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第五章 ゆらぎ
ゆらぎ①
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その日は、意外と早くやってきた。王妃様主催のプライベートなお茶会。開催日は、招待状が届いた日から数えて二週間後だ。王妃様とアナイスは波長が合うし少人数だから大丈夫、と思って承諾の返事をしたところ、細かいフリルとレースが沢山ついた萌葱色のドレスが、その日中に届けられた。それに合う靴とアクセサリーも。早すぎる。おまけに、サイズもデザインもアナイスにぴったりだ。これは、一体――?
疑問は、すぐに解けた。アナイスがあっさり「試着した」と告白したからだ。王子とお出かけした際、ドレスショップにも寄って勧められるままに何点か試着したらしい。
――用意周到過ぎる。
嫌な予感がした。王子がアナイスに恋心を抱き、急遽プレゼントしたとは到底思えない。予め、お茶会に招待する予定があり、そのためのドレス一式を贈ろうと考えたのだろう。一体誰が?王妃様?それともまさかの国王陛下?
ただ、ドレスは既製服を手直ししたものだし、靴もアナイス曰く「店にあった」らしい。アクセサリーも、緑とクリームイエローを基調としたコサージュと同系色の耳飾り。それ程、高価なものではないようだ。
(王家にはお抱えデザイナーがいるのに、王子様が町中のお店に一緒に行って買ってくれるって……意味不明。それも王室御用達の店じゃない。金額も、王室の人から見たら安いものだし……、すんなり受け取ってもらうため?にしては、なんで?)
頭の中の疑問符が消えないレオニーに、「う゛?」と言ってアナイスが手渡す。淡い緑色の透け感のある布サッシュ。アナイスの装いと合う色だ。王子がそれを見立てたと聞いて、レオニーは、その気遣いにほっこりすると同時に妙に納得した。
(狙いは、私か。私の心証を良くするために、アナイスにあれこれ買った上、変に誤解されないように、私の分まで買った……そういう気遣いは王子様で、アナイスの懐柔を指示したのは、国王陛下ってところか)
おとぎ話の中から抜け出たような、儚げで幻想的な王子の姿が、目に浮かぶ。見た目と違い、中身は芯が通った気が利く王子。無感情なようで、ほんのり優しいと評判だ。
合点がいったレオニーは、ドレスを胸に当てて鏡をのぞき込むアナイスを見やりながら、(行かなきゃ駄目か。やれやれ、何、言われるんだろ)と心の中でつぶやいた。
ドキドキとそわそわが入り交じる、アナイスにとっては初めてのお茶会。目指す場所は、王宮の広大な庭園の一角にあるバラ園の中の東屋。バラ園には、噴水盤を配した人工池があり、それを取り囲むように植えられたバラは、大輪咲き、小輪のスプレー咲き、アーチに仕立てた蔓性のものなど色も形も様々で、訪れる者の目を楽しませる。また、品種ごとに香りが違うため、散策しながら多種多様な香りを楽しむことも出来る。その芳香は、風に乗って、王の執務室まで届くこともあるという。
魔棟から王宮の馬車回しまでは迎えの馬車を利用し、そこからは、平たい石を敷き詰めた歩道を護衛騎士に先導されながら歩く。招待状を受け取ってから二週間の猶予があったので、アナイスには、ドレスと靴を身につけて歩く練習や挨拶の練習、テーブルマナーのおさらいなど、それなりに努力をする時間があった。それも、王家の誰かの配慮だろう。
天気は上々、アナイスも上々?白の仕立ての良いシャツに黒のロングパンツ、腰には贈り物の布サッシュを巻き、その上から手の込んだ刺繍の入ったロングジャケットを着込んだレオニーは、バラ園に足を踏み入れるや目を輝かせて花に近づき、大きく息を吸い込んで、その香りを楽しむアナイスを追い立てるように、少し後ろを歩く。時折、毒針を持った虫たちに威嚇され、「ぎゃ?」と妙な声を上げて飛び退くアナイスの姿が、何かに似ている。
バラ園全体を見渡せる場所に設えられた東屋には、茶会の用意が調えられ、王妃と二人の王子、ベルナンド第二王子とエミリオ第三王子が既に着席し、和やかに話をしながら待っていた。草木のレリーフが施された、金属製の白いガーデンチェアと、お揃いの、天板にガラスが張られたテーブル。大きな団扇を持った侍女たちが、緩やかに風を起こし、涼を呼ぶ。
「王妃陛下、並びに王子殿下におかれましては……」
王妃の前に進み出たレオニーは、居住まいを正し挨拶をするが、王妃に笑顔で遮られる。
「今日は、プライベートでお呼びしたのですから、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
