」と言った。
 そんな大したことじゃない。いや、たぶんからかわれている。
 それにまだ入部して僅かだ。
 すると・・
「思い出は、変換するものかもしれないわね」
 そう速水部長は言うと、
「人は、自分でも気づかないうちに、自分に都合のいいように、思い出を変えているのかもしれないわ」
 なんだか、話が難しくなってきたな。
 速水さんこと、文芸部、いや、文芸サークルの部長に相応しい物言いだと思うぞ。
 不思議と眠くはならなかった。ちょっと興味深い話だ。
 この文芸サークルに入らなければ、聞けなかった話だ。
 
 それに、話をしている速水さんの顔をじっと見ていると、素敵に見えてくる。
 そう言えば、速水沙織は僕の後ろの席だから、今まで、そうそう顔を見ることはなかった。
 小清水沙希にしたってそうだ。速水さんより更に後ろの席だから、もっと見ていないし、関心もなかった。
 こうして顔を突き合わせて話をすると、いろんなことが見えてくる。

 僕の初恋の女の子、水沢純子は、僕の斜め前の窓際の席、その斜め後姿をずっと見ている。僕は彼女の何を知っているというのだろうか?

 その後、速水沙織は話を締め括るように、
「初恋というものは・・二重、三重にも、重なっていくのかもしれないわね」と言った。
 初恋の上書き・・
「過去も、この先も・・」
 速水さんはそういうことを言っているのか。

 二人とはケーキ屋さんの前で別れた。
 小清水さんは「読書会の本、『冬の夢』にするわ。鈴木くん、ありがとう」と言って、速水さんは「私はもう少し、ぶらぶらして帰るわ」と言った。
 そして、心もち、僕に近づき、囁くように「鈴木くん、あまり、沙希さんを悲しませないようにね。彼女、繊細だから」と言った。
 確かに、今日は小清水さんを傷つけ過ぎた。


 夕刻、家に帰ると、
 Tシャツにショートパンツ姿のナミが、ソファーにもたれ胡坐をかいてTVを見ていた。相変わらずだらしない格好だ。これが我が妹だ。
 手土産のケーキを母に渡すと「まあっ、ケーキなんて、道雄が珍しいこともあるものねえ」と嬉しそうに言った。
 僕が部活の帰りにケーキ屋さんに寄った経緯を話すと、
「へえっ、兄貴、なかなかやるじゃん!」とナミは言った。「そのさあ。ブンゲイ、何とかっていうサークルの女の子、可愛いの?」
「まあまあだな」
「兄貴が、まあまあっって言うのは、かなりイケてるんだよね」
 返答しないでおいた。まともに答えると彼女たちがけがれそうだ。

 速水沙織は眼鏡クール美人
 小清水沙織は大人しい和風美人・・ってところか。
 そんな二人のことを表現を変えながらナミに言うと、「へえっ、兄貴、益々すごいじゃん!」と言った。
 何がすごいんだか・・

「それで、サークルには男の子はいないの?」
「今のところ・・いないな」
「何だ、残念」と言って「かっこいい男の子がいたら、紹介してもらおうと思ったのにさ」
 おい、ナミ、頭、大丈夫か? ボーイフレンドがいるんだろ?

「もしかして、女の子の中に兄貴一人が男子ってわけ?」
「そうだ。悪いか」
「へえっ、兄貴、それって。ハーレムじゃん」
 ハーレムだと・・「二人だけだぞ」と僕が返すと、
「一応、女子に囲まれてるじゃん」
 ナミはそう強く言った。
 いつのまにか僕はそんな環境の中にいるのか・・でもその先に何がある?

 帰りの遅い父の分のケーキを母は冷蔵庫にしまい、母とナミ、三人でケーキを食べた。
 母が「これ、どこのケーキなの?」とか訊いてきたり、ナミが「このケーキ、選んだ人、センスあるじゃん」と言ったりした。
 僕が「選んだのは僕だけど」と言うと「なんだ、兄貴か・・サークルの女の子かと思ったのに・・褒めて損した気分」と返された。

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