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第五章 ゆらぎ
ゆらぎ②
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案内された部屋では、二人の人物が、レオニーを待っていた。フェリクス・ナルスタス国王とモーリス・デュファス大公である。グレージュの髪に薄青の瞳のデュファス大公は、物腰は柔らかいが、その糸のように細い垂れた目の奥には不穏な光が宿っている。先王の母方の従兄弟に当たる人物ではあるが、フェリクス国王と血のつながりはない。国内で大きな力を持つ公爵家の生まれで、芸術に造詣が深く、理事長として王立芸術学院の運営に注力し政治の表舞台には立たない……と言うことになっている。
「先ほどまで、陛下とロレンツィオ王子の処罰について話し合っていたのだが」
大公は、挨拶もそこそこに、本題に入った。よく響く声に、威厳がある。
「レオニー殿、君は、学院長と親交が深いと聞いておる」
「はい。イルミナ・ルブラン学院長は、私の遠縁にあたり、王都に出てきた際に、後見人になって頂きました。その縁で、今も連絡を取り合っております」
「なるほどな。血縁関係は?」
「ございません」
「我らと同じだな。陛下と我と。それで、学院長からは、今回の件で何か聞いているか?」
「特には、何も。誰からも事情聴取ができないので、処分を下せないと、ぼやいておりました」
「なるほど。そうか。――では、我から伝えよう。我々の調べでは、今回の婚約破棄宣言は、日頃から、もやもやしていたロレンツィオ王子が、晴れの舞台で婚約者のユリアナ・バートン公爵令嬢が花束を持ってきたことで咎められた気がして、カッとなり、突発的に行ったものである。それは、気が進まぬ婚約を、自分からは破棄できないユリアナ嬢のためでもあった。ただ、我々の見解からすれば、ユリアナ・バートン公爵令嬢には、落ち度がない。学院では、節度ある態度を守っていたからな。王子の気持ちが定まらないことにまで、彼女に責任を問うことはできない。次に、ロザリンド・フェデラー伯爵令嬢であるが、彼女は、王子の婚約者が学内にいることは知らなかったようだし、王子が婚約破棄宣言をすることも知らなかった。だが無自覚に婚約者がいる王子を誘ったこと、騒動後、許可なく学院を抜け出し、王子の愛欲に身を委ねてしまったことは、当院の学生にあるまじき行為で、何らかの処分が必要である。教師間でも問題になっていたのだが、ロザリンド・フェデラーには、貴族の娘としての躾けが行き届いていない感が、日頃からあった。それを親の責任で片付けるには無理があり、もともと当学院にふさわしくない人間であったと結論づけるのが妥当であろう。だから、何らかの処分が下される。最後に王子だが、学院を個人的な断罪の場にしたこと、当院の学生にあるまじき行為を行ったことなどから、厳しい処分が必要。例え、王族であってもね。当院は、芸術に造詣が深かった第12代目ナルスタス王国国王、アルベルト・ナルスタスの名を冠して王家主導で設立された芸術家養成機関で、運営には、王族も関わっているから、当然のことであろう。また、学院長は……事件を未然に防げなかったことから、危機管理意識と教員への指導力が問われている。ユリアナ嬢が花束を持って行ったのは、学院長の計らいだったようだ。彼女としては、ユリアナ嬢の存在をアピールする地味な作戦だったのだが、これが裏目に出た。これがなければ、婚約破棄宣言は、なかったかも知れない。せめて、当たり障りのない服を着せていれば……。ユリアナ嬢は、奇っ怪なドレスを着ていたから、それが王子の反発を招いたという見方もある。あれは、確かに、気の毒だった……」
大公は、当時を思い起こすかのように、遠い目をした。レオニーは、何も答えない。冷静に、与えられた情報を、頭の中で分析している。
「この件に関して、王子の協力者はいないようだ。よって、我々は、王子単独での突発的かつ衝動的な行動、と位置づけた。そこで、当該三名の学生の今後だが――、ユリアナ・バートン公爵令嬢は、体調不良を理由に既に自主退学した。ロザリンド・フェデラー伯爵令嬢は、学院に籍を残したまま国外留学。他国の有名な音楽学校で一年間、研鑽を積むことになった。才能があるからな。それからロレンツィオ・ナルスタス王子だが――王族を抜け、音楽の道に進みたい旨、意思表示があった。プロのバイオリニストになって活動したいそうだが――、保留中である」
「保留中とは?」
「学院は、やめてもらう。あのようなスキャンダルを起こされた以上、他に道はない。ただ、立太子される可能性のある方を、おいそれと放り出すわけにはいかず、国と王家が処分を下し、更生の道を示した上での退学としたい。在学中、我らに夢を与えてくれたこと、慣習にとらわれず、新しい音楽表現の道筋を示し、生徒たちを牽引してくれたことを考慮してのことだ」
大公は、そこで話を切り、レオニーの様子を窺った。レオニーは、ロレンツィオ王子のことは、よく知らない。人柄も、バイオリンの腕前も。だから、そのような話をされても、首を傾げるばかりで、特に何の感想も持たなかった。無理に、ひねり出すとしたら、「ふーん」だろうか?