「お気遣い、感謝いたします」
レオニーは、丁重に頭を下げる。その後ろで、アナイスは、大人しく控えている。
レオニーは、目を上げて、王妃の様子を窺う。この前、会ったときよりも元気そうだ。続けて、二人の王子の様子を見る
母王妃の横に、鎮座している二人の王子。右隣は、好奇心に目を輝かせた愛くるしいエミリオ王子、左隣は、感情が宿らない目をした、心ここにあらずと行った感じのベルナンド王子。しかし、この実在感が薄い見た目に反して食えない王子も、たおやかな笑みを浮かべた同じ色の瞳を持つ王妃の隣にいると、寝起きの子猫のようで可愛らしい。レオニーの腰につけた布サッシュを、ぼんやりと見ているので、試しに手で端を持ち軽く振ると、慌てて居住まいを正した。起きている。
「ベルナンド殿下、先日は、お時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「あ、ああ。使っているようだな。其方なら、着こなすと思ったのだ」
「お気遣い、感謝いたします。アナイスも楽しかったようで」
「そうか。それならよかった。我の護衛騎士に聞いたのだ。アナイスが我の妹だとすれば、どのようなことをすれば喜ぶかと。我には男兄弟しかいないから、的外れなことをするかも知れぬからな」
「殿下は、賢明でございますね。それに、良い側近をお持ちで」
王子の頬が、バラ色に染まる。それを、面白そうに見やる王妃。エミリオ王子も、身を乗り出してベルナンド王子をのぞき込む。
レオニーは、騎士に勧められ、王妃の前に座る。アナイスは、その右側、ベルナンド王子の隣だ。王子とアナイスの身長差は30センチ程あるはずなのに、座るとそれ程、差異がない。
二人の着席を合図に、様々なお茶菓子が運ばれる。新鮮な果物がぎっしり詰まったタルト、クリームがたっぷり詰まったシュークリーム、愛らしく飾り付けされたクッキーや彩りの良いゼリー。それだけでも満足なのに、キッシュやサンドウィッチ、パスタなどの食事代わりになるものもある。
飲み物も、リンゴジュースと紅茶が用意され、紅茶を選んだ場合は、更にフレーバーが選べる。レオニーは、試しにピーチミックスを選んだ。アナイスは、リンゴジュースだ。
ひとしきり歓談し、お茶やお菓子を沢山頂いて満足した頃、王妃が王子二人に、「そういえば、今日咲いたばかりの白いバラが向こうにあったわね。アナイスに見せてあげたら?」と持ちかけた。
「「はい、母上」」
ベルナンド第二王子とエミリオ第三王子は、心得たとばかりに異口同音に返事をし、アナイスを伴って場を離れる。王妃は、その姿が植え込みに隠れるまで見送ると、柔らかい表情で同じように見送っているレオニーの横顔に、視線を移す。それに気づいたレオニーが、王妃を見た。全てを慈しむような優しい目で。
王妃は、扇で口元を隠し、低い声を発した。
「ところで、ダルトン卿。モーリス・デュファス大公はご存じ?先王の母方の従兄弟に当たる方なのだけれど」
「お噂は兼々」
「大公は、アルベルト芸術学院の理事長でね、今、陛下と懇談しているのよ。あなたもお話してきたら如何?」
「私が、ですか?」
「あなた、学院長とお知り合いなのでしょう?」
「親戚筋の者で、成人前に後見人を務めてもらいました」
「そう。では、尚更、話してきた方がいいわ」
不安を煽るような物言い。レオニーが行かなければ、イルミナが不利益を被るとでも言うのか。
「かしこまりました」
王妃が、合図する。護衛騎士が、頷く。
――やはり、打ち合わせ済みか。奸計に、はめられないように気をつけねば。
気を引き締めるレオニーに、王妃は、さらりと「あなたには、私が付いているということを忘れないように」と、眉一つ動かさず付け加えた。
王妃陛下にはどれ程の力があるのだろうかと考えながら、目でアナイスを探す。姿は見えない。が、トラブルを起こしている気配はない。
「アナイスに何かあったら、すぐに呼びに行かせます。安心なさい」
王妃の言葉に背を押され、仕方なく、レオニーは立ち上がった。護衛騎士の先導で、王宮に向かう。その姿を、植え込みの陰から、凪いだ湖面を彷彿とさせる澄んだアイスブルーの瞳が見つめていた。
疑問は、すぐに解けた。アナイスがあっさり「試着した」と告白したからだ。王子とお出かけした際、ドレスショップにも寄って勧められるままに何点か試着したらしい。
――用意周到過ぎる。
嫌な予感がした。王子がアナイスに恋心を抱き、急遽プレゼントしたとは到底思えない。予め、お茶会に招待する予定があり、そのためのドレス一式を贈ろうと考えたのだろう。一体誰が?王妃様?それともまさかの国王陛下?
ただ、ドレスは既製服を手直ししたものだし、靴もアナイス曰く「店にあった」らしい。アクセサリーも、緑とクリームイエローを基調としたコサージュと同系色の耳飾り。それ程、高価なものではないようだ。
(王家にはお抱えデザイナーがいるのに、王子様が町中のお店に一緒に行って買ってくれるって……意味不明。それも王室御用達の店じゃない。金額も、王室の人から見たら安いものだし……、すんなり受け取ってもらうため?にしては、なんで?)
頭の中の疑問符が消えないレオニーに、「う゛?」と言ってアナイスが手渡す。淡い緑色の透け感のある布サッシュ。アナイスの装いと合う色だ。王子がそれを見立てたと聞いて、レオニーは、その気遣いにほっこりすると同時に妙に納得した。
(狙いは、私か。私の心証を良くするために、アナイスにあれこれ買った上、変に誤解されないように、私の分まで買った……そういう気遣いは王子様で、アナイスの懐柔を指示したのは、国王陛下ってところか)
おとぎ話の中から抜け出たような、儚げで幻想的な王子の姿が、目に浮かぶ。見た目と違い、中身は芯が通った気が利く王子。無感情なようで、ほんのり優しいと評判だ。
合点がいったレオニーは、ドレスを胸に当てて鏡をのぞき込むアナイスを見やりながら、(行かなきゃ駄目か。やれやれ、何、言われるんだろ)と心の中でつぶやいた。
ドキドキとそわそわが入り交じる、アナイスにとっては初めてのお茶会。目指す場所は、王宮の広大な庭園の一角にあるバラ園の中の東屋。バラ園には、噴水盤を配した人工池があり、それを取り囲むように植えられたバラは、大輪咲き、小輪のスプレー咲き、アーチに仕立てた蔓性のものなど色も形も様々で、訪れる者の目を楽しませる。また、品種ごとに香りが違うため、散策しながら多種多様な香りを楽しむことも出来る。その芳香は、風に乗って、王の執務室まで届くこともあるという。
魔棟から王宮の馬車回しまでは迎えの馬車を利用し、そこからは、平たい石を敷き詰めた歩道を護衛騎士に先導されながら歩く。招待状を受け取ってから二週間の猶予があったので、アナイスには、ドレスと靴を身につけて歩く練習や挨拶の練習、テーブルマナーのおさらいなど、それなりに努力をする時間があった。それも、王家の誰かの配慮だろう。
天気は上々、アナイスも上々?白の仕立ての良いシャツに黒のロングパンツ、腰には贈り物の布サッシュを巻き、その上から手の込んだ刺繍の入ったロングジャケットを着込んだレオニーは、バラ園に足を踏み入れるや目を輝かせて花に近づき、大きく息を吸い込んで、その香りを楽しむアナイスを追い立てるように、少し後ろを歩く。時折、毒針を持った虫たちに威嚇され、「ぎゃ?」と妙な声を上げて飛び退くアナイスの姿が、何かに似ている。
バラ園全体を見渡せる場所に設えられた東屋には、茶会の用意が調えられ、王妃と二人の王子、ベルナンド第二王子とエミリオ第三王子が既に着席し、和やかに話をしながら待っていた。草木のレリーフが施された、金属製の白いガーデンチェアと、お揃いの、天板にガラスが張られたテーブル。大きな団扇を持った侍女たちが、緩やかに風を起こし、涼を呼ぶ。
「王妃陛下、並びに王子殿下におかれましては……」
王妃の前に進み出たレオニーは、居住まいを正し挨拶をするが、王妃に笑顔で遮られる。
「今日は、プライベートでお呼びしたのですから、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
「お気遣い、感謝いたします」
レオニーは、丁重に頭を下げる。その後ろで、アナイスは、大人しく控えている。
レオニーは、目を上げて、王妃の様子を窺う。この前、会ったときよりも元気そうだ。続けて、二人の王子の様子を見る