「それから、イルミナ・ルブラン学院長だが……長年、学院の発展に尽力してくれたので残ってもらうつもりでいるのだが……本人に気力がないようなので、どうしたものかと思っている」
レオニーは、はっとした。イルミナは、具合が悪いのだろうか?
「連絡を取ってみます。私の恩人ですし、大好きな人なので」
「そうか」
大公は、ホッとしたように言った。糸のような細い目の奥に、優しい光が宿っている。
「イルミナが天下の大魔術師の追っかけをしている話は本人から何度も聞いたが、想いは一方通行ではなかったのだな。イルミナが面白おかしく言っているだけで――。話を聞くたびにモヤモヤしていたが、そういうことなら……」
大公は、イルミナに対し、どこかほわほわとした温かい感情を持っているのが感じ取れた。大公が、イルミナを気にかけている。それは、レオニーにとって喜ばしいことだった。
「イルミナは、私が成人して独立した今も、気にかけてくれています。差し入れもしてくれますし、弟子の面倒も見てくれます」
「その君の弟子のことだが……アナイスと言ったかね?彼女を貸して欲しいのだが」
(え?)
なごみかけた空気が一転、話が、アナイスに行き、レオニーは、反射的に表情を硬くした。そんなレオニーを注視しながら、大公は言葉をゆっくりと紡ぐ。
「ここからが本題だ。君は、『ゆらぎ』を知っているかね?ここでいう『ゆらぎ』とは、音のことなのだが。揺らぐ音は耳に心地よい。ゆらぎがある声、ゆらぎがある音、それらは心地よく心に響く。だから、演奏家は歌うときや楽器を演奏するときに、わざと音を揺らすのだ。音楽用語では、ビブラートをかけるというのだが。実際に聞いてみるといい」
そういうやいなや、デュファス大公は、徐ろに傍らに置いていた包みを引き寄せ、解いた。中から出てきたのは、バイオリンと弓。それを顎の下に構え、弦を押さえた左手指を基点に左手を細かく動かし、演奏してみせる。ボワーンとした音が広がっていく。
「これがビブラートだ。まるで、君のようだね。存在自体が心地よい」そういいながら、今度は、左手指をしっかり押さえて弾いてみせた。今度は、キューンとした音がした。心に突き刺さるような音。
「これがビブラートなし。違うだろう?」
レオニーは頷く。
「このビブラートをかけるというのは、結構、大変なのだよ。王子が、バイオリニストの道を歩みたいというのだがね、プロの楽団でやっていくのは、無理だろうね。ビブラートも上手くかけられないのに……。そう言ったら、それなら路上のバイオリン弾きになるというのだが、そんなことさせられるか?顔を知られているから、大騒ぎになる。犯罪に巻き込まれる恐れもあるし。それで、トライアルを行うことにした」
「トライアル?審査するということですか?」
「そう、ビブラートのね。我が国の未開の森に住む魔物の中には、ゆらぐ音に反応し、寝てしまうものがいる。そこで、魔物の前でビブラートをかけたバイオリン演奏をして、見事、寝かしつけたら合格とし、彼が演奏家として独立するのを認め、全力でバックアップする。寝かしつけるだけでは不確かだから、評価は識者にしてもらう。未開の森の西側に賢者が住んでいるから、彼のところまで行き、判断を仰ぐ。賢者の判定が合格なら王族を離れ、バイオリニストとしての道へ。不合格ならあきらめて、為政者になるための勉学の道を歩んでもらう」
「その賢者とは?」
「マルクス・ダグラスだ。もう結構な年だろう。魔法騎士を長く勤め、魔物討伐に尽力して、勲章も授けられた人物だ。バイオリンが得意で、ゆらぐ音が一部の魔物を鎮めると気づいたのも、彼だ。引退して未開の森の西に住んでいるが、芸術学院の特別講師をしていたこともある。我が、理事長に就任する前のことだが」
「そのような方がいらっしゃるのですね。そこに、私の弟子が、どう絡んでくるのですか?」
「君の弟子には、王子に同行してもらいたいのだ。一人で未開の森に立ち入らせようとしても、王子は、その場に座り込んで動かないだろう。そのような幼い部分がある方だ。だが、自分より年若い女子がいれば、弱いところを見せたくなくて、張り切って森に足を踏み入れるのではないか?また、君の弟子は、人の心をほぐす天才だと聞いている。反抗期を拗らせた王子の素直な気持ちを聞きだして、反省を促し、未来につなげる一助になるのではないかと思われる」
何を言っているのだ、この男。レオニーは、不快の念をあらわにした。