母王妃の横に、鎮座している二人の王子。右隣は、好奇心に目を輝かせた愛くるしいエミリオ王子、左隣は、感情が宿らない目をした、心ここにあらずと行った感じのベルナンド王子。しかし、この実在感が薄い見た目に反して食えない王子も、たおやかな笑みを浮かべた同じ色の瞳を持つ王妃の隣にいると、寝起きの子猫のようで可愛らしい。レオニーの腰につけた布サッシュを、ぼんやりと見ているので、試しに手で端を持ち軽く振ると、慌てて居住まいを正した。起きている。
「ベルナンド殿下、先日は、お時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「あ、ああ。使っているようだな。其方なら、着こなすと思ったのだ」
「お気遣い、感謝いたします。アナイスも楽しかったようで」
「そうか。それならよかった。我の護衛騎士に聞いたのだ。アナイスが我の妹だとすれば、どのようなことをすれば喜ぶかと。我には男兄弟しかいないから、的外れなことをするかも知れぬからな」
「殿下は、賢明でございますね。それに、良い側近をお持ちで」
王子の頬が、バラ色に染まる。それを、面白そうに見やる王妃。エミリオ王子も、身を乗り出してベルナンド王子をのぞき込む。
レオニーは、騎士に勧められ、王妃の前に座る。アナイスは、その右側、ベルナンド王子の隣だ。王子とアナイスの身長差は30センチ程あるはずなのに、座るとそれ程、差異がない。
二人の着席を合図に、様々なお茶菓子が運ばれる。新鮮な果物がぎっしり詰まったタルト、クリームがたっぷり詰まったシュークリーム、愛らしく飾り付けされたクッキーや彩りの良いゼリー。それだけでも満足なのに、キッシュやサンドウィッチ、パスタなどの食事代わりになるものもある。
飲み物も、リンゴジュースと紅茶が用意され、紅茶を選んだ場合は、更にフレーバーが選べる。レオニーは、試しにピーチミックスを選んだ。アナイスは、リンゴジュースだ。
ひとしきり歓談し、お茶やお菓子を沢山頂いて満足した頃、王妃が王子二人に、「そういえば、今日咲いたばかりの白いバラが向こうにあったわね。アナイスに見せてあげたら?」と持ちかけた。
「「はい、母上」」
ベルナンド第二王子とエミリオ第三王子は、心得たとばかりに異口同音に返事をし、アナイスを伴って場を離れる。王妃は、その姿が植え込みに隠れるまで見送ると、柔らかい表情で同じように見送っているレオニーの横顔に、視線を移す。それに気づいたレオニーが、王妃を見た。全てを慈しむような優しい目で。
王妃は、扇で口元を隠し、低い声を発した。
「ところで、ダルトン卿。モーリス・デュファス大公はご存じ?先王の母方の従兄弟に当たる方なのだけれど」
「お噂は兼々」
「大公は、アルベルト芸術学院の理事長でね、今、陛下と懇談しているのよ。あなたもお話してきたら如何?」
「私が、ですか?」
「あなた、学院長とお知り合いなのでしょう?」
「親戚筋の者で、成人前に後見人を務めてもらいました」
「そう。では、尚更、話してきた方がいいわ」
不安を煽るような物言い。レオニーが行かなければ、イルミナが不利益を被るとでも言うのか。
「かしこまりました」
王妃が、合図する。護衛騎士が、頷く。
――やはり、打ち合わせ済みか。奸計に、はめられないように気をつけねば。
気を引き締めるレオニーに、王妃は、さらりと「あなたには、私が付いているということを忘れないように」と、眉一つ動かさず付け加えた。
王妃陛下にはどれ程の力があるのだろうかと考えながら、目でアナイスを探す。姿は見えない。が、トラブルを起こしている気配はない。
「アナイスに何かあったら、すぐに呼びに行かせます。安心なさい」
王妃の言葉に背を押され、仕方なく、レオニーは立ち上がった。護衛騎士の先導で、王宮に向かう。その姿を、植え込みの陰から、凪いだ湖面を彷彿とさせる澄んだアイスブルーの瞳が見つめていた。
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