「先ほどまで、陛下とロレンツィオ王子の処罰について話し合っていたのだが」
大公は、挨拶もそこそこに、本題に入った。よく響く声に、威厳がある。
「レオニー殿、君は、学院長と親交が深いと聞いておる」
「はい。イルミナ・ルブラン学院長は、私の遠縁にあたり、王都に出てきた際に、後見人になって頂きました。その縁で、今も連絡を取り合っております」
「なるほどな。血縁関係は?」
「ございません」
「我らと同じだな。陛下と我と。それで、学院長からは、今回の件で何か聞いているか?」
「特には、何も。誰からも事情聴取ができないので、処分を下せないと、ぼやいておりました」
「なるほど。そうか。――では、我から伝えよう。我々の調べでは、今回の婚約破棄宣言は、日頃から、もやもやしていたロレンツィオ王子が、晴れの舞台で婚約者のユリアナ・バートン公爵令嬢が花束を持ってきたことで咎められた気がして、カッとなり、突発的に行ったものである。それは、気が進まぬ婚約を、自分からは破棄できないユリアナ嬢のためでもあった。ただ、我々の見解からすれば、ユリアナ・バートン公爵令嬢には、落ち度がない。学院では、節度ある態度を守っていたからな。王子の気持ちが定まらないことにまで、彼女に責任を問うことはできない。次に、ロザリンド・フェデラー伯爵令嬢であるが、彼女は、王子の婚約者が学内にいることは知らなかったようだし、王子が婚約破棄宣言をすることも知らなかった。だが無自覚に婚約者がいる王子を誘ったこと、騒動後、許可なく学院を抜け出し、王子の愛欲に身を委ねてしまったことは、当院の学生にあるまじき行為で、何らかの処分が必要である。教師間でも問題になっていたのだが、ロザリンド・フェデラーには、貴族の娘としての躾けが行き届いていない感が、日頃からあった。それを親の責任で片付けるには無理があり、もともと当学院にふさわしくない人間であったと結論づけるのが妥当であろう。だから、何らかの処分が下される。最後に王子だが、学院を個人的な断罪の場にしたこと、当院の学生にあるまじき行為を行ったことなどから、厳しい処分が必要。例え、王族であってもね。当院は、芸術に造詣が深かった第12代目ナルスタス王国国王、アルベルト・ナルスタスの名を冠して王家主導で設立された芸術家養成機関で、運営には、王族も関わっているから、当然のことであろう。また、学院長は……事件を未然に防げなかったことから、危機管理意識と教員への指導力が問われている。ユリアナ嬢が花束を持って行ったのは、学院長の計らいだったようだ。彼女としては、ユリアナ嬢の存在をアピールする地味な作戦だったのだが、これが裏目に出た。これがなければ、婚約破棄宣言は、なかったかも知れない。せめて、当たり障りのない服を着せていれば……。ユリアナ嬢は、奇っ怪なドレスを着ていたから、それが王子の反発を招いたという見方もある。あれは、確かに、気の毒だった……」
大公は、当時を思い起こすかのように、遠い目をした。レオニーは、何も答えない。冷静に、与えられた情報を、頭の中で分析している。
「この件に関して、王子の協力者はいないようだ。よって、我々は、王子単独での突発的かつ衝動的な行動、と位置づけた。そこで、当該三名の学生の今後だが――、ユリアナ・バートン公爵令嬢は、体調不良を理由に既に自主退学した。ロザリンド・フェデラー伯爵令嬢は、学院に籍を残したまま国外留学。他国の有名な音楽学校で一年間、研鑽を積むことになった。才能があるからな。それからロレンツィオ・ナルスタス王子だが――王族を抜け、音楽の道に進みたい旨、意思表示があった。プロのバイオリニストになって活動したいそうだが――、保留中である」
「保留中とは?」
「学院は、やめてもらう。あのようなスキャンダルを起こされた以上、他に道はない。ただ、立太子される可能性のある方を、おいそれと放り出すわけにはいかず、国と王家が処分を下し、更生の道を示した上での退学としたい。在学中、我らに夢を与えてくれたこと、慣習にとらわれず、新しい音楽表現の道筋を示し、生徒たちを牽引してくれたことを考慮してのことだ」
大公は、そこで話を切り、レオニーの様子を窺った。レオニーは、ロレンツィオ王子のことは、よく知らない。人柄も、バイオリンの腕前も。だから、そのような話をされても、首を傾げるばかりで、特に何の感想も持たなかった。無理に、ひねり出すとしたら、「ふーん」だろうか?
「それから、イルミナ・ルブラン学院長だが……長年、学院の発展に尽力してくれたので残ってもらうつもりでいるのだが……本人に気力がないようなので、どうしたものかと思っている」
レオニーは、はっとした。イルミナは、具合が悪いのだろうか?
「連絡を取ってみます。私の恩人ですし、大好きな人なので」
「そうか」
大公は、ホッとしたように言った。糸のような細い目の奥に、優しい光が宿っている。
「イルミナが天下の大魔術師の追っかけをしている話は本人から何度も聞いたが、想いは一方通行ではなかったのだな。イルミナが面白おかしく言っているだけで――。話を聞くたびにモヤモヤしていたが、そういうことなら……」
大公は、イルミナに対し、どこかほわほわとした温かい感情を持っているのが感じ取れた。大公が、イルミナを気にかけている。それは、レオニーにとって喜ばしいことだった。
「イルミナは、私が成人して独立した今も、気にかけてくれています。差し入れもしてくれますし、弟子の面倒も見てくれます」
「その君の弟子のことだが……アナイスと言ったかね?彼女を貸して欲しいのだが」
(え?)
なごみかけた空気が一転、話が、アナイスに行き、レオニーは、反射的に表情を硬くした。そんなレオニーを注視しながら、大公は言葉をゆっくりと紡ぐ。
「ここからが本題だ。君は、『ゆらぎ』を知っているかね?ここでいう『ゆらぎ』とは、音のことなのだが。揺らぐ音は耳に心地よい。ゆらぎがある声、ゆらぎがある音、それらは心地よく心に響く。だから、演奏家は歌うときや楽器を演奏するときに、わざと音を揺らすのだ。音楽用語では、ビブラートをかけるというのだが。実際に聞いてみるといい」
そういうやいなや、デュファス大公は、徐ろに傍らに置いていた包みを引き寄せ、解いた。中から出てきたのは、バイオリンと弓。それを顎の下に構え、弦を押さえた左手指を基点に左手を細かく動かし、演奏してみせる。ボワーンとした音が広がっていく。
「これがビブラートだ。まるで、君のようだね。存在自体が心地よい」そういいながら、今度は、左手指をしっかり押さえて弾いてみせた。今度は、キューンとした音がした。心に突き刺さるような音。
「これがビブラートなし。違うだろう?」
レオニーは頷く。
「このビブラートをかけるというのは、結構、大変なのだよ。王子が、バイオリニストの道を歩みたいというのだがね、プロの楽団でやっていくのは、無理だろうね。ビブラートも上手くかけられないのに……。そう言ったら、それなら路上のバイオリン弾きになるというのだが、そんなことさせられるか?顔を知られているから、大騒ぎになる。犯罪に巻き込まれる恐れもあるし。それで、トライアルを行うことにした」
「トライアル?審査するということですか?」
「そう、ビブラートのね。我が国の未開の森に住む魔物の中には、ゆらぐ音に反応し、寝てしまうものがいる。そこで、魔物の前でビブラートをかけたバイオリン演奏をして、見事、寝かしつけたら合格とし、彼が演奏家として独立するのを認め、全力でバックアップする。寝かしつけるだけでは不確かだから、評価は識者にしてもらう。未開の森の西側に賢者が住んでいるから、彼のところまで行き、判断を仰ぐ。賢者の判定が合格なら王族を離れ、バイオリニストとしての道へ。不合格ならあきらめて、為政者になるための勉学の道を歩んでもらう」
「その賢者とは?」
「マルクス・ダグラスだ。もう結構な年だろう。魔法騎士を長く勤め、魔物討伐に尽力して、勲章も授けられた人物だ。バイオリンが得意で、ゆらぐ音が一部の魔物を鎮めると気づいたのも、彼だ。引退して未開の森の西に住んでいるが、芸術学院の特別講師をしていたこともある。我が、理事長に就任する前のことだが」
「そのような方がいらっしゃるのですね。そこに、私の弟子が、どう絡んでくるのですか?」
「君の弟子には、王子に同行してもらいたいのだ。一人で未開の森に立ち入らせようとしても、王子は、その場に座り込んで動かないだろう。そのような幼い部分がある方だ。だが、自分より年若い女子がいれば、弱いところを見せたくなくて、張り切って森に足を踏み入れるのではないか?また、君の弟子は、人の心をほぐす天才だと聞いている。反抗期を拗らせた王子の素直な気持ちを聞きだして、反省を促し、未来につなげる一助になるのではないかと思われる」
何を言っているのだ、この男。レオニーは、不快の念をあらわにした。
